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同胞排擠
終戦の詔書の中にある言葉です。 排擠は「はいせい」と読むのが順当だと思いますが、これを「はいさい」と読んだら誤りでしょうか。
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> まあ8世紀に一人が騒いでも、効き目がなかったのでしょう。 当時は国家事業として先進国唐の文化の積極的吸収に努めていた時代です。遣唐使には多額の国費(=国民の税金)が費やされました。北方系王朝である唐の都へ現地では通用しない呉音しか読めない者を派遣すれば、税金の無駄遣いが起きます。それは由々しき問題なので、誰か一人が騒いだわけではないでしょう。しかしお経を漢音で読めないし漢音を覚える気もない既得権益にどっぷり浸かったお坊さん達には、当然この政策は不評だったと思われます。 ポツダム宣言受諾の件も同様で、あれは昭和天皇が独断でお決めになったことではありません。が、軍の内部には「ご聖断」に大反対の人々もいて、彼等は宮城の占拠と玉音放送の阻止に奔走しました。既得権益を巡る闘争は、いつの時代にも発生しています。 ちなみに玉音放送と言えば、昭和天皇は「排擠」を「はいさい」とお読みになっていますね。 ありがとうございました。