考古学・人類学

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  • 日本に苗字や名前の概念はいつからあったのか

    まず、日本に名前(セカンドネーム)はいつからあったのでしょうか? 漢字が伝来する以前にも親が子に名前を付けるなどによる単純な人名の文化はあったのでしょうか? また苗字(名字)はいつからあったのでしょうか? 天皇(大王)が初めて誰かに氏や姓を与える以前には無かったものなのでしょうか。 よく、天皇家を除き最も古い家と苗字の歴史を持つ家系として千家が挙げられます。 しかし、千家などより「古い苗字」は無数にあってもおかしくないのではないでしょうか? 天皇が政治的に臣下を管理するとう考えに至る以前にはファーストネームを名乗る・名乗らせる発想に至る人は 日本に誰もいなかったというのでしょうか? 氏姓に対して苗字は氏姓制度が廃れた中世の武士により盛んになったというのが通説だと思いますが、 これも、今のあらゆる苗字(の文化)は天皇の発想を原型とするような主張です。 ですが、氏姓制度を原型としてそれ以前に苗字を名乗るものはいなかったという考えは疑問があります。 たとえば縄文時代でも住居を持ち血縁でつながった家庭を築いていたことは明らかでしょうが、 別の家庭の人間と共同で作業するときに同名の人間がいたので混乱したというのは、今の苗字に当たる概念を思いつく動機としてあり得るでしょう。 また単に、家長に当たる者が自己主張が強かったために名前だけでなく自分で考えた今の家名(結局は苗字)に当たるものを共同で生活する女や子供に 強制的に名乗らせるという動機も無きにしもあらずです。 そういった動機が苗字の発生に結びつくということは一切なかったとは考えにくくないでしょうか。 天皇に発想を与えられなければその他庶民では一切発想できないほど、苗字というものは難解な概念であるとは到底思えません。 結局、確かに千家というのは最古の苗字ではあるが、もっと前に発生した、子孫に継承されずに忘れられた苗字というものは弥生時代や縄文時代などにも たくさんあったと思うのですが、これらの話題について本当のところを教えてくださるとありがたいです。

  • 出雲とは出蜘蛛、すなわち蜘蛛が出ると言う意味であり

    出雲とは出蜘蛛、すなわち蜘蛛が出ると言う意味であり、また、太陽を覆い隠すもので曇をあてている。朝廷に逆らうものだと言うことを聞きました。本当ですか?

  • 何故学者は神武天皇は実存しなかったとか、欠史八代が

    何故学者は神武天皇は実存しなかったとか、欠史八代があるとかいうんですか。実際にその時代に行ってみたこともないのにです。はっきりとした証拠があって言ってるのですか。

  • 旧石器時代の石器について

    「詳説日本史研究」というのを読み始めたのですが、「旧石器時代人の生活」の項で、下記のような記述があります。 「世界の考古学の常識では、旧石器時代に磨製石器は見られないことになっている。ところが日本では3万6000年前以降、AT火山灰降下以前の遺跡から、打製石器とともに、部分的に刃を磨いてつくられた局部磨製石器がしばしば発見される。」 教えてほしいのですが、上記の記述は、 1. 局部的とは言いながら、磨製石器が初めて見られるのは「日本」ということなのでしょうか?? 2. 仮に「日本が初めて」ということであれば、その要因として考えられることを教えてください。 3. それと、にもかかわらず世界の4大文明に後れを取ったのはなぜでしょうか???

  • ピラミッドの謎。

    ピラミッドって不思議じゃないですか? ㅤ 約4500年前のものですけれども、現在の建築技術でも2.5tクラスの重さの岩を並べるのは結構な事業計画ですよね。 それと噂によれば、一見ラフに見えて実は精度もかなり良く0.05°の精度で建築されていると聞きました。 こんな事が約、紀元前2560年前に可能だったのか甚だ疑問です。 これについてどう思われるでしょうか?

  • 人の骨

    国立競技場かなんだったかの工事で人骨がたくさん出てきて困っているというようなニュースを見ました。 そこでふと思ったのですが、今までの歴史を考えれば日本のそこら中に骨が埋まっていても不思議じゃないような気がするのですが、そうでないのはなぜなのでしょうか? 極端な話国土を十分埋め尽くせるくらいのひとが今までに死んでいるんじゃないかと思いますが、実際には掘ればどこでも出てくるという具合なのでしょうか?

  • 昔は自殺する人は天才とか詩人、文学家、哲学者、数学

    昔は自殺する人は天才とか詩人、文学家、哲学者、数学者と軒並み頭の良い人がするイメージだったのに、今はアホというか特に歴史に名を残すような功績も学歴も経歴もない社会の何の役にも立たない頭の悪い人が自殺しているのはなぜですか? いつどういうタイミングで天才だけが自殺する文化からアホが自殺するようになった?転機はなんだったのでしょう。いまは天才が死なずに名無しの無名の人が自殺しています。

  • 昔、沖縄は中国だった?清の時代は沖縄は中国だったの

    昔、沖縄は中国だった?清の時代は沖縄は中国だったのなら日本は中国に返すべきなのでは? 北方領土で北方領土は日本だったので返せとロシアに言う前に、沖縄を中国に先に返すのが普通なのでは?

  • 【東大卒か京大卒の頭の良い人に質問です】人間は何の

    【東大卒か京大卒の頭の良い人に質問です】人間は何のために生きているのだろう?とか頭の良い人は考えますよね?考えてると頭がおかしくなると思うのですが東大卒や京大卒の頭の良い人が気が狂わずに普通に生きれているのはなぜですか?

  • 愛って何ですか?

    愛って何ですか?

  • 天智紀6年(西暦667年)って何時代ですか?

    天智紀6年(西暦667年)って何時代ですか?

  • 牽牛子塚古墳の石室はなぜ二人が入るように作られたの

    牽牛子塚古墳の石室はなぜ二人が入るように作られたのですか? 自分と他に誰が入るのを想定してたのですか?

  • 平安時代の益田池ってなんですか?

    平安時代の益田池ってなんですか? 益田池って?

  • 西暦

    いつまで続くのでしょうか、そもそも今年が2019年目という事では 無いような気がします、始まりは0の前にも有るような気もしますから、 人類が道具を使いだした石器時代前は暦の概念は無かったのでしょうか、 宜しくお願いします。

  • 草食恐竜

    草食恐竜には数10トンもある巨大な物がいたそうですが、食料は本当に草だけなのでしょうか? (体に比べ頭や口が小さいと思います。) また、巨大な体での動きは、どのようなものだつたと思われますか ? トリケラトプスは嘴ですが草のほか昆虫(蟻や蜂など)や魚などの雑食ではないのですか ?

  • 今後の大規模災害はどういったものが考えられますか?

    宇宙規模の自然環境の急速な変化や人類的な我良しの思考から地球規模・宇宙規模の大掃除が始まりそうなのですが、大規模災害・今までにはない類の災害等低確率なものでも詳しく教えていただければ幸いです。

  • 産業遺産が熱いブームになっているんですね!

    産業遺産が熱いブームになっているんですね! 私もあーゆうの好きなんですよ。 自然とか城とかより朽ちた建造物が好きなんですよw なにか味わい深くて、歴史の移り変わりを感じられるでしょう? 私は実際に現地に行こうと思ってますので、お勧めの産業遺産を教えて下さい! ちなみに私は名古屋にいますよw

  • 人類はなぜ数学や古文を学ぶ?

    人類誕生して約七万年、そのほとんどは狩りや病気治癒や地理を学ぶ。 そして、最近の数百年はやたら無用な数学や古文を勉強する。 社会人になって十数年、数学や古文はまったくと言っていいほど、使うことがありません。なぜそれを未だに教えているんでしょうか。まったく理解できません。 お願いします。

  • 2分心論のような精神仮説は他にどんなのありますか?

    ジュリアンジェインスの脳機能分化論の 2分心論のような面白い仮説は他にどんなのがありますか? http://blog.tatsuru.com/2008/01/16_1943.html 「神々」の声 2008-01-16 mercredi 学校から帰ってきたので、さきほどの続き。 ジュリアン・ジェインズの「脳機能分化論」である。 630頁もある大冊なので、内容を要約することはむずかしいので、最初の方の「さわり」だけご紹介する。 ジェインズが資料に使うのはホメロスの『イーリアス』である。 この古典には「意識」とか「意志」とか「精神」とかいう語が存在しない。 ジェインズによると、それは「『イーリアス』に出てくる人々は自らの意思がなく、何よりも自由意思という概念そのものがない」(94)からである。 古代ギリシャというのは「意識」という概念がない世界なのではないかとジェインズは推論する。 「意識」がない人間はではどうやって思考したり判断したりするのであるか? 答えは聞いてびっくり。 彼らは「神々」が命じるとおりに生きるのである。 古代ギリシャにおいては「神々が意識に代わる位置を占めている」(96)のである。 「行動は、はっきり意識された計画や理由や動機に基づいてではなく、神々の行動と言葉によって開始される。」(96) 物語の登場人物たちはさまざまな激しい感情に突き動かされて、きわめて活動的にふるまっているけれど、彼らがそのようなことをするのは「神々に心を狂わされ」たせいであり、人間を「神々がつねにおもいどおりになされる」せいなのである。 ジェインズはアガメムノンには自我というものがないと主張する。 彼らにおける意識の地位は「神々」が占めており、その声を彼らは統合失調症患者やジャンヌ・ダルクが聴いたようにはっきりと聴くのである。 「遠い昔、人間の心は、命令を下す『神』と呼ばれる部分と、それに従う『人間』と呼ばれる部分に二分されていた」(109)とジェインズは考える。 ちょうど上院下院、衆院参院の二院制のように、二つのセクションが同一の議案について別の立場から審議するので、この心の働きをジェインズは bicameral mind(二院制の心)と術語化する(邦訳では「二分心」)。 例えば、私たちは無意識に自動車を運転しながら、隣の座席の人と複雑な哲学的議論をすることができるが、その逆はできない。 この「無意識に運転している脳」は実際には路上の歩行者や周囲の車の流れや信号や路面状況に対して膨大な情報を収集し、瞬時のうちに分析し、最適な行動でそれに対処しているにもかかわらず、私たちはそのプロセスをまったく意識しないで、運転とまるで無関係に哲学的私見を理路整然と述べることができる。 しかし、例えば挙動の怪しい車が前方を蛇行していたり、タイヤがバーストしたり、不意に警官が停止の合図をした場合など、私たちは口をつぐむ。 「あれ、何だろう」とか「おい、勘弁してくれよ」というようなことはぼそっと言えるけれど、「私」を主語にして「私が思うには・・・」というような命題文を述べることはもうできない。 「それが何を意味するのか。どうふるまうべきか」について判断するためには、これまでに経験したそれに類した出来事を想起し、それらの経験から導出した訓戒的知見を参照する必要がある。 そして、これは現代人においては「自我」の果たすべき機能なのである。 「私はこれまでこういう場合にはこうしてきた、だから今回も・・・」とか「私は前回にこうして失敗した、だから今回は・・・」というような推論は「私の同一性」に担保されている。 ジェインズの仮説は、この「自己同一的な私」というものが人類史に出現してきたのは、私たちが想像するよりはるかに近年になってからであろうというものである。 「自己同一的な私」が登場する以前には、「それまでの人生で積み重ねてきた訓戒的な知恵をもとに、何をすべきかを告げる」機能は「神々」が果たしていた。 だから、その時代の人々は、何か非日常的な事件に遭遇して、緊急な判断を要するとき、「神々」の声がどうすべきかを「非意識的に告げるのを」待ったのである。(111) これは現代の統合失調症患者の聴く「幻聴」にきわめて近い。 患者たちはそれを「神、天使、悪魔」のようなものが発しているのだと感じている。 声は一人のこともあれば、複数のこともある。何人もが患者についてあれこれと話し合い、激論のあまり患者自身にも話の内容が聞き取れないこともある。 幻聴は固有の「疾病利得」を伴っている。 それは「正否の判断ができないことについてとりあえず判断が下る」ということである。 私たちをもっとも苦しめる心的ストレスは「どう判断してよいかわからないにもかかわらず判断を迫られ」、かつ「その判断が正しかったのかどうかがわかるまでにかなりのタイムラグがある(場合によっては最後までわからない)」というかたちで出現する。 身体的なものであれ、精神的なものであれ、単なる苦痛はそれほど大きなストレッサーではない(私たちは痛みにすぐ慣れる)。 けれども、その苦痛がどういう理由で私たちに与えられ、苦痛の量は私たちのどういう行動と相関しているのかがわからない場合、心的ストレスは耐えられる閾値を超える。 そういう心的ストレスに耐える方法は一つしかない。 私たちに決然たる行動を命じるのだが、その理由を明らかにせず、その行動が私たちにどのような利得や不利益をもたらすのか教えようとしない「もの」に私たちの主体の座を明け渡すことである。 「不条理なストレッサー」にはそれと同じくらい「不条理なエージェント」で対抗するしかない。 ある種の宗教や政治イデオロギーがつねにかわらず多くの人を魅了するのは、その不条理性が人々の陥っている状況の不条理性と「釣り合っている」からである。 細木数子のような人が高いポピュラリティを誇るのは、彼女の告げることの支離滅裂さや非論理性が、彼女を信じる人々の落ち込んでいる状況の支離滅裂さや非論理性と同質だからである。 「二分心」を持った古代人において、この「不条理なエージェント」の呼び出しを解錠するストレス閾値は現代の統合失調症患者のそれよりずいぶん低かったのではないかとジェインズは推理している。 古代人は正否の決断ができない意思決定機会に出会うたびに強いストレスを感じ、そのストレスが「神々」を呼び出した。 「神々の声」は意思決定できない人々にとっての救済だったのである。 このメカニズムはそのあとも本質的にはあまり変わっていないのではないかと私は思う。 井上雄彦の『バガボンド』で一乗下り松での吉岡一門との死闘のさなかにあって、武蔵の頭の中で柳生石舟齋と宝蔵院胤栄が対話を始める。 七十人の敵を前にどのようにふるまうのがもっとも適切であるのかという答えの出ない問いに苦しんでいた武蔵はここでこの二柱の「武神」(と彼が信じるもの)に自我の席を明け渡して、彼らが告げる「なんだか意味のわからないことば」に聴き従うことで、自己決定の呪縛から解き放たれる。 さきほどの運転の比喩で言えば、「自分はどういうふうに車を運転するのがもっとも適切であるのか、手はどう動かすべきか、足はどう踏むべきか、眼はどこにつけるべきか・・・」ということを主題的に意識しているドライバーと、横から話しかけてくるよく意味のわからない(けれどたいへん重要な情報を含んでいるらしい)謎の言葉を聴き取るのに夢中で、無意識に運転しているドライバーとではどちらの身体操作がスムーズか、ということである。 ジュリアン・ジェインズはたいへん刺激的な思想家であるが、私が個人的にいちばん面白いなと思ったのは、「自我」の起源的形態が「神々」だというアイディアである。 私はこの考想はきわめて生産的なものだと思う。 だから、「自分探し」が「聖杯探し」とまったく同一の神話的構造をもっているのも当然なのである(地の果てまで行ってもやっぱり聖杯はみつからないという結論まで含めて)。 私につねにもっとも適切な命令を下す「私だけの神の声」を現代人は「ほんとうの自分」というふうに術語化しているわけである。 自己利益の追求とか自己実現とか自己決定とかいうのは、要するに「『ほんとうの私』という名の神」に盲目的に聴従せよと説く新手の宗教なのである。 なるほど。 --------

  • アイヌの同化政策で狩猟が禁止されたのは本当か。

    アイヌの同化政策について調べています。開拓使が出した禁止事項の中に、女性の入入れ墨、男性の耳環、死者の出た家を焼くことがあるようですが、狩猟や毒矢の禁止についてはネット上に情報がありましたが、正確なものなのか疑問です。アイヌ語使用の禁止などネット上には不確かな情報が多いようです。できればきちんとした出典を知りたいのです。例えば通達の条文などがあるのであれば一番いいです。