kanto-i の回答履歴

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  • 流れとして、哲学は懐疑論の方向へ向かっていますか?

    こんにちは。 今日では至る所に「相対化」という文字があふれて、数学や哲学でもで「不完全性」であるとか「翻訳の不確定性」「理論の不確定性」などが言われています。 大きな流れとして哲学は、懐疑論の方向へ向かっているのでしょうか?

  • 絶望から立ち直るためにはどうしたらよいですか

    最近、何があったとかではないので、恐らくは慢性のことであろうと思います。 ・自分が好きなことをある人々から全否定され続けており、しかしどうしても彼らの視界から遠ざかれない位置に居続けなければならない。 ・自分の人生のバイオリズムに彼らはまったく関係がないが、様々な干渉があるせいで余計に疲れてしまう。 ・知らない他人が往来するネットが楽しくなく、SNSも放置して久しい。 ・気に入ってくれるわずかな人に、最良の態度をと必死になりすぎ、一人で疲れてしまう。 ・不安定な食事、不安定な睡眠。 ・いつも自分の自立ばかり気にしており、可愛いげがないのかもしれないと悩む。 ・年甲斐もなくかわいいものに固執する。キャラクターグッズとか。 明らかに「ナニモノカ」への拒絶反応ではないかと思うのですが、正体が判然としないせいか頭に残るのは得体の知れない絶望だけです。 自分でもだいぶ頑張ったんですが、 もう、疲れました。 解決策など、ありましたら。

  • 流れとして、哲学は懐疑論の方向へ向かっていますか?

    こんにちは。 今日では至る所に「相対化」という文字があふれて、数学や哲学でもで「不完全性」であるとか「翻訳の不確定性」「理論の不確定性」などが言われています。 大きな流れとして哲学は、懐疑論の方向へ向かっているのでしょうか?

  • 仏教の教えの矛盾?

    仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。 一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。 しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか? 「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。 生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべきだと思うので、生まれ変わる「我れ」の実体がある(例えば霊魂など。)ことになり、「我れ」には実体がないと言う命題と矛盾するのではないかと思います。 しかし、これまで長い間、偉いお坊さんたちの間では、この二つの命題の間には「矛盾はない」と理解されて来ていたのでしょうから、多分、この二つの命題に関する私の理解が不十分なのだろうとも思います。 そこで、一見矛盾するように見えるこの二つの命題を矛盾なく理解するには、この二つの命題の、それぞれの本当の意味をどう理解したら良いのか、また、両者の関係をどの様に理解すれば良いのか、どなたかご教示頂けると大変有難いと思います。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 仏教の教えの矛盾?

    仏教の本を読んでいると、「我れ、私」というものの実体は、物質的なものはもとより、非物質的な霊魂なども含めて、その実体はないと言っているように見えます。 一方、「輪廻転生」があると言っているように見えます。 しかし、「我れ」というものがないとすれば、一体何が生まれ変わると言うのでしょうか? 「我れ」がないと言うなら、生まれ変わる主体がないのだから、「輪廻転生」はないことになると思います。 生まれ変わりがあると言うなら、その生まれ変わる主体があって、それが生まれ変わると考えるべきだと思うので、生まれ変わる「我れ」の実体がある(例えば霊魂など。)ことになり、「我れ」には実体がないと言う命題と矛盾するのではないかと思います。 しかし、これまで長い間、偉いお坊さんたちの間では、この二つの命題の間には「矛盾はない」と理解されて来ていたのでしょうから、多分、この二つの命題に関する私の理解が不十分なのだろうとも思います。 そこで、一見矛盾するように見えるこの二つの命題を矛盾なく理解するには、この二つの命題の、それぞれの本当の意味をどう理解したら良いのか、また、両者の関係をどの様に理解すれば良いのか、どなたかご教示頂けると大変有難いと思います。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 心の哲学の自然化はできるかというレポート

    心の哲学は自然化できるかという題で哲学者二人(講義で扱ったデカルトやホッブズなど)の対話形式でレポートを書かなくてはいけないのですが、誰と誰の対話にすればよいのか、よくわかりません。 教えてください(*_*) よろしくお願いしますm(._.)m 教科書は小林道夫著の科学の世界と心の哲学という本ですm(._.)m

  • このような現象はどう呼ばれますか?

    相手の事実や真実を歪曲するための理屈を述べるほど、追求する本人にとってもの事実から離れていくような現象や心理を定義している既成の概念がありましたら教えてください。 ある例を挙げます。 たとえば小舟を持っている人がいるとします。 ある時期から舟を係留しているロープが何度も切られている。 これは明らかに人為的なものだと確信したため通報した。 現場にきた警官から事情説明を求められたが、どう考えてもこの警官、人為的なものではなく自然発生的なものにしたいらしい。 「風が強かった日もあったからロープの摩擦で切れたのでは」 「波が荒くて、フックがなんらかの偶然でとれたのでは?」 「こんな寒い時期に人は出歩かないからわざわざこのような悪戯を何度もするとは思えない」 ロープといってもそれ専用のものである。フックが外れるのも考えられない。(説明書きにある許容範囲を守ったうえでの利用であるのなら、ロープやフックを制作した企業の信用が損なわれる)。 寒い日には誰でも人は出歩きたかないが、出歩かない人はゼロではない。 警官の質問(というより尋問)をひとつひとつにまじめに考えると、逆に疑問が生じる。 このような場合です。 (ちなみに例の対象は変えてありますが、身近なところでおきた実話です) 「真実を歪曲する目的のための理屈」自体が屁理屈ともいえるのですが、屁理屈をあまりに重ねると過剰防衛にもなると思います。 なぜ過剰防衛するのか、それは警察は小さなことを事件化にしたくないためだからです。 つまり、状況説明というよりも事実(事件)をなかったことにするための「本人にとっては賢明な」屁理屈です。 複雑な事件ならまだしも、正常な感覚をもつ人間でしたらその質問自体が滑稽であるということに気付きます。つまり追求していけばいくほど、その矛盾を逆に問われるような明らかな事実に対するこういう態度は警察特有の社会心理と言ってしまえばよいだけですが、それだけではあまりにも広範囲すぎます。 概念としてくくると(たとえばモラハラやパターナリズムのように)、互いの認識が共有しやすいと思い、このような現象を説明するひとくくりの概念があるのかと思って質問しました。 またこの典型的な警察の過剰防衛という攻撃を、哲学的、心理的にどう考えるべきでしょうか。

  • このような現象はどう呼ばれますか?

    相手の事実や真実を歪曲するための理屈を述べるほど、追求する本人にとってもの事実から離れていくような現象や心理を定義している既成の概念がありましたら教えてください。 ある例を挙げます。 たとえば小舟を持っている人がいるとします。 ある時期から舟を係留しているロープが何度も切られている。 これは明らかに人為的なものだと確信したため通報した。 現場にきた警官から事情説明を求められたが、どう考えてもこの警官、人為的なものではなく自然発生的なものにしたいらしい。 「風が強かった日もあったからロープの摩擦で切れたのでは」 「波が荒くて、フックがなんらかの偶然でとれたのでは?」 「こんな寒い時期に人は出歩かないからわざわざこのような悪戯を何度もするとは思えない」 ロープといってもそれ専用のものである。フックが外れるのも考えられない。(説明書きにある許容範囲を守ったうえでの利用であるのなら、ロープやフックを制作した企業の信用が損なわれる)。 寒い日には誰でも人は出歩きたかないが、出歩かない人はゼロではない。 警官の質問(というより尋問)をひとつひとつにまじめに考えると、逆に疑問が生じる。 このような場合です。 (ちなみに例の対象は変えてありますが、身近なところでおきた実話です) 「真実を歪曲する目的のための理屈」自体が屁理屈ともいえるのですが、屁理屈をあまりに重ねると過剰防衛にもなると思います。 なぜ過剰防衛するのか、それは警察は小さなことを事件化にしたくないためだからです。 つまり、状況説明というよりも事実(事件)をなかったことにするための「本人にとっては賢明な」屁理屈です。 複雑な事件ならまだしも、正常な感覚をもつ人間でしたらその質問自体が滑稽であるということに気付きます。つまり追求していけばいくほど、その矛盾を逆に問われるような明らかな事実に対するこういう態度は警察特有の社会心理と言ってしまえばよいだけですが、それだけではあまりにも広範囲すぎます。 概念としてくくると(たとえばモラハラやパターナリズムのように)、互いの認識が共有しやすいと思い、このような現象を説明するひとくくりの概念があるのかと思って質問しました。 またこの典型的な警察の過剰防衛という攻撃を、哲学的、心理的にどう考えるべきでしょうか。

  • 哲学する人間は 触媒ではない。

    同意したくないなら、回答する場所はこちら。 哲学する人間は 触媒である。 http://okwave.jp/qa/q8866566.html どちらの質問者も喜ぶ。これでまるくおさまるのではないか?

  • 日本人の特徴についてご確認のほどお願いいたします

    日本語を勉強中の中国人です。中国人が中国のツイッターで書いたことが本当かどうか確認していただけませんか。特に3番目の例。日本語に訳してみます。 日本人喜欢按部就班,强调计划性。深信秩序即效率,什么都打好提前量。比如,去赴约时最迟也要提前五分钟到,出地铁时在车厢里就拿出月票,小便时快进厕所前就拉开裤门等等。 (日本語訳)日本人は順序を追ってことを運ぶことが好きで、計画性を強調しています。秩序が効率であることを深く信じており、何事も前もって準備しておきます。たとえば、約束した人に会いにいくときに遅くとも五分前に必ず着くようにしています。地下鉄に出る前に、車内ですでに定期券を取り出しておきます。おしっこをするときにもう少しトイレに入ろうとしたときに、チャックを開けますなど(これはもちろん男性の場合を指す)。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 人は変わるものでしょうか、変わらないものでしょうか

    今年の冬も、帰れません。 ときどき何のために生きているのか分からなくなります。

  • 低俗な欲を捨て去るにはどの様な訓練が必要ですか?

  • 神とは「悪」なのか?

    私はいつも善と悪について考えています。 それを生んだ神という存在についても考えています。(この神とは何々教の神ではありませんし、神の存在について問うものではありません。創造されて何かがこの世界にある。森羅万象を作る源と扱います) これまで「善」=「神」だと思っていました。 人間については性善説ではなく、性悪説をとっています。 善と悪の戦いです。ですが、あまりにもの世の中の不条理に出会うたび、神はいないのではないかと思うのです。つまり神に失望したのです。 もし神が善なる存在でしたら悪は排除されるはず(べき)です。 では、神に対する人は希望なのでしょうか。 人が悪に対する希望だとしましょう。しかし人が善を求め、成長するために心や魂をもつものとしたら悪はそのための概念です(物語は絶えず悪を排除し、カタルシスを求めるところに人は善を求めている証しもみられる)。しかし悪というものの実態は破壊そのものであり存在意義すら許されることではありません。 善は善のままであってもよいはず。二律背反の法則で(?)悪があるとしたら、善そのものの美(という表現が適切かどうかはわかりませんが)が悪のためによって傷つけられ、汚され、破壊されるのが「現実」です。それでしたら善が善である存在意義がありません。 なぜ悪はあるのか。そして強烈に悪をしらしめるのがこの世の実相でしたら、もうこれは愛や創造のためではなく、破壊がこの世の、人のなかに前提として存在を許された(では「誰」に?)ものなのでしょうか。 このようなことを考えると、神はもしかしたら悪なのではないかと思ってきました…

  • 神とは「悪」なのか?

    私はいつも善と悪について考えています。 それを生んだ神という存在についても考えています。(この神とは何々教の神ではありませんし、神の存在について問うものではありません。創造されて何かがこの世界にある。森羅万象を作る源と扱います) これまで「善」=「神」だと思っていました。 人間については性善説ではなく、性悪説をとっています。 善と悪の戦いです。ですが、あまりにもの世の中の不条理に出会うたび、神はいないのではないかと思うのです。つまり神に失望したのです。 もし神が善なる存在でしたら悪は排除されるはず(べき)です。 では、神に対する人は希望なのでしょうか。 人が悪に対する希望だとしましょう。しかし人が善を求め、成長するために心や魂をもつものとしたら悪はそのための概念です(物語は絶えず悪を排除し、カタルシスを求めるところに人は善を求めている証しもみられる)。しかし悪というものの実態は破壊そのものであり存在意義すら許されることではありません。 善は善のままであってもよいはず。二律背反の法則で(?)悪があるとしたら、善そのものの美(という表現が適切かどうかはわかりませんが)が悪のためによって傷つけられ、汚され、破壊されるのが「現実」です。それでしたら善が善である存在意義がありません。 なぜ悪はあるのか。そして強烈に悪をしらしめるのがこの世の実相でしたら、もうこれは愛や創造のためではなく、破壊がこの世の、人のなかに前提として存在を許された(では「誰」に?)ものなのでしょうか。 このようなことを考えると、神はもしかしたら悪なのではないかと思ってきました…

  • どうして左翼じゃないのに自衛隊を疑いの目で見るの

    >>訓練では薬莢を拾い集めて数を合わせないといけないから、撃った後、目で薬莢の行方を追うクセがついている。 >>「薬莢を目で追うな」ということを徹底させるのにずいぶん苦労した。 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/y/14/index2.html >>なぜ、実弾の管理が厳格かというと、たとえばこっそりポケットに持って帰ってきて、武器手入れで >>武器庫開けたときに、そいつが鉄砲持って気に入らない奴撃ったりできちゃうだろう? >>時間の無駄じゃないんだよ。 自衛官はみんなお互いを家族として愛しているから名探偵コナンのように誰が売ったかバレなくて証拠も残らない条件が整っていても仲間を撃つ人は一人もいません。 戦争中に事件が起きたらただでさえ戦争で大忙しなのに大混乱です。 もしも仮にトラブルメーカーがいたとしてその人は時間のたっぷりある平和なうちにいなくなったほうが合理的です。でもそんな人はいません。 刀狩のように武器弾薬を取り上げて何も起こらない、でなくて、保管庫にあるけど扉に鍵はかかってなくて誰も数をチェックしてない、でも訓練時以外音はしない、それが本当の信頼関係だと思います。 国民は無事故無違反の自衛隊を信じる義務があります。その証として時間の無駄そのものの一個単位の弾薬の厳格管理をやめるべきです。 その人の本質が、自衛隊を疑いの目で見る左翼であること以外に武器弾薬の厳格すぎる数量管理を支持する理由を提示できますか。 左翼思想に染まっていない普通の日本人の率直な考えを知りたいです。

  • 哲学に人生を賭けるのは愚かか?

    私は思春期に色々と考えて 哲学を極めないと世界は良くならないと思いました。 それで大学も中退して、家を出てアルバイトをしながら 自分で考えました。 能率は悪かったですが 仏門に入ったようなつもりでした。 永平寺などでは東大での人が修行を積んで仏教を極め悟りを目指すようですし 京大や東大や九大にも優秀な人が哲学科の大学院まで行って 教授になったりして 哲学をしています。しかし答えがでない。 私はそんなに優秀ではありませんので 違う方法を取った訳です。 哲学的に哲学してみました?その結果「存在性思想」にたどり着きましたが これもまだ ?マークが付きます。 哲学に人生をかけ 病気をして無意味な一生を終えようとする私はバカだったのでしょうか? 病人の為短文でご感想などお聞かせください。

  • 哲学に人生を賭けるのは愚かか?

    私は思春期に色々と考えて 哲学を極めないと世界は良くならないと思いました。 それで大学も中退して、家を出てアルバイトをしながら 自分で考えました。 能率は悪かったですが 仏門に入ったようなつもりでした。 永平寺などでは東大での人が修行を積んで仏教を極め悟りを目指すようですし 京大や東大や九大にも優秀な人が哲学科の大学院まで行って 教授になったりして 哲学をしています。しかし答えがでない。 私はそんなに優秀ではありませんので 違う方法を取った訳です。 哲学的に哲学してみました?その結果「存在性思想」にたどり着きましたが これもまだ ?マークが付きます。 哲学に人生をかけ 病気をして無意味な一生を終えようとする私はバカだったのでしょうか? 病人の為短文でご感想などお聞かせください。

  • 何の為に生きているのか?

    人間は何のために生きているのでしょうか。 最も人間が目指し努力すべきは何でしょうか? 人それぞれでしょうか?それともみんなで目指すものがあるでしょうか? ご高説をコンパクトに教えていただければ幸いです 私、病人の為 短文で何とぞ。

  • 信仰を哲学すると?

    信仰の神秘で十分な気がするのですが もしくは理性と信仰を両立させてもいいわけですが 他に何か方法論などはありますか? というかいちいち私が話題にしないといけないのだろうか?

  • すぐに意地を張ってしまう

    意地を張る、という表現で合っているのか分かりませんが... 私は友人と話している最中に、 "あ、この人意地張ってきてるな" と思うと、意地を張り返してしまいます。 それも、本っっ当にどうでもいい事です。 いい例が浮かばないのですが、 先ほど日本語を勉強しているフランス人の友人に、 「日本語はフランス語よりも言葉がずっと少ない、フランス語は難しい単語が日本語よりもずっと多い」 というニュアンスの事を言われました。 なんだか日本語は簡単だぞと言われている感じがして、急に謎のスイッチが入って、 日本語は同じ単語でいろんな意味を持つ言葉がたくさんある(柿、牡蠣、夏季など)からフランス語よりもよっぽど効率的だ、みたいな話をちょっと攻撃気味に言ってしまいました。 フランス語の方が単語数が多いのはおそらく事実ですし、 相手はそんなつもりで言ったわけじゃないかもしれないですし、 そもそも私はフランス語か日本語どっちが難しいかなんてどうっっっでもいいんです。本当にどうでもいいです。 むしろフランス人に、日本語難しいわ~っていわれたら、 フランス語の方がよっぽど難しいですよ、男性女性名詞ってなんですか? という風に逆に、日本語の方が簡単だという話を始めます。 なぜなんでしょう。。 自分が譲れない分野を批判されたりしたら怒るのは普通の事ですけど、 なぜ私はどんな事にも言い返してしまうのでしょう? 普段はどうでもいい事なのに。。なんだか悔しくなってしまうんです。 同じような方っていますか? 私のような心理を分析した心理学などご存知の形いらっしゃいますか?