• 締切済み

背理法と対偶法について

少し長くなるのですがお願いします。 私の使用している参考書に 「対偶による証明法も一種の背理法と考えることができる。 命題p→qが真であることをいうために¬q(qでない)と仮定して¬pが導かれたとする。 pではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる。 でも¬qならば¬pとは文字通り、これは対偶のことでこの対偶が真といえたから自動的に命題が真といってもいい」 と書かれていて この部分の意味がわからなかったので出版社に問い合わせました。 すると、このような回答を頂きました。 -------------------------------------------------------------------- 背理法は、 「pという前提条件下で、結論のqを否定して、¬qと仮定すると、矛盾が生じる。よって、p⇒q」とする論法ですね。対偶法において、この矛盾に相当するものが、 「¬pかつp」という矛盾です。なぜなら、¬q⇒¬pを示すのが対偶法だからです。 つまり、対偶:¬q⇒¬pが示されれば、この時点で「¬pかつp」という矛盾が生まれ、背理法が成立したことになります。 -------------------------------------------------------------------- 私は以前、この事に関する質問をここでして回答をいただいたのですが その時に頂いた回答をもとに考えたのがこの考え方です。 ---------------------------------------------------------------------- 「pならばq」を証明しようとしていて 「pならばq」に背理法を使って「pであって¬q」と仮定する。 その過程で「対偶 ¬qならば¬p」が証明できたとする。 「pであって¬q」と仮定しているのに対偶 ¬qならば¬p なので pではないため矛盾する。  よって「pならばq」は真である。 命題の対偶が証明された場合、普通は自動的に命題が真であると考えますが この説明文では 「命題の対偶が証明されたあと、背理法を使って命題が真であることを証明することになるので 対偶による証明法も一種の背理法と考えることが出来る」 ということが書かれている。 -------------------------------------------------------------------------- 出版社から頂いた回答と、この自分の考えが 合っているのか自信がもてません。 出版社にはこの事以外にも色々質問していて、何度もメールしづらいのでここで質問させてもらいました。 よろしくお願いします。 

noname#188197
noname#188197

みんなの回答

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.10

● pseudonym2013 さん がお持ちの参考書より。   対偶による証明法も一種の背理法と考えることができる。   命題 p → q が真であることをいうために ¬q ( qでない ) と仮定して ¬p が導かれたとする。★ p ではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる。 ● この文章が伝えようとする内容を具体的に理解しないと、pseudonym2013 さん が抱える悩みは解消されないかもしれません。   ★ 印 の後ろに位置する一文が理解しづらいはずです。「 ★ 印 の後ろに位置する 命題 p はいったいどこからわいてきたのか 」という問いかけに答えを見いだすことができれば、悩みの解消につながるかもしれません。 ● その 命題 p の出どころについて   ★ 印 の直前において、対偶が真であることが証明済みとなりました。すなわち、★ 印 の直前において、次の 命題 1) が真であることが証明済みとなりました。 1) ¬q → ¬p   ¬q ならば ¬p   この 命題 1) が真であることが証明されると、次の 命題 2) が自動的に真となります。 2) p → (¬q → ¬p)   p ならば「 ¬q ならば ¬p 」   また、次の 命題 3) は、命題 p の真偽に関係なく、真となります。 3) p → p   p ならば p   ですから、命題 1) が真であれば、次の 命題 4) は自動的に真になります。 4) p → ((¬q → ¬p) ∧ p)   p ならば「『 ¬q ならば ¬p 』であって p 」 ● 命題 1) が 真であれば 命題 4) が自動的に真となることを踏まえて、回答 No. 3 "出版社の説明" および 回答 No. 6, 7, 8 をお読みください。   理解しづらい個所がございましたら、補足機能を利用するなどして、遠慮なくご指摘ください。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.9

● とり急ぎ、ご連絡まで。 ● 背理法   http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%83%8C%E7%90%86%E6%B3%95/   記事の後半に 2 つ の例が。2 例目 が対偶が真であるという結果を用いた背理法。   1 例目 は MagicianKuma さん 回答 No. 4 の最後の記述。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.8

● ごめんなさい。さらに訂正です。回答 No. 3 < * 1 > の訂正に伴い、回答 No. 3 "出版社の説明" に訂正個所が発生しました。 ● [ 誤 ]   そこで、p ならば q という命題が真であることの証明を通常どおり行なう途中で "背理法を用いる"。まず、命題 p が真であるとする。 ● [ 正 ]   そこで、p ならば q という命題が真であることの証明を通常どおり行なう途中で "矛盾を導く"。まず、命題 p が真であるとする。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.7

● ごめんなさい。回答 No. 3 < * 1 > の訂正です。   回答 No. 3 < * 1 > については、回答 No. 4 における MagicianKuma さん のご指摘どおりであると、私は考えます。MagicianKuma さん、pseudonym2013 さん、閲覧者のみなさん、たいへん失礼いたしました。 ● [ 誤 ] < * 1 >   pseudonym2013 さん の考えかたでは、"背理法による証明の対象" が p ならば q という命題全体であったのに対し、出版社の説明では、その対象が 命題 q のみ。 ● [ 正 ] < * 1 >   pseudonym2013 さん の考えかたでは、"矛盾が導かれたことによって影響を受ける対象" が p ならば q という命題全体であったのに対し、出版社の説明では、その対象が 命題 q のみ。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.6

● 私の 回答 No. 3 における "出版社の説明" の解釈はまちがっているというご指摘を、回答 No. 4 において、MagicianKuma さん からいただいたようです。   現時点において、その解釈はまちがっていないと、私は思っています。 ● ∧ は「 であって 」「 かつ 」を表わし、   ¬ は「 否定 」を表わし、   → は「 ならば 」を表わし、   ≡ は「 同値 」を表わす記号であるとします。   ( 左辺の命題 ) ≡ ( 右辺の命題 ) とは、   すなわち「( 左辺の命題 ) と ( 右辺の命題 ) が同値である 」とは、   (( 左辺の命題 ) → ( 右辺の命題 )) ∧ (( 右辺の命題 ) → ( 左辺の命題 )) という命題が   トートロジー (= 恒真命題 ) であることを表わすものとします。   a, b, c, p, q は任意の命題を表わす記号であるとします。 ● まず、次の 1) が正しいことを確認します。 1) (a ∧ b) → c ≡ a → (b → c)   p → q という命題が真であることを証明するために、次の 2) という命題が真であることを証明します。( ここでの矛盾とは、p ∧ ¬p という命題のことです ) 2) (p ∧ ¬q) → ( 矛盾 )   ここまでは、問題がないと思われます。   そこで 上記の 1) を利用します。この 命題 2) は次の 命題 3) と同値になります。 3) p → (¬q → ( 矛盾 ))   すなわち、命題 2) 3) はいずれも p → q という命題と同値になるわけです。   ですから、この 命題 3) に沿った証明も有効であろうと、私は考えます。   回答 No. 3 における "pseudonym2013 さん の考えかた" は、命題 2) に沿った証明であり、回答 No. 3 における "出版社の説明" は、命題 3) に沿った証明です。 ● 出版社からの回答の冒頭から。   背理法は、「 p という "前提" 条件下で、結論の q を否定して、¬q と "仮定" すると、矛盾が生じる。…   "前提" と "仮定" が使い分けられています。この使い分けは、「 命題論理の自然演繹体系 」で行なわれているようです。出版社からの回答はこの「 … 体系 」に従ったものではないかと、私は推測しました。この「 … 体系 」なるものを、私はほとんど理解していません。   この「 … 体系 」によれば、"仮定" は "前提" の一種であるらしいです。そして、"仮定" はのちに消えるらしいです。   回答 No. 3 における "出版社の説明" では、もちろん、"前提" が p で、"仮定" が ¬q です。矛盾が導かれた時点で、"仮定" の ¬q は消えています。   回答 No. 3 における "pseudonym2013 さん の考えかた" では、"前提" は最初から存在しません。"仮定" は p ∧ ¬q です。矛盾が導かれた時点で、"仮定" の p ∧ ¬q は消えています。 ● 以上の私の回答もまちがっていました場合は、ひらにひらにごめんなさい。

回答No.5

私の理解はこうです。 証明したい命題を p とすると 背理法 p = false から q = true と q = false を導く 待遇証明 p = false から から恒偽命題を導く

回答No.4

まず背理法を整理してみましょう。 目的:ある命題Xが真であることを証明したい。 背理法:Xが偽と仮定してみる。すると、矛盾が生じる。なのでXは真。 矛盾というのは、ある命題Yと¬Yの両方が成り立つことです。ここでYは証明済みの命題でもよいし、証明されてない命題でもよい。 (矛盾というのはある命題が偽のことではありません。ある命題が真であることと、偽であることが両方とも導き出されることです。) では、p⇒qを証明したいとする。重要な点は、pを証明したいわけでもなく、qを証明したいわけでもなく。p⇒qを証明したいわけです。 背理法に従って、p⇒qが偽と仮定します。すなわち、¬(p⇒q)が真と仮定します。¬(p⇒q)=¬(¬p∨q)=p∧¬q ですから、 pかつ¬qが成り立つと仮定するわけですね。これから矛盾が導き出せれば仮定が間違いで、証明できたということになります。 ところで、¬qが真として、¬pが導き出されたとすると、まさしく、上記p∧¬pの仮定と矛盾するわけです。この意味で背理法になっています。 上記の流れは、¬q⇒¬pを導いたわけですから、この形はp⇒qの対偶を証明したという形になっているということです。 ですから、出版社の表現はわかりにくいです。 「命題p⇒qが真であることをいうために¬qと仮定して¬pが導かれたとする。pではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる。」 背理法で仮定すべきは、¬qではなく、あくまでp⇒qの否定を仮定します。これがp∧¬qとなります。 まとめると、 対偶法:対偶の真理表は元命題と一致することがわかっているから、p⇒qの対偶をとって、¬q⇒¬pを導けばよい。という考え方。 背理法:p⇒qの否定(すなわちp∧¬q)を仮定して¬pが導き出された。よって矛盾。仮定が間違い。という考え方。     上記背理法では、¬pではなく、全然別のYと¬Yが導き出されてもよいところが対偶法との違い。     たとえば、pからYが¬qから¬Yが導き出されても矛盾。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.3

● ごめんなさい。回答 No.2 における 7) 8) は混乱を招く無駄な遠回りだったようです。どうかお許しください。回答を以下のとおり記述しなおしてみました。 ● pseudonym2013 さん の考えかた 1) ¬q ならば ¬p   上記の 命題 1) が真であるという結果をすでに得ている。   そこで、p ならば q という命題が真であることを証明するために、その 否定命題 ¬(p ならば q) が真であるとして矛盾を導く < * 1 > 。すなわち、p であって ¬q という命題が真であるとして矛盾を導く。 2) (p であって ¬q) ならば ¬q   上記の 命題 2) は トートロジー (= 恒真命題 ) である。よって、命題 2) は真である。   命題 1) 2) が真であることから、三段論法 < * 2 > により、次の 命題 3) が真となる。 3) (p であって ¬q) ならば ¬p   一方、次の 命題 4) はトートロジーである。よって 命題 4) は真である。 4) (p であって ¬q) ならば p   上記の 命題 3) 4) が真であることから、p であって ¬q という命題が真であれば、矛盾が導かれる ( この場合の矛盾とは、p であって ¬p という命題 < * 3 > )。   以上の結果から、p ならば q という命題が真であることが証明された。 ● 出版社の説明 1) ¬q ならば ¬p   上記の 命題 1) が真であるという結果をすでに得ている。   そこで、p ならば q という命題が真であることの証明を通常どおり行なう途中で背理法を用いる。まず、命題 p が真であるとする。   このとき、命題 q が真であることを証明するために、その 否定命題 ¬q が真であるとして矛盾を導く < * 1 > 。   命題 p が真であるから、次の 命題 5) は必ず真となる < * 4 > 。 5) ¬q ならば p   上記の 命題 1) 5) が真であることから、命題 ¬q が真であれば、矛盾が導かれる ( この場合の矛盾とは、p であって ¬ p という命題 < * 3 > )。   以上の結果から、命題 p が真であるとき、命題 q が真であることが証明された。すなわち、p ならば q という命題が真であることが証明された。 ● < * 1 >   pseudonym2013 さん の考えかたでは、背理法による証明の対象が p ならば q という命題全体であったのに対し、出版社の説明では、その対象が 命題 q のみ。 < * 2 >   a, b, c は任意の命題を表わす記号であるとする。   ((a ならば b) であって (b ならば c)) ならば (a ならば c) という命題はトートロジー。よって、((a ならば b) であって (b ならば c)) ならば (a ならば c) という命題は真。 < * 3 >   a, b, c は任意の命題を表わす記号であるとする。   (a ならば b) であって (a ならば c) という命題は、   a ならば (b であって c) という命題と同値。   c を ¬b と置き換えて、3) 4) という命題の組と見比べる。同様に、1) 5) という命題の組と見比べる。 < * 4 >   a, b は任意の命題を表わす記号であるとする。   a ならば (b ならば a) という命題はトートロジー。よって、a ならば (b ならば a) という命題は真。 ● 以上の回答にも落ち度がある場合は、ひらにごめんなさい。

  • Caper
  • ベストアンサー率33% (81/242)
回答No.2

● pseudonym2013 さん の考えかたと、出版社の説明との間には、少しだけ差異があると、私は考えます。   着目すべきは、出版社の説明に見られる用語の使い分けです。「 前提 」「 仮定 」   これらの用語の説明は、省略します。それを正確に行なう自信が私にはありません。 ● pseudonym2013 さん の考えかたは、次の 1) であると、推測します。 1) (p であって ¬q) ならば 矛盾   出版社の説明は、次の 2) であると、私は推測します。 2) p ならば (¬q ならば 矛盾) ● 要点は次のとおりではないでしょうか。 3) 矛盾とは、平たく言えば、偽 である命題のこと。 4) a であって ¬a は矛盾であること。 5) (a であって b) ならば c という命題と   a ならば (b ならば c) という命題は同値であること。 6) a ならば 矛盾、すなわち a ならば 偽 という命題と   ¬a という命題は同値であること。 7) b ならば c という命題が真であると証明されれば、a の真偽を問わず、   a ならば (b ならば c) という命題が真であると必ず証明される。 8) a ならば (b ならば c) という命題と   a ならば (b ならば (a であって c)) という命題は同値であること。 9) 上記の 命題 1) が真であると証明された場合、   上記の 6) より ( a = p であって ¬q と置く )、   ¬(p であって ¬q) という命題が真であると証明される。   すなわち、p ならば q という命題が真であると証明される。   上記の 命題 2) が真であると証明された場合   上記の 6) より (a = ¬q と置く )、   p ならば q という命題が真であると証明される。 ● 以上の回答がまちがっていました場合は、ひらにごめんなさい。

noname#221368
noname#221368
回答No.1

 そうですね。 >「pならばq」を証明しようとしていて >「pならばq」に背理法を使って「pであって¬q」と仮定する。 そして¬pという結論を出す。ところが「pであって¬q」だからpも成り立つ。従って矛盾。故にp⇒q。  ・・・という「記述の仕方」は、少し古臭いかも知れないですね。命題理論において、   (p⇒q) ⇔ (¬q⇒¬p)   (1) は保証されているので、自分は、背理法と対偶は同じと考えて問題ないと思っています。  ただ命題理論を地道にたどると、対偶の前に「証明の方法」として背理法が先に出てきて、対偶はその系(結果)となっているのが普通です。そこでの背理法とは、   (Pかつ¬P) ⇒ Q   (2) となります。ここでQは任意の命題です。つまり矛盾した前提からは、何でも結論できるという、考えようによっては当たり前の結論です。この事を根拠にして(1)が導かれますが、その手順は、まさに背理法の古臭い「記述の仕方」そのものです。  数学はけっこう律儀なところもありますから、今回は原典の古臭い「記述の仕方」が偶然に残っていただけだ、と考えてかまわない気がします。  ちなみに(2)の対偶をとってみますか(^^)。   ¬Q ⇒ (Pまたは¬P)   (3) ですが、(3)でPも任意の命題にとれます。またQも任意の命題だったので(3)は、   Q ⇒ (Pまたは¬P)    (4) と書いても意味は同じです。そして普通、「Pまたは¬P」は絶対に真です。(4)の意味は、真な命題の真偽性は、前提に影響されないと読めます。これもまた、ある意味当然の結論です。  このような観点から命題理論を見直すと、なぜ論理が有効に働くかを、感覚的に把握できるようになると思います。で、その見直しは、けっこう面白いですよ(^^)。

関連するQ&A

  • 対偶法も背理法の一種という考え方について

    あるテキストの「対偶法も背理法の一種として考えることが出来る」ということについての説明で 命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。 「pならばq」を背理法で証明するために「pならば q」を否定して「pかつ¬q」。 証明されている「¬qならば¬p」はpではないので 「pかつ¬p」となり矛盾。 背理法が成立して「pならばq」は真。 対偶法なら 「命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。」の段階で自動的に命題が真といっていい。 という説明があるのですが なぜこれが「対偶法も背理法の一種として考えることが出来る」ということになるのか理解できず 出版社に問い合わせたところ 「対偶が成り立つので、矛盾が生じ、背理法が成立する。 よって、元の命題が成立する」 ということのようなのですがいまいち理解が出来ません。 私の考えでは、 対偶法による証明法の場合、対偶が証明された時点で自動的に命題は真である、と考えますが 対偶をつかって背理法によって命題が真であることを証明できるので 対偶が証明されたあと、自動的に命題が真であるということではなく 背理法によって命題が真であると言っているということが出来るので 対偶による証明法も一種の背理法と考えることができる ということだと思ったのですが、出版社の説明と私の考えはどのあたりが違うのでしょうか? 私はあまり数学が得意ではなく、これも数Iのレベルのものなので そんな私でも理解できるように説明していただけると助かります。 よろしくお願いします。 この質問とは違うのですが、これら関する質問を以前ここでさせてもらい、参考にさせてもらいました。 その時回答をしてくださった方ありがとうございました。

  • 対偶による証明法と背理法による証明について

    数学Iの内容なのですが自分の使っている参考書に 対偶による証明法も一種の背理法と考えることが出来る。 命題p⇒qが真であることをいうために¬qと仮定して¬pが導かれたとする。 pではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる。 でも¬q⇒¬pとは文字通りこれは対偶のことで、これが真と言えたから 自動的に元の命題が真といってもいい と書いてあるのですが、色々な所で質問してみたのですが どうしてもあまり理解ができません。 (1)命題p⇒qが真であることをいうために¬qと仮定して¬pが導かれたとする 導かれた形は¬q⇒¬p 背理法の仮定の形では¬q⇒p (2)pではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる この導かれた形が¬q⇒¬pで命題の対偶の形をしていて それによっても命題が真であることが示されているから 対偶による証明法も一種の背理法と考えることが出来る、と書かれているのでしょうか?

  • 背理法と対偶法の関係について

    自分の使っているテキストに 対偶法も一種の背理法と考えることが出来る。 命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。 命題を背理法で証明するために「pならばq」を否定して「pかつ¬q」。 証明されている「¬qならば¬p」はpではないので 「pかつ¬p」となり矛盾。 背理法が成立して「pならばq」は真となる。 対偶法なら 「命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。」の段階で自動的に命題が真といっていい。 という事が書かれており これは 「対偶法の考え方でみると「対偶が真」と証明された時点で、自動的に命題が真であると考えますが 対偶法の「対偶が証明されると、元の命題が真になる」 という流れが自動的にではなく背理法によって証明されている、と考えることが出来るので 対偶法は背理法であると考えることが出来て 「対偶法は一種の背理法と考えることが出来る」ということになる」 ということが書いてあるということで理解できました。 しかし、なぜ「一種の」と書かれているのか気になっています。 そこはあまり深く考えなくてもいいと別の場では言われたのですが、ここがわからないと理解できた気がせず、どうしても気になってしまい悩んでいます。 自分が考えているのは 対偶法を背理法として考えた場合、 それは「 背理法の中の対偶を示して証明する形式のもの」 を表している。 しかし背理法は対偶以外を示して証明することも出来るので 「背理法の何個かある証明の形式のうちの一つと同じと考えることが出来る」という意味で 「一種の背理法」という表現がされている ということかと考えています。 この考え方で間違っていることはあるでしょうか? どうかよろしくお願いします。

  • 対偶を示して証明する背理法について

    対偶証明法も背理法の一種と考えることが出来る。 という考え方があるのですが それで、その理由について 「命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。 命題を背理法で証明するために「pならばq」を否定して「pかつ¬q」。 証明されている「¬qならば¬p」はpではないので 「pかつ¬p」となり矛盾。 背理法が成立して「pならばq」は真となる。 対偶法なら 「命題「pならばq」を証明する過程で、「¬qならば¬p」が証明できたとする。」の段階で自動的に命題が真といっていい。」 という説明があるのですが 自分は 対偶証明法は 対偶を示して証明する形式の背理法と 「対偶を示して証明する」という流れが同じなので 対偶証明法も 見方によって 「対偶を示して証明する形式の背理法」と考える事が出来るので そういう意味で 「対偶証明法も背理法の一種と考えることが出来る」 ということになる、と 理解したのですが この考え方は間違っているのでしょうか?

  • 背理法による証明と対偶による証明法について

    自分の使っている参考書に 「対偶による証明法も一種の背理法と考えることができる。 命題p→qが真であることをいうために ̄q(qでない)と仮定して ̄pが導かれたとする。 pではないからこれは矛盾で背理法が成立したことになる。 でも ̄qならば ̄pとは文字通り、これは対偶のことでこの対偶が真といえたから自動的に命題が真といってもいい」 と書かれているのですがいまいち意味がわかりません。 どういうことなのでしょうか? 数1の内容なのですがあまり数学が得意ではないので簡単に教えていただけると助かります よろしくお願いします。

  • 対偶と背理法

    こんにちは。  実数xが無理数であるとき,2xは無理数であることを証明せよ。 対偶は 2xが有理数ならばxは有理数である。     2xが有理数なので、2x=p/q (pとqは互いに素)とおける。     両辺2で割って、x=p/2q である。ここで、右辺のp/2qは有理数     であるから、左辺xも有理数。     対偶が真なので元の命題も真である。 これを背理法で解くとき,     2xを有理数とすると,2x=r (rは有理数)とおくと,x=r/2      rは有理数なので,r/2も有理数である。このことはxが無理数で     あることと矛盾する。     したがって,2xは無理数である。 何がどう違うのでしょうか。

  • 背理法

    問題 背理法を用いて、次の命題が真であることを示す。 命題:”√3は無理数である” ここで、背理法による証明はP→q や qであるが真であることをいうためにはまず ̄q(qではない)と仮定して矛盾を示すのでこの問題では、 √3は有理数であることを仮定しますが、 ここで有理数ということなので、整数、分数と改定しますが、なぜ既約分数で表すのでしょうか? 有理数は整数でもよいので 例えば、3やー4でもよいのでは? そこのところを教えてください。 疑問です。

  • 数学A 対偶と背理法

    命題が真であることを証明するのに、どういう場合に対偶を用いて証明し、どういう場合に背理法を用いて証明すればいいのか分かりません。 どなたか、教えてください。

  • 背理法の必要十分性について

    背理法の必要十分性(正しさ?)について教えてください! つまり、背理法でP⇒Qを証明するにあたり、題意の命題が真であることは前提としてよいのでしょうか??そうでなければ、たとえばP∧(Qの否定)から矛盾が生まれたとしても、命題が真とは言えないはずでは??(集合の考え方で、(P⇒Q)⇔(P⊆Q)を考えれば明らか)

  • 対偶法による無理数の証明について教えて下さい。

    √2が無理数ならば√2+1は無理数であることを証明せよ。 を背理法ではなく、対偶法で以下のように考えました。 √2+1=P(有理数)とすると√2=P-1(有理数)となり√2が有理数であること が証明された。 よって対偶法が真なので元の命題も真である。 これでも問題ないですか?