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人権はあるのに動物に権利なし?

先ほど色んな質問を読んでいたところ、人権についての回答がついているものがありました。 そこでふと思ったのですが、人権は激しく主張するのになぜ動物は守られないのでしょう? 動物も殺される時には泣き叫び、抵抗しますし… じゃあお前は肉を食ってないのかっていう意見はおいといて 穀物、野菜だけでも生きていけるので… なぜ動物は簡単に殺されるのでしょう? 命に差があるのでしょうか? 生きていく上で必要以外の回答が得られるとありがたいです。 結構簡単に殺してるなぁって思ったので

noname#9418
noname#9418

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.8

人権という言葉が最初に出てきたのはフランス革命です。 その人権も、守られているとは言いがたいですね。 途上国はもちろん、先進国と言われる国々でも。 同種の権利も守れないのに、他の生き物まで手が回らないのでしょう。 自然保護のイベントを手伝ったりしていたので、ちょっと勉強もしたのですが、 環境を破壊する人の最大の問題は想像力の無さです。 木を、森を見てもその豊かさに気が付かないのです。 しかし、光が無いわけではありません。 ウサギが原告となり、自然保護を訴えた裁判もあります。 ウサ権です。(笑)

参考URL:
http://www.janis.or.jp/users/ito-imo/ecology/lecture/natureright/sojou.html
noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ウサギが原告で訴えた裁判ってすごいですね(笑 是非読んでみたいと思います!ありがとうございます

その他の回答 (13)

noname#21649
noname#21649
回答No.14

>んだか悲しいですね^^; そうでもないです。欧米の場合.有色人種には人権がありません。せいぜい英語のわかるペットのようなイメージです。 家畜の黒人や日本人を白色人種と同様に人権を認めるくらいならば.うちのかわいいワンワンにも同程度の権利を認めるべきである という主張から.ペットの権利がある程度認めているのです。黒人奴隷制どの名残というか.人種差別の象徴とも考えられるのが.欧米の制度ですから。 「猪八戒」中国のブタをモデルにした妖怪と言うか人というか神というか迷う.西遊記の登場人物です。中国のブタは家庭内で飼育されるのですが.エサが人糞です。便所の下に畜舎があり.ここでブタを飼育しています。三国志か何か忘れましたが.皇帝の怒りを買って誰かがこれと同じような生活をさせられていた記憶があります。 欧米のペットの権利を考えると.白人の便所の下で飼育される有色人種を思い浮かべます。

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます 人権がないと聞いてびっくりしています。 今でも人権がないのなら大変な問題だと思いますので、早速調べてみたいと思います

noname#9418
質問者

補足

2/19 16:51で締め切らせていただきます^^ 色々ありがとうございました。 得点は独断と偏見でつけさせて頂きます。 動物から始まって、植物から色んな物に、それから人権 色々勉強になりました(o*。_。)o

  • norn
  • ベストアンサー率21% (7/33)
回答No.13

まだまだ人生短い時しか過ごしていない私が申すのも、浅はかな気がいたしますが、私もフト思いましたので…。 他の方がおっしゃってるように、命に差はありません。 差があるとすれば、待遇の差でしょう。 待遇の差という問題になれば、これは人間同士でも起こりえます。 たとえば。自分は風邪をひいても、友達は風邪をひかない。これだけでも『差』ですよね?同じ人間なのに。 ですから、待遇の差はあれど、命の重みに差などありません。 また、動物を簡単に殺すことは稀でしょう。食べるために殺す以外、考えられることは、己の欲望の発散、自分の命の保護、そして、お金を溜める為。これらが上がるのではないでしょうか。 ですが、これらはつきつめていけば、結局自分が生きるため、ということに繋がるのではないでしょうか。 他に欲望の発散方法が見つからず、このままでは自分が壊れてしまう、そうならないために、相手を探してしまう。決して動物虐待を弁護するわけではありません。何かに当たるというのは、哀しむべきものではありますが、それでも、やはりそれしか見つけられない人もいるのではないでしょうか。 そして、お金に関しても、生きるためにはどうしても必要になるものですし。 ですから、決して簡単に命を奪っているわけではありません。 命を奪うことは絶対やってはいけない!この事に関しては、私は疑問に持つばかりです。必要以上にやってはいけない、なら分かるのですけれどね。 動物は必ず他者の命を貰わなければ生きてはいけないのですから。 穀物、野菜に関しても、同様ではないでしょうか。 植物も、声は出さないけれども、感情を持っているのではないか、そういう研究がされたこともあるようです。少なくとも、植物に優しい声をかけながら育てるとよく育つと言いますし、実際そのようになることが多いようです。ですから、決して穀物や野菜などの植物に感情がないわけではないのではないかと思います。 少なくとも。 声を出さないからといって。 悲鳴を上げないからといって、それは命ではないとは言い切れないと思います。 ですから。 動物だけが命ではありません。野菜を食べるときも、野菜の命を貰っているのだという感謝が必要ではないでしょうか。 生き物である以上、必ず他者の命を奪うことになる。植物だって、動物の死骸などから栄養を貰うのですから。必ず命は循環するのだと私は考えています。 決して、簡単に殺しているのではなく、自然という世界で生きていくための、循環の一部だと考えてみてはいかがでしょうか。 そして、自分が生きるために、他者の命を奪ってしまっている、その事を忘れずにいてはどうでしょうか。 長々と読みにくい文章、失礼いたしました。 また検討違いなものでありましたら、申し訳ありません

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 えっとここまで話が飛躍してくるとは, 思っていませんでした(笑 ですので、途中から変わってきた私の感想ですが 動物は自分の食欲を満たすだけにしか、 命を奪っていないような気がします。 でも人間は自然破壊や、ペットにして寿命を短くしたり、 自由に生きたいはずの動物の命を、この手に握っています。 ってここまで難しく考えるはずじゃなかったんです^^; 確かに植物は声を出しません。でも動物はこの目で見て取れます。 鳴き声も聞こえます。だから最初はその程度のレベルで 聞いたつもりだったのです。 それに食べ物に関しては、他の動物と同じく 生きていく上で必要な事ですし仕方ない部分はあります 純粋に思うのは、別にペットがいなくても 昔は家族や隣近所のつながりがあり、普通に暮らせていました 自然破壊をしなくても暮らせると思います。 命を奪うのに全面的に反対だとか、 奪うなって言ってる訳じゃないですよ

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.12

法律がそのように規定しているからです。人間(法人も含む。)以外は権利の主体ではないからです。人間以外の生物にも権利を与える法律を作れば、権利を見とめられるでしょうし、人間の権利を剥奪する法律を作れば(憲法レベルになるが。)、人間も権利はなくなります。 命に差があるわけではありません。権利を守る利益があるかどうかです。人間は結核菌とか黄色ブドウ球菌などを平気で抗生物質を使って殺します。しかし野生動物、特に希少生物の保護が必要だなどと主張します。それなら有害な人間も権利を剥奪して、殺害してもよいはずです。

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに命に差はないですよね!ありがとうございます。 例えば動物>有害な人間な気がします(正直 でもやっぱり命だから利益云々以前に、簡単に奪っていいのかなぁと思ったり。 やっぱりこういう話題は難しいですね^^;

  • apple-man
  • ベストアンサー率31% (923/2913)
回答No.11

動物についていろいろな点で日本は遅れているんです。 外国には獣医など専門の立場から 動物の権利、福祉(動物の幸せ) について研究が行われています。 こんな本も出ています。 http://www.amazon.com/gp/reader/0815188404/ref=sib_dp_pt/002-0730713-1768856#reader-page 目次に 11にAnimal Right 動物の権利 12にWhat is animal welfare 動物の福祉とは何か という項目があるのが分ると思います。

noname#9418
質問者

お礼

ありがとうございます。 この本を見る限りだと日本は遅れてるんですね。 私もそこまで深く考えてなかったのでびっくりです。 もう少し色々考えてみたいと思います^^

  • lucidity
  • ベストアンサー率7% (17/241)
回答No.10

>穀物、野菜だけでも生きていけるので… これ実践している方がベジタリアンにいますね。ご質問の疑問はもっともなんですが、つきつめて考えれば「なぜ人間以外のものには人権がないのか?」となります。 したがってご質問者の質問には「なぜ動物には権利があっても良いのに他のものにはないのか?」との問いが隠されています。ですから、質問の答えを求めるにはまず自らが「人間と動物には権利があって、そのほかのものにはない」との問いに回答しなければなりません。

noname#9418
質問者

お礼

ありがとうございます。 >人間と動物には権利があって、そのほかのものにはない これに植物を付け足して、私はそこまで深く物事を考えていませんので ずばり、痛みが見て取れるからです。 だから壊れた物は捨てずにおいている物もあります。 あとなぜ動物には権利が求められるのですか?という問いですが 生きているからには生きる権利があるんじゃないの?って思ったんですけど その権利が認められないなら、人間の生きる権利も勝手な気がします

noname#21649
noname#21649
回答No.9

「生命」ということなので.他の権利(自由権等)は省略します。 昭和40年ごろの医療過誤に関する訴訟で.医療過誤を認めて治療費を全額返した医師がいました。憲法?条の解釈をめぐって最高裁まで争い.結果として「人の生命は.「財産および..」の文言から.財産権と同等の権利を有するとなりました。 財産権としては.血統書付ペットについては.既に財産権として認められていましたので.わずかな期間ですが.血統書付ベットの命が日本では人名よりも尊重されていたのです。血統書がないと.人名と同じく物件でした。 「物件」か「財産権」かの違いです。

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 血統書付きペットってすごいですね。 でも命が物件か財産権かの違いって言うのも なんだか悲しいですね^^;

回答No.7

ちなみに、人権という考えも、たかだか200年前にできた新しい考えです。 人類が地球上に誕生した時からあった訳ではありません。 それ以前は、人間も「物」でした。

noname#9418
質問者

お礼

再回答ありがとうございます! 人権ってたかが200年の歴史だったんですねぇ 中国4000年より若い若い…じゃあまだまだ変わりそうですね^^

回答No.6

動物は人じゃないので人権は無いです。 犬権、猫権、牛権ならあるかも。 動物を簡単に殺していますか? 食用以外で殺すことは稀だと思いますが。 野鳥や野生動物は、怪我をしてもきちんと保護されます。 無意味に殺すことはありません。 ハンティングでも狩った獲物は食べますね。 鹿などは最高に美味いです。 ニホンオオカミが絶滅してしまった(させられた)ので、 鹿は適当に人間が間引きしないと増えすぎて自然の生態系を破壊します。 元は人間のせいなのですけどね。 動物を食べる時は、「いただきます」と命を下さった動物、植物に感謝して食べましょう。 もちろん、食事を作ってくれたお母さんにもです。

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は動物を結構簡単に殺してるなぁって印象はあります。 狩猟はいいとしても自然破壊は、直接動物を殺すことに繋がっていると思いますし。 ペットも結構子供を産んだら捨てて~とかも見かけますし… 食べ物の動物ならなんとなく分かった気がします。 でも、それ以外の動物の命が余計に分からなくなっちゃいました。 生きていく上に必要な殺生は自然の摂理ですね これからも感謝して食べていきます!ありがとうございました。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.5

 人権は人が作ったもので、物理法則のように宇宙ができた時から既に有るものではありません。  ですから動物や植物にそんな権利はありません。  作ってないのですから。

noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 確かに人権は人が作った物ですから、動物や植物にはない!確かに(笑 でもそれなら人権は人が決めた物だから、動物や植物にも他の物が決めた権利があるんじゃないですか? 屁理屈になっちゃってたらごめんなさい。 単に私が思ったのが、生きる権利が妙に軽い気がしたので

  • la-luna
  • ベストアンサー率37% (36/96)
回答No.4

理論的に申し上げると、権利というものは相互に主張するものであり、一方的に付与するものではないからではないでしょうか。 人間は、すべての人間に人権があるといい、互いの権利を尊重し合います。あなたの権利を侵害しませんから私の権利も尊重してください、ということです。 したがって、動物に権利を認めるのであれば、動物もまた人間の権利を尊重しなければなりません。 人間は動物たちと意思疎通できませんから、これは不可能です。 結局、動物の権利というものは、人間が勝手に与えたり侵害したりすることになってしますのです。 また、ひとくちに「動物」といっても様々です。 犬や猫も動物ですが、私たちが食料としている魚や「害虫」もまた動物です。 犬や猫や海洋動物(哺乳類)は近年、少しずつではありますが保護の対象となっていますが、一方で人間にとって「不要な」動物は「駆除」の対象となっています。 結局のところ、「動物の権利」という概念は、ひどく曖昧な上に矛盾さえも含んでしまうことになります。 とは言っても、質問者さまの質問はもっともな疑問であり、当然の感情でもあると思います。 そして多くの人が同じような疑問を抱いて、実際に行動している人々もいます。(いわゆる動物愛護団体です) 人権概念が発達したように、動物の権利、あるいは動物愛護精神というものが、今後より多くの人々に受け入れられ、発達してゆくのかもしれません。

参考URL:
http://www.jspca.or.jp/hp/
noname#9418
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 動物人間は権利を言い合えないですもんね。 やっぱり食べ物に限定すると無理もないですね さすがに動物愛護団体まで猛烈に反対はしないですが なんだかなぁって感じです^^;

noname#9418
質問者

補足

結構人間が自然を壊して動物が野に降りてきたり 減少したりしていますよね。 そういう間接的に動物を殺したりしていますけど 相手の生きたいって権利は分かるんですが、野に降りてくると結構殺しちゃったりって話は聞きます。 これってどう思われますか? お礼の欄紛らわしてくてごめんなさい。 なんだかなぁはこっちに書けばよかったですね。 回答感謝しています

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