解決済みの質問
shinoshinoshinoさん
私の説明が舌足らずだったのか、あなたが慌て者なのか?
首相個人が黙殺したのではありません。首相が連合国に対し、ポッダム宣言を無視すると発表したのです。(いくら軍部の力が強くても、あるいは首相の意に添わないことでも国を代表して発表した)
質問者は誰が黙殺したのかを聞いており、その人となりやそのときの心境までは
質問していません。いずれにしても、黙殺と決定したとき、首相の意向はゼロだったのか、苦しい妥協の産物だったのか、詳しい資料(本人の日記、側近の日記など)は持ちあわせていませんので世に知られていることを述べただけです。
投稿日時 - 2001-06-14 07:25:13
お礼
私の言葉足らずで食い違いが生じているようですが、
総合して内容は理解できました。
おそらくお二人とも正しいのでしょう。
それにしても戦時中の閣僚は大変だったでしょうね。
先に回答していただいたMarutinbuhoさんに20ptつけときます。
投稿日時 - 2001-06-17 14:29:15
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ベストアンサー以外の回答(2件中 1~2件目)
NO.1の人の回答には、納得がいきません。
四国宣言を受諾しなかったのは当時の内閣であり、鈴木貫太郎首相が受諾を黙殺したと考えているのでしょう。
しかし鈴木首相は、一日も早い降伏を望まれていました。鈴木首相は海軍大将、侍従長を歴任し、2・26事件では重傷を負っています。米英との戦争には懐疑的で、戦争終結を目的に首相に就任しました。陸軍の主戦論に押し切られ、四国宣言を受諾できなかったと考えるほうが自然です。
彼の座右の銘である「万世の為に太平を成す」という言葉通り、15年戦争を終結させた決断した決断力を評価するべきだと思います。
鈴木首相についてお知りになりたい方は、千葉県関宿町の「鈴木貫太郎記念館」に行かれることをおすすめします。
投稿日時 - 2001-06-14 00:39:26
お礼
私の言葉足らずで食い違いが生じているようですが、
総合して内容は理解できました。
おそらくお二人とも正しいのでしょう。
それにしても戦時中の閣僚は大変だったでしょうね。
投稿日時 - 2001-06-17 14:26:40
連合国のポッダム宣言に対し、これを黙殺すると発表したのは当時の首相、鈴木貫太郎です。日本政府は当時まだ中立を保っていたソ連を通じ終戦の妥協策を探っていたため、ポッダム宣言にコメントすることを避け、黙殺という言葉を使ったといわれます。黙殺とは相手の言ったことを拒否する言葉ではなく、知らないふりをする、今ならノーコメントと公式に答え、裏で種々交渉する余地を残すというところでしょうが、同盟通信社がこれをIgnoreとして世界に打電したため連合国側は拒否されたと解釈したといわれます。(意図的にそう解釈した可能性も残る?)
黙殺の翻訳(誤訳)事件は、歴史を変えた誤訳の例として語り継がれています。歴史にもしは許されないので、もしこの誤訳がなかったら広島・長崎への原爆投下は
なかったのか、あるいは日本に宣戦布告をして日本占領の野心をもっていたソ連を制するために、いずれにせよ原爆投下により連合国(アメリカ中心)側に有利な戦争終結にもっていこうとしたか、誰にも分からないことだと思います。
誤訳事件に興味があれば次の二冊が参考になります。
『歴史を変えた誤訳』鳥飼玖美子 新潮社
『通訳術と私』 西山千 プレシデント社
投稿日時 - 2001-06-13 21:31:40