• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:復習するは我にあり?)

復習するは我にあり?

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

回答No.20

 ★ (No.19お礼欄) (さ)についてですが 人間としての身は殆どDNAと食物や環境が 心は、脳を物質としてその性質として心(精神)があります。  ☆ 《DNA》は 身です。身をつくる重要な要素です。  《食物》は 身が摂取するものです。  《環境》は そこに住むところです。  デタラメを言ってはいけません。  《物質》から出来ている神経組織としての《脳》において その《性質として心(精神)がある》。この《性質》観については 大方の認めるところです。ここは あらそう必要はありません。  ★ DNAからくる性質にも多くの存在性があり、心(精神)も多くの性質を獲得し多くの存在性を持ちます。  ☆ 《DNAからくる性質に》 顔や運動能力など身にまつわる特徴があります。この点は誰も反対していません。    その《性質にも多くの存在性があり》。これは 分かりにくいところです。  たとえば 身の特徴としての性質がそなわるにあたっても 存在を存在たらしめている《存在性》というチカラが根源において横たわっている。といった意味でしょうか?  でも 《多くの》というのは 解せません。根源のチカラが どうして多くあるのですか?  つまり いづれにしましても その存在性を言わなくても 《存在は存在そのものによって存立していて そこに性質をそなえてもいる》とも言えるはずなのです。  ですから 存在性を立ててもいいでしょうが その必要性はまづ見当たりません。なぜ こだわりますか?  ★ (身と心の)存在にプラスに働けば存在性であり、マイナスに或いは害になれば存在性ではありません。  ☆ では この命題について 問うてみます。  《マイナスに或いは害になる》チカラとは 何のことですか?  《(身と心の)存在にプラスに働く》のは 人間が意志をもってからだによいことをするのを別とすれば 身の組織が 自己組織化をするかたちで 身ないし存在の維持向上のために(プラスに)はたらいている。のではないですか? つまり 《存在性》を立てなくても 同じことが言えるでのはないですか?  ★ 存在性という考えはごく自然な考えだと思います。  ☆ 何か根源のチカラを想定するというかぎりで 存在性という言い方をし得ますが どうしてもそれでなければならないという必要や理由が まだ納得行きません。

yuniko99
質問者

お礼

>《マイナスに或いは害になる》チカラとは 何のことですか? 害になる事は幾らでもあります。DNAは人間に置いては厳しい淘汰にそれ程は晒されておらず 病気になり易い、或いは生まれつき病気や障害があったり、マイナスの遺伝子を持っていても大概いい年まで生きます。 私もそうです。 スリルを求めたり、タバコや酒やギャンブルや麻薬や色んな事に中毒になるというのも マイナスになることです。 人と喧嘩するだけでもマイナスになる事が多いです。 それに自分にとって害になるだけではなく 他人に害になっても社会的動物である人間にとってはマイナスになります。 どうもです。

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