• 締切済み

私は偽善者?

世界には日本と違い明日食べる物さえなく多くの子供達が栄養失調で死んでいます。そのような現状を私はメディアからの情報で知っています。しかし、実際そのような人のためにボランティア活動をすることもなく寄付をするのも悲惨な現状をテレビで見て一時的にかわいそうだと思った後だけです。安い物を買って余った分を寄付に回そうと思うこともなくブランド物を買ったりしています。  最近そんな自分の偽善者ぶりに気づきました。所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか?誰か教えてください。

みんなの回答

回答No.15

皆、誰でも自分の事で精一杯だと思います。 でも、その日常生活の中で、ささやかでも他人の事を思って何か行動できる人は、私は偽善者ではなく、素敵な人だと思いますよ^^

  • nanachae
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.14

>所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか?誰か教えてください。 人それぞれでしょう。今のあなたが他人の為に生きられないだけです、他の人間とあなたご自身を一緒にしないでください。質問をするのなら、私という人間は他人の為には生きられないのでしょうか?と聞いてください。 あなたがボランティア活動することがないのは面倒だから、寄付をするのは自分の一時的な気持ちを安定させたいから、好きに生きたらいいじゃないですか、偽善者と言われるのが嫌みたいに書いてますが、本音と建前をうまく使って偽善者で何が悪いと心の中で胸張って生きたらいいと思います。

  • naitie
  • ベストアンサー率30% (18/60)
回答No.13

私も昔、ちょっとしたボランティア活動に参加する際、そういうことを考えたことがあります。 自己満足じゃないか?とか、偽善じゃないか?とか・・・ けれども、それを考えること自体が傲慢だということに気付きました。 自分を納得させるための理由を持つことが何かの役に立つでしょうか? 助けを必要とする人には、助けてくれる相手が善者であっても、偽善者であっても関係ないとは思いませんか? そんなことを考えている間にも何かできることがあるかも知れませんし、例えば、目の前で溺れている人がいるときに、そのような事を考えますでしょうか? ボランティアによって得られるものは「人を助けた喜び」以上である必要はないと思います。 また、その喜びを感じられれば、感じない人よりも人生を楽しく生きられると思っています。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.12

だってアレじゃないですか、しかたないですよ。コンビニとかにおいてる募金箱、アレにおつりとか寄付しても実感?ないじゃないですか、。なんかマグロ?(すいません)学校で英文法の授業みたいな、似てると思います。  TVの中の子ども達は、あなたの世界では一メディアだと、あなた自身が言っているじゃないですか。TVの中の無力な子ども達よりも冷蔵庫裏からうっかり這い出てきたゴキブリに慈悲はかけれないでしょうか?マザーテレサがゴキブリをたたく図は想像が難しいです。  それに、我々のようなアメリカ的な先進諸国民の生活を維持するため、アフリカで砂漠はひろがり、水は腐り、戦争が続き、餓鬼のような子どもたちがさらに干ばつと疫病で苦しみます。CARE(国際ボランティア)?などをゴチャゴチャ放送しるのは、その事実から目をそらすためともとれます(CAREの活動は否定しません)。私たちの消費量を半分に減らせば餓鬼の子どもはいなくなります。『募金すれば善いんじゃないです。』お金を動かすという事は消費社会を動かす事ですから、お金を使わない事(稼ぐ事も)が彼らを助ける事になります(言いすぎですが、これくらいに取るほうがいいと思います)。 回答が最後になりましたが、僕の意見は「生きれます」です。なぜなら、「生きる」ことは「あなたの世界(視点)で生きる」ということが前提であるので、なので「他人のためになっていると感じること」が「あなたの生きがい」になれば、あなたは人のために生きていけます。それは、あなたのためであり、「あなたの世界の他人」のためになるのです。  

  • uglyel
  • ベストアンサー率18% (8/43)
回答No.11

違うと思います 誰にとっても価値基準は違うと思います あなたにとってその事は 感情は動かされても 行動を起こさなくてはいけないと思うほど 重要じゃなかったと言うだけだと思います どっかの知らない人の命より 自分の欲しい物当たり前だと思います そこで人を助けたとしても 自分が気持ち良いからやってるんだから 結局は同じだと思います 他人の幸せが自分の幸せか ブランド品などを買うのが自分の幸せかその違いで 人は自分が気持ちよくなるため 生きてるんだと思います

回答No.10

偽善者という言葉はちょっと的外れのような気がします 結論から申しますとそのとうりです。 自分の為にいきることが人間という動物に科せられた義務 と言うことです。何事も人のためと思いながらもよくよく 考えると自分の為だと言うことがわかります。 例えば栄養失調で死んでいく子供の事を知ると助けて あげなければと言う気持ちが生まれる、そしてその事が 自分の中で大きなウェイトを占めて何か出来ないかと思う そして寄付をする、そして寄付をしたことで多少の 安堵感を得る、結局自分の心の平穏を保つ為にしたことに なる。ボランティアにしてもしかり、ホームレスに金を 配って歩くやつはいない、感謝されないからである。 ボランティアをする事で良い気持ちになるからするので あって、決して自分の生活を犠牲にしてまでする人は いない、これが私の本音です。

  • coo1212
  • ベストアンサー率61% (11/18)
回答No.9

お気楽に。 ここを毎日クリックすれば 多少でも参加できます。 参考リンク:ハンガーサイト(日本語) 本家:ハンガーサイト(英語) http://www.thehungersite.com/ 更新中のようですね。 >所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか? 他人の為には生きられないのであれば存在意義は 無いでしょう。 年齢とともに考え方は変わります。

参考URL:
http://www.kh.rim.or.jp/~dtnp_rm/ngos_and_npos/hunger/hunger_2000/2000_home.html
  • ryuzin
  • ベストアンサー率45% (253/558)
回答No.8

 他の方々も書いてますが、あなたは偽善者という訳では ないでしょう。ただ、 >世界には日本と違い明日食べる物さえなく多くの子供達が栄養失調で死んでいます。そのような現状を私はメディアからの情報で知っています。しかし、実際そのような人のためにボランティア活動をすることもなく寄付をするのも悲惨な現状をテレビで見て一時的にかわいそうだと思った後だけです。  という発想はあまり持たない方が良いと思います。何故ならば、1つには例え私達に比べて困窮しているといっても彼らは彼らは彼らなりの生活習慣や風習があり、困窮なのは、その結果から生じた結果が自分だけでなく、子孫にまではね返って来ているからに過ぎないからです。もう一つは彼らが彼らの生活習慣や風習に拘る余りにより効率の良い暮らし方を拒んでいる事も上げられます。ボランティアはあくまでもサポーターに過ぎません。ボランティアを受け入れる側がサポートを拒めばそれ以上の事は出来ませんし、他国の文明や文化を破壊する事は、やはり人道的にも許される事ではないからです。  ですから、かわいそうなどという思いはどちらかというと的外れなのかもしれませんね。

  • akitana
  • ベストアンサー率40% (9/22)
回答No.7

その気持ちが次の始まりだと思います。決して偽善者ではないですよ。 同じ日に植えた種が、全部同じ育ち方をしないように、人の育ち方や考え方も 違って当たり前ですよ。違う者同士が出会って関係ができることが素晴らしい事ですよね。 わたしは、カンボジアを考える会に入って現地の農業支援の国内サポートを しています。また、この活動をしてから素晴らしい人にたくさん出会えました。 その会の中にも現地で汗を流している人、会の中で資金調達を 考える人、カンボジアへの支援を広報活動する人、事務作業の手伝いの人、 資金カンパで会を支える人等様々です。 私達にとってカンパは励みにも直接的な支援にもなります。最初に出来る 素敵な協力ではないでしょうか。今、どの団体も資金不足に悩んでいます。 国はODA世界1位と自慢しますが、有効に活用されているかは疑問です。 身近なボランティア組織はお金がない分、何をしているかはっきり わかります。もっとあればたくさんやりたいことができるのですが・・・ 次は、どこに寄付しようかでいいじゃないですか。 そのうち興味が出たら、本も読むかもしれないし、活動したくなるかも しれません。活動している人の話はおもしろいですよ。 現地の人との触れ合いは私の宝物です。自分の会でもスタディーツアーと言う物を 行っていますが、普通の旅行社の旅では味わえない楽しさがあります。是非どうぞ。

  • KOH_da
  • ベストアンサー率31% (161/506)
回答No.6

いえ、あなたは何もしていないのですから、 偽善者でも何でもありません。ただの無関心人間です。 私はいろいろとボランティアをやってます。 そんなのして何が楽しいの? と、たまに聞かれるのですが、 そんなときは「ボクは根っからの偽善者だから」と答えています。

関連するQ&A

  • 偽善者?

    最近、地震の影響で駅なので大学生くらいの人たちが募金活動を行なってるのをみかけますが、偽善者にしかみえません。 10人近くで募金活動するならその10人がバイトなどをして(募金活動する時間に)その金を全部寄付すればいいと思います。 他人の為に頭下げてお願いしますといってる連中に腹が立ってきます。 お前らそんなに心が綺麗なのか?素直なのか? だったらその美しいもんもっと見せてくれよ。 その美しいもんで俺を納得、感動させてくれよ。 どうせ活動終ったらみんなで遊びにいくんだろ?その金全部寄付しろよ。 俺はお前らみたいなのが1番嫌いだ。屑め。 といっても今の私の力ではコンビニで小銭を寄付する位しか私には出来ませんが・・・ 私の方が無力で為になってないですね。 変な質問ですみません。 だいぶ捻くれている23歳男です。

  • ボランティアについて。偽善か善か

    んと、タイトルで分かってもらえたかとおもいます。 砕いていくと、ボランティア活動について、ボランティアってこと自体が、本当の善であるのか?偽善なのか?とおもったので、きいてみました。 偽善と善が対義語なのかはわかりませんが、大体意味はつかんでいただけたかと。 できるだけ沢山の人の意見がもらえるとうれしいです。 まず始めに、俺自身はどちらかというと、偽善的な行為だとおもいます。 ボランティア活動について、確かに最近だと四川省だとか宮城の栗原・岩手の奥州での自身で、多分ボランティアとして復旧への活動?みたいなのをして、現場のひとたちはすくなからず、助かっていると思います。それに、その現場でボランティアをしている人たちも、自分からすすんで被災者の方々のためになにかできないか、ということで活動しているのだとおもいます。それ自体では善なのか偽善なのか、俺はわかりません。 しかし、普段のボランティア、町でのチャリティーとかそういった募金活動などのイベント的な活動を考えると、疑問に思います。 批判するわけではないですが、そういったイベントのなかで本当に活動している人たち全員が困っている人をたすけよう。という気持ちなのか、思います。 最近東京にいったのですが、駅をでたらすぐにホームレスがいました。 俺は目をそらしました。自分の意志でそらしました。 俺がボランティアを善と考え、困っている人をたすけようとおもうなら目をそらさなかったはずだし、何かしてあげることができたはずです。でも俺はしませんでした。結局ボランティアという集団の中でしか、活動できないんだなと思いました。 それに逆に海外でいうアフリカの子供たちだとか、南米のストリートチルドレンだとか、知識が浅いのでうまくいえませんが、そういった人たちからの視点からみれば、ボランティアとはどういう風にみえるのでしょうか?俺は、考え方によっていろいろだとはおもいますが、助けにきてくれたという感じの『喜び』などの感情と、裕福な家庭が自分たちを見下しにきた、という『憎悪』の感情があるとおもいます。 前者は見たとおりわかるとおもうのですが、後者は例えばそのアフリカだとか南米の話をきいて、企業なり芸能人なり、富がある物が莫大な募金などをしていろんな援助をすることについてです。俺は100人が100人同じ考え方をするとは思っていないので、そういった憎しみの感情をもつひともいるとおもいます。 そういったことを考えると、俺にとってボランティアという活動自体はいいことというか、社会的にはいいとおもうが、そこには純粋な天然水というより雨水みたいな、不純なものであるだろうとおもいます。 最後に、これといった知識もないのにでしゃばってみました。ネットの悪い使い方ですよね。犯罪的なことさえしなければ個人を特定できないですから、ほとんど言いたいほうだいなわけですし・・・。 以上、流さずに自分の意見をうってくれたらなとおもいます。 まだ人生経験も浅く、文もところどころ変なとこがあるかもしれません。それに一方的にボランティアを否定してる言い方かもしれません。 ただ、ボランティアに関心があるだけです。良いのか、悪いのかということではなく、他の人たちはどう思うのかが気になるだけです。 それに文章は見直してません。文章的におかしくなってるところあるかもしてません。そこは流してください。 なにとぞ、『運営スタッフに連絡する』は押さないようにしてください((笑

  • 人助けやボランティアは偽善?

    私はおそらく自分勝手な人間です 他人が困っていても自分だけ良ければそれで良いと言う所が少なからずあります それは生い立ちや環境 自分自身の弱さが関係しているのかも知れません まあ私のことは今回はあまり関係ないんですが そんな私が思うのですが人助けやボランティアとは なんでしょう?いえ意味ではなくなぜそのような事を するのかと言うことです 私が思うに人とは自己の利益にならないものは しないと言う感じがあります だから私が思うのは人助けやボランティアは 自己満足・達成感・名誉・同情・等々の何かしら自己の利益が関わっている偽善行為ではないかと 思ってしまうのです だから簡単に言うとごみ拾いは他者の情を引き 自分自身が住みやすい環境を整えるため 寄付や募金は自己の貢献していると他者に思わせる いわば社会的な名誉のため・ でなければ別に名前を公開しなくても 匿名ですればいいことです等々あまり学がないので コレ以上詳しくは言えませんが どうでしょうか?全てがそうだとは言いませんが ほとんどの場合そうではないでしょうか? あくまでこれは一個人としての意見なので 気を悪くする人がいればあまり干渉しないように してください

  • 人間は全員偽善者では?

    高校生の時にイラクの映像を見たのがきっかけです。残虐でしたが、しばらくたつと何も感じなくなってきました。むしろ残虐なことより人間って何なんだろうと思い始めてきました。自分の食欲のために麻酔も使わず動物 を殺したり、犬や猫を配合してペットショップで売ったり、自分たちの 人権は主張するくせに動物には権利がない。ある国では上層部が支援物を牛耳り残りのひとたちには与えない。ある国では平然と首を切り落とす。もっと小さいことで言えば、クラスでのいじめ。いったい君たちは 何の権利があってそんなことをしているのだろうか。自分の優越感にひたって他人を嘲笑う。生きている価値があるのだろうかと。文章がへたくそで書きたいことの半分もかけていないのですが。人間っていったいなんなんですか?自分の都合のいい時だけ他のものを利用し自分の欲求を満たす。ボランティアでさえも他人の笑顔を見たいからやるそれって 欲なんじゃないんですか?他人を笑わすのが生きがいとかいうのも相手を笑わすことで欲求を満たしているだけではないのですか?食べるのが 生きがいって死んでいった動物のことを考えたことありますか?「おれ ぜんぜん勉強してないのにお前俺より低いじゃん」って友達が言われてましたけど、そいつはその優越感に浸っているだけで世界に勉強ができない人がどれだけいるか考えたことあるのか?感情的な文ですいません。僕はどうしても人間は欲を満たすために偽善に徹しているような 気がします。皆さんはどう思いますか?1時間かけて書きましたが内容はめちゃくちゃのですいません。

  • 動物を救うためにできる一歩

    最近ですが、悲惨な環境に置かれている動物たち(毛皮や畜産、ペットなど)について知るようになりました。残酷すぎて、すべて資料など見る事はできずにいますが、。 今の現状をすぐに変えられなくても、自分ができることはあるはずだと考えています。まず保護団体に寄付をしました。これから自分の意見少しでも回りに話してみたり、また雑誌などに投書してみようと思っています。しかしながら、現在1歳の子供がおり、ちらし配布やボランティア活動は、今は難しいかと思います。 何か小さなことでもいいので、実際活動されているかた、何をされているか教えて下さい。また育児中の私ができそうなことがあれば、アドバイスをお願い致します。よろしくお願い致します。

  • ビジネスで愛をは偽善では?

    時々ビジネスの成功者のセミナーとか本とかで、「顧客に愛をもって接しましょう」とか言う人いますけど、どうしても偽善だと感じてしまいます。 ある成功者は、「家族愛やパートナーシップをもって接しなさい」と言っていたそうで、でも私の経験から、お客さんに満足してもらおうとサービスすればするほど、お客はもっともっとと求め、結局こっちは多くの時間を失い、感謝はされても金銭的に損をすることもあります。 そのことを言ったら、だから「顧客を選別することが大事です。」だそうで・・・。 客を選んでそうするってことはその時点でさらに「利益」のためにしていることであって「愛」なんかじゃないと思うんですよね。「誠実さ」をもって全てのお客にあたるというのでしたらわかりますし、今までもそうやってきたつもりなので間違ってないと思うのですが・・。 「利」を追及する企業が、顧客に「愛」を持って接するというのは偽善としか思えないのですが、みなさんはどう思いますか? 結局ビジネスに成功してお金持ちになった人だからこその余裕のある言葉なのではないか?、またはその人が「愛」をと本気で語っているのは「勘違いしているのでは?」と思えて仕方ありません。 組織で自分のお客や社員に”愛”を持って・・なんて語っていいのは非営利団体(NGO等)か宗教組織だけだと私は思います。 寄付はいいですけど。 ”愛”というのは見返りを求めない無償のものだというのが私の定義です。 ちなみに私自身はお客や他の社員に基本的には思いやり誠意をもって当たってきたので、多くの方に好評価をいただいてます。しかし慈善事業をやっているわけではないので、おかしな人には物には限度があるので、会社組織である以上対応にも限界があることを身をもって知っています。 それだけに”愛を”とか言われると眉をひそめてしまいますが、セミナーを受けた人たちは本気で感銘、実践しようとしているようです。 皆さんはどう思いますか?私の解釈受け止め方が間違っているのか、成功者の言が間違っているのか意見をいただけるとありがたいのでよろしくお願いします。

  • 【ボランティア活動】ボランティアというものは、自分

    【ボランティア活動】ボランティアというものは、自分で出来る範囲のことをやるのがボランティアであって、駅前に立って募金活動をするのはボランティアでも何でもなく自分の善意を他人に押し付けてるだけであって、募金を呼びかけられる人たちにとっては募金しようとは思ってなかったわけでただの迷惑に過ぎない。 募金活動をする時間を親の手伝いなどをしてお駄賃を貰ってそれを全額寄付するのがボランティアなんやで。 君たちがやっているのは、自分自身は善意かも知れんが、他人にとっては迷惑なので、しかも自分の金を募金するんやなくて他人の金を募金しようなんて虫が良すぎるねん。 で、募金せえへん大人を見て冷たい大人やなあって思ってるやろうけど、1番冷たいのは自らのお金を募金せえへん君たちやで。 ほんまに募金する気があるんなら貯金箱全額募金したらええねん。 大人は税金払って、ちゃんと必要としているNGOやらNPOやらちゃんとしてる団体には税金から支払われてるから、君たちが駅前で募金活動する必要性はナッシングなんや。 逆に言うと学生でバイト出来るなら、街頭や駅前に立って募金活動してる時間をバイトに当てて、そのバイト代を全額寄付した方がよっぽど効率が良いし、これが本当の自分が出来るボランティアなんやで。 分かったか。 という考え方で合ってますよね? 反論ありますか?

  • 援助物資を送りたいのだが・・・

    はじめまして。 援助物資を世界の貧しい人達に分け与えたく、色んなサイトを探しているのですが、なかなか見つかりません。 募金や寄付、現地活動なんかのサイトはあるのですが、私も安月給のサラリーマンで生活にいっぱいいっぱいのところがありお金は用意できないのですが、不要になった服や物ならば人からもらったりできるので、焼却場に直行する前になんとかしてあげられたらと考えています。 配達するのもボランティアですのでなかなか見つからないのは当たり前ですが、援助物資を世界中の難民に配達してくれるサイトを知ってあるならば教えて下さい。

  • 死者は数字か

    地震で多くの人が死にました。 台風で数人の人が死にました。 どちらも死人がでたことに変わりはありません。 しかし、なぜか世の中には、台風のことよりも地震は悲惨だねぇーとかほざくバカがいます。 こういうバカは自分は安全な所にいて、数字でしか物事を見れなく高みから物を言っているに過ぎません。偽善者ぶっている大馬鹿野郎だと思います。 当事者からしたら、どちらも悲惨の一言。 上記の私の考えは間違っていますか?口だけ応援団長さんよ

  • 作文の添削をお願いします。【厳しく、具体的にお願いします。】

    テーマは『貧しい人々のために私たちは何ができる?』  みなさんは、貧しい人々の生活の現状を見たことがあるでしょうか? 僕は以前、カンボジアを訪れた事があります。 そこで、悲しい出来事がありました。  今日はそのことに関することを話したいと思います。 僕たち外国人が街を歩いていると、子供たちが物を売るために歩み寄ってくるのです。 また、道の地の横でも、お金を求めているのです。 彼らのほとんどが、僕よりも小さな子で、手や足がありませんでした。 彼らは貧しいために、学校にも行けず、食事さえも十分に取れないことが、彼らを見てわかりました。 彼らの苦しい生活をイメージしてください。到底、僕たちが耐えられることではありません。 彼らが懸命に生きている瞬間にも、僕たちは物があふれ返ったこの国で、『満足』という言葉も知らずに生きているのです。その事を僕は情けなく思いました。 そして、そこから「彼らが頑張っているのに、僕たちが何もやらなくてどうする。」と考えるようになりました。  そこで、まず、世界中でどの位の人が日々、苦しい生活を送っているのか調べてみました。 すると、その結果は信じられないものでした。 世界の総人口の15%の人は学校に行けず、文字の読み書きができません。 更に20%の人が不衛生な水しか飲めず、50%の人は栄養失調に苦しんでいます。  そうした人々を救う方法はあるのでしょうか。 彼らを救うために僕たちができることは限られてしまっています。 ですが、できることも少しはあります。 そこで、身近で簡単にできることを考えてみました。  1つ目は、食べ物を残したり、粗末にしたりしないようにします。 もちろん、これで貧しい人々が助かるわけではありません。 しかし、世界には食べたくても食べられずにいる人がいる訳ですから、食べ物を無駄にすることはできません。  次に募金活動に対して、積極的に参加します。 お菓子を買って出たお釣りでも構いません。 たった、40円でも子供1人分の学習用具が買えます。 また、これらのことを知るうちに、将来、なりたいものが見えてきました。 それは、ジャーナリストです。 なぜなら、世界中の人に貧しい人たちがおかれている、現実をありのままに伝えたいからです。 そして、みんなの意識が変わり、1人でも多くの人が、貧しい人たちに目を向けてほしいです。  みんなが1つになり、自由で平和で平等な世界を送れる世界。 そんな世界になるよう、僕も様々な活動をしていきたいと思います。

専門家に質問してみよう