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ゴッホと広重

ゴッホが広重の版画を真似した絵を見ました。 よく似ているとは思うのですが、なんとなく違います。 どこがどう違うために違和感を感じるのでしょうか? 真似して描くのならば、もっとそっくりに描いてもいいのではないかと思うのですが、真似≪しきれなかった≫のでしょうか?真似≪しなかった≫のでしょうか? 私が見たのは『大はしあたけの夕立』を真似したものです。

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  • ベストアンサー
  • alchera
  • ベストアンサー率45% (209/457)
回答No.2

裏づけのない私見(想像)です。 とりあえず「亀戸梅屋舗」の方はご存知でしょうか。 gooで「広重 ゴッホ 大はしあたけ」で検索すると多分最初のサイトに、良いものが出てきますのでご覧下さい。「大はしあたけの夕立」と共に広重・ゴッホの作品を並べたものです。 これを見ると、亀戸の方はかなり忠実に写していると思います。版画と油絵という、完全な模写が不可能であるという前提を考えればよくこれだけ根気良くやったな、と感心するくらいに。 なので”基本的には”真似できなかったのではないと思います。やろうと思えばもっと似せることは出来たでしょう。しかしそれをしなかった。何故か。 先に書いたことをひっくり返すようですが、その理由は「しかし"大はし”の方にはどうしても真似出来ない部分があった」からではないかと思います。それがどこかというと「雨の表現」です。見るからに雨が主役ですよね、この絵の場合。 この雨の表現は油絵では出来ないのではないでしょうか。常識外れなほどびっしりと、雨の線が描き込まれていますよね、広重は。これが絵になるのは広重の技量でもありましょうが(そして日本の彫師、刷り師もエライ!)、版画だから、ということも大きいような気がします。 わたしは油絵に触ったこともない人間で、技法などには全く無知ですが、油の粘っこさ(少なくとも日本画、版画よりはそうでしょう)で細い線を真似して描いてみても、同じ効果は出せないような気がします。その辺りに限界がある以上、きっちり忠実であることを主眼におくことはなかったかもしれません。 雨を自分の描き方で描くのなら、バランス上、他の部分もいじらなきゃならない。他は忠実、しかし雨だけが、だと全体的なバランスを崩すような気がする。 一般的に模写の目的はおそらく「技能の習得」ですよね。しかし版画と油絵の違いということを考えた場合、盗めるものは限られていると思います。この場合で一番参考にしたいと思っているのはおそらく構図。そう思って見てみると、構図はかなり忠実です。 わたしとしては、川面の描き方をもっと「忠実」にしてくれていたら、もっと自信を持って私見を主張出来るのですが、川面を描くのは少なくとも雨よりは前ですからねー。なので「”忠実”を主眼に置いたものではなかった」という風に逃げなければいけないわけです(^_^;)。 もっと言えば、わたしのストーリーとしては、下半分は忠実を心がけていたけれども、川面に移る辺りで「雨が描けないぞ」と気付き、諦めてそこから自分の描き方に変更していった、という風にしたいんですけどね。ただこうなるとすでに物語なので…… 結論として「完璧に写すことは不可能だった。しかしもっと似せることは出来たはずだった。でもゴッホはそれを選ばなかった」 ……ということでどうでしょう?

hsmura
質問者

お礼

楽しいありがとうございます。 まさに、そうですね。 頂いた回答の後半のストーリーには、思わず面白くて笑っちゃいました。 油絵と版画、そして日本画…はたまた水彩画…。 絵って面白いですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

ゴッホの絵はいいですね。 レンブラントに代表されるオランダの暗い写実絵画から抜け出て、ゴッホのアルル時代以降の明るい印象派的な絵画には力強いエネルギーを感じます。 さて、ご質問の回答ですが、二つの仮説が考えられます。 (1)本当にデッドコピーをした。本当にゴッホにはそのように見えていた。 (2)絵から学んだ印象構図を自分の世界を通して描いた。 おそらく、この二つが混ざり合った結果だと思います。 ゴッホを特に研究したわけではないのですが、一般に公開されているほとんどの作品は見ているかと思います。 その中で、非常に参考になったのはオランダのゴッホ美術館でした。 絵画を見る際に、幸いに英語版がありましたので案内のテープを聞きながら回りました。さすがにゴッホ美術館だけあって、非常に興味深いコメントがたくさんありました。 その中で、貴殿のご質問対する当方の答えとなったものが、 (a){糸杉と麦畑」三半規管の障害のため彼には実際にそのように見えていた。 (b)「ひまわり」現在確認されているだけで12点、「桜の木」も数十点書いている。理由は本当に気に入った作品を手放したくなく自分でコピーを書いた。ということでした。しかし、コピーですが1点1点異なるものになっています。 以上の理由から当方は(1)(2)が混ざり合った結果「なんとなく違う広重のコピー」となったものと推測されます。 補足ですが、美術評論家的に言えば、絵画と流行としてのジャパネスクから思想的に大きく踏み込み、自身の芸術形成に際して極めて創造的に日本美術を参照し吸収していったということになるのかもしれません。

hsmura
質問者

お礼

さっそくのお返事、ありがとうございました。 そんなにたくさんあるとは知りませんでした。 また、そんなにいろいろな説(?)があるのだという事も知りませんでした。 描き方に大きな違いがあるとも思うのですが、 手法の違いもあるんですかね。 ありがとうございました。

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