• 締切済み

クラインの壺について

クラインの壷が四次元空間上で貫通しないと断じることができる理屈を教えてください。 クラインの壷として、一方の筒の口がその筒の側面に貫通しているような図を見ることがあります。 でもあれは四次元の幾何的構造としてのクラインの壷の断面図あるいは射影なのであって、クラインの壷そのものはそれ自身のなかで重なり合う部分を持たない、貫通しているようなことがないと断じられているのを知恵袋でも見たことがあります。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14240553914 しかし、私は先日以下リンク先の質問を投稿したのですが、そこでは「四次元の図形の全体像を想像できる人はいない」というような見解が多数派でした。 https://okwave.jp/qa/q10042768.html つまり、全体像を想像できないのに、どうしてそれが貫通しないのだと断じるようなことが可能であるのか、ということに関心を持ちました。 確かに二度折れ曲がった部分がある棒について、その影では、一方の端が他方の端に近くでその棒自身を貫通しているように映っているという場合があります。これを逆から言えば、その影のもととなった図形はどこでも貫通してないと断ずることは可能です。 しかしこれは二次元も三次元もその両方の図形の全体像を知っているからいえることです。 貫通しないことを数式から示せたとしてもそれは数式に対応する図形の状態を事前に知っているからであるはずです。 先に貫通しない立体があって、その数式表現を知っているから、ある場合で貫通しないことを証明するなかでそのような数式がでてきたら、ああ貫通しないんだなとわかるという具合であるはずです。 こうした貫通した影と貫通してない図形という二次元と三次元の間で生じることがある関係が、三次元と四次元の関係でも成立するとは限らないわけです、 成立しないとも限りませんが、クラインの壷がそうなのであるかは具体的に調べないと分からないはずです。 でも四次元の図形の全体像(各断面図と断面図のつながり方)が想像できないわれわれには、クラインの壷の全体像も当然想像できるわけがありません。 結局、どうして想像もできない形に対してこれは貫通しないと断じることができるのかという話に戻ります。 まさにその貫通してる部分がないクラインの壷を想像できてるわけでもなければ実際それを見たことがあるというわけでもない人が、断面図としては貫通しているという事実を突きつけられてもなお、貫通してないと断じられるその奇妙さです。 「貫通しない」ということ自体を数学者等誰か権威ある人の知見として妄信している場合は除くとして、どのような理屈でそうだと断定できるのか、その理屈というか推論のプロセスを教えて欲しいです。 こちらには高卒程度の数学知識しかないというのを前提として、大学数学の概念がどうしても解説するうえで必要と言う場合は都度説明していただければと思いますが、そのときは難しいところもごまかさず、しかしその分その概念の理解においてつまずきやすいところをフォローしつつ丁寧に説明したうえでそうした概念を使っていただけるとありがたいです。私としては本当に商位相を言葉して聞いた事だけあるという程度です。裏表のない筒を数学的に式として表現できれば、貫通しないということは循環論法的に自明なはずだとかいうことを考えてみたりもしましたが、実際に触ることもできるメビウスの輪ならともかく裏表が無い筒なんて想像もできないものを、どうして数式に落としこめることができようかとそれ以上は行き詰ってしまいました。

みんなの回答

  • tgb
  • ベストアンサー率78% (32/41)
回答No.4

 筒の口がその筒の側面に貫通しているどうかの判定をしたいと言うことですが、実は極めて単純な判定基準で判定可能です。  貫通しているというのは言い換えれば、貫通部分の筒の口の側と筒の側面の側が共通の位置座標を持つと言うことです。共通の位置座標を持たないならそれらは異なる位置にあり、従って貫通も生じていないと言うことになります。その物体・図形の形状がどのようなものかなどと言う煩雑な条件には拘る必要はなく、局所的にその部分(貫通の切り口)の状態のみに注意を向ければOKです。  2つの点が共通の位置かどうかは、空間の次元などには関係なく、その2つの点のそれぞれの対応する座標値が全て一致するなら同一点(同一の位置)、そうでなければ同一点ではないというのは、証明すべきことではなく、定義か公理に属する事であり、直感的にも明らかです。  そこで「貫通」の切り口を点の集合と考えて各々の点の座標値を検討してみます。3次元で考えた場合、一般に描かれている図から明らかなように3つの座標値は一致しています(だから問題になっている)。しかし、クラインの壺は4次元の壺であり、4次元の空間で貫通しているかどうかが問題になっているので、4次元目の座標も考慮に入れなければなりません。単純に4次元の空間に移しただけでは貫通したままになっていますので、4次元空間上で壺の形状に手を加える事を考えます。つまり、筒の口側の貫通部分近傍を4次元方向に移動させるのです。ちょうど尺取り虫がお腹の部分を持ち上げて葉っぱから離すイメージです。壺の形状をこのように変更すると切り口となっていた共通部分の4番目座標が異なるものとなるため貫通の切り口はなくなってしまいます。4次元のクラインの壺はこのような形状であることにより貫通の切り口を持たないのです。  以上の操作を3次元空間から見ていると貫通部分近くの筒の口側が突然消えてなくなり(従って貫通している光景は消え去り)、4次元方向から特別なライトを当てて3次元空間に投影した場合にだけ貫通しているのが確認できると言うことになります。通常我々が見ている絵は特別のライトを当てたものです。  3次元の図形は4次元で考えると3次元の広がりを持つ平べったい図形です。この「平べったい」が重要です。3次元である限り円筒であろうと球面であろうと平べったいのです。円筒・球面のどの位置に置いてもその点における面に直交する方向が3次元上に存在すると同時にもう一本4次元目の方向にも存在します。この4次元目の方向に厚みがないので3次元の立体であっても平べったいのです。  上述の壺の変形作業は重なった2つの(壺としては一体ですが)平べったい図形の一方をちょいと4次元目の方向に引っ張り上げるだけの作業です。まさに尺取り虫のお腹の部分を持ち上げて葉っぱから引き離す作業に他ならないのです。3次元的にいかに複雑な入り組んだ構造をしていようと上に引っ張り上げる作業は極めて単純で他の部分と関わることなく独立して行えます。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9722/12094)
回答No.3

質問者からのお礼を拝見しました。 >変形三角形ちまきのくだりは大変興味深いのですが、文章からいまいちぴんと来ません。実際に作ってみたというのでしたら、画像を添付していただけるとありがたかったかなと思います。 ⇒せっかくのお申し越しのところ、大変すみませんが、メカに弱い私としては画像添付をしないことにしております。実験は割と簡単ですので、どうぞご自分でなさってみてください。帯の幅を円周の1/3くらいにして、幅広の「メビウスの帯」を作り、それを少し形を整えるだけでそれらしいものになりますので。どうぞ、添付の件についてはご寛恕のほどを。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9722/12094)
回答No.2

面白いテーマをありがとうございます。 以下は証明の類でなく、単なる実験的報告です。私も、以前から「メビウスの帯」・「クラインの壷」に関心を抱き、不思議なものの代表例としてこのサイトで触れたこともありました。「メビウスの帯」については、かれこれ20年ほど前にいろいろ遊んだ記憶があります。その際驚いたことの1つは、「帯」の中央線に沿ってハサミを入れて2つに切り分けると…、普通の帯または輪なら同じ大きさで幅が半分のが2つできますよね。それを想像して、つまり、元の「メビウスの帯」とよじれ方や大きさが同じで、幅が半分の「メビウスの帯」2つを期待して切り分けてみたのです。どうなったと思いますか? 何と1本になるのです! ただ、長さとよじれの数が倍になる、いわば「ダブルよじれの大メビウスの帯」ができるのです! そのほか、例えば、自動車レースのレーンに「メビウスの帯」の走路面を使うことができれば、面積を半分にできるのではないか、などと考えたりしました。ところがこれは、路面が逆様になるところがあるので、無理だと分かりました。ということは、例えば、モノレール型電車を走らせる玩具としてなら応用できそう、と思いました。そういう玩具があってもよさそうなものだと思って玩具売り場をのぞいてみましたが、ありませんでした。 さて、余談が長くなりましたが、本題の「クラインの壷」の件に移ります。実は、これも「つい先ほど」実験してみました。幅広の「メビウスの帯」を使うと、確かに壺(というか、「変形三角ちまき」のような容器)ができます。帯の全長の半分ほどの長さの部分で、帯の切片と帯面とが斜めに接しますので、貫通しているようには見えなくなります。もしその部分を接着すれば、完全な「容器」にもなり得ます。同じ大きさの「三角ちまき」が2つ、互い違いになりますが、もし接続面をずらして片方に寄せていけば、1つの「三角ちまき」が小さな円錐形になりますので、これを取っ手として使えば、立派な容器になり得ます! こうすれば確かに、「実際に触ることができる、裏表が無い(というか、内接面が裏でもあり表でもあり得る)筒」ができます。ただし、これをもって「四次元の幾何的構造」であるとは言えません。あくまでも三次元の構造物ですが、ただ、「非三次元的・疑似四次元的幾何構造」とは言えるでしょうね。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。変形三角形ちまきのくだりは大変興味深いのですが、文章からいまいちぴんと来ません。実際に作ってみたというのでしたら、画像を添付していただけるとありがたかったかなと思います。

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (175/312)
回答No.1

 4次元の幾何学には全く詳しくないので、参考意見です(^^;)。  4次元の全体像を把握できる人なんていない、のは本当だと思います。絶対に絵にも描けないし。でも4次元以上の高次元空間を、けっこうやすやすと使ってますよね?。4次元以上のベクトル空間です。  そこでは直交するx,y,z軸全てに直交する方向にt軸を立て、位置ベクトル(x,y,z,t)を、2次元や3次元の位置ベクトル(x,y)や(x,y,z)と同様に扱います。そうやって多変量解析の分野などで、現実に正しい結果を出せます。  また3次元で、   ax+by+cz=e を平面の方程式と呼ぶので、2次元の直線の方程式、  ax+by=c は、2次元における平面に相当するものだと考えます。そこから4次元において、  ax+by+cz+dt=e を、4次元の(超)平面と呼ぶのには、そう違和感はないと思います。  要するに(自分の意見では)高次元の幾何学は、現実の2次元,3次元からの外挿です。  「4次元も現実の2次元,3次元と同じであるならば」、2次元,3次元でグラフを描くのと同じように、(絵には出来ないけど)4次元以上にもグラフを描けるはずだとなり、多変量解析の計算が成立します。そのような人間の都合に従った、閉じた論理の世界では不都合は生じません。この4次元空間は、人間がつくった、または人間が妄想した(?)ものだからです。4次元空間なんて、誰もみたことないですよね?(^^;)。  クラインの壺は、そういう人間都合の閉じた論理の世界での話と思います。その4次元は人間がつくった(妄想した)ものなので、「こういう条件の時、貫通していない」と「定義」すれば良いわけです。後はその条件が、その4次元の公理と矛盾しなければOKです。  ここまでクラインの壺に関する話を、論理の中で拡張されたユークリッド空間の話として書いてきましたが、ここで「現実の物理的な4次元時空は、どうなってるんだ?」という問題が生じます。あなたが引っ掛かってるのは、ここだと邪推してます(^^;)。  現実の物理的4次元時空は、疑似ユークリッド空間です。4元ベクトルの長さsの2乗は、cを光速度として、   s^2=x^2+y^2+z^2-(ct)^2 であり、2つのベクトルv1,v2の内積は、   v1・v2=x1・x2+y1・y2+z1・z2-c^2・t1・t2 になります。v1・v2=0が2つのベクトルの直交条件ですので、普通に直交するx,y,z軸全てに直交する方向にt軸を立てたものでは「全然ありません」。  しかしそれでも、クラインの壺に関する「貫通しない定義」を疑似ユークッド用に書きかえたものには、十分な転用価値があるはずです。疑似ユークッド空間は、現実の物理的4次元らしいので(観測結果)。数学とはそういうものだと思います。  余談ですが誰も見た事ないものを、見れないものを数学はけっこう妄想(?)します。例えば無限集合論がそうです。無限は誰も見た事ないし、見れません。何故なら全部見れたら、それは有限になってしまうからです。無限集合論は、有限の論理の無限への外挿だと自分は思っています。そう考えると、それに基づく実数論も、ちょっと妄想気味です(^^;)。

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