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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:定冠詞は「全体」を指し示すか)

定冠詞の機能とは?全体を指し示すか

Nakay702の回答

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  • Nakay702
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回答No.5

補足ありがとうございました。 @The whale is not a fish.においてthe whaleは明らかに種族を表します。Nakayさんは全体を表すとおっしゃりますが、その場合、全体は種族の成員(外延)の全体を表す場合しかありません。種族の一人一人の成員の全員を表す場合は、数えられるものなので複数形を使います。Nakayさんの考えでは全員だからthe whalesを使うわけですね。私の考えでは、theを使う理由は、文脈的にそのものの部分を全体から空間的・時間的に切り離して扱うことが困難(魚であるような鯨は存在しない)だからということになります。… ⇒お説は全面的に賛同申しあげます。ご教示ありがとうございました。  ただ、あの節、意図していながら言及しそびれたことがあります。それは、発話の際、文字面では(すなわち、表層構造では)The whale is not a fish. と種族を表しながら、構文上の意味(すなわち、深層構造では)All the individuals of the whale are not fish. のように種族の成員を念頭に描いきながらも前者のように発話する、というようなこともあり得る、発話者の気分によってはそういう修辞法を用いることもあり得るのではないか、ということです。このよう深層と表層が整合しない言表は、ある種「発話者的文法の誤り」であることは確かであるとしても、現実に起こり得ることでもあってみれば、それを許容するような解釈の機構を含み持つ文法があってもいいのではないかと思います。特に、翻訳文法や普遍文法のレベルでは、そのような「想定誤差」を吸収・処理できるような「柔軟対応型IC」が現下1つの課題でもあるようですね。 @文法的な観点からthe全体説は誤りだということを3回に分けて説明してきましたが、結論として言えることがあります。the全体説は意味素性分析においては有効であっても、文法説明のための手段としては無効だということです。素性が+であれば文法説明に使えますが、±だと使えないということだろうと思います。もちろん素性はより適切なものでなければなりません。ちなみに、ある文法専門書で定冠詞の素性として[definiteness±] と[genericness±]を採用している人がいました。 ⇒当のtheだけでなく、それと共起する他の環境条件と協働して、「相乗効果としてinclusiveness+になることがある」と考えればいいでしょうか。 @これまで、私自身の勉強(及び指導法)の基礎を固めようと様々な質問を投稿してきました。その度に丁寧にお答え頂いたこと、切に感謝しております。/そこで、次回、総決算というわけでもありませんが、自分が長年に携わってきた英語指導において関わってきた英文法について何かの形でコメントしてみたいと思います。 ⇒こちらこそ、楽しませていただきました。いろいろご教示いただいて、よい刺激を受けました。また、今後が楽しみです。 @おそらく、今後も(いろいろ問題はありながらも)伝統文法に準拠する形で実際の指導が行われてゆくものと思われます。ただ、昨今の現状を鑑みるに、文法指導そのものがすたれてゆく方向に進むのではないかという気がします。そうした懸念は別にして、生徒達に対する私自身の英語(文法・読解・作文)指導に際しては、常に伝統文法の枠組みが介在していました。そこで、今回、長年お世話になった伝統文法に対するささやかなオマージュとして、伝統文法の根拠(基礎)づけのようなものをやってみたいと思います。 @学校文法において基礎的な学習事項とされている文構造(語・句・節の働きの総体をその定義としておきます)について多少なりとも統一的な尺度でもって分析できれば、それでよしとしようと思います。これが次回の質問投稿の趣旨です。<文構造における存在基盤について>というタイトルにする予定です。よろしければ、又おつきあい下さい。 ⇒ぜひまた関わらせていただきたく存じます。おそらく、またぞろ、道楽のような回答になるかも知れませんが、なにとぞよろしくお願いします。

feeders
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 ●<当のtheだけでなく、それと共起する他の環境条件と協働して、「相乗効果としてinclusiveness+になることがある」と考えればいいでしょうか。> -おそらくそういうことだろうと思います。あるいは、inclusivenessを素性として残すなら、もう少し素性を増やして、複数の素性の協働した働きを考えればいいのかも知れません。いずれにしても、定冠詞の素性選択は簡単ではないと思います。定冠詞のついた名詞句が生起する条件をずばり言い切るのは難しいのでしょうね。いまだに学説が一つにまとまらないようです。 ●またもや大失策をしでかしました。いつもは読み返してから投稿するのですが、今回、読み返しが投稿後になり、ミスを発見したのが投稿後になりました。 <私の考えでは、theを使う理由は、文脈的にそのものの部分を全体から空間的・時間的に切り離して扱うことが困難(魚であるような鯨は存在しない)だからということになります。  The whales can die out in the near future. を例文としておきます。>  -においてですが、<文脈的にそのものの部分を全体から空間的・時間的に切り離して扱うことが困難(魚であるような鯨は存在しない)だから>というのは、the whalesが全体を表す理由であってtheがつく理由ではありません。では、theがつく理由はというと、the whalesが文中で使われても不自然でないような記述が先行文脈にあるはずだということです。例えば、ずばり鯨の話だったり、南氷洋の捕鯨の話とか、海洋食糧資源の話とか、哺乳動物のうち絶滅危惧種に指定されるものの話とか、そういったものだろうと思います。  以上です。失礼しました。今回もありがとうございました。

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    『サッカーは、面白い(わくわくする)スポーツです。』を英訳すると 『Soccer is an exciting sport.』と、なると思うのですが・・・。  でも疑問が残ります。 上の英文の場合、Soccerには冠詞がありません。『サッカーというもの』と捉えて、サッカーを抽象名詞と見ているからです。ところが、an exciting sport は、数えられるもの(単数形)と捉えています。これでは、不可算名詞=可算名詞 となって矛盾をきたします。 『Soccer is exciting sport.』 と表現するのが正解なんでしょうか?どうも納得いきません。文法的な説明を是非いただきたいですし、実際アメリカ人はどう表現しているのかも知りたいです。よろしくお願いいたします。

  • 無冠詞とゼロ冠詞について

    はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。  ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---)  この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。  ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。  私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。