• ベストアンサー

責任について研究しようと考えています。

kazamidori360の回答

回答No.6

高樹沙耶だけじゃない!石垣島ではヤバい移住者たちが島民から疎まれていた! http://www.asagei.com/excerpt/69004 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 株式会社ユーグレナ (英: euglena Co.,Ltd.) は、東京都港区に本社を置くバイオベンチャーである。藻類の一種であるミドリムシ(学名:ユーグレナ)を中心とした微細藻類に関する研究開発及び生産管理、品質管理、販売等を展開している。 事業概要[編集] ミドリムシが59種類の栄養素を持つことを生かし、食品としての販売(ユーグレナ・ファーム)や化粧品の販売(B.C.A.D.)を事業として展開しながら、ミドリムシ由来のバイオ燃料の研究開発等を行っている。 このうち、ミドリムシを原料とするバイオ燃料の研究は、横浜市、千代田化工建設、伊藤忠エネクス、いすゞ自動車、全日本空輸と共同で行っており、2020年に航空機の有償フライトとバスの公道走行を行うことを目標としている[1][2]。 沿革[編集] 2005年、出雲充が仲間2名と会社を設立。ベンチャー支援をしていたライブドア社長(当時)の堀江貴文もユーグレナの株式を買い株主となる(その後株主ではなくなる)。2005年12月16日、世界で初めてミドリムシの屋外大量培養に成功する。 2010年3月に沖縄県石垣市(石垣島)大川にある日本最南端のアーケード商店街あやぱにモールの命名権を取得し 、ユーグレナモールと名づけた[3][4][5]。 2012年12月20日、東京証券取引所マザーズ上場[6]。2014年12月3日には東京証券取引所第一部に市場変更した[7]。 2015年1月、第1回日本ベンチャー大賞を受賞した[8]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ユーグレナ_(企業) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 浜崎あゆみもびしょ濡れに 世界的ブーム「アイス・バケツ・チャレンジ」でEXILE・HIROらを指名 https://mdpr.jp/news/detail/1406188 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 参照先を貼るので疲れてしまったので コメントは無いです。

Flareon
質問者

お礼

いろんな人がいるもんだね。

関連するQ&A

  • 責任とは何だと思いますか?

    ニュースで新成人が「社会人としての責任を果たしたい」 と言ってるのを見てふと疑問に思ったのですが、 社会の人々は責任をどのような意味で捉えているのでしょうか。 先の新成人の発言からは「責任は自発的にすべきだと思うこと」 とのニュアンスが感じられます。 しかし実際の社会を例にとると、組織のトップが不祥事の責任を取って 辞任させられたりなど、責任は集団から個人に半強制的に課される 生贄の立場であることが多いと思います。 責任が自分に取って不利なものであるとしたら、 自らそれを課されることを望むのは変な話です。 みなさんは責任をどう捉えますか?

  • 養育責任とは何か?

     ここ最近気になっていることがあって、質問したいと思います  離婚し、親権を失った片親(便宜上、非親権者とします)が 子供と面会する権利があるのは、現実に法律には明記されていませんが家事判例上において間違いない事実です。これを面会交渉権といいます。  個人的に、面会交渉権を否定するつもりはありせんが、その権利主張で解せない主張があります  一般的に非親権者には離婚する都合上で養育費などの支払い義務が生じます。 非親権者がこのような主張をするのです 『養育費を支払って、養育責任を果たしている』 果たして養育費を払っているから、養育責任を果たしていると言い切れるのでしょうか? この類の主張で思い出すのが、石原慎太郎氏で、彼は配偶者との間に4人の子供を設け、その上で隠し子が一人いました。隠し子が発覚して記者に言い寄られて彼はこう言い張ります  『俺は、隠し子を認知し、養育費も支払って、十全たる親の責任を果たした』 http://blog.livedoor.jp/rohgai/archives/19924725.html 私個人は、養育責任は、経済的なものに限らず、子供が育つ上で必要なものが多々あると思います なお、本件については、石原慎太郎氏を支持している人は、特に回答を希求します ・・・・・・・・・・・・・・・・  なお、非親権者の面会交渉権は法的事実ですが、それは子供側の意思を反故にしえるものではありません。つまり、”子供が会いたくない”という意思を持てば面会交渉権は否定されうるものでしょう。 ちなみに、離婚調停で、面会交渉権を取引材料にすることに日本社会は何の問題意識もないようですが、そのような意識は、子供の福祉を蔑ろにするものです ただでも、離婚によって、子供の養育環境が特殊性を持ってしまうにも関わらず、離婚するために子供を取引材料にするような夫婦に親権が認められるような社会は健全とは到底思えないのですが、如何でしょうか? ちなみに、”親の養育責任は果たしきれるものではない”という見解については、首肯します

  • 憲法を哲学してみましょう。

    憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は 国民の不断の努力によって これを保持しなければならない。又 国民はこれを濫用してはならないのであって 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。 ●↑の「公共の福祉のために」が 個人の自由と権利を侵食しはじめる危惧を 感じているのは わたしだけでしょうか? ■有事法案■個人情報保護法案を考察して感じることは そこにあたたかな ひとのこころが在るや無しやということなのです。 一番守られなければならないのは「個人の守りの自由と権利」 その次が「公共の福祉」 その次が「攻めの個人の自由と権利」ではないでしょうか? みなさんの考察 ご意見 雑感など 教えてください。

  • 危険ドラッグ「個人の自由だ」4大学で6・5%

    危険ドラッグ「個人の自由だ」4大学で6・5% 読売新聞 11月27日(木)9時28分配信  関西、関西学院、同志社、立命館の4大学が、今春入学の1年生に行った違法薬物に関する意識調査で、危険ドラッグの使用について回答者のうち1590人(7・1%)が「個人の自由だ」「1回くらいなら構わない」と答えていたことがわかった。  4大学は、学生の間に危険ドラッグを受け入れる風潮があるとして、教育活動を強化する考えだ。  意識調査は4月、4大学が2万6450人に実施し、回答率は85%だった。  危険ドラッグについては9割が「絶対に使うべきでないし、許されない」としたが、一方で1456人(6・5%)が「他人に迷惑をかけなければ個人の自由だ」、134人(0・6%)が「1回くらいなら心や体に害がないので構わない」と答えたという。 _________________________ 9割はまともな日本人ですが約1割近くが「個人の自由」と肯定しています。 私は、無責任な個人の自由という言葉が大嫌いなんですが、 個人の自由を標榜する連中が自己責任の範疇で利用すると思いますか? 私が思う限り、必ず誰かに迷惑をかけていると感じます。 いかがでしょうか?

  • 請負業者賠償責任保険の保険料(清掃業の場合)

    個人事業(清掃業)を今度始めます 請負業者賠償責任保険に入ろうと思いネットから パンフレットを送ってもらい見ていたのですが パンフの中に記載されている保険料の例が 私の清掃業(床洗浄、エアコン清掃等)の年間の請負金額とかけ離れているために参考になりません 保険に関するお問い合わせをしたのですが 「ケースにより違うのでわかりません」 とのことでした 私の初年度の予想は300~400万で 作業者は私と妻の2人で忙しいときには 誰かバイトに来てもらう予定です 保険料はいくらいくらいになるのでしょうか?

  • 好意の表現は?

    質問です。別に不倫しようとかではありません。参考までに聴きたいのです。批判的ではない意見をお願いします。 既婚女性が旦那以外の男性(既婚・未婚を問わず)に好意を持ったとします。不倫にまで発展させるつもりはないのですが、好意は結構あります。 どのような態度を取りますか? どんな風に相手を意識しますか? ご自由な意見をお願います。

  • 個人事業主の青色専従者の責任の区分について

    個人事業主の青色専従者(家族)が業務上の過失を起こした時の責任を調べています。 事業所に雇われた労働者の場合は労働基準法などである程度責任追求がまぬがれるようですが、 「無限責任を負う個人事業主」に属している家族等の専従者の場合は、企業の取締役と同様な事業主と一蓮托生の関係でしょうか、または、一律に雇用された労働者と同じ扱いになるでしょうか? もしくは、経営の関与度によって比例配分されるものでしょうか? たとえば、 経営者の父ちゃんが知らないまま、経理を任されている母ちゃんが黙って不正を行なった… 事業主登録されているのは爺ちゃんだが、実質その息子や孫達が働いて運営されている、その息子や孫が過失事故を起こした… 息子達が念を押して意思決定を事業主の爺ちゃんに相談して実行した行為が、事故につながってしまった、 爺ちゃんは「相談されたけれど、普段はすっかり息子達に任せてあるんだからワシは知らん…」と主張する場合の事業主爺ちゃん及び実質運営者息子達が負担すべき責任は… …などといった、例の指針になる基本的な考え方がわかると助かります。 どうぞ宜しくお願いします。

  • 精神鑑定や責任能力などについて知識を深められる文庫本を紹介してください。

    私は大学1年生でして、あるきっかけで今心理学に興味をもっています。 タイトルにも載せました「精神鑑定」や「責任能力」ばかりではなくて、「決定論」や「自由意志論」にも興味があります。 そのようなカテゴリのことについて、少しでも参考にできる書籍がありましたら、ご紹介ください。 ノンフィクションでなくても、たとえば小説のようなものでも、参考になれば構いません。 とは言いますのも、私その分野については素人ですので、あまり難解なものですとすこし困ります… ただ、それなりに勉強はしているつもりですので、よければご紹介ください。 また、文庫本とタイトルにしておりますのは、個人的で勝手ながら、図書館で本を借りるのが好きではなくて…ですが、学生で金銭的な問題もありまして、あまり高価なものは買えないからです。 是非ともおすすめのものがありましたら、文庫本でなくとも構いませんのでお教えください。 先にいくつかキーワードをあげましたが、その方面に暗い私が勝手に関連しているだろうと思ってあげたものですので、見識のあるかたには少々心得難い部分があるかもしれませんが、ものを知らない人間の、その方面の漠然とした単なるイメージとして捉えてください。 別にものすごくためになるものでなくても、そのアウトラインをつかむことができたり、そのことについて考えられたりするのものも大歓迎です。 非常に勝手で申し訳ありませんが、どうかご協力お願いいたします。

  • 私の学校では集団行動の練習に力を入れています。

    気をつけ、休めの姿勢などを繰り返し訓練します。 「我が校の生徒として自覚と責任ある行動が取れるよう、厳しく指導します。厳しい指導を乗り越えてもらいます。」 と、先生は常々仰っていて特に休めの姿勢に拘りがあるみたいで、「両手は後ろで組み、足を広げて立つ」姿勢が保てているかどうか細かくチェックされます。 「集団行動において個人の意思は二の次です。1人が全体の事を考えて、また全体が1人の事を考える意識を持つ。その為にこの休めの姿勢は重要です。」と先生は仰いますが、休めの姿勢ってそんな意識を持てるように役立つものなんでしょうか?

  • (続)天皇の戦争責任?

    先の「天皇の戦争責任?」の問いかけについて、色々なご意見を頂き、ありがとう御座いました。改めて自分が不勉強、研究不足である事がわかりましたが、非常に参考になるお話を沢山頂戴し、考える事がまた増えました。以下はあくまで感想文で、問いかけは無いですが、ご意見あれば、是非お願いします。 「戦争責任」と言う言葉は、実はかなり曖昧な言葉でしたね。例えば、始めた責任、指揮した責任、止めなかった責任、長引かせた責任、迎合した責任、負けた責任、勝った責任、等等、色々な責任があり、戦争に対する何の責任?がこの言葉では明確では無い。更に、誰に対する責任、と言う点も曖昧です。日本国民に対する責任、諸外国への責任、裁判所に対する責任、ご先祖様に対する責任、等々も曖昧ですね。政治家とかもこの言葉を使わない方が良さそうですね(逆か、政治家だから使うのか)。もうちょっと正確に私の質問を言い換えると、「天皇は戦争において、命を捧げる象徴でありながら、未だに天皇として残っている事について、日本人は何故自然に受け入れられるのだろう?」と言う疑問でした。 つまり日本国民に対して戦争に関する何の責任も問われない、と言うのは、ちょっと変じゃない?と言う所ですかね。天皇制度、立憲君主制度、王政云々の議論を別にして、心情的・感情的に何の怒りや憤りを感じない、と言うのが不思議だったんですよね。あの大地震以来日本人は真面目だが、実は結構あっけらかん、と言うか良い意味でも忘れやすい人達なんだろうな、と感じてますが、この話にも通じるのかもしれませんね。昔から台風、地震、津波、雪等の災害に晒されてきているわけだから、生きる術として覚えてきたのかもしれません。それが日本人の良い所かもしれませんが、海外の人から見ると、真面目で良い奴なんだけど、ちょっとKYな時がある、的に映る場面があるのかもしれませんね。 所で戦争に関する評価が進まない一つの理由は、その後の日本の発展にあったのかもしれませんね。つまり、その後日本が辿った軌跡を振り返れば、負けて良かった、と言う整理もあるかもしれない。太平洋戦争後に繁栄を見せたのは米国と日本で、被害国として訴えている中国は、共産宣言で列強からの独立を果たせたものの、大躍進・文革等で衰退、韓国(朝鮮)は朝鮮戦争を経て国を分断された悲劇はありますが、その後国内地方同士での喧嘩が横行し復興も遅れた。敗戦国なのに、戦勝国よりも良い状況にあるから、何を反省すべきか見えにくくなっている、と言うのも多少あるかもしれないですね。努力してきた自負も手伝っているかもしれません。 ただ、所謂「人道に対する罪」的な行為があったならば(特定の行為をこの定義に当てはめる際、議論を呼びますが)、恥ずべき事として反省すべきですよね。ま、今は正に斯様な行為があったのか否かアチコチで議論になっていますが。ここの議論は敢えて今入っていくつもり無いですが、南京事件や慰安婦連行と言うのは色々言われてますが、少なくとも一定規模であったのでしょうね。全く無かった事実では無いはずと思うんですよね。であれば、これについては謝り続けても良い感じはしますね、「あれは悪かった。日本も当時必死だったけど、あれは違うわな。末端の管理不行き届きでした。」、みたいに。 所で、誰も喧嘩に負けたくないし、「あの時~~すれば、戦争に勝てたかもしれない」と言う意見もありますが、果たして日本は戦争に勝っていたら、同じ様な繁栄を実現できていたのでしょうかね。ゴルフ回った後の懇親会でのタラレバ議論じゃないですが、あの戦争の先にユートピアが待っていたとは思えないんですよね。大東亜圏が成立したとしても、やはり資本主義・民主主義・自由主義がもっと発展していた西欧列強と再度争いがあったかもしれませんし、結局遠回りして今の状況に至るのでしょうかね。タラレバですが。日本は美しくて、愛おしくてたまりませんし、日本人としての誇りもありますが、やっぱり西欧の思想・哲学の方が進歩的と言うのは認めざるを得ない、と感じますね(人類は、現状維持・退化より進歩すべき動物と考えてます)。悔しいですけど。 因みに、良いか悪いか別にして、英国が世界中を植民地に仕立てた様な事、特に全く異質の文化で、しかも自国から遥か彼方にあるインドを安定的に統治(議論の余地はあろうと思いますが)してた事等、日本人には到底できませんよね(大東亜圏構想は植民地主義では無かった、と言う議論もあろうでしょうけど、ま、横に置きます)。異文化におけるマネジメント能力が、どちらかと言うと不得手と思うんですよね。これは、比較的日本人は西欧人に比べて、欲が無いからと思うんですよね。資源が限られ、災害に満ちた国に生きた我々は、外に向かって不足を補うのでは無く、中で倹約して生きる道を選んだから。勿体ない、控えめが良し、食べ過ぎは駄目、不作に備えて明日・来年の為に取っておく、慎ましい、と言う概念などが美徳になっているのは、まさにそこから来てると思うんですよね。大雑把に言うと、狩猟民族では無く、やっぱり農耕民族と思います。狩猟民族は今日を目一杯生きて、明日は別途考える、と言う感じですよね。 天皇の話に戻りますが、結局人間だったわけだから、相当ストレスを抱えて生きてたのでしょうね。仮に自分がその立場だったら、重すぎて耐えられないと思いますが、天皇は辞めたくても辞められなかったのでしょうね。以下抜粋。 「陛下の苦しみは、東京裁判の開廷と共に強烈なものになったと云う。他国民に与えた人物的損害や自国民に与えた苦痛を原因とする心の葛藤、退位に関するお気持ちをそのまま、御座所でそのまま訴えておられた。それは大変激しいもので、ご自身を責めにせめておられた。 また、侍従次長であった徳川義寛の日記に、以下のような記述がある。東条らの処刑の日。自分の死ぬべくところを代わってくれたというようなご心境であられたと思う、と村井は遠くから陛下のご様子を拝していたが、当夜、天皇が三谷侍従長と交わされた会話について、直接田島長官から聞く機会があった。村井が書き残したメモに従って再現してみよう。 陛下 三谷、私は辞めたいと思う。三谷はどう思うか。 三谷 お上が、ご苦痛だと思し召すほうをこの際はお選びになるべきであります。お上がおいやになるほうを、ご苦痛と思おわれるほうをお選びになるべきであります。(『徳川義寛終戟日記』)」 上の抜粋が本当であれば、興味深いですよね。 因みに私は西欧育ちですが、日本の教育は近代史を軽視している様に思いますが、明治維新以降の日本の歴史を教える事にもっと力を入れるべきでしょうね。日本の凄さ、そして弱さが分かり易いですし、日本人としての意識が強まると思うのです。それより昔の話は、日本の文化を覚えると言う意味では有意義でしょうが、明治以降の歴史を端折ってまで突っ込む事も無いと感じます。近代史をシッカリと理解する事から、誇り高い強い日本人が増えると思います。