tumaritouo の回答履歴

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  • 19歳息子が極度の依存症か人格乖離症

    ほとんど毎日息子19歳次男に責められています。暴言「死んでしまえ」 や。たまに、暴力、以前コーヒーカップで頭を思い切り殴られました。 前妻は、頭からジュースを掛けられたときは、本人(息子)は笑っていた。(人を殴って快感があるのか?)人を殴って笑っているのは、異常と思い、カウンセリングを受け、 息子も受け、愛情過多による極度の依存症と人格日乖離症と言われました。息子は一度行っただけで、あんなの意味ないしもう行かない、と言い、そのまま2ヶ月が過ぎました。2/19日に病院の予約ができて、やっと息子も病院に行くと言ってますが、本当に行くかどうか、それに、そんなに待ってられなく、このサイトで相談できアドバイスをいただければと思います。  自分は昨年6月離婚してます。原因は嫁姑の中が悪く、前妻は数年まえから「この家出よう」と言ってましたが、自分が、年寄り一人をほって出るのも、家を建てたばかりだったので、よう決断しませんでした。前妻が姑に対するモラハラが酷く、(無視や姑には食事を作らない)  それに対して姑は「死にたい」など言ってました。次男は聞かされていました。  自分は姑に自業自得やと思いながら、なにもできませんでした。前妻は姑に対して「絶対許せない」いってますし。  その場面を見て育った子供の心が折れたとおもっています。  次男、高校の時、窃盗をしました。鑑別所は4日で出てきました。  その後も深夜俳諧タバコ所持が発覚し高校退学して、新たな通信高校に席はあるのですが、いまは何処にも行かず家で本(斎藤一人、加藤諦三 など)ばかり読んでいます。友達はだれもいません、皆いやがりました。 離婚後は母親が面倒を見ていましたが、暴言、暴力、睡眠妨害が酷く。次男がオトンのほうに行くと言ったので自分が見ています。  暴言を言うときは彼自信の思いがとおらないときです。  始め母親には、「兄貴が専門学校に行くのに何百万使ったやろう、その金額を俺に払え」と次男は言い  母親が「あんたが同じように学校に行くんならそのときに払うわ」  といっても、帰ってくる言葉は「死んでしまえ、もう帰ってくるな」 です。  子供が問題にしているのは、自分がダメ男になったのはオトンの教育が間違っていたからで、子供にはなんもわるくない。教育とは幸せになるためで、今俺が幸せになるために光物(指輪)がいるので、それを買え、と言います。内容も大事やけど見せ掛けも大事や、光物を飾っていたら幸せに見えるやろう。甘えるのは何処が悪いんや、むしる良いことや。親は子供の喜ぶ事をしてこなかった。苦しみ基準や、怒ってばかりいた。掃除をしないと、怒り、怒られて逆効果や、親のハライセで怒っているだけや。(斎藤一人加藤諦三の本に書かれている)  子供が言うに小中学校に行かされたのも親に虐待で行きたくなかった。さぼらしといたらええ。高校にも行きたいと思うように洗脳されていただけ。林檎狩にいっとのも虐待、親の都合、おや基準でオトンの都合の悪い子供はイランと考えていたんやろう、褒めるのも親の基準に持っていきたいからやろう。  自分から見たら次男は 悲劇のヒーローになりたくて、それがオーバーなほど良くて 親がちょつと「家を出て行け」と言ったことがあって、それを何万回聞かされたからこんな子供になったんや、と言い。落ち込んでいくように自分で仕向けているように思う。子供を理解していないから、こんなふうに思ってしまうんか?積もり積もった子供の親に対する嫌悪は自分ではよく分かります。自分とそっくりなので。  肉親憎悪は一生つずく、子供も言っていた  どう向き合ったらいいのか、ぜんぜん分かりません。  それに命の大切さなんかぜんぜん分からないとも言います。  子供の考えかたは理解できます。親の教育が間違っていた。  で、どうしたらいいもか、が分からない。  2回だけ光ものを買ってやりましたが、なんにもなってないし。  バイトに行ったら、と言って見ても、行けないようにしたのはオトンや。悩んでいる人に悩むなと言っているのと同じやとも言います。  

  • 感情の喪失

    はじめまして。 2006年10月の終わり頃、四六時中外から聞こえる幻聴に悩まされ精神科を訪問しました。 リスパダールを処方され、幻聴は徐々におさまり今ではまったく聞こえてきません。 生理がこなくなったため、現在ではエビリファイ12mgを服用しています。 私が悩んでいるのは発病してからというもの、好奇心・快感・楽しみ・怒り・ショックというような諸々の感情が喪失してしまったことです。 睡眠欲も性欲もありませんし、入浴しても排便しても爽快感がありません。 一年前までは楽しかったウィンドウ・ショッピングやTVや読書も今ではただ面倒なだけで、興味がわかなくなってしまいました。 主治医に訴えたところ「病気のせいというより、むしろ歳をとったせいだ」と言われました。 しかし、多少は加齢のせいもあるかもしれませんが、加齢でこんなに感情が喪失するとは考えにくく、納得がいきません。 統合失調症になってから1年と3ヶ月、こんな状態がずっと続いています。 私は一生このままなのでしょうか?

  • 何となく不安

    最近、なぜか訳もなく不安になります。 去年の12月にノロウイルスにかかったとき、1日ですぐに治ったんですが、そのあと母や姉に遷ってしまい、何回もトイレに行ったり、目の前で何回も吐いている姿を見ていたら、馴れていないもので、怖くて「このまま治らなかったらどうしよう」と、不安で泣いていました。 今はみんな元気ですが、しばらくはあまりご飯を食べることができず、自分が吐くのではないかとか、下痢したらどうしようという不安でいっぱいでした。今はほとんどそういうことはありません。 昔も一時期そうだったのですが、土・日や長い休みがあるととても不安になります。家におばあちゃんはいるけど寝てばっかりだから、ひとりぼっちのような気分があってなんとなく寂しいというか怖いんです。学校があったり、友だちと遊んだりするときはそんなことはなく大丈夫ですが、家にいると何となく不安で・・・特に冬に風邪を引いたりしたときがもの凄く不安で冬休みが早く終わらないかと思っていました。 ノロウイルスにかかって以来、このような不安が出てきて、試験が終わって3月は丸々休み、どう過ごしていいのか不安でしょうがないです。 そして、今日は試験勉強で人体の構造のことや、疾病のことをしていたのですが、ふと、「親がガンになったらどうしよう・・・」などと、不安になったりしました。 最近こんな感じでとにかく不安でドキドキしたり、少しでも何か異変があったら、(たとえば、胃がむかむかするとか、耳が何となく痛いとか)病気ではないかと怖くなったりします。これは、何かの病気でしょうか・・・

  • どうしたらよいか教えてください

    33歳、アパレル会社勤務の男性です。 いつの頃からか、気持ちの浮き沈みが大きくなりました。 よくよく思い出してみると、高校生の時には始まっていた気がします。 何かのきっかけで急に悪い想像ばかりが頭を巡りとまらなくなってしまうのです。ちょっとした失敗でもう何もかもダメだと思ってしまったり、恋人とうまくいっているつもりでも、ちょっとしたメールのやりとりで文面を深読みしてもう自分の事をそんなに好きではないのではないかと思ってしまったり...... そういった気持ちになっている時は頭の前頭葉部分が苦しくなりますが、 今までのところはなんとか理性が働いて、「元気がないけど大丈夫?」と聞かれる程度で、なにかパニックに陥ったり、衝動が抑えきれなくなった事はなく、普通の人のように振る舞えてきました。 落ち込んでいても、良い事があったり、誰かと話して盛り上がってくると楽しくなり、軽やかな気分になります。 今まではこれは性格のせいだと思ってきましたが、先日また発作に襲われ 、どうにかならないかとインターネットを検索しているとこれはどうも鬱の一種ではないかと思い、気になっています。 どうしても病院に通って薬をもらうのは抵抗があります。 日常生活で何か出来る事があったらそちらをまず試してみたいと思います。経験者の方や専門家の方達から何かアドバイスが頂ければ幸いです。 お手数ですが、宜しくお願い致します。 何か追加情報が必要でしたら補足させて頂きます。

  • 総体的人間の幸せのものさしはなんですか

    該当する禁止事項ありません

  • 苦悩と普通の思考との違い

    苦悩はつらいものですが、神経活動としては普通の平静な思考などとどこが違うのでしょうか。

  • 強迫神経症のまま海外に飛び立ってしまった

    私はすでに10年くらいこの病気と関わっているものです。 初めてかかったのは、おそらく高校生くらいのことなのですが、病気と強く認識するのが遅く、3年程前から心療内科に通い、薬を飲むことになりました。3つ行った病院の全てで、強迫神経症と判断されました。薬は毎日パキシルを飲み、調子の悪いときはレキソタンを頓服で服用していました。 たまに薬を飲み忘れるときや、期間の開いてしまうときもあり、仕事を始めてからはそんなに病気のことが気になりすぎることはありませんでした。しかし仕事の都合上海外で働くようになり、薬をやめてしばらくした頃、また症状が気になるようになりました。 日本の先生は、海外では精神障害の症状も全く異なるから、現地でパキシルやレキソタンといった薬を手に入れることは難しいだろう、と言っておりました。そのときは、そんなに病状が強くなかったので気にしていなかったのですが、ここへ来てまた頭を悩ませております。 ちなみに、症状は強迫観念の方で、確認行為といったものは全くありません。ただ、日常の些細なことにも優先順序を付けて順番どおり1つ1つ片付けていかないと気が済まず、メモ書き等をして整理しようとするのですが、書いたメモの存在がまた気になる、という悪循環です。 サイトをあれこれ見た結果、行動療法を行うのが良いのかな、と思ったのですが、行動療法は強迫観念の症状には適用するのが難しいようなので、途方にくれているところです。何か良いアドバイスがありましたら是非お聞かせ下さい。

  • 19歳息子が極度の依存症か人格乖離症

    ほとんど毎日息子19歳次男に責められています。暴言「死んでしまえ」 や。たまに、暴力、以前コーヒーカップで頭を思い切り殴られました。 前妻は、頭からジュースを掛けられたときは、本人(息子)は笑っていた。(人を殴って快感があるのか?)人を殴って笑っているのは、異常と思い、カウンセリングを受け、 息子も受け、愛情過多による極度の依存症と人格日乖離症と言われました。息子は一度行っただけで、あんなの意味ないしもう行かない、と言い、そのまま2ヶ月が過ぎました。2/19日に病院の予約ができて、やっと息子も病院に行くと言ってますが、本当に行くかどうか、それに、そんなに待ってられなく、このサイトで相談できアドバイスをいただければと思います。  自分は昨年6月離婚してます。原因は嫁姑の中が悪く、前妻は数年まえから「この家出よう」と言ってましたが、自分が、年寄り一人をほって出るのも、家を建てたばかりだったので、よう決断しませんでした。前妻が姑に対するモラハラが酷く、(無視や姑には食事を作らない)  それに対して姑は「死にたい」など言ってました。次男は聞かされていました。  自分は姑に自業自得やと思いながら、なにもできませんでした。前妻は姑に対して「絶対許せない」いってますし。  その場面を見て育った子供の心が折れたとおもっています。  次男、高校の時、窃盗をしました。鑑別所は4日で出てきました。  その後も深夜俳諧タバコ所持が発覚し高校退学して、新たな通信高校に席はあるのですが、いまは何処にも行かず家で本(斎藤一人、加藤諦三 など)ばかり読んでいます。友達はだれもいません、皆いやがりました。 離婚後は母親が面倒を見ていましたが、暴言、暴力、睡眠妨害が酷く。次男がオトンのほうに行くと言ったので自分が見ています。  暴言を言うときは彼自信の思いがとおらないときです。  始め母親には、「兄貴が専門学校に行くのに何百万使ったやろう、その金額を俺に払え」と次男は言い  母親が「あんたが同じように学校に行くんならそのときに払うわ」  といっても、帰ってくる言葉は「死んでしまえ、もう帰ってくるな」 です。  子供が問題にしているのは、自分がダメ男になったのはオトンの教育が間違っていたからで、子供にはなんもわるくない。教育とは幸せになるためで、今俺が幸せになるために光物(指輪)がいるので、それを買え、と言います。内容も大事やけど見せ掛けも大事や、光物を飾っていたら幸せに見えるやろう。甘えるのは何処が悪いんや、むしる良いことや。親は子供の喜ぶ事をしてこなかった。苦しみ基準や、怒ってばかりいた。掃除をしないと、怒り、怒られて逆効果や、親のハライセで怒っているだけや。(斎藤一人加藤諦三の本に書かれている)  子供が言うに小中学校に行かされたのも親に虐待で行きたくなかった。さぼらしといたらええ。高校にも行きたいと思うように洗脳されていただけ。林檎狩にいっとのも虐待、親の都合、おや基準でオトンの都合の悪い子供はイランと考えていたんやろう、褒めるのも親の基準に持っていきたいからやろう。  自分から見たら次男は 悲劇のヒーローになりたくて、それがオーバーなほど良くて 親がちょつと「家を出て行け」と言ったことがあって、それを何万回聞かされたからこんな子供になったんや、と言い。落ち込んでいくように自分で仕向けているように思う。子供を理解していないから、こんなふうに思ってしまうんか?積もり積もった子供の親に対する嫌悪は自分ではよく分かります。自分とそっくりなので。  肉親憎悪は一生つずく、子供も言っていた  どう向き合ったらいいのか、ぜんぜん分かりません。  それに命の大切さなんかぜんぜん分からないとも言います。  子供の考えかたは理解できます。親の教育が間違っていた。  で、どうしたらいいもか、が分からない。  2回だけ光ものを買ってやりましたが、なんにもなってないし。  バイトに行ったら、と言って見ても、行けないようにしたのはオトンや。悩んでいる人に悩むなと言っているのと同じやとも言います。  

  • 生きる意味を問う人は、他人のために生きられる人かも?

    ふと思いました。 生きる意味を問う人(問う頻度が多い人)は、 根本的に、奉仕の精神が強いのではないか、と。 逆に、利己的な人間ほど、 生きる意味(精神的な問いかけ)はしないように(少ないように)思います。 気のせいでしょうか? 一くくりにするのは間違いですかね。 もし気のせいでないのなら、 (私は新宗教のために立ち上がるかも・・)

  • 理にかなった批判、吟味の方法、哲学、考え方

    私は仏教徒の家に生まれ育ち、 「この信仰は正しい、正しい」と言われ、 なんとなく仏教を信じてきたのですが、 最近、自分の信仰に疑問を持ち始めました。 今まで自分の信じてきた信仰、 また、自分にとっては未知のものである世界の主だった信仰、思想、哲学を、 自分なりに吟味、批判し、疑ってみて、 最終的にどうしても疑いきれなかったものを、 自分の信念、信仰、または思想、哲学として選びとろうと思っています。 信仰、思想、哲学の「理論的、観念的部分」と、 その信仰、思想、哲学が実際の人生、社会に影響を及ぼす、 「現実的影響面」の両方を吟味してみたいです。 そこで 「ものごとをうのみにするのではなく、批判、吟味する方法」 を説いた人、哲学、学問体系などがあれば教えてください。 特に具体的な著作名を教えて頂けるとありがたいです。 客観的に見て絶対に正しく、 万人が納得できるような哲学や思想、信仰、真理はないかもしれませんが、 せめて、精一杯、吟味、批判してみた上で、 自分なりに納得できる信仰や思想、哲学を抱きしめて生きていきたいのです。 どうか、力を貸してください。 よろしくお願いいたします。

  • 現在の精神医療は進歩しているの?

    自分は6年前にパニック障害を患って、症状が改善したり、悪くなったりと完全完治にはほど遠く感じています。 現在の医療では、特に薬物療法及び認知行動療法が主流のようですが、 これは6年前も同じやり方をしていたと思います。 今までのやり方ですと、人によっては薬で効果をあげられない、効果があっても治すのに時間が掛かってしまう、治っても再発をしてしまうなどという症例が後を絶ちません パニック障害を引き起こした当時は、薬に頼るより、頭を切開して原因となる脳の箇所を物理的に取ってしまえばいいという昔ながらの考えを抱いたことがあります。 昔に比べうつ、不安障害等は確実に増えているのに精神的な治療法が進歩していないような気がするのですが、そこら辺はどのようになっているのでしょうか?進歩しているのでしょうか? 今現在でも既存の治療法なのではなく、もっと近代的な治療法はないものかと考えることがあります。例えば、レーザーで扁桃体や青斑核のほんの一部を物理的に破壊してしまうとか それでまとめてみると、聞きたいことが2つあって 1.精神医学は進歩しているのでしょうか? 2.精神的な病に苦しんでいる人は既存の医療で満足出来ているのでしょうか? どうぞよろしくお願いします。

  • ストレスで頭が真っ白になる。これって病気?

    こんにちは。一昨年結婚、昨年出産し子育て中の29歳主婦です。 結婚してから何かとストレスが溜まることがあり生活の中で 失敗したことを思い出すと胸がドキドキして奇声をあげたく なるときがあります。 例えば以前義実家で、お茶を入れるとき失敗して恥をかいたことが ありました。それでまた同じ状況になったとき、その事がフラッシュ バック?というのでしょうか、思い出してしまって胸がドキドキして 緊張が極限になってしまい、頭は真っ白、義母に話しかけられる言葉も聞こえなくなるときがあります。 そして、落ち着けーーと自分を言い聞かせて我に帰るのですが、 緊張は消えません。。 また、独りでいるときにその失敗した事を思い出すと、声をだして 「あーー」とか「きゃー」とか大声を出しています。 客観的に見るとかなり不気味だと思います。。 元はと言えば義母に対して緊張のし過ぎが原因だとは思うのですが、 友達に対して失礼なことをした時なども、その失敗ばかり思い出して しまってその友達自体が苦手になってしまうことがあります。 (あの時のことを怒ってるだろうな、申し訳ない、と考えてしまって遠ざかってしまう) こういう事はどうやって克服すればいいのでしょうか。 一種の精神の病かと疑うべきでしょうか。

  • 現在の精神医療は進歩しているの?

    自分は6年前にパニック障害を患って、症状が改善したり、悪くなったりと完全完治にはほど遠く感じています。 現在の医療では、特に薬物療法及び認知行動療法が主流のようですが、 これは6年前も同じやり方をしていたと思います。 今までのやり方ですと、人によっては薬で効果をあげられない、効果があっても治すのに時間が掛かってしまう、治っても再発をしてしまうなどという症例が後を絶ちません パニック障害を引き起こした当時は、薬に頼るより、頭を切開して原因となる脳の箇所を物理的に取ってしまえばいいという昔ながらの考えを抱いたことがあります。 昔に比べうつ、不安障害等は確実に増えているのに精神的な治療法が進歩していないような気がするのですが、そこら辺はどのようになっているのでしょうか?進歩しているのでしょうか? 今現在でも既存の治療法なのではなく、もっと近代的な治療法はないものかと考えることがあります。例えば、レーザーで扁桃体や青斑核のほんの一部を物理的に破壊してしまうとか それでまとめてみると、聞きたいことが2つあって 1.精神医学は進歩しているのでしょうか? 2.精神的な病に苦しんでいる人は既存の医療で満足出来ているのでしょうか? どうぞよろしくお願いします。

  • 「健全な心の見解」と「病んだ魂の見解」

    「健全な心の見解」と「病んだ魂の見解」はちがうとあるが、ホロコストや大量殺人やデモサイトに陰らされて我々の時代は魂の病んだ時代である。このときに、病んだ魂が健全な魂になるためには何がひつようですか?また、人間としてどんな取り組みが望ましいでしょうか?

  • 人生がむなしいです

    人生がむなしいです。 人は何のために生きるのか、考え込んでしまいます。 このようなむなしさに囚われている人に、どのようにすれば有意義な人生を送れると考えているか、聞いてみたいです。 【回答についての注意事項】 ・この「むなしさ」を一度も体験したことの無い人には、いくら言葉を尽くしてもムダですので、始めからこの質問に参加しないでください。 ・念のため付記しますが、この「むなしさ」とは、日常性に埋没し切ってて退屈だったけど、フランス語の勉強始めたら毎日が楽しくなったんだ! とかそういうのとは全然違います。誤解を招くかもしれませんが、もっと哲学的なものです。そして、「なぜ生きるか。なぜ必ず死ぬのに生きるのか」自分の全存在を賭けての問いです。 これが実感としてわからないなら、参加しないでください。 ・「じゃあ死ねば」式の回答は不要です。 ・このような質問の仕方をすると、私自身の人格を問うような「そもそも論」を得意げに披露する人があらわれることと思います。また「カテ違い」とか何だとか、不毛な脇道に導く人も出そうです。先に言っておきますが、そのような回答は不要です。質問に答えられる人のみ参加してください。 ・確かに、膠着した議論において、「そもそもどこで間違えたんだ?」と問うことは有意義ですし、そこで鮮やかな切り口で議論を活性化させる知性には、誰もが憧れることと思います。よく見られることとして、そうした知性の担い手は私であり、そうした賞賛は私こそが受けるべきだと考える自己愛にまみれた人が、時に鼻息荒く「そもそも論」を展開することがあります。しかし、往々にして「そもそも質問者おかしくね?」式に、「だったらおまえはどうなんだ」っていう小学生みたいな切り口しか示せないことが多いですね。 ・繰り返しますが、この「むなしさ」を知るものだけに問いかけているのです。あなたはむなしさを感じながら、どうやって生きているのか。場合によっては、どのようにそのむなしさをごまかしているのか? ・繰り返しますが、鼻息荒く的外れなおせっかい回答をするような人は不要です。参加しないでください。

  • 神を信じる人の心理について

    一般に宗教を必要とするのは 恐怖がその源泉だといわれてると思うのですが 1、それが神となる理由はなぜか?(神がいない宗教もあるのに) 2、恐怖以外に何か原因として考えられるものはあるか? 3、世界中の信仰者は病人か? 回答いただけると嬉しいです。

  • 覚悟を持ち得るには

     私はある覚悟を持てないでいます。  その覚悟とは、ある使命に命と今後の人生を賭けることです。 理由があり具体的なことはお伝えできませんが、自分以外の命を危険にさらすことなく、他者の命が不本意に不条理に消えるのを防ぐことです。その使命とは、誰かがやらなければならないことであり、しかし絶対的に不可能といえることであり、かつ行為自体は正しいと言い切れうることです。  私自身、自分の思うこの使命は正しいと信じていますし、人から間違っていると言われたことも一度もありません。(おそらく皆さんにお話しても内容を正しいと思われない方は至極少数だと確信します。ご回答頂ける際には正しいことだと判断した上でお願いします)ですが「何故私が」と、どうしても考えてしまいます。ほぼ間違いなく不可能なことなのです。「死にたくない。死にたくない。死にたくない。幸せになりたい。だけど、死なせたくない。皆が幸せであってほしい。」と心の中で二人の自分がいつも戦い続けています。必ず死ぬわけではありません。しかしリスクは桁が違います。私は死にたくありません。ですが、死なせたくもありません。  私は、過剰共感体質です。他人の心痛を他人のものとして、受け流すことができません。おそらく異常だと思います。新聞やニュース、実際に見たもの等、毎日の生活の中でたくさんの人が苦しみ、死んで、殺されたのを見ます。私はその苦しんでいる人、無くなった人、その家族等たくさんの立場に自分を置き換えて苦しみます。自覚的にではなく、気付くと胸がどうしようもなく痛くなっています。頭が痛くなります。当事者の視界で想像しています。車に爆弾を積み自爆するテロリストにも、そうされる軍人にも。一度、幻覚を見るようになったこともありました。戦争で怪我をし、栄養失調で異常に膨らんでしまった腹部と枝のような手足をした黒人の子供が、指をくわえながら、虚ろな薄くなってしまった眼で、私のほうを見続けていました。起きていても、夢の中でも、彼は私を見つめ続けていました。何も言わず見つめ続けていました。何も言う必要が無かったのでしょう。何年か経った今でもその顔は、はっきりと浮かんできます。理由はおそらく世界を少し知ってしまったからだと思っています。  私がこうしてパソコンにむかっている間にも、勝手に悩んでいる間にも、私はその自覚無しにおそらく世界のどこかで未だ見ぬ誰かの命を消す手助けをしてしまっています。私は今まで、一体何人の顔も知らない誰かを殺してきたのでしょう。いくつの家族を不幸にしたのでしょう。日本という国に生きる私は、その存在の存続そのものが「殺すこと」と同義であるのだと気付いてしまいました。  正直に言って、知りたくなかった。そんな咎に気付くことなく、ただ自分とその周りの命の幸せを願って生きていきたかった。ただ日々の平和を願い、生きていきたかった。  しかし、私は知ってしまいました。私は、それを無視するには心の器が小さすぎます。しかし、私は、私たちは、圧倒的に非力です。  ですが、やはり咎を背負ったまま、何の償いをすることもなく、何食わぬ顔をして生きていくことはできません。苦しすぎます。それは自分のことです。ですが、死にたくないのです。「何故私がしなければならないのだ」と考えてしまいます。どうしても考えてしまいます。  多くの人は自分の幸せを純粋に望んでいるように見えます。それを良とし、疑わない、世の中です。不都合なことは「存在させない」世の中です。私も突き詰めれば贖罪願望を満たすという幸せを願っていると言えるかもしれません。しかし、それは詭弁ではないでしょうか。「価値観の違い」と言う絶対の剣を、相手の喉元に突きつけながらの理論ではないでしょうか。それは卑怯ではないでしょうか。  本当はわかっています。「何故私が」ではなく、「誰かが」ではなく、「私は」だという問題であることを。他人や世の中を責める自分の醜さも、臆病さも、幼さも、本当はわかっています。こんな自分が一番恥ずかしくて、一番憎いです。本当に憎いです。  だから皆さん教えて下さい。自分で答えを見つけられない私に、どうか力をお貸し下さい。どうすれば、覚悟を持ちえられますか。 長文読んで頂きありがとうございました。

  • 「健全な心の見解」と「病んだ魂の見解」

    「健全な心の見解」と「病んだ魂の見解」はちがうとあるが、ホロコストや大量殺人やデモサイトに陰らされて我々の時代は魂の病んだ時代である。このときに、病んだ魂が健全な魂になるためには何がひつようですか?また、人間としてどんな取り組みが望ましいでしょうか?

  • 因果関係とは何か

    因果関係とはどういうものでしょうか?

  • 芸術の重さ

    私自身が、ハッキリとした結論を持てていないことなのです。 最近、ある作家の作品(小説)を巡り、作者と、そのモデルにされたという女性の間で起きた裁判のことを思い出す機会があり、改めて少し考え込んでしまいました。 「人一人の命は地球より重い」とかいうコトバがあります。 これをまねた言いかたをしてみると 「人一人の心は芸術より軽い」 と言えるんだろうか??と。(ヘンな言いかたなのでしょうけど) 私自身、もとが、書く側に身を置いている(いた)者でもあるので、けっこう長年、おりにふれて考えていたことなのですが(多分、筆が進まない原因の一つになってると思います) 芸術作品の重さって?その価値って??芸術は天下無敵??? そのあたりについての御考えや示唆を与えてくださいますでしょうか。 恥ずかしながら読解力ないので、なるべく平易なコトバがありがたいです。よろしくお願い申し上げます。