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祈る事に意味はあるのだろうか?
仏教のある僧侶がシャカの本当の仏教とはとても科学的合理的なのだといった。 シャカは死後の世界については何も語らなかったし、体験してない事はわからないとした。 現代日本の仏教は葬式仏教になってしまい、死後の魂の安らぎを願うという。 これに対して、この僧侶は魂も死後の世界も存在しない、現代日本の仏教はゴミまみれになり本当の仏教ではないという。シャカの本当の仏教とは悩みの解決法でたあり、いかに欲を無くして生きていくかを問うている。 この僧侶は以前テレビで葬式のお経は全くの無意味。お経というのは昔の中国語で悟る方法が書いてあるだけで、聞いてる方は全く意味が解らない、解らないから有り難いのだろうと勝手に解釈してるだけ。 ここで質問です。 お経が全くの無意味で魂も死後の世界もないなら、それが事実からなぜ日本の仏教はお経が無意味だと知りながら お布施を払わせるのでしょうか? 無意味な事に対してお金を払わせるのは一種の詐欺ではないですか? 私は専門家ではないですが、祈るという行為には意味があるような気がします。 それは自然に対して抱く畏怖の年や人間以外の何かに対して。つまり、科学技術が発達した現代ですが゛謙虚さやが先祖に対する感謝の気持ちが大切なのでは、私の中では完全科学主義ってなんか怖い感じがします。 結局、この話は神様を信じるかどうかになるような気がします。 この僧侶に言わせると現代日本の仏教が良くなる為には、シャカの仏教をちゃんと普及させて、葬式やなにやらでボロ儲けしてる坊主がもっと儲からなくなれば、日本仏教も ましになっていくといいます。 皆さんはどう思われるますか?
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ありがとうございます 勉強になりました