• ベストアンサー

生き物(特に人間)の生きる理由はなんだと思いますか?

frauの回答

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.36

No.23、29のfrauです。 私は女性なのですがゲイの方が好きです。 人間はアニマ・アニムスといって、男性は女性的なもるもの、女性は男性的なるもの、その要素をもっています。ただこの強弱が違うのがそれも個性というものでして、たとえば私は「男っぽい」性格だと思うし、人からもそう言われたこともあります。 特に女性同士のあの虚栄心や見得、同姓に対する嫉妬心や勘違いの母性本能のような粘着質っぽいものが大嫌いで、とくに意味のない(というか下らない)女性の同盟のような軟弱なものは加盟したくないです(だから一匹狼と言われるのでしょう)。 でも私も女性ですから、男性と対等に向き合うことも難しいんです。あ、これは別に無用に張り合うとか、女性の権利を過剰に主張しているのではありません。それに男女間で友情を育むということも、これまた永遠のテーマです。難しい。ただ女性部分が多い女性と相容れないけれど(例えば媚をつくる女性)、「ハンサムウーマン」をただ「攻撃性」とはき違えている「女々しい女」も苦手です。でもゲイの方って中性的というか、アニマ・アニムスを「顕在的に」意識しやすい性をもっている、というか、意識せざるを得ない背景のために、より神経質になったり、過剰に意識してしまったり、でもそれを楽しめたり、また芸術に昇華したり、タレントのKABAちゃんのように芸能人としての仕事にしたりしています。もちろんこれは性格によって前面に出てくる男女それぞれのメリット、デメリットが変ってきますが、性格でもバランスの取れた方は、すごく魅力的です。なのでゲイの方はもしかしたら私の「女心」をわかってくれるかもしれないし、そこでとどまらない「男性っぽさ」も共有してくれるかもしれない。とまあ勝手な想像ですが、そんなふうに考えてもみたりします。うーん個人的にはお友達になりたいですね。 ちなみに、イエス様は性欲のない人だったという説があります。何故ならば男性性と女性性のバランスが取れている方だったからだといいいます。その中庸によって、心も安定されていたのでしょう。またレオナルド・ダ・ヴィンチやソクラテスとかあの時代の哲学者たちもゲイであるということは有名な事実です。偉大な思想家や芸術家や文化人はしばしゲイであるという歴史的な事実もあります。なぜなのかはわかりませんが…。一人の「完璧」な天才が、アニマ・アニムスというどちらか一方の「性」をバランスよく担うことで(アニマ・アニムスも含んだ)二律背反という「ひとつ」のものを体現しなけば芸術や文化などの「完全性」も反映されないのではないかと考えます。だから…というわけではありませんが、あなたは特別な存在なのです。 あなたもこれまですごい苦難の人生だったと思います。もしそれが偏見や差別ゆえのことであればあなたが悪いのではありません。偏見や差別は「数」においておこるものです。異常なものが正常に、実は正常なものが異常になるのはそこに多数決主義があるからでしょう。私だって思想的差別?といえばよいのかわかりませんが、常に偏見や色眼鏡で見られてきましたよ。そのせいか人の視線に耐えられない、かと思えばすごく自意識過剰になるときもある。 だからこそあなたもきっと強くなったのでしょうね。強くなることに限度はありません。鍛えられる過程において、優しさを身につけます。その優しさは付加価値でしょうか?いいえ、両者はそのいづなしては本物ではないからです。強さには優しさがなければただのバイオレンス、それは「弱さ」を証明することにしかならないでしょう。また「優しさ」を保ち続ける「強さ」がなくてはときに不条理に呑みこまれ、時に「偽善」となるやもしれません。しかしこの「対」を鍛えながら身につけ、身につけながら鍛えられていく過程でものすごい葛藤や苦しみを味わうと思います。でもそれこそ、「維持」させていくための課題である、そこに人のいじらしさや尊厳、素晴らしさがあると思っています。 私も朝目が覚めるときすごい無常観を感じます。眠っていて見る夢の方が「リアリティ」ある。目が覚めても悪夢。そうですね、私もあなたと同じ気持ちです。だから人生は否定的でも肯定的でもないとおっしゃる気持ちもわかります。だからあえて「お互い頑張りましょう!」などとは言えません。

lifeishell
質問者

お礼

自分はKABAちゃんと逆で、 表面はかなり男っぽいと思います。 でもそれって男として生きてきたからであって、 女だと言われたら心は女になってたと思います。 みんなそうだと思います。 だから男女との恋愛は性別を意識しなければ 可能だと思います。僕はあまり意識しない人です。 ただ、思春期まっただなかなので、 上手く自分を持てなくて苦しんでます。 なぜか女性とは仲良くなりやすいですね。 >>あなたもこれまですごい苦難の人生だったと思います。 そうですね^^;事情もかなり複雑なので、 周りは断片的にはかろうじてわかってくれるという 感じでした。こんなに苦労してるんだと 思われるのが嫌で、友達には家庭環境も恵まれているというような嘘を付いていました。 だから友達には普通の人間だと思われています。 >>~でもそれこそ、「維持」させていくための課題 維持された状態は、至福なんでしょうね。 でも強くなりすぎてもどうかと思います。 その果てになにがあるのかがわかりません。 見えません。 でも実は人生って苦しみが無いとつまらないもの なのかもしれません。 今までの苦しみは無駄にしたくないので、 プラスにしていくように努力していこうと思います。 人って自分の人生が無駄だと思うのが嫌な生き物だと思います。 最近は厳しい現実を見せられて、 吐き気がひどく、発狂してしまう事もあります。 この状況は、強いのか弱いのかわかりません。 着実に強くなってきてる中、最近は対応できなくなってきてます。 まだ小さい頃の自分はまさかこんな未来を 予想できませんでした。 果たして50代の自分はどうなっているのでしょうか・・。 回答ありがとうございました! いろいろ考えさせられました。

関連するQ&A

  • 地球の論理を人間が勝手に変えても大丈夫なのでしょうか(遺伝子組み換え技術)?

    何かの本で読んだのですが、植物はものすごい高栄養素のなんとかいうたんぱく質(アミノ酸だか糖質だったかもしれません)を、分解・吸収できますが、動物はそれを分解・吸収できないそうです。動物がもしそれを分解・吸収できたら、動物が増えすぎて植物が全部食べられてしまい枯渇してしまうかもしれないと書かれていました。そのような絶妙なバランスで地球がなりたっていると聞きました。 規模は小さくても遺伝子を組み換えてそのようなバランスを崩す事は大丈夫なんでしょうか?やはり、人間宇宙進出ですかね? 暇だったら答えてください。読んでいただきどうもありがとうございました。

  • 人間ってつくづく恐ろしい生き物ですね。

    みなさんは、「人間は心が美しい生き物だ」と言っている方を見たことはないでしょうか?私は、これまでの人生で数十人は見てきました。 しかし、僕はそうは思いません。 例えば、人間が鶏肉を食べたとします。そこでまず人間は、「いただきます」という言葉で感謝の意を表します。最後は、「ごちそうさまでした」で感謝の意を表します。しかし実際は、心から感謝している人間は極々一部の人間のみというのが実態だと思います。もし仮に、心から感謝している人間がいたとしても、その鶏の命を一言や二言では背負いきれないはずです。 人間はとてつもなく自分勝手です。 例えば、人間Aがある人間Bにとても恨まれていたとします。そしてある日、その人間Bが恨みも我慢の限界になり、人間Aを殺しにきました。そこで、人間Aはどんな行動をとると思いますか?そうです。「命乞い」です。人間Bにどんな理由があれ、「命だけは・・・。」とか、「許してくれ・・・。」とか言います。それが普通です。 しかし、考えてみてください。人間は、これから食肉にされようとしている鶏、豚、牛の「命乞い」に少しでも耳を傾けたことがありますか?恐らく、ほとんど無いに等しいでしょう。ましてや、本当に命を助けようなんて思うはずもありません。 私は、人間は心が汚くて醜い生き物だということを自覚した上で命を分けてくれる動物や、植物に最大限の感謝をして生きていくことが大事だと思います。もちろん、「人間は心が美しい生き物だ」なんて冗談でも言えませんし、思えません。 みなさんは、どう思われますか?

  • 神さまはなぜ人間の他に動物も創造して、更に天使も創

    神さまはなぜ人間の他に動物も創造して、更に天使も創造した。 天使は墜天使と言う悪の天使が現れるが殆どの天使は善の天使で墜天使も善天使の束によって駆逐される。 そこで思うのがなぜ神は天使だけをこの世に創造しなかったのか?という疑問が現れるわけです。 人間はバカだから神さまが人間を創造した理由を未だにわかっていないわけですが、大半の人は地球人として戦争がない平和な地球を作ろうと躍起になっているが、人間は愚かな生き物で天使と比べると劣っているわけで、天使から見ると人間は悪であるわけです。 人間の最終目標の善の人間を目標にしているが、神さまの地球創造における最終目標が善の世界だとすると最初から天使だけの世界を創造していたはずなので、神さまは人間に平和や平等や正義や善の人間になることを求めていない気がしました。 神さまは人間に善を求めていないとしたら、神さまは人間に何を期待して創造したのだと思いますか?

  • 牧師は私の考えを悪魔の考えといいます。

    私の知り合いの牧師さんは、神のように、なろうとした 天使を、神に反逆した堕天使(悪魔)といいます。 しかし、私は「自分がまず、神を目標にして、頑張って、そしてゆくゆくは、神以上のすばらしい自分になろう」と努力することはすばらしい事だと思うのです。 人生においても、あの人を超えるような人になりたいと 思い、頑張ることはすばらしいことだと思います。 だから、神も超えるくらいの自分になるという考えは 全然悪いようには思えないのです。 でも牧師さんはそんな考えは駄目だといいます。 私の考えのどこが悪いのでしょうか? 宜しくお願いします。

  • 宇宙の終わり、地球の終わり、生まれ変わり等

    生まれ変わりってあるんですか?死んだら「無」になるのが怖いです 生まれ変わりがあるとしても地球が終わったらそれまでなのですか? 地球が終わったら生まれ変わることなんてできませんか? そして宇宙って終わりがあるのですか? 宇宙にもしも終わりがあるのなら地球もほかの惑星も 全部無くなってそれこそ宇宙が「無」になるんじゃないでしょうか それと神様っていると思いますか? 僕は正直わかりません もちろんいればいいとは思いますが証拠がありませんよね? どうなんでしょう・・・ まぁまとめますと ・宇宙に終わりがあったとしたら終わったらどうなるのか ・地球が終わったら生まれ変わりはどうなるのか ・生まれ変わりはあるのか ・神様がいるという証拠は? それともう1つあります 自分以外の人が本当は生きていないんじゃないかとか考えてしまいます これも直したいです 誰か助けてください!

  • 私は神ですか?しかし、人間は神ではない。

    馬鹿で、非常識で、アホで、間抜けで、有り得ない・・・そんな質問ですよね?これって。 常識的に言って、1人1人は、生きては死ぬだけの、ただの生物であり、 ただの人間ですよね。 だから、ぶっちゃけ、1人が例え、死のうが、地球上には60億人、日本には1億人もの大勢の人がいるのですから、1人が死んでも、別にどってことないわけです。そりゃ、悲しむ人もいたりしますが。 だから、1人がどんなに頑張ろうとも、政治家になって、総理大臣にでもならない限り、どこぞの社長にでもならない限り、日本や世界へ多大なる影響を与えることは無理なわけです。 その上で、とあるブログをまた発見しました。 また、というのは、一度検索して発見していたブログだからです。 そこには、創造主が貴方、とあります。 つまり、創造主=神は貴方、という意味だと思います。 しかし、常識的に言って、私だって、他人だって、ただの人間であり、神ではありません。 神とは?そりゃ、すごい人で、なんだってできる存在ですよね? つまり、私は神ではないということです。 また、他人だって、神ではないということです。 これらは、常識であり、ほぼ100%合っていると断言できます。 この意見に反対する人達は、ただの馬鹿な、非常識な人々でしょう。 キリスト教など、宗教知りませんが、彼らだって、神=偉大な存在だと捉えていて、人間は神ではないとしています。 以下、引用します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://www.vcafe.jp/harukanaima/blog/entry-16343 神はサイコロで遊びたかった 2013年02月20日 23:35 カテゴリ : 基本的な理解の整理 「神は創造主なので、当然、「確率」というサイコロを創造できました。 そしてサイコロで遊べる世界、「確率の世界」も創造できました。 さらに神の壮大なところは、確率の世界をもっと楽しめるように、 神であることを忘れた自分までをも創ったことです。 「地球次元」、あるいは「人間」という体験は、こうして創造されました。 『創造主であることを忘れた創造主』、それがあなたです。 あなたは神、創造主の一つの視点を担っている存在です。 あなたは本来、無限に広大な存在です。 ですが、いまそれを忘れているのは「神の計画」によるものなのです。 「自分をもっと体験したい」という神の衝動によって、 自分が神であることを忘れたあなたが創られたのです。 すべてを忘れれば、すべてのものが初めて触れるものになります。 すべての体験が新鮮なまま、深く、詳細に味わえます。 神であることを、創造を、深く体験するためには、 神を、創造を、新鮮な驚きをもって深くつぶさに味わうためには、 神である自分を忘れる=「神ではない自分」、 創造を忘れる=「創造できない」 という体験が必要になります。 その体験をより強烈なものにしてくれるツールが、 「確率」という機能だったのです。 確率に翻弄されれば、 自らが創造主であることなど想像すらできなくなります。 確率に翻弄されるなど、 もっとも創造主らしからぬ振る舞いです。 どんなものでも思いのままに創造できる創造主にとって、 これほど楽しめる体験は他にありません。 神の計画ですから、当然、完璧に成功しました。 あなたは自らの無限の広大さを完全に忘れ、 「確率」というシステムは完璧に作動し、 確率に振り回される世界とあなたが完璧に創造されました。 あなたは神の計画に見事に協力してきたのです。 神は『「確率」という体験』を創造しましたが、 神自身は確率に振り回されることはありません。 なぜなら、 創造主は自分の創造したものに支配されることはできないからです。 「確率」は、創造主である神の計画によって、 その計画の通りに寸分違わず創造されたものです。 『神はサイコロを振らない(アインシュタインの言葉)』のです。 しかしながら、この地球次元の体験から確率性が排除できないのは、 単にそのようにデザインされているからです。 そもそも「位置(”ここ”、”そこ”)」や 「運動(”ここ”から”そこ”への移行)」 「時間("このとき”、”そのとき”)」という、 二元性の世界に特有の相対的な現象自体が、創造された幻想なのです。 (さらに言えば、 「現象」という概念も、また「概念」も相対的な性質のものですが。) そして、 それらの現象の現われ方にも様々なバリエーションがあるので、 地球次元的な「位置」や「運動」、「時間」の実現のために、 「確率」という機能をこの次元に組み込んでいるのです。 すべては、『自分が創造主であることを忘れる』という体験を 可能にするためのデザインなのです。 『自分が創造主であることを忘れる』という体験の次元においてのみ、 「確率」が効果を発揮する、 『量子の不確定性(「不確定性原理」:量子物理学上の理論)』 という体験が可能となります。 ですから、 『量子の不確定性』も『神はサイコロを振らない』も、矛盾し合う概念ではなく、 それぞれ 『「確率」がその効果を発揮する次元』と『「確率」を創造した次元』 を説明しているのであり、 それぞれが認識している次元、解明しようとしている次元が 異なるだけなのです。 つまり、 どちらの考え方も成立する、言わば”正しい”ということです。」

  • 「笑って死ぬ」人生観について

    「笑って死ぬ」ことを人生の目標にする意見を多くききますが、共通することは、死期がまじかに迫った状況の中で自分の人生を振り返り、納得して死んでゆく、ということのようです。しかし、このような考えはかなり楽観的ではないでしょうか?なぜならこのような考えは、特に肉体的な苦痛もなしに、安らかに死ねることを前提としているように思えるからです。しかし人間はどのような死に方をするか想定しきれないと思います。死の現実を前にしていない時に臨死の状態を想定しても、いざ、自分が死の現実の前に置かれたら、心身がどのような状態になるかわかりません。人生を振り返る余裕などなく、ただ激痛に苦しみながら死を迎えることになるかも知れません。臨死の状態は様々なケースが考えられます。その中の一つの可能性を人生の目標として重きを置くことは、人生観としてはあまりに狭いのではないでしょうか?もちろん、人生をどのように考えるかは個人の自由であり多様であって然りです。私はただ、「笑って死ぬ」ことを目標にしている方々と対話したいのです。攻撃しているわけではないので、くれぐれもお間違いなきようお願い致します。ちなみに私自身は、どのように死ぬかではなく、どんな死に方をするにせよ、命ある限り、自分らしく生きてゆきたいと思っています。ご意見をお聞かせ下さい。

  • 人間に文明は必要なのか?

    (文化)(文明)日本語としての字ヅラは似ている。だがその性質は真逆に近い。文化は引き継ぐもの、文明は、さらに多くを求めるものであり、文化を否定している面がある。動物は文化的な生き方をしている。1個体1固体が、自分の世界を生きている。 人間は文化だけではなく、文明という欲望を目指す、変わった生き物だ。人間を主とした文明は、長い目で見ると地球自体を汚染させる。人間が消えた地球を思い浮かべるとどうだろう。すべての生き物が、もしかしたら地球が滅びるまで(自然)に生きているかもしれない。 「金がすべてではない」と私はこのサイトで何度も言った。だが肯定も否定もされず、ただ文章を読んでいないかのように、スルーされただけだ。 「金は労働力以上には存在できない」と言っても、ではどのようにして豊かな暮らしを得るべきか、と考えた人もいない。 文明という名の進化と生物学の進化は、言葉は同じでも、けして同じものではない。生物の進化の最終形が人間であるなら、地球は自殺するために生命を生み出したと言える。人間は(自然)に逆行し、自分の家を自分で食い散らすシロアリみたいなものなのだ。 長く生きても100年足らずの1個1個の人間たちが、なぜ永遠の命を得たかのような気分で、文明の進化を推し進めるのか?こんなことを考えていたら、ココロ(病み)そうな私に、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=5X-Mrc2l1d0

  • 神は人間を特別扱いするものなのですか?

    人間は他の動物に対しては、グルメや美食・実験・有害などの理由で、平気で惨殺しておきながら、人間自身が惨殺されたりすると、「この世に神はいるのか!!」などと言い出しますね。 これは単に、人間というものを全生物の中で特別扱いしてくれる、人間にとって都合のいい神を欲しているに過ぎない、と思えてならないのですが・・・。 自分達は他の生き物に対して残虐極まりないことをしておきながら、いざ人間が残虐な目にあうと、それを眺めているだけの神を責めたりその存在を疑問に感じたりする。 そのような思いからは、神というものは、他の生き物は突き放しても、人間だけには優しくなくてはならないという、人間の思い上がりのようなものを感じてしまうのですが。 皆様はどう思われますか?

  • 「先に出来ない理由を言うな」というのは、悪魔の証明だからか?

    よく人生論や仕事のやり方で「先に出来ない理由を言わない」というアドバイスがあります。 例えば「今月の売上目標は前年の2倍」と上司が言ったとき、否定的意見を並べない、先ずは実行するというやつです。 これは悪魔の証明と関係がありますか?可能性の不存在を論ずればキリがないからですか? 存在を論ずるにしてもキリがなく、何れにしても水掛け論になると思うのですが。 それとも?「出来ないと思い込むから出来ない」という自己暗示を戒めたものと解するべきでしょうか? あるいは、会社内の処世術として?