• 締切済み

日本の建築が長く残らないのを悔しがること

日本の建築は木で出来ているから、石で出来ている海外の建築ほど長く残らないことを悔しがらなければならないでしょうか。 エジプトのクフ王のピラミッドは石で出来ていて4千数百年も残っているし、今後もそれ以上に長く残るのに対して、仁徳天皇陵は石だけで出来ているのではないから、ピラミッドほど長くは残らないということを悔しがらなければならないでしょうか。

みんなの回答

回答No.8

>日本の建築は木で出来ているから、石で出来ている海外の建築ほど長く残らないことを悔しがらなければならないでしょうか。 悔しがる必用はありません。 むしろ世界に誇る文化です。 日本の建築は木造が主体だったこともあり修理をしながら使い続けるのが原則でした。 部分的な補修だけではなく200年程度を目処に解体修理ということが行われます。 建物をいったんバラバラにして腐食などしている部分を交換して再度同じものを建てます。 奈良時代には朝廷に修理専門の役所というか官職が設けられていました。 修理の際には可能な限り創建当初のままを再現します。 これを続けることで古い建築技術が現代まで継承されています。 参考 宮大工の仕事 ~伝統技術を後世に伝える~|祈りの回廊 2016年春夏 ... http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/special/07miyadaiku/ 抜粋 建造物を全解体または半解体して行う「根本修理」、屋根の葺き替えや塗装修理などを行う「維持修理」の現場では、ともに「可能な限り、元の状態に戻す」ことを前提に宮大工の技術が生かされます。 またお堂などの新築の際には、彼らが古来の建築方法を子細に研究した成果を踏まえて建てるなど、さまざまな時代の職人たちの手により、奈良のすばらしい社寺建築技術が伝えられてきました。 世界最古の木造建築「法隆寺」は、なぜ1300年を超えた今も健在する ... http://www.rakumachi.jp/news/column/135139 法隆寺には奈良時代から続く専任の宮大工がいて現在も続いています。 参考 西岡常一 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/西岡常一 欧米や中国などの石造建築物はピラミッドのように創建以来放置され続けてきました。 ピラミッドや万里の長城などの建築方法と言うか建築技術が全く不明です。 結果として現在は創建当初のように人力を主体とした建築ができません。 つまり海外では建造物という物が残りましたが技術は残りませんでした。 日本は技術が残りました。 技術が残っているので一旦失われた建物でも創建当初と同じものを作ることができます。 参考 奈良の薬師寺 西塔再建工事の記録 戸田村再発見 http://web.thn.jp/yamanobu/yakusiji.htm 平城宮跡クイックガイド » 朱雀門復元整備 http://heijo-kyo.com/know/suzakumon/ 古建築に使われている木組みの技術は現在でも京都などの古民家のリホームに使われています。 参考 複雑な木材がピタッと組み合わさる 伝統工法「木組み」をGIFアニメで紹介 ... http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1610/12/news098.html 蛇足 物を残すか技術を残すかという点で法隆寺が世界遺産に登録される際に議論になりました。 五重塔が地震で倒壊したという記録がありません。 スカイツリーを建てる際にはこの五重塔で使われていた技術が採用されました。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1312/2665)
回答No.7

私は元々は日本の歴史的建造物のほとんどが消失したり崩壊したる知って作り直されて来たことを残念に思っていましたが今では全くそうは思わなくなりました。それを残念に思っていたら伊勢神宮の式年遷宮などあり得ないですね。20年に一度壊しては引っ越しちゃうのですから。むしろそう言うことを1300年もやり続けて来た人々の営みと思い、記録こそ価値があるんじゃないかと思います。建造物や歴史を古さ、大きさ、壮大さで比べたら日本は4大文明には到底かないません。奈良時代の建造物がそのまま手付かずで残っていたとしても年数ではピラミッド、パルテノン神殿、ローマのコロッセオなどに逆立ちしても太刀打ちできません。そもそも張り合うものでも無いと思います。一方日本の歴史の特殊性は千数百年もの間、天皇を頂点とした連続性のある民族による歴史が紡がれて来て国体と記録が残っていることと思います。こんな国は世界のどこを見渡しても他にはありません。エジプトは現在のエジプト人はピラミッドを作った古代エジプト人とは違う民族が占めています。自分たちと関係のない民族が作った廃墟を眺めているとも言えます。中国は異民族も含めた侵略と破壊、帝国の滅亡、勃興の歴史です。仕上げと言うわけじゃ無いですが中国共産党の文化大革命によって、歴史的な産物が片っ端から否定、破壊されました。 日本は大昔からの歴史が繋がっていて、だからこそ建造物が大事に修繕、補修されいまだに使われているものも大いのだと思います。 そう考えると。そう考えると、歴史と魂を残していくのに、維持しやすい木造でむしろ良かったと言うことも言えると思います。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6235/18580)
回答No.6

興福寺 五重塔 応永33年(1426) 高さ50mの塔でも 現在まで残っています。 などと例外的なもの取り上げても無意味ですね。   すぐに消えてなくなってしまうところに 儚さの美しさを感じ取るのが侘び寂びの世界なのでしょうか。 本能寺において 信長があっさりと自害して果ててしまうところにも  人生の無常を悟っているかのように感じられます。 無常 一切のものは、生じたり変化したり滅したりして、常住(=一定のまま)ではないということ。

  • nijjin
  • ベストアンサー率26% (4704/17424)
回答No.5

明治時代になったときに寺や城は壊されたり焼かれたりしたものもあり 歴史的なものとして残そうという考えは無かったようです。 ですから悔しがるのとは逆のことをやっています。 なので悔しがるのは間違っているのかもしれません。

回答No.4

〉日本の建築が長く残らないのを悔しがること 考え方かなぁ。 歴史ある都市は、たいがい都市の上に都市を作ったり、石の重い建造物がミミズなどの頑張りで沈んでいってしまうということがあって、昔の建物はあっても、大昔の遺跡は簡単に掘れる感じじゃなくなります。 京都や奈良でも、昔の遺構がチョコッと掘っただけで出てきて、深く沈むことはないんですよね。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1724)
回答No.3

いえ そもそも海外と日本は考え方が全く違います 例えば書かれているピラミッドですが、もし日本にあったら、盗掘の穴は塞ぎ、頂上のキャップストーンを再現し、ありとあらゆるところを修繕します しかし、海外の場合、修繕はせずに壊れたまま・壊されままにして、特にこれ以上崩壊しない処置もしません 有名なところでは、イースター島のモアイ像ですが、地震や津波で倒れてもそのままにしています 唯一、修繕れたモアイ像は日本の申し入れで日本が援助して修繕されましたが、そもそも現地の人たちや海外の人たちは歴史物を再現することはあっても修繕することはないようです 一方、日本人は、過去の遺産を修繕する・再築する・・・といった歴史観があり、地震で崩れた城・石垣などは、最優先に行うという価値観を持っています 一方、中国なんて築千年以上の建物の中にスターバックスなどの外資系の店を平気でいれる国もあります ご質問は悔しがる?という思考についてですが、壊れても壊されたものもそのままに楽しむ・残してく文化圏もありますし、平気で貴重な建物の中を外資系に賃貸で貸す国もある中で、日本は逆に、修繕・再築しながら歴史や文化を大切にしている国だと思います 良い悪いは別にして・・ですけどね

  • hiodraiu
  • ベストアンサー率15% (448/2821)
回答No.2

悔しがる必要はないです。 同じ日本人かもしれませんが、所詮は他人が作ったものです。それに長く残ることを競い合って造られたものではないです。

noname#252929
noname#252929
回答No.1

そんなことはないでしょう。 日本にある最古の木造建築である法隆寺は、木造建築にかかわらず、1300年以上の年月が経っています。 これは世界最古の木造建築物です。 ただ作られているのではなく、この地震の多い日本の中で、これだけの期間残っています。 耐震性能は、かなり強いこともわかっていますが、その理由がたってから1300年も経っているにもかかわらず未だに解明されて居ないと言う建物ですね。 ピラミッドなどが残っているよりもずっと不思議な建物です。こんな建物が現存 している国です そもそも、なんで悔しがる必要があるのかと思いますが?

関連するQ&A

  • 現代の建築家はなぜピラミッドに対抗しないのですか

    エジプトのクフ王のピラミッドは、紀元前26世紀ごろからずっとあり、今後もとてつもなく長く残ると言われています。 現代の建築家はなぜピラミッドに対抗して、ものすごく長く残る建造物を作ろうとしないのでしょうか。

  • 仁徳天皇陵を作るのに680万人って多すぎない?

    石を切り出すのに1212人、運ぶのに1360人、削って据え付けるのに680人、合計すると3252人。これ以外にも、石材をピラミッドの上部に運ぶための「傾斜路」の建設に多くの人員が必要だったと考えられている。道具とソリを作る大工や、切断工具を作ったり研いだりする金属細工師、水を運ぶ労働者、労働者の食事を準備する職人もいたことを考えると、クフ王のピラミッド建造に関わった人々は、2万~2万5千人にのぼった可能性が指摘されている。 http://tokidesign.jp/howto/story01.html 手ゼネコン大林組が試算したところ、仁徳天皇陵を古代工法で建設すると、工期は15年8カ月に及び、作業員数が延べ680万7000人(ピーク時で1日当たり2000人)、総工費は796億円に上った。 https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070600416&g=soc クフ王ピラミッドが2万5000人なのに、仁徳天皇陵は680万7000人って多すぎじゃないですか? どう思われますか? また大林はどのように計算したかご存じでしたら教えてください。

  • クフ王は人類で1番長い時間記憶される人でしょうか

    エジプトのピラミッドの中で1番大きいピラミッドに名前が残っている「クフ王」は、紀元前26性器の人ですが、 あのピラミッドは、今後もとてつもなく長く存在し続けるはずです。 そして、あのピラミッドが残っている限り、「クフ王」という人物の名前が残ると考えると、 「クフ王」という人物は、人類で1番記憶されている時間が長い人と言えるでしょうか?

  • 日本で1番大きい古墳が大阪府堺市にある仁徳天皇陵古

    日本で1番大きい古墳が大阪府堺市にある仁徳天皇陵古墳で日本で2番目に大きい古墳は仁徳天皇陵古墳から東に行った大阪府藤井寺市の応神天皇陵古墳だそうです。 なぜ大阪の南側に日本一とナンバー2の古墳があるのですか? 仁徳天皇と応神天皇はいつの時代の人ですか? 応神天皇が作った巨大古墳を見て仁徳天皇が更に大きいナンバー1の古墳を作った? 二人は近い時代の人なのですか? 仁徳天皇は聞いたことがあるけど応神天皇は聞いたことがない。なにをした人ですか?

  • 大仙陵古墳について

    NHK高校講座で、「大仙陵古墳」が、その大きさについてエジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と比較されて、紹介されています。 https://www2.nhk.or.jp/kokokoza/watch/?das_id=D0022120043_00000 番組によると、「大仙陵古墳」は、長さ486m、幅305mで1日2000人が働いても、16年かかるそうです。また、日本には、大小合わせて、16万基の古墳があるそうです。 教えてほしいのは、「なぜ、この小さな日本で、大仙陵古墳のように古代4大文明の発祥の地と比較されるよう(技術的には到底及ばないとは思いますが、……)な大きな古墳が造られたのか?造ることが出来たのだろうか?ということです。

  • 仁徳天皇

    仁徳天皇の諱は、大雀命(古事記)・大鷦鷯尊(日本書紀)。 仁徳天皇陵といえば、日本一大きな古墳です。 (現在では仁徳天皇陵とは言わないようですが) そんな大きな古墳の被葬者にまで名があがった仁徳天皇の諱が 大きな雀だったり、ミソサザイだったりするのが疑問です。 雀や鷦鷯が意味するものって何ですか?

  • イエス・キリストはなぜ二千年も記憶されているのか

    イエス・キリストはなぜ二千年間も記憶されているのでしょうか。 エジプトのピラミッドを造ったクフ王とイエス・キリストと、 どちらが将来に長く記憶されるでしょうか。

  • 大仙古墳?そりゃないでしょ。

    先日、ひょんなことである人から聞いたのですが、今の小学六年の社会の教科書では、堺市にあるあの仁徳天皇陵のことを大仙古墳と教えているというのは本当ですか。 何ですか?、大仙古墳とは。かろうじて、括弧書きで仁徳陵と記載されているそうですが、仁徳天皇陵でしょう?。 私はそう教わりましたし、そう教えているものと信じていました。 しかも、天皇のことを大王と書いてあり、庶民に無理やり古墳をつくらせて、人々はいやいや古墳づくりをさせられたと教えているというのは本当なんですか。つまりは庶民を虐めたように書かれているらしいのですが。 仁徳天皇といえば、応神天皇の第四皇子で、農業を奨励し、民の幸せのことを真剣に思い、情け深い政治を行ったことで有名なのではなかったのでしょうか。 私はそう教わりましたし、それが事実と信じていますが、いったい正解はどうなのでしょうか。 どこの教科書ですか?。是非とも見てみたいのですが。情報、お持ちの方、回答よろしくお願い申し上げます。

  • 昔の高層建築の足場を見たい

    ヨーロッパにはゴシック建築の教会や城など、空にそそり立つ高層建築があります。しかし、建築中の絵を見たことがありません。検索してみましたが、低層建築の小規模のものしか見当たりません。 崖の上に立つ城や教会、どんな足場を組んだんだろうと興味があります。本体は石を積み上げたものでも足場は木を使ったようですね。 大寺院の天井に壁画が描かれていることが多いですが、当然足場に乗って描いたと思いますが、その様子が分かる絵を目にしたことがありません。見つけられた方教えて下さい。 日本の五重塔などは、丸太の足場で囲っていたようですね。丸太どうしを縛るのは今ならバンセンがありますが、当時は何で縛っていたのでしょうか?また、城を建築中の足場の絵も見つかりません。どんな足場だったのか興味がありますが見つかりません。一体どんな足場だったのでしょう?丸太を組み上げていったとは思うのですが・・・ ついでながら、エジプトのピラミッドの石はどのようにして積み上げて行ったのでしょうか?昔聞いた記憶では、砂を埋めて行ったとか?正しいですか? 兼々気になっていたのですが、やっと質問することが出来ました。よろしくお願いします。

  • 日本の古墳

    エジプトのピラミッドは王の墓といわれていますが、 実際に遺体は見つかっていないと聞きましたが 日本の古墳も王の墓ですよね? 日本の古墳からは実際に遺体はみつかっているのでしょうか? ミイラみたいなのが見つかっているのでしょうか?