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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:いい男 ( 女 ) の絵になるシーン)

絵になるシーン

kamejrouの回答

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.7

こんばんはisoken さん 別に特段何時もの月と違うわけでもないのですが、 何やら出かけたりして忙がしいような振りをしています! 不思議なものですね(笑) はて? 回答数が少ないようなと思いましたが、 これはisokenさん、面倒ではないが質問が少し難しいような Marc さんのように物ともしない人もおりますがね!アハハハ、 桶狭間はともかくも、敦盛は例としては、 若い方にはいささか荷が重いでしょうか? 少しここいらの事を話してみたいと思います 信長はおそらくこの敦盛を一差し舞った時点で死は覚悟でしたでしょう 先ず万が一にも勝てる戦いではない❗ 今川義元を凡庸な武将と言う人おられるかとも思いますが、 私はそうではないと思っているのです 天の利、地の利が奇跡的に信長に味方した、そう言うことでしょう 加えて義元に不幸であったことは大原雪斎を直前に失ったこと まあ信長もそうなのですが、 秀吉、家康なども後年はそうではありませんが 命を何処かに置いてくるようなところがありますね 天下取りには欠かせないことなのかな?と思えば面白いのです ところで、この弊履とは何と読ませるのですか?へいり? Marc さんではありませんが私も初めて聞きました くたびれた草鞋くらいの意味でしょうか? ステーイヴ-マックイーンの大脱走、この映画にも少し Isoken さん仰るようにバイクで逃げ回る!まことにカッコいいのですが 実は本来あの映画にあのシーンはなかったはずなのです マックイーンが監督のジョンスタージェスに無理矢理入れさせたそうです ですから彼は随分顰蹙もかったそうですよ でもまあ、結果は彼の代表作になりましたね、 先日、東京物語は次回にと言いましたがまた機会もあるでしょう やはりまあ、isoken さんと私は 一年を締めくくるなら絵になるシーンと言うならこの映画がふさわしい 昭和残侠伝、記念すべき第一作唐獅子牡丹 我慢に我慢の男伊達 切らぬつもりの堪忍袋の緒 親分位牌を前に行儀に座る おやっさん、とうとう最後になっちまった勘弁してやっておくんない 秀次郎さんここであんたを一人でいかしちゃ 風間は一宿一飯の渡世の仁義も知らねえと世間の笑い者になります 男にしてやっておくんない 所詮、畳の上では死ねない稼業 ろくでなしよと夜風が笑う🎵 どうぞ良い歳をお迎えください 来年がまた良い年でありますように

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >Marc さんのように物ともしない人もおりますがね!アハハハ、 Marc さんからは、いつも切り口が斬新且つアカデミックな回答を賜りまして、本当に感謝してるんです。 >天の利、地の利が奇跡的に信長に味方した、そう言うことでしょう 桶狭間の奇襲は俗に言う 「 中入り 」 ですね、成功例は非常に少なくまさに乾坤一擲、他には義経の鵯越 ( ひよどりごえ ) で有名な一ノ谷の戦い。 一方で失敗例として有名なのは、賤ヶ岳の戦いでの佐久間盛政、小牧長久手の戦いに於ける池田恒興・森長可の舅婿コンビ辺りでしょう。 >加えて義元に不幸であったことは大原雪斎を直前に失ったこと 雪斎は僧の身でありながら、戦の采配のみならず外交にも非凡な才能を発揮しておりますね、確か甲相駿三国同盟の陰の立役者であったかと・・。 今川家の人質であった幼少時の徳川家康とも、何やら親交があったやに聞いております。 >まあ信長もそうなのですが、 >秀吉、家康なども後年はそうではありませんが >命を何処かに置いてくるようなところがありますね >天下取りには欠かせないことなのかな?と思えば面白いのです 信長に於ける伸るか反るかの大博奕は桶狭間が最後、以降の戦は如何に兵力を集中させるかに腐心しておりますね、人間とは或る種成功体験の奴隷である事を思えば、彼の天才性を推し量るいい材料ではないでしょうか。 秀吉・家康に関しても仰る通りで、その真偽は別として秀吉には金ケ崎の戦いというものがある、一方の家康には当時無敵の武田騎馬軍団に挑んだ三方ヶ原の戦いがあります。 ことに避けようと思えば避けられた三方ヶ原の戦いは、敗れたりとはいえその後の家康に計り知れないメリットを齎せ、実に大きな勲章となりました。 >実は本来あの映画にあのシーンはなかったはずなのです >マックイーンが監督のジョンスタージェスに無理矢理入れさせたそうです >ですから彼は随分顰蹙もかったそうですよ いや~そうですか、知りませんでした。 私にとっての 「 大脱走 」 は、マックイーンのバイク・シーンが最もインパクトが強いんですが・・。 さて大幅に端折りまして以降余談なのですが、先日安藤昇さんがお亡くなりになられたとの事、最近はこの手の訃報が多くて御冥福をお祈りしてばかり・・、誠に寂しい限りです。 釈迦に説法でしょうが、本当に波乱万丈の生涯であられました、・・と同時にやっぱりモノホンは違うと思わせた方でした。 鶴田さん・健さん・文太さんは目が優しくて所詮は役者さん、ところが安藤さんの場合、笑顔であっても目は笑っておりませんでしたね、ちょっと怖いぐらいの眼光の鋭さは、やはり修羅場を潜り抜けて来た人特有であったのでしょう。 もし御読みでなかったら、本田靖春氏著 「 疵 花形敬とその時代 」 ( 文春文庫 ) を是非。 それから先の Marc さんへの回答を拝見して、横から口を挟んで申し訳ないのですが、以下少々。 先週 「 まるごとにっぽん 」 という恐らく kamejrou さん好みの商業施設が、浅草寺直ぐそばの浅草リッチモンドホテル 1F ~ 4F にオープンしまして、招待状を貰いましたので家内と2人で行って来たんです。 言うなれば全国物産展の趣きでして、当日も凄い賑わいでしたが、12月17日のオープニング・セレモニーには水野真紀さんも来てたらしいですね。 その後例の寿司清に寄りましたら、なんと準備中の札が・・という事で、浅草で長年馴染みにしておりますもう1つの寿司屋のカウンターに座り、板さんと四方山話の最中たまたまアメ横の話になったと思って下さい。 以下気を悪くしないで頂きたいのですが、アメ横でのマグロはお止しになった方がいいかも知れません。 ・・というのも、昨今の冷凍技術の進歩でパッと見素人目には分からないらしいのですが、解凍後時間が経つにつれて真っ黒になる為売り物にならず、店先から回収して冷凍と解凍を繰り返し、9年・10年寝かした売り物のマグロはざらにあるという話でした。 まあ別段法に抵触する訳でなし、品質に問題がある訳でもないらしい、それ以上に裏が取れた話ではないのですが、・・とすると破格のプライスも頷ける気がします。 その話を聞いた翌日だかに kamejrou さんの回答を目にして、こりゃお知らせしなければと思い、出過ぎた真似ながら飽く迄も御参考までに・・。 最後になりますが、今年もまた随分とお世話になりました。 何はともあれ、良い年をお迎え下さい。 私はこれから暇になりますので、もう少し遊ばせてもらおうと思っておりますが、挨拶は飽く迄も儀礼的なものですから、年内にでもまた機会がありましたら宜しく御願いします。 回答ありがとうございました。

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