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生き物(特に人間)の生きる理由はなんだと思いますか?

自分の人生に納得する為だとすると、 所詮それで終わりなんですよ。 しかもそれは個人的な目標にすぎない。 限りある自分の時間を良いものにしようとするだけ。 それしかできない。小さい存在。 動物や植物も、どうせ死ぬんだから、 最初から生まれてこなくても同じじゃない? いつか地球も滅びるんだから、 何も残らないじゃん!神がいるとしたら、 なにがしたいんだろう。 と、普段考えないようなひねくれた考え方をしてみました。 私は別に人生は否定的ではないです。 生まれて来て良かったと思ってます。 気分を害された方がいたらすみません。 なぜ、様々な自然に支えられて、生かされてるのか、 また、人間の生きる理由が知りたい。 こんな事、神じゃあるまいしわからないと思いますが、 とても知りたいです、 皆さんはどうお考えですか?難解な問題ですが、 お暇ならよろしくお願いします。

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回答No.46

>でも幼年期のトラウマというのはとてもでかいですよ。実際に体験しないと僕の辛さは誰にもわからないと思います。 僕も相当トラウマがありました。引越しだらけの人生で、地元もなく、幼馴染もなく、友達もなく、恋愛 も出来ず、さらに父が宗教色が強く禁欲的な人で、こどもの僕にまでその価値観を押し付けて、TV も漫画も俗なものとして禁止でした。話題がないので、学校では友達の輪にも入れず孤独。遊びは一 人で漫画を描いたりしてました。 2年に一度転校する度にイジメの危機。また女の子みたいにおとなしい性格だからその手でからかっ てくるし。それが高校まで続きました。僕は誰にも必要とされていない。僕には何もない、もの凄い 虚無感。しかし人にそれをさとられないようにしてました。そうやって自分を守るしかなかった。 常に強迫観念にかられて、世間が嫌いだった。学歴社会がイヤで大学も行かず、社会が嫌いだから ニートでもう20代半ばです。こんな気持ち、僕以外に誰にも理解できるはずがないです。だからこそ、 自分で乗り越えるしかないと思って今は哲学に心理学を独学してかなり自分を見ることができました。 そのきっかけとなったのが、人との出会いです。片想いの恋をしました。そこではじめて他人に興味 が出て、地の底に突き落とされたような辛い経験をしました。絶望の中、僕は自分で自分を見捨てた らお終いだ、というところまで追い詰められ苦悩で彷徨としました。でもそこで奇跡が起こったんで す。とでもかけば宗教っぽいですね。(笑)そのことを書きたいけど言葉で表すことができないんです。 だから僕は愛という言葉を代用しているに過ぎません。 それからは、徹底的に嫌いだった自分の過去がプラスにすら見える。逆にそういう経験を活かそうと 思って今に至ります。それからは満たされているけど、しかし満足をしているわけではない。言葉で 表せばどうしても矛盾してしまいますが、過去をまったく後悔してません、というか出来ないんです。 それからは、そんな自分をまっすぐに押し出していこうと、また、この生きる素晴らしさを人に伝え たいと思い、今は芸術活動中です。 >愛みたいな素晴らしい気持ちのような、「価値」という概念は、科学の視点で捕らえると瞬く間に消滅します。 人類の文明を見れば、考古学だとモノを発掘してそこからとらえるしかありません。原始社会になればなるほど、宗教は絶対的なものだったらしいのですが、占いや超越者との交流など、人間の精神的活動、または祭りや踊りなどの習慣・儀式は、発掘されたツボや骨や石などから想像するしかありません。つまりその人間的なモメントは瞬く間にしか生きないのです。その肝心なところは発掘では発掘できません。現代はその人間的活動を見落としている気がします。科学も数多い分野の一つにしかすぎません。全てで一つであると僕は考えます。 >なんのために進化をしているかが今最大の疑問です 進化しなければどうなるのかな?現代でも原始的な社会はあるわけだし、進化してどうなるのか、僕自身疑問に思います。というのも、進化すればするほど、何か人間的矛盾、または悔いのようなものが深くなっていくような気がするのです。あくまで直観ですが。 >ただ、ニヒリズムの後には何か新しいものが生まれる法則がある 哲学でいう、弁証法のことでしょうか? また、幸せにしても愛にしても神にしても形而上学的なことは、物質でないので、とらえようのない共通認識をイデアと哲学ではいいますが、それは、人によって捉え方が違うし、ましてそれを言葉で表そうとしても決して100%表せるものでもないと思います。 その上で敢えて発言しますが、「幸せになるのが目的」と思われているようですが、しかし、幸せになってどうするのでしょう?僕にとって、まるで今、幸せじゃないような発言に見えて仕方ありません。僕は幸せを望みません。以前解説したのでここには書きません。 結局のところ、「現代人は生きることが空しく感じる」からこの手の質問が多く見られるのではないでしょうか?僕自身、躁鬱が激しいし、空しく感じることがあります。しかしそれを乗り越える術も知っています。また哲学でいう弁証法も、自分なりに得ています。それらは精神的なことであって、人によって違うと思います。少なくとも僕は、確実に自分が成長している実感があります。 lifeishellさんが、なぜ「人間が生きる理由が絶対にあるはず」と思われるのかを解明するのが答えになると思います。 私事ですが、17歳だったころの僕は、自分の人生から逃げていてこんな難しいことは考えていませんでした。その点、lifeishellさんは真摯にご自分に向き合っていて素晴らしいと思います。これからもきっと素晴らしく成長していくと思います。

lifeishell
質問者

お礼

なかなか似たような人生ですね^^ 僕もニートです。やりたい事があるので、 別になんとも思ってませんけど。 >>この生きる素晴らしさを人に伝え たいと思い、今は芸術活動中です。 僕もそんな人間になれるかな。 今は自分の事で精一杯です。 >>哲学でいう、弁証法のことでしょうか? ニヒリズムは虚無主義という意味です。 >>幸せになるのが目的」と思われているようですが というか、人って常に幸福感を求める生き物なんですよ。そういう風に脳にプログラムされていると思います。次から次へと欲が出て。 ただ、幸せの形は無数にあると思います。 >>lifeishellさんが、なぜ「人間が生きる理由が絶対にあるはず」と思われるのかを解明するのが答えになると思います。 人間が生きる理由なんて無いなんて言ったらあまりにも空しいじゃないですか。というか、生かされていますよね。ならば理由もあるはずなんです。 この世に生まれ来ても、 何も悟る事も無く死んでいく人達がいます。 交通事故でいきなり死んでしまう人とかも。 その人達にも何か理由があるはずだと思うんです。 無かったら、あまりにも空しすぎませんか? 結局、無いと思いたくないからというのが理由です。 >>その点、lifeishellさんは真摯にご自分に向き合っていて素晴らしいと思います。 ありがとうございます。でも僕は逃げないと言うよりは、自分に向きあわずに精進しなければどんどん不幸になっていくだけなので、頑張って思考に思考を重ねてるんです。ホントしょうがなくって感じです。 それがまた空しくて・・・。 この疑問については、もっと勉強して自分で答えを得ようと思います。でもこんな事ばかり考えて、 人と人の間と書く人間のコミュニケーションの方の 勉強も衰えないようにしたいものです。 回答ありがとうございました!

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  • haru-san
  • ベストアンサー率44% (114/256)
回答No.37

人間が生まれてきた意味はあらゆる宗教で論じられてきましたが、はっきりした回答を示したものは釈迦が開いた仏教だけです。ほとんどの人が誤解している誕生偈「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安之」は人生の目的の集大成です。釈迦は生まれたときに東西南北に七歩ずつ歩いたと言われていますが、これは六道から外に出ること。そして誕生偈の意味は六道世界の中で唯人間(我)だけにできる尊い使命がある。この世界は苦しいことばかりだけれども、吾(釈迦)がこの苦しみから解放する方法を説いていこうということです。この逸話は釈迦が出家するときの四門出遊からと言われていますが、仏教の教えそのものといっていいでしょう。 釈迦は正覚の悟りを開いた後、しばらく座禅を組んで悟りの世界を楽しんでいますが、そのあとに説法を始めます。釈迦の説法つまりお経はすべて仏になる方法が書かれているものなのです。初期の頃は自力道、後期には他力道を説いています。 悟りを開いたというと煩悩がすべてなくなると感じるかもしれませんが、仏になるということは煩悩をもったそのままで救われると言うことです。ただし、自力道は煩悩を捨てるという苦しい修行を前提とした小乗仏教です。自力道最高の経典は法華経で「この仏典に書いてあることをすべてクリアすれば、道端に落ちている石ですら成仏できる」という究極のものですが、釈迦のあとに自力で正覚の悟りを開いた人はいません。某宗教団体がいうお題目を唱えれば救われるというのは、仏になるためのHow to本を拝めば仏になれるといっているようなもので、まったくナンセンスなものです。 また、悟りをひとつの世界と勘違いされている人も多いのですが、悟りは五十二段階あり、四十一段の仮乗の位に達するまでは悟りは崩れ続けます。面壁九年という厳しい修行をし、手足を切り落とした達磨大師でさえ三十八段までしか悟ることができなかったという事実があります。そして、この悟りは五十一段の菩薩の位まで悟らなければ、六道世界からの解脱はできないのです。 自力道では届かないことを釈迦は十分に知っていたにもかかわらず、自力道から説法をし始めたのには理由があります。人間は経験しなければ、できるかできないかの判断ができないのです。小さな子供が使っているアイロンを触ろうとすると親でなくても注意すると思いますが、子供は熱いとか火傷をするという意味がわかりません。触って初めて危険なものだと実感するのです。 自力道も同じで、自力ではどんなにがんばっても五十一段の悟りの位にたどり着かないと経験した人間に、他力道を示します。これは阿弥陀仏の救いというもので、「自分はどうやっても救われない我利我利亡者だった」と思い知った瞬間に「そういう人間を救い上げることが阿弥陀仏の本願である」と一気に五十一段の悟りに引き上げてもらえるのです。この救いは不体失往生と言われていて、生きているうちに経験するものです。他力道最高のお経は観無量寿経です。 他力道で救われた人間は過去に多数存在し、有名どころでは聖徳太子、法然上人、親鸞聖人、空海、蓮如上人、東条英機など。東条英機が処刑前に読んだ辞世の句を読めばこれから死ぬ人の心境ではないことが判ると思います。 また、死んだらどうなるかについて。仏教では「一切衆生 必堕無間」といって、必ず無間地獄に堕ちるととかれています。人間が生きる目的は地獄に堕ちないために阿弥陀仏に引き上げてもらうことなのです。

lifeishell
質問者

お礼

かなり勉強になりました。 自分は仏教の和独特の渋い雰囲気?が苦手です。 でも釈迦の説いている事はいずれもっと掘り下げて勉強しようと思います。 やっぱり人は幸せになる事が究極っぽいですね。 この世の中なんなんだか良くわからないものもたくさんありますけどね。 回答ありがとうございました!

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  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.36

No.23、29のfrauです。 私は女性なのですがゲイの方が好きです。 人間はアニマ・アニムスといって、男性は女性的なもるもの、女性は男性的なるもの、その要素をもっています。ただこの強弱が違うのがそれも個性というものでして、たとえば私は「男っぽい」性格だと思うし、人からもそう言われたこともあります。 特に女性同士のあの虚栄心や見得、同姓に対する嫉妬心や勘違いの母性本能のような粘着質っぽいものが大嫌いで、とくに意味のない(というか下らない)女性の同盟のような軟弱なものは加盟したくないです(だから一匹狼と言われるのでしょう)。 でも私も女性ですから、男性と対等に向き合うことも難しいんです。あ、これは別に無用に張り合うとか、女性の権利を過剰に主張しているのではありません。それに男女間で友情を育むということも、これまた永遠のテーマです。難しい。ただ女性部分が多い女性と相容れないけれど(例えば媚をつくる女性)、「ハンサムウーマン」をただ「攻撃性」とはき違えている「女々しい女」も苦手です。でもゲイの方って中性的というか、アニマ・アニムスを「顕在的に」意識しやすい性をもっている、というか、意識せざるを得ない背景のために、より神経質になったり、過剰に意識してしまったり、でもそれを楽しめたり、また芸術に昇華したり、タレントのKABAちゃんのように芸能人としての仕事にしたりしています。もちろんこれは性格によって前面に出てくる男女それぞれのメリット、デメリットが変ってきますが、性格でもバランスの取れた方は、すごく魅力的です。なのでゲイの方はもしかしたら私の「女心」をわかってくれるかもしれないし、そこでとどまらない「男性っぽさ」も共有してくれるかもしれない。とまあ勝手な想像ですが、そんなふうに考えてもみたりします。うーん個人的にはお友達になりたいですね。 ちなみに、イエス様は性欲のない人だったという説があります。何故ならば男性性と女性性のバランスが取れている方だったからだといいいます。その中庸によって、心も安定されていたのでしょう。またレオナルド・ダ・ヴィンチやソクラテスとかあの時代の哲学者たちもゲイであるということは有名な事実です。偉大な思想家や芸術家や文化人はしばしゲイであるという歴史的な事実もあります。なぜなのかはわかりませんが…。一人の「完璧」な天才が、アニマ・アニムスというどちらか一方の「性」をバランスよく担うことで(アニマ・アニムスも含んだ)二律背反という「ひとつ」のものを体現しなけば芸術や文化などの「完全性」も反映されないのではないかと考えます。だから…というわけではありませんが、あなたは特別な存在なのです。 あなたもこれまですごい苦難の人生だったと思います。もしそれが偏見や差別ゆえのことであればあなたが悪いのではありません。偏見や差別は「数」においておこるものです。異常なものが正常に、実は正常なものが異常になるのはそこに多数決主義があるからでしょう。私だって思想的差別?といえばよいのかわかりませんが、常に偏見や色眼鏡で見られてきましたよ。そのせいか人の視線に耐えられない、かと思えばすごく自意識過剰になるときもある。 だからこそあなたもきっと強くなったのでしょうね。強くなることに限度はありません。鍛えられる過程において、優しさを身につけます。その優しさは付加価値でしょうか?いいえ、両者はそのいづなしては本物ではないからです。強さには優しさがなければただのバイオレンス、それは「弱さ」を証明することにしかならないでしょう。また「優しさ」を保ち続ける「強さ」がなくてはときに不条理に呑みこまれ、時に「偽善」となるやもしれません。しかしこの「対」を鍛えながら身につけ、身につけながら鍛えられていく過程でものすごい葛藤や苦しみを味わうと思います。でもそれこそ、「維持」させていくための課題である、そこに人のいじらしさや尊厳、素晴らしさがあると思っています。 私も朝目が覚めるときすごい無常観を感じます。眠っていて見る夢の方が「リアリティ」ある。目が覚めても悪夢。そうですね、私もあなたと同じ気持ちです。だから人生は否定的でも肯定的でもないとおっしゃる気持ちもわかります。だからあえて「お互い頑張りましょう!」などとは言えません。

lifeishell
質問者

お礼

自分はKABAちゃんと逆で、 表面はかなり男っぽいと思います。 でもそれって男として生きてきたからであって、 女だと言われたら心は女になってたと思います。 みんなそうだと思います。 だから男女との恋愛は性別を意識しなければ 可能だと思います。僕はあまり意識しない人です。 ただ、思春期まっただなかなので、 上手く自分を持てなくて苦しんでます。 なぜか女性とは仲良くなりやすいですね。 >>あなたもこれまですごい苦難の人生だったと思います。 そうですね^^;事情もかなり複雑なので、 周りは断片的にはかろうじてわかってくれるという 感じでした。こんなに苦労してるんだと 思われるのが嫌で、友達には家庭環境も恵まれているというような嘘を付いていました。 だから友達には普通の人間だと思われています。 >>~でもそれこそ、「維持」させていくための課題 維持された状態は、至福なんでしょうね。 でも強くなりすぎてもどうかと思います。 その果てになにがあるのかがわかりません。 見えません。 でも実は人生って苦しみが無いとつまらないもの なのかもしれません。 今までの苦しみは無駄にしたくないので、 プラスにしていくように努力していこうと思います。 人って自分の人生が無駄だと思うのが嫌な生き物だと思います。 最近は厳しい現実を見せられて、 吐き気がひどく、発狂してしまう事もあります。 この状況は、強いのか弱いのかわかりません。 着実に強くなってきてる中、最近は対応できなくなってきてます。 まだ小さい頃の自分はまさかこんな未来を 予想できませんでした。 果たして50代の自分はどうなっているのでしょうか・・。 回答ありがとうございました! いろいろ考えさせられました。

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回答No.35

やっぱり、考えはじめて気がついたらもうすでに生きていたし、 そうなるまでにすでに義理やしがらみにたっぷり縛られていることにも同時に気がついて、 生きる理由が別に無いのと同じように、 思い当たる正当な死ぬ理由も別に無いので、 (最低限、親にはお世話になったしね。先に死んで恩人のこの人たちを悲しませる権利は無いよね? またわざわざ自分で死ぬのも痛そうだし。) その流れで死ぬまで生きていくだけなんじゃないんでしょうか? あとは、地球に生まれたちっぽけな命のひとつとして、 生きている限られた短い間だけ、ひかえめに地球を使わせていただけばそれでよいと思います。 (そういう意味では人間は自分たちの力におぼれて、地球に対して出すぎたまねをしすぎているように感じています) 生きることにそんなに深く考えるような意味など特にないように思います。 よってこのシンプルさに神の登場など必要ないです。

lifeishell
質問者

お礼

>>その流れで死ぬまで生きていくだけなんじゃないんでしょうか? どうせなら楽しく生きたいですね。 少し前に派遣のバイト先で、 50代のリストラされたおっちゃんが、 過酷な肉体労働をしていたのを見て、 とても怖くなりました。 マイナスの力に動かされないプラスの力の 人生論を身に付けたいです。 回答ありがとうございました!!

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回答No.34

lifeishellさん、こんにちは。 No.26と28のvagabond_0710です。なかなか質問が締まらないので、まだ悩んでらっしゃるのかなと思って遠くから見ていました。(笑) 僕に対するお礼に >私は、一生恋ができない、子供できない、 >結婚できないという一種の病気なので、 >愛とはほとんど無縁です。残念です。 とあってなんでだろう?と疑問に思っていたのがようやくわかりました。 僕はゲイではありません。なのでゲイに対して興味はあります。しかし、"一種の病気"なんですか? 僕は無職です。これも病気でしょうか?だったら、働いている人はどうでしょう?何が正常で何が病気なのか、僕には断言できません。僕の意見だと、みんなが障害者であり、また病気であると思います。何かで読んだのですが、サラリーマンの9割以上が精神病らしいです。病気じゃない、だからといって健康とは言えないと思うんです。 あと、 >私はゲイなので、子孫は残せません。 お子さんが欲しいのであれば、自分の精子を使って代理出産という手も不可能ではないと思いまよ。 >自己嫌悪によりゲイとしても愛をはぐくめません。 僕が感じる愛とは、例えにマザーテレサをあげたように、決して男女間のことではありません。全てに対して満たされることだと思ってます。人間である以上、誰にでも愛することは可能だと思うんです。でなければ真理でもなんでもないです。 <こういう人間って生物学的に見てゴミなんだろうか。 ゲイでなくても、結婚しない人、子供を産まない人、または産めない人、大勢いらっしゃると思います。それに、生物学的といっても、数多くのカテゴリーのうちの、針の先のような狭い範囲であって、どのような評価を得ても、それは所詮、偏った評価だと僕は思います。宇宙的視点というか、真理というか、それは全て繋がっていて一つだと思うんです。宗教チックな発言で、ちょっと人によって受け取り方に違いがでると思いますが。(笑) 他の方へのお礼を読んでついまた書き込みをしてしまいました。もし、まだ悩んでらっしゃるのでしたら、お気軽になんでもお書き下さい。できる範囲で自分の意見を述べたいと思います。僕自身、そうやって救われます。

lifeishell
質問者

お礼

周りは男女間で付き合うのが当たりまえで、 最近は周りに恋愛話が多くなってきて辛いです。 自分を確立できない状況で、こういう事考える事が多くなりました。また、いろいろ複雑な事情はあるのですが、家庭には愛情が一切ない為、 精神安定剤を飲んでもままならない状況です。 17才です。 マザーテレサの話は知らないので、 少し調べてみようと思います。現在の状況を打破できるものが見つかるかもしれません。 哲学って、世の中を難しく考え過ぎるから 全てが無情なような気がして、小さいような気がして、自分をどんどん冷たい人間にしていきそうです。 そんな気がします。 この世の中、考えはどうであれ、表面は明るくないと 生きていけませんからね。 もう少し楽に行こうと思います。楽にいけるかは分かりませんけど。^^; だんだん自分の人生相談みたいになってきて、 悪い気がします。^^; 回答ありがとうございました!!

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  • akahi
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.33

私の意見は、はっきり言って、生きていることに意味はなく宇宙からして見ると存在のしているだけです。 しかし、我々【生き物】は、本能的に子孫を残し、本能的に狩りをし、食べます。 地球の食物連鎖によって生きています。 もし、我々、生き物の生きている理由があるとすれば、『地球』という生き物の中身に存在する【細胞】なのではないでしょうか?

lifeishell
質問者

お礼

>>しかし、我々【生き物】は、本能的に子孫を残し、本能的に狩りをし、食べます。 そうですね。ちなみに 私はゲイなので、子孫は残せません。 自己嫌悪によりゲイとしても愛をはぐくめません。 こういう人間って生物学的に見てゴミなんだろうか。 >>もし、我々、生き物の生きている理由があるとすれば、『地球』という生き物の中身に存在する【細胞】なのではないでしょうか? なら地球はなんであるんでしょうか。 宇宙はなんであるんでしょうか。 謎です。 回答ありがとうございました。

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  • akahi
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.32

私の意見は、はっきり言って、生きていることに意味はなく宇宙からして見ると存在のしているだけです。 しかし、我々【生き物】は、本能的に子孫を残し、本能的に狩りをし、食べます。 地球の食物連鎖によって生きています。 もし、我々、生き物の生きている理由があるとすれば、『地球』という生き物の中身に存在する【細胞】なのではないでしょうか?

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  • sowow
  • ベストアンサー率20% (18/90)
回答No.31

この疑問の結論をだすには、 「科学」も「宗教」も「理性」も「感じること」も「他人」も「自分」も、今のところ、そんなにあてにはならないんじゃないでしょうか。 個人的には、「自分」が「感じること」が一番信用できない(^_^;) それでも・・・ 「自分を騙すくらいなら何も結論付けたくない。」 と言う気持ちです。 どんなに隙の無いように見える理屈も、 どんなに自分を気分良くしてくれる考え方も、 それが偽りならば、心を曇らせるばかりです。  でも、いろんな意味で「死」が近い人が  結論を急ぐのはしょうがないのかもしれ  ませんが・・・  今の自分にはその気持ちはわかりません。 最高なのは・・・ とりあえず「魂」とかが存在し、「次のステージ」があることですね。(ありえなそー) 最悪は・・・・ 「○び太が神」だなー。

lifeishell
質問者

お礼

「自分を騙すくらいなら何も結論付けたくない。」 なんかかっこいいですね。 宇宙は無限のように広くて、 アインシュタインだって、この宇宙からみたら、 なにも知らないとんでもない無知野郎なんでしょう。 そんくらいまだわかんない事って無限にあって。 人間ってなんだか虚しい。 結局は自分の欲を満たして。同じ事をくり返して。 くり返してくり返して・・・。 次のステージあるかもしれませんね。 あるとしたら、 私達人間が理解できない概念のステージなんだと思います。時間とか意識とか物質とかあるかわからないし。 のび太が神。笑 もしそうなら原点はこの世の人間には絶対わからないでしょうね^^; 回答ありがとうございました。

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  • mailhiro
  • ベストアンサー率23% (32/135)
回答No.30

#24です。 私一人だけ外しまくってるようで恥ずかしい限りですが、外しついでに再度コメントします。 >あなたはそうなんですね。 やっぱり誤解されているみたい〈笑 というよりも、このご質問は、哲学という学問的見地に対するご質問というより、あなた自身が抱えている問題から発しているような気がします。 あなた自身が何か深いコンプレックスを抱えていて、それをご自分なりに解決(達観)しているつもりだけれどなんとなく不安である、そういう雰囲気が皆様へのお礼文のそこかしこに感じられます。 生きる理由なんて、その辺のどこにでも転がっていますよ。違うのは、あなたがそれを拾い上げるかどうかでしょう。 こういうことをあまり難しく考えず、まずは行動あるのみです。 一流のスポーツ選手が、高い目標をクリアしたときに感じるといわれている「神の領域」はどこにでも必ずあると思って、自分の価値観を信じて前向きに生きれば、問題はおのずと解決する、と私は思います。

lifeishell
質問者

お礼

誤解してますでしょうか?^^; >>あなた自身が抱えている問題から発しているような気がします。 発端の一部はそうだと思います。 ただ、抱えてる問題を解決したいから、 この疑問を持ったわけではありませんよ。 あなたの言う生きる理由なら、 僕もいくらでも持ってますよ。 >>こういうことをあまり難しく考えず、まずは行動あるのみです。 僕はこの言葉大好きです。 ただ、行動はちゃんとしてますよ。 回答ありがとうございました!

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  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.29

No.23です。 初めに伺いたいのですが、 「この言葉は生物的?に見た場合です。私だって、そんな事のために殺されて動物がかわいそうだなと思います。でもそれって所詮はエゴなんですよ?」 ということについて。 読解力がなくて申し訳ないのですが、「生物的に見た場合」という意味と、また「それがエゴ」というところと、殺すことが知性というところもわかりません。 補足説明いただけたらさいわいです。 意味への勝手な推論で、後者について一言申し上げたいのですが…。食物連鎖は本能という強烈なエゴだけで成り立つ仕組みであり、人もその頂点に位置する一部ですが、食物連鎖以外の目的で利用するのは理性によってです。でもいかにも人間らしいこういう「知性至上主義」が結局は自殺行為に至らしめているということはあなたもわかっているはずです。本当の知性は思いやりや謙虚さが生かされるべきであると思います。 さて、ご質問者様の質問は神の存在を否定しながら、強く否定もしていないところに科学主義的なものを感じます。No.26の方の意見に強く同感されたことにもそう思いました。またペシミストなのかもしれないとも。苦労なさった過去のため虚しさを感じてらっしゃるのでしょうか。でも私もそれは同じです。相当なものです。熾烈な試練を与えられることへの怒りや疑問、いくら問いかけても答えをくれない辛さ。生涯をかけて自分でそれを探さなければならない孤独や辛さ。私個人のことのみならず、世界に目を向けても「不条理」としての疑問から、神の存在を感じますが、逆に命の尊さとか、心や魂の「存在感」を感じるとき、純粋にその存在を感じます。 ご質問者様はそのようなことありませんか? つまり私がこんなに神(のような)存在との本当の対話を望んでいるのは、それだけ「生き」詰っているということなのでしょうね。 でもそれでいいんだと思います。人間や動物や、自然や物質、世界や宇宙、また森羅万象という「現象」、心や魂の存在、愛や夢や苦しみや挫折、様々な学問が存在する、まさに広大で複雑極まりないカオスの渦中にいます。ただそれらの存在の意味を俯瞰するしかない人間は一見無力な存在です。しかしそれこそ「神の視線」だと思います。つまり私もあなたもすべての「存在」が神(のようなもの)の反映であり、しばし言われるように「神は自らの中にいる」「神は私自身」である、と思うのですがいかがでしょうか。 私は結果論というのが嫌いです。偶然は必然であるように、もちろん「よい結果」はそれ自体素晴らしいことです。「理性の本能」というのがもしあるとすれば、それを求め続けている飢餓感が、私たちを人生に駆り立てているのではないかと。しばし現代のようなスピード社会はより、結果論重視となりがちですが、過程があって結果もあるのであるから、結果がだめでも過程をみることを無駄にしてしまったら「よりよい」結果にも導かれないのではないかと考えます。 人生は死ぬまでの過程です。すべては終わりがあるから美しいのです。ご質問の 「しかもそれは個人的な目標にすぎない。 限りある自分の時間を良いものにしようとするだけ。 それしかできない。小さい存在」 とおっしゃるのもわかります。理論として。でもこの理論こそ、価値ある「意義」ではないですか。 たしかにご質問者様のように「どうせ死ぬんだから、 最初から生まれてこなくても同じじゃない?」というのは理論的、そして感情的にはまさにそのとおりでしょう。逆説的ですが、「目的」という有意義で有機的な目的のために、人生があるとは限りません。「生」そのものは本当に虚しい。だって必ず「死」は訪れるから。死への恐怖から逃れるためにあえて「目的」を作るのかもしれない。しかし理性を持たない動物や植物はいさぎよく「死」への目的にまっすぐ突き進んでいる。同じ「死」を与えられた人間なる生物は、寄り道や回り道をしながら生きている。その「道」こそ、まさに「生きる道」なのでは?人類が膨大な時間と人生をかけて残してきた数々の「道」が、後世の人類が生きる道、または道しるべとなるのですが、自分が選択した「道」についてこのように考え続けるのは自分の足跡がきちんとついているかということを実感したいからなのでしょう。 考えること、想うこと、つまりそれこそ「道」なんでしょうね。だから大いに考えてそして悩むべきだと思います。それが人であることの証でしょう。 道の途上にいる私が、きちんと地に足をつけながら、心は風のごとく、世界を飛んでいければ…と願っています。 「個」は小さく、また偉大なものです。大きくて小さな存在が、精一杯生きて、世界や宇宙に真理として吸収されていくのだとイメージします。起きているすべてのことは事実でありますが、それを嘘とするか、真実とするかは個人の自由です。でもそのような葛藤すべて包括しているのが「真理」なのではないでしょうか。それは神の存在への懐疑も、信仰も。こんなふうに日々、思想している私たちも真理(神?)の手のひらのうちにあるのではないかとイメージしています。 蛇足ですが…。 ご質問の 「動物や植物も、どうせ死ぬんだから、最初から生まれてこなくても同じじゃない?」 というところについてなのですが、前レスで私は他の生物への冷たさを責めました。でも同時に、この言葉にご質問者様の「温かさ」も感じられるのですがいかがでしょうか。

lifeishell
質問者

お礼

例え、食物以外に動物の命を利用しようと、 その命が人間の命を救う事になるならば、 それが、人間の生き延びる為のやり方では ないでしょうか? ただ、動物の命を研究に使わない方法が あるなら、僕はそうした方が良いと思います。 知性至上主義とは言いませんが、 唯一知性のある人間の生き方だと思います。 動物も種を保存するため、人間も驚くような知恵で 生き延びようとしています。(無知なので例は出せません) もし逆に、人間を殺さなければ生きられない動物が いるなら、それは文句は言えないと思います。 ただ、人間はなにか手段を使って、それをくい止めようとするはずです。 どうも近頃、全ての生物の裏には、 種を残そうとする意志というかシステムが、 常に備わっているような気がしてなりません。 ただ、あなたの言うとおり、思いやりは大事だと思います。 というような事を言いたかったのですが、 わかりますか?文才にあまり自信が無いので、 わかって頂けるか不安ですが。 >>苦労なさった過去のため虚しさを感じてらっしゃるのでしょうか。 それはあります。苦労を乗り越え過ぎて、強くなりすぎても、あまり意味が無いような気がします。 例えば、うんと苦労して幸せを掴むか、 それに比べ、あまり苦労をしないで、最後に自分に納得できてれば、後者の方が良くないですか? >>逆に命の尊さとか、心や魂の「存在感」を感じるとき、純粋にその存在を感じます。 わかります。小学生の頃、理屈ではなく、 理性で感じていたような気がします。 それを当時の国語力では人に説明できず、 もどかしい気持ちを味わった記憶があります。 そういうのって、他人に言いたくなってました。 >>自分が選択した「道」についてこのように考え続けるのは自分の足跡がきちんとついているかということを実感したいからなのでしょう 全くその通りだと思います。 >>~~でも同時に、この言葉にご質問者様の「温かさ」も感じられるのですがいかがでしょうか。 ありがとうございます。理論的に言った場合には、 ああなってしまうのですが、 個人としては、全ての命を尊重したい、 全ての命とわかり合いたいと思ってます。 例えそれが無理でも、そう思う事自体に意味があると 思っていますので。 とても文全体が興味深かったです。 回答ありがとうございました。

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回答No.28

lifeishellさん、こんばんは! お礼読ませていただきました。ありがとうございます。 lifeishellさんにいいことを書いてみたら、ありえないぐらい長くなりました。 僕に文才があればもっと短くまとめることができるのになぁと思います。 上手くいえるかわからないけど、できるだけ短く書きます。 人間みんな一緒です。生まれて病気や怪我で苦しみ、そして死ぬ。この運命から逃れた人間を僕は知りません。しかし実際社会はその平等性ではなく、不平等で成り立ってます。地位や肩書き、容姿に能力、財産や人脈など、そのような皮相で繋がってます。 何が言いたいかと言ったら、「自分だけ」と思うと不幸になります。他人と比べるから「自分だけ」という孤独に陥ります。他人と比べた皮相な自分ではなく、本来の自分。それは自分にしかわかりません。それを輝かすことができる人が、魅力に溢れる人間だと思うんです。人間みんな過去を引きずってます。しかし多くの恥ずかしい失敗をして成長するんです。 なぜ、lifeishellさんが恋も子供も結婚もできないのか、僕はわかりません。ただ僕だったら、「自分だけ」がとは思いません。人はそれぞれ違った形で運命を辿ります。決して幸せな人間なんていません。幸せなんて、自分の周りにバリケードを張って、「自分だけ」がよければいいというエゴイストでなければなれません。前回僕は恋愛について書きましたが、あれは失恋です。彼女に触れることもありませんでした。大きな後悔と絶望。苦悩の連続を無意味ととらえず、逆にマイナスをプラスに転換する術を学びました。つまり今まで無意味だったのが意味に変わり、価値観が変わったのです。 結局、自分で自分を縛り付けていたのが駄目だったんです。オレはこうだと決め付けて、それに固執した僕は柔軟に彼女に対することができなかった。コンプレックスや嫌な過去に引きづられている限り僕は自由じゃない。固定概念を捨てて、ただ、自分の気持ちに殉じればいい。そう、自分に素直になることを忘れていたのです。 なぜ、愛とほとんど無縁と思われるのかわからないけど、僕だったら、自分で将来の自分まで決め付けません。今在る自分すら決め付けません。僕は自由なんです。自由と思った時点で自由じゃない―――つまり、思考の枠をこえちゃって下さい。 人間はなぜ生きていけるのか?それはこの世界が神秘だからです。一番わからないのは自分自身です。自分探しが流行した理由です。そして僕は、僕がどうあるかは(頭がいい・悪い、できる・できないなど)問題ではなく、僕が僕であればいい。つまりあるがままなんです。シンプルであれば、これほどこの世界が満たされることはないです。そう考えれば全てが繋がってます。世界は一つってやつです。^^; 多くの人間は、自分がこうだ!と決め付けて右にいったり左にいったりします。それが自信を喪失する原因になっていると思います。僕はそれが嫌だから、それを乗り越えること、それが愛であって悟りであって真理だと思うんです。恋愛イコール愛とはいえません。マザーテレサを見てください。人種や宗教という卑しい枠を超えての無償の行為。素晴らしい。 僕が思うに、悟りとか愛とか真理とかは、まったく無条件であって、誰であれ可能だと思うんです。 僕も人間です。結局は何もわかりません。わからないからこそ、この神秘の世界で生きていけると思います。自分こそ最大の神秘であり、神秘とは魅力です。(^ー^)V

lifeishell
質問者

お礼

ありがとうございます。 人って何かを苦しんでいる場合、 苦しみを自分の力で変えないと、 一生苦しむ事になってしまいますよね。 苦しい、逃げたい、死んだらもっと苦しい。と。笑 そんな風に、必然的に僕は苦を乗り越えて、 強くなってきたような気がします。 これからはプラスに傾くのみです。 辛いもんは辛いけど、 物事をマイナスにしない。こういう生き方をしています。もし周りが、それはマイナスだと言えば、 または自分で気付けば、プラスに変えていきます。 更に、そういう気持ちでいろんなものを発見すると、 生きるのが楽しくなってきます。 そんな風にできてる人間の強くなり方って、 進化のシステムの1つなのかもしれません。 わからないですよね。わからない事だらけ。 これから自分の納得できる答えを探していきたい と思います。 回答ありがとうございました。

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  • フランス語翻訳をお願いします。

    約束とは、信じることから始まる。 友達同士でお金を貸すときも、返してくれることを信じられるから、貸せるのだ。 見知らぬ人にお金を貸すことはできない。 知らない人に自分の人生をゆだねることも出来ない。 自分の人生を目に見えない神様との約束にゆだねること。それが信仰だ。 絶対的に絶望に思えても、神様の約束を信じぬけるかどうか。 ここに神様を信じる人の人生がかかっている。 「神を信じる」とは「神の存在を信じるかどうか」を問うているのでない。 神様を意識し、御前に清く生活し、その御言葉を守る限り どこへ行っても、どんな環境でも、必ず神様が守り、祝福してくださることを信じること。 その神様との約束をはっきりと信じることを言うのだ です!宗教的な文章だと難しくて手も足も出ません・・・ よろしくおねがいします!

  • 存在とは 人間とは

    なぜ我々は人間なのでしょうか。 運が良すぎるじゃありませんか? その他の動物になる確率の方がよっぽど!高いのに。 なんで我々は人間として生きているのだろう?? 持論1. 「今我々が死んでいないのは、自分が生きているワールドに存在しているからであり、死んでいるパラレルワールドも存在はしている」のような量子力学的観点を用いる。それは「意識を持ち考える事が出来るのは、我々の世界では人間のみである。ゆえに、存在とは、など考えるものは人間でしか在りえない。もちろん人間として生まれないワールドも存在するが、それは決して地球上の他の動物という訳ではなく、私は意識をもった何かであり、その他の動物よりも優位な立場である」という考え。 簡単に記すとこうなる。「意識をもつ自分がいるから世界がある」 持論2. 映画マトリクスのような世界が別にあり、我々はそのコンピュータのシミュレーションゲームの中の一人であり、他世界に別の意識が存在し、現世界では自分が主人公であるという考え。 全く論理的ではなく直感的な下らない私の考えは無視しても構わないので、 貴方様の持論なり、勉強したことなりを返信して頂けると幸いです。

  • 神は人間を特別扱いするものなのですか?

    人間は他の動物に対しては、グルメや美食・実験・有害などの理由で、平気で惨殺しておきながら、人間自身が惨殺されたりすると、「この世に神はいるのか!!」などと言い出しますね。 これは単に、人間というものを全生物の中で特別扱いしてくれる、人間にとって都合のいい神を欲しているに過ぎない、と思えてならないのですが・・・。 自分達は他の生き物に対して残虐極まりないことをしておきながら、いざ人間が残虐な目にあうと、それを眺めているだけの神を責めたりその存在を疑問に感じたりする。 そのような思いからは、神というものは、他の生き物は突き放しても、人間だけには優しくなくてはならないという、人間の思い上がりのようなものを感じてしまうのですが。 皆様はどう思われますか?