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自然演繹法

排中律はNKでは自明(?)ですが、NJ(直感主義論理)で証明するにはどうすればいいでしょうか。正確には排中律「Aまたはnot A」の前にnotの記号を二つ付けたやつを証明する方法です。

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回答No.1

NJでは A∨¬Aは証明出来ませんが、¬¬ (A∨¬A)は証明できますね。当然¬(A∨A)を仮定して矛盾が生じることをいい、否定の導入則を使えば良い。 ¬(A∨¬A)を仮定 [2] Aを仮定 [1] -> A∨¬A (選言導入) -> (A∨¬A)∧ ¬(A∨¬A) ([2]と連言導入) -> ⊥ -> [1]を消して、¬A(否定導入) -> A∨¬ A(選言導入) -> 再び (A∨¬A)∧ ¬(A∨¬A) ([2]と連言導入) -> ⊥ -> [2] を消して、¬¬(A∨¬A) (否定導入) から導かれる。否定の導入はNJでも行ってよい。

ktagtag
質問者

お礼

なるほど~。ありがとうございます。

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回答No.2

> 当然¬(A∨A)を仮定して 当然¬(A∨¬A)を仮定して の間違いですね。

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