みんなが「観客化」、「見物人化」する時代

このQ&Aのポイント
  • 近年、若い人たちが物語に没入せずに観客や見物人として楽しんでいるという話があります。
  • この現象についての質問にはほとんど回答がなく、時代の変化に違和感を覚えています。
  • 自分が物語に没入し、他の人の立場や考え方を理解することは、読書のメリットとして重要です。一つのキャラクターや人生に固執せず、多様な立場を演じることは生きる上での楽しみでもあります。皆さんはどう思いますか?
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みんなが「観客化」、「見物人化」する時代

昨日の日経新聞「明日への話題」(作家 眉村卓氏)に、「近頃は、若い人の話を聞いても、自分が物語の中に没入し、登場人物の身になるという話は、あまり聞かない。」というコメントがありました。彼らは、映画や小説を、見たり、読んだり、ゲームなどをやっても、自分に引きつけて考えず、観客や見物人としての立場を楽しんでいるので、終わってしまえばそれまで、問題を自分のことと思わないので、文句や野次も思いのまま、と続いていました。 この問題について、私が以前出した以下の質問には、わずか1つしか回答をいただけず、私は、「時代の空気」に些か違和感を覚えた記憶があります。 年齢・性別・環境が違っている人にも感情移入出来る? http://okwave.jp/qa/q8128409.html 私は、かねがね、読書のメリットとして、自分が物語に没入して、色んな人間の色んな人生を追体験することだと思っています。色んな背景を持った異なった人物になりきることによって、異なった立場や考え方をも理解することが出来るようになり、配慮することが出来ると思います。 自分は、このキャラしかないんだ、と固定的に考えるよりも、色んなキャラや人生をもった人間を演じることは、芝居の楽しさにも通じます。実は、私は、もう一度生まれ変わったら「俳優」になりたいとも考えています。 少なくても単線人生よりも、生きていて楽しくはないでしょうか? 皆さんはどう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

たぶん小林秀雄だと思いますが、「認識とは客席から芝居の中へ入ること」とあったと思います。 言っていることは同じですね。芝居に加わると何が違うか?関わると認識が働くそうです。たぶん歴史上の人物も、ただ資料を読んだり勝手に解釈するより、その人に関わっていくようなやり方だと認識が深まるのでしょう、当たり前のことかもしれませんが。 「観客化」とか「没入しない」というのは、やはり関係性の希薄さとの関連でしょう。ネット世界もまあ「観客化」「見物人化」かもしれません。

oozora2000
質問者

お礼

小林秀雄の「認識とは客席から芝居の中へ入ること」のソースを調べるべく、ググって見ましたが、中々出てきませんでした。最後に、著書『学生との対話』の読書メーターhttp://book.akahoshitakuya.com/b/4103082070 の中に、「単に客観的事実を追うだけでなく、主観でもって当時生きていた人の心を想像する想像力が重要 。」とか 「歴史を知るには、古人の見たもの・聞いたものが自分にも見えたり聞こえたりする段階まで行かなくてはならない。カントを知りたければ、誰かがカントを解説したものではなく、カント自身の著作をそのまま読まなければならない。」 と言った読者の記述があり、小林秀雄が、対象に主観的に向き合った姿が伝わってきました。 関係性の希薄さとのことでしたら、やはりネット時代の影響があるのかもしれませんね。

oozora2000
質問者

補足

No.2,3,4さんの発言がつながっており、同様のことを指摘されていたので、甲乙つけがたく、B.A選定に迷いました。 結局、この3回答の中で一番早く回答頂き、キーワードや例示を沢山ご用意いただいたnoboundさんにB.Aを差し上げることに決めました。

その他の回答 (3)

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11792)
回答No.4

「観客化」「見物化」ということでいえば、もしかしたら感情移入する方法が分からない、表面・表層的な刺激や情報をなぞるだけで満足している、それが当たり前の日常を送っているが故に、没頭する術も知らないし、する必要性も感じていないのかも知れません。 それは対人コミュニケーションが苦手ということにもつながるし、何事も表面的なつながりですから、容易に放棄したり逃れたりする「逃げの方法」にも活用されることになりそうです。

oozora2000
質問者

お礼

だから、対人コミュニケーションが苦手・・・というのもわかる気がします。 さて、皆さんの回答がつながってくる感じがします。どれも同じことをおっしゃっている感じがして、甲乙つけがたいところです。

回答No.3

違うかも知れませんが、今は何でも否定する時代です。 感情移入するには、肯定的に捉えられないとできません。 しかし、特に実在する人物などは「見下した者勝ち」の世界で、むしろ見下すだけで、より自分が偉くなれる時代です。 そして、漫画に出てくる主人公などは肯定的に捉えられるのでしょうが、所詮「あり得ない設定」での主人公なので「こんなにうまくいくハズがない」ので感情移入などできるハズも無いわけです。 「理想と現実」のギャップが広がれば広がるほどに、感情移入はしづらくなるものと思います。

oozora2000
質問者

お礼

「何でも否定する時代」、「見下した者勝ち」・・・なるほど。 だから、感情移入できないんですね。

回答No.1

私は読書があまり好きではありません エッセイ・新聞・辞典は苦になりませんが 小さいころから読書の重要性を知らずここまできました ですので、アンデルセンとかグリム童話って言われてもピンとこないんです お恥ずかしい… でも、人生楽しいです 親の言うとおりのレールから脱線して正解と思っています 人生1回ですからね

oozora2000
質問者

お礼

1回の人生を楽しんでください。 それには読書によって色んな人生を楽しむことをお勧めします。

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