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日本の靖国神社と海外比較に付いて

護国神社―靖国神社に名前変わりまして今日ですが出征兵士は靖国神社か郷土の慰霊碑に祀られるで五体満足でもし帰還出来なくても心の拠り所が有ったかと思いますが 外国の兵士等のその辺が全く無知なんですが米兵でもシナ兵でもそういう出征時の心の機微はどうしてたんでしょうか? 米兵のアフガン出兵兵等でも戦死して帰国したら国立墓地に埋葬で郷土の教会で葬式とかと思いますが出生時の心得見たいなのが如何なのか無知何ですよねー。

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  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

国によっても結構違いますが「出征時の心得」は大きく分けると以下のような感じです・ ・君主国などの場合、君主に忠誠を尽くし戦死することは名誉 ・宗教国家の場合、神の思し召しによって、聖戦で戦死するのは殉教 ・民主国家の場合、国を守るために戦って死ぬのは栄誉 日本人がよく理解していないのは「国が滅ぶかもしれない」という危機感です。日本だけは2000年近く異民族に征服されたことがない、という国ですが、ほかの国はすべて「異民族の侵攻を受けて危ないところだった」とか「となりの国に占領されて一時期「国」が無かったけど、取り戻した」とか「自分の住んでいる地域は、時代によって、今の国だったり、隣の国だったりした」という経験を有しています。 もちろん、守りきることができずに、ずっと支配される民族の側だったり、そもそも滅ぼされて民族が今ではもう居なかったり、民族はあるけど自分たちの国は無い、という人たちが現代でもいるのです。 ですから「自分の所属している国を守ることは無条件に名誉」なんです。 これが前提です。 そのうえで、ヨーロッパ諸国は、フランスとドイツが長い間戦争をしていたり、スペインが一時期イスラムの支配を受けたり、と「自国の存続」についてかなり強く意識をもっています。ですから「国のために戦って死ぬのは栄誉であり、国民は戦死者がいることで国が存続していることをよく理解しリスペクトしている」といえます。 スイスに至っては、隣国からの侵攻が多すぎて「スイス」を守るために国民全員で戦って、国民が滅びない限りはスイスは滅びない、というぐらい壮絶な覚悟があります。国民皆兵制ですし、中立国ですから助けてくれる国などはないからです。(ちなみに、そういうスイス兵の特性から、バチカン市国を守るのは伝統的にスイス兵です。またスイスは傭兵で出稼ぎをする人々がたくさん居る国でもあります) アフリカ大陸の人々は「部族」の感覚からまだ出ておらず、国家的な意識は薄いです。ですので、部族同士の戦いは大いに盛り上がりますが、たとえばPKFなどで「国家として世界平和に寄与する」というのはあまり理解できません。 アラブ諸国などの首長国や君主国は、実は傭兵を使います。自分の国の国民は守るべきものであっても戦いに参加させるものではないからです。 東南アジアや南米は第2次大戦後、独立した国が多いので国民教育として「国を守るのは名誉」という教育を行っていますが、民族も多かったり公用文字も多かったりしてそもそも「国民としてまとまろう」というレベルでがんばっている、という国も多いです。 中国については、共産党の軍隊ですので「戦死者は共産党として栄誉を与える」ということになります。 戦前の日本は、立憲君主国として、天皇に命をささげる忠誠心と国を守る愛国心がごちゃごちゃになっていました。イギリスのように、歴史が長くなんども戦争をしていれば、整理されたのでしょうが、その前に敗戦でイヤになってしまったのです。 イギリスなどの立憲君主国の王や皇太子などは、軍隊に服務するのが通例で、そこで国民は臣民としてまた国民として王家を尊重しながら愛国心を養う、のですが、現代の日本の天皇家は学者一家になっています。もちろん戦前は皇族も軍務についていました。 王家と国民が一緒に戦うのが立憲君主国といえます。 アメリカは非常に特殊な国です。アメリカは移民の国であり、国家の理想とその象徴である星条旗に忠誠を尽くすことが「国民の義務」です。 アメリカの学校では国旗を教室に掲げるのは「義務」になっています。そして小学生から毎朝「忠誠の誓い」を唱和しています。 こういうことを繰り返すことで「愛国心」と帰属意識を高めています。いずれにしても、その根底にあるのは「国は自分たちで守らないと滅びる」という意識です。日本人にはまったくぴんと来ない意識で、それが質問者さまのいう無知につながっているのです。

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回答No.2

j兵士として徴集され、そのまま帰ってこなかった事例は古今東西いくらでもあるので、勝手な憶測は慎みべきではないでしょうか。万葉集やイリアスあたりから読まれてはいかがでしょうか。 母の父親は生まれたばかりの赤ん坊を残して出征し、南太平洋で戦死しました。家族のことを思う手紙は母の棺に納めて葬りましたが、家族のために戦う決心はあるものの、靖国神社などまったくあてにしていなかったようです。 日本人ならどうか、アメリカ人ならどうかという浅薄な理解は、単なる空想に過ぎないと思います。もっと多くの人びとの内心に分け入って探る必要があるでしょう。 なお、アーリントン国立墓地は軍人のための墓地で、戦死者で葬られるのは家族が希望した場合だけです。墓地の中に無名戦士の墓があるので誤解されます、宗教施設ではなく、また南軍兵士の墓地もあり靖国神社のように国家のために戦ったというわけでもありません。

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  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

>>外国の兵士等のその辺が全く無知なんですが米兵でもシナ兵でもそういう出征時の心の機微はどうしてたんでしょうか? 映画の『ネイビー・シールズ』(2012年)では、登場する人物は、実際のシールズ隊員やその家族たちが、家族役として出演していました。 (登場する人たちが、みなプロってことで、戦闘シーンでは、通常ありえない「実弾」を使っての撮影もされたそうです。) 兵士が家族と別れ、家を出るシールでは、家族役の方は、夫を笑顔で送り出して、ドアを閉めたあと、泣き崩れるのですけど、実際にそんなシーンを経験しているので、自然に涙が出たとか。 兵士の考え方としては、昔の日本帝国海軍、陸軍の兵士たちと同様に、「自分の国や家族を守るため、世界を良くするために、自分の命を投げ出す覚悟で戦場に向かう」というように描かれていましたね。 沖縄の米兵であれば、「我々が命を張って、友人の国である日本人を守っている!」という自負があるようです。 まあ、なんにしても、動機・心情としては、そういう理想論的な面は基本的にあるけど、現実面では、いざ、出征となれば、嫌だと思う気持ちもある。でも、拒否したら、医療保険が使えるとか、奨学金の返済請求がやってくるとか、経済面で不利になるから、『プラスとマイナスを考えて、拒否せずに行くしかない』ってこともあるみたいです。 なお、シナ兵については、中国人・朝鮮人は、みなさんも「30万人南京大虐殺」「従軍慰安強婦制連行問題」でご存じのとおり、嘘・デッチアゲのプロパガンダしか無い国です。天安門事件・光州事件のように、真実は隠され、存在しない事件を流す国です。だから、彼らの心情を正直に表現したような映画を見たことないので、よくわかりません。 中国大陸では、シナ兵は、日本軍とまともに戦わず、逃げてばかりだったといいますし、大東亜戦争後、それまで50年ちょい、日本統治下にあった台湾に、蒋介石が本省人として乗り込んで「おまえたちは、今日から日本人じゃあなく、中国人になる。我々の同胞になるのだ!」と言いながらも、それ以降、二・二八事件で28,000人の台湾人(つまりは、日本人意識の強い人たち)が彼らにより殺害・処刑されたそうですし、それ以上の人たちが、「お前は共産党員だろう?」という理由で逮捕・処刑されていったといいます。(中国になったのに、共産党員だという疑いで逮捕ってのが、よく判らない、日本統治下であれば、わかるけど・・・) その後、発布された戒厳令は、白色テロといわれる恐怖政治の時代で、多くの台湾人が投獄・処刑されていました。 李登輝総裁が1992年に刑法を改正し、言論の自由が認められて、やっと40年も続いた戒厳令が終わりました。 台湾に入った蒋介石軍の行動を見ると、シナ兵の出征時の心情は、「なんとか、戦場で、盗みや強姦をしたいものだ!」っていう犯罪者の心情ではないでしょうか。

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    日本がアメリカと同盟を組んでいる事も、過去の先人達に対して 失礼極まりない行動だと言えばそれまでなのですが、 第二次世界大戦で散々自分達の祖先も殺されたと言うのに、 その米兵墓地に韓国大統領が参拝するのって、どうなのだろう? 韓国人のご先祖様達もまつられていますよ、靖国神社に。 でも、韓国人はそのご先祖様達は戦犯の犯罪者の人たちであり、 とてもあがめたてまつれるものでは無いと主張する。 それで、韓国人兵士を殺した米兵墓地には参拝すると言う事で、 人としてどうなのだろうと疑問符がわくところです。 ムスリムの人達が、日本はどうしてアメリカなんかと同盟を 組んでいるのだろう?やめるべきでは、と、指摘するように、 韓国でも先祖をないがしろにするこれら韓国の政策は間違って いるのでは?と、海外から酷評はされないのだろうか? 韓国の人達はカッコをつけて「俺のしかばねを越えてゆけ」と、 教えているのだと思いますが、悪く言えば、死んだらお終い、 負け組、結局強い者が正義、死者に正義など無い、俺たちに 永遠に休まる事の出来る土地などどこも存在しないと、韓国人は 自分達の子孫に教えているわけで、何か悲しさを感じるところで。 世の中の道理、厳しさを韓国人は子孫に教えていると言えば、 それまでなのだと思いますが、これってどう思いますか? 大陸的、韓国的と言えばそれまでなのでしょうが・・・。 韓国人は親の墓には行かない、親を殺した墓には行く、 すっごい鬼畜絵図だと思いません? アメリカでも日本を認める人達は存在して、日米合作で 大東亜太平洋戦争を記録映画で残そうと考える人達もいる。 アメリカの中でも日本兵を完全悪ととらえているわけでもなく、 そう言うアメリカの風潮があるにも関わらずとにかく韓国は、 所詮靖国だからと火病るのってどうしてなのだろう? アメリカの従順なる犬と言えばそれまでなのでしょうが、 アメリカが弱体化したら、手のひらかえすだろうなと思って いるのが韓国では?と、アメリカ人に疑問の感覚を抱かせない だろうか、これらの行動は。 もちろん日本もアメリカが弱体化したら同様に手のひら かえすのではと感じるのですが、やはり日本も韓国もその程度の 存在とアメリカに見られているのかなぁ?? いや、韓国大統領の行動に疑問を感じたから一応質問をUP してみました。長々とだらだら質問文を続けましたので、 わかりにくい質問をわかりやすく1つにまとめなおしますと、 以下の様になります。 【質問】 韓国大統領が米兵墓地に参拝するこの絵図ってどうなのだろう? 思うところお教えください。 何か昼の法律相談の番組のパクリみたいで何ですが、思うところ お書きくださると幸いです。

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    貴方はどのように評価され、国内外の反響を予測されますか・・・ ◇中韓・米の反応? ◇時期や参拝の仕方? ご参考:私自身の靖国神社考 靖国神社は 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する中韓の姿勢にも疑問を持ちます。 「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛強制干渉される事では決してないと思います。 誰でも、心ある人が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。<総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、本位にもかなうのでは・・・報道は参拝・慰霊の事実を結果報告で十分> 靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏戸成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。