• 締切済み

冠詞用法の基本定義

a 第二者との共通認識が無い存在に対して、抽象的意味合いとして付けられる the 第二者との共通認識が有る存在に対して、具体的意味合いとして付けられる 例外があればこんな風に教えて下さい。

noname#177461
noname#177461
  • 英語
  • 回答数7
  • ありがとう数7

みんなの回答

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.7

第ニ者/第三者との共通認識の有無と無関係に発信者のイメージが優先し名詞の前に冠詞がついたりつかなかったりする。 例) 学校では、例えば「昔、昔あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。」と文を始めるようなときは、Once upon a time, there was an old man and an old woman.で始めるようなことを習ったと思います。 このルールが頭にあるとたとえば、冒頭で The stranger came early in February, one wintry day ... という文をみると定冠詞を使うのは間違いではと思う英語学習者もいますが、これはH.G.ウエルズの「透明人間」の冒頭文です。 小説や映画などでは、いきなり定冠詞をつかって、読者/視聴者の疑問をあとで分るようにさせる手法もあるようです。 また発信者自身があるときはtheを用い、あるところでは用いないというようにルールがはっきりしないような例もあります。たとえば、Earth and the moonと書いたところもあればthe Earth and the moonと書いてあるようなレポートもnasaのサイトにあるようです(時に理由なくそのときの気分で帰るのかも知れませんが)。 これなどは、「彼は入院している」を、米国ではHe is in hospital.でなくHe is in the hospital.もOKとされることと似たようなことかも知れません。 蛇足で以前も回答したことですが、似たような建物、学校、施設などの名詞でtheがついたり、ついてなかったりすることがありますが、一般的なルールでは理解できないものは関係者に聞くしかないこともあると思います(つけたのが昔のことで誰もほんとのことは分らないということもあるかもしれませんが)。

noname#177461
質問者

お礼

ありがとうございました。 要は発言者の意識次第で、「絶対こうでなければならない」という場合ではないこともある、ということですね。

  • tadys
  • ベストアンサー率40% (856/2135)
回答No.6

No.4 です。 a と the の違いについて、私は次のように理解しています。 a: 同じようなものが複数あるうちから、取りあえずどれか一つを示す場合に使う。 同じようなものであれば、別のものを持ってきてもかまわない。 the:同じようなものが複数あるうちから、何か特別のものを示す場合につかう。 同じようなものでも、別のものに変えることはできない。 目の前にかざして、 This is a pen. と言われた時に、別の pen を示して Is this a pen? と質問した時の答えは Yes. 目の前にかざして、 This is the pen. と言われた時に、別の pen を示して Is this the pen? と質問した時の答えは No.

noname#177461
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • litsa1234
  • ベストアンサー率28% (230/795)
回答No.5

>>冠詞用法の基本定義 a 第二者との共通認識が無い存在に対して、抽象的意味合いとして付けられる the 第二者との共通認識が有る存在に対して、具体的意味合いとして付けられる 「冠詞用法の基本定義 a 出来事(eventイベント)を発話する際、その発話以前に聞き手との間にそれについての共通認識がない場合、具体的な存在を示す存在量化子としての役割を果たす記号である。 the 出来事(eventイベント)を発話する際、その発話以前に聞き手との間にそれについての共通認識がある場合、そのことの確認をするための記号である」 以上のように定義すれば少しはましなものになるのではないかと思われます。 以上、参考になれば幸いです。

noname#177461
質問者

お礼

なるほど、その方が少しはマシなのかもしれません。でもそれは限定的な範囲をカバーしているだけなのかもしれません。 ありがとうございました。

  • tadys
  • ベストアンサー率40% (856/2135)
回答No.4

目の前にかざして、 This is a pen. と言う時の pen 共通認識のもとに有ります。 What is the matter? の場合は、共通認識が無いから質問してるんですよね。 a matter の用法を調べたら有りました。 What is a matter in science? この場合は the より a の方がしっくりします。

noname#177461
質問者

お礼

ますます、訳が分からなくなって来ました。 ありがとうございました。

回答No.3

a の方はばくぜんとした「不特定」,「任意」 the は「特定」 ネイティブの人に the のことをきくとたいてい that ~のことだよ,って言います。 こういう不特定・特定を「抽象」「具体」と置き換えるのは自由です。 でも,不可算の説明がしにくくなってきます。

noname#177461
質問者

お礼

a problem 漠然とした不特定の問題=(抽象的)問題としか言いようがありません。 the problem 特定の問題=具体的ある問題を指します。 自由ではありません。これが日本語です。 Wikiにおける可算不可算の概念が難解であることと、この認識には深い関係がありそうですね。 それでは、冠詞などの付加要素が一切付かない、 Guess problem. だとどういう意味になるのですかね? 松香洋子先生の著書に従えば、 「問題を思う真似をしてください」 という訳になるはずなのですがね(『英語、わかりますか?』P39)。 ありがとうございました。

回答No.2

>a 第二者との共通認識が無い存在に対して、抽象的意味合いとして付けられる こんな風に考えて a をとらえている英語学習者はまずいないと思いますよ。 日本語と英語で違うのはそうでしょうが, 不可算名詞は「抽象名詞」と「物質名詞」と普通は習います。 少し前に「問題」という日本語は抽象的なので problem が「抽象名詞」ではないか というような質問があったように記憶しています。 でも problem は基本的に可算名詞です。 「もの」の意味の stuff が不可算 日本語では割り切れないところはあります。

noname#177461
質問者

お礼

可算不可算の区別が非常に難解で詰まっております。 「その問題」は、1個として数えられる具体(可算) 「問題」は抽象(不可算) これが日本語。 problemが可算だというなら、 problem(問題) a problem(ある問題) the problem(その問題) http://eigobenkyouhou.com/archives/68 苦し紛れに見つけた他人様のサイトですが、いかがでしょう? かいつまんで言うと、欧米人は一体何を考えているのでしょうか。本当のプロブレムは、「あいつら一体何考えてんの?」ということだと思います。 ありがとうございました。

回答No.1

抽象的な場合は不可算となり,a はつきません。

noname#177461
質問者

お礼

英語と日本語の「抽象的」の示す範囲が違うのではないでしょうか。 そもそも可算不可算の区別はwikiを参照する限りにおいては非常に難解であり、現在勉強中であります。 冠詞の概念が解らない限り、先に進めないような気がします。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 冠詞について教えてください

    lifeのような抽象名詞は不可算名詞と思い込んでいたのですが 辞書をみると可算名詞と不可算名詞が載っています。 (1)Life is short. (2)I am leading a happy life. 調べてみると(1)は一般的で抽象的な「人生」の意味なので無冠詞、(2)はもっと具体的な「暮らし」や「生き方」なので数えられる名詞として扱うと書いてあります。 抽象名詞を可算名詞と扱うのか不可算名詞と扱うのか判断するときに、何かこの違いがわかるインパクトのある説明がありましたら教えてください。

  • 無冠詞とゼロ冠詞について

    はじめにゼロ冠詞について私独自の見解を述べます。おかしいところやわかりにくいところがあればご指摘をお願いします。特に、説明のための論理的な整合性が保たれているかどうかをチェックしてください(歴史的な事実であるかどうかは当方は気にかけていません)。 例えばここに、無色・無臭の透明な液体(水)があったとして、それを概念化してwaterと名づけたとします。概念のwaterは心の中に存在するものなのに、どういうわけか文中(談話中)で使われます。ということは、名づけられた時点で概念は文中で語彙として使われる資格を与えられたのだとしか考えようがありません。  ところが、その後、数えられるものと数えられないものとの区別が行われるようになり、数えられるものを文中で言い表す際には、それが一個の個物である時は不定冠詞がつけられるようになりました。例えばa lionです。複数の個体である時は- s - がつけられるようになりました。これらがいわゆる限定詞です。あるものを数えられるものとして表すためには時間または空間的に限定(一定のまとまり)が必要ですが、その限定を与えるのが限定詞です。 ところで、概念のwaterはWater is a clear pure liquid. という文においては、カテゴリーを表すものであって実体ではありません。でも、カテゴリーではなく実際に水を飲む時は、コップ1杯、あるいは手のひら一杯の水を飲むので時空の制約を受けます。 数えられるものには時空の制約を受けることを示すために限定詞(- a - と - s - )がつけられましたが、数えられないものに限定詞がつかないのでは一貫性がないと言えます。一貫性を保つために数えられないものに限定詞のsomeをつけることになりました。他に量を表すものなら何でも構いません。量を表すということは時空の制約を与えることですから。I drank some / a lot of / a pint of water there. というふうに言い表されるわけです。 この段階では、概念は文中でカテゴリーを表す場合に限って、(限定詞なしで)そのまま語彙として使われる資格を与えられていると考えるしかありません。 抽象概念(観念)も、例えばFear is the feeling that you have when you are frightened. という時のfearはカテゴリーを表しますが、現実にひしひしと感じるfearの場合はI feal some fear. という言い方が可能になります。ということは、some fearは実体として扱われていることになります。物質名詞と抽象名詞を合わせてmass nounと呼ばれているようです。 文法書や冠詞の解説書などでは抽象観念は心の中にあるものなので実体ではないと書かれています。ここで言う実体とはどうやらtangibleなもの、すなわち見たり、手で触ったり、要するに五感でとらえられるものを指しているようです。ネイティブにもそのような考えの人がいます。でも、<実体>というものをもっと別の考え方でとらえた方が有意義だと思います。つまり、時間・空間という制約を持つものととらえるべきだと思うのです。そうしたとらえ方が可能であれば、数えられるものはもちろんのこと、数えられなくても五感でとらえられるもの(物質名詞)だけでなく、気分や情感としてとらえられるもの(抽象名詞)も実体として扱うことが可能になります。 そもそも、何かを認知することは五感で(知覚器官によって)とらえられるだけでなく気分や情感によってとらえることでもあると思うのです。というわけで、I feal some fear. においてはfearは実体を表すということで論を進めます。 ここまでの話をまとめます。数えられるものも数えられないものも文中で言い表わされる場合は原則として限定詞が必要とされますが、数えられないものがカテゴリーを表す場合のみ例外的に限定詞が必要とされません。きちんと紹介しませんでしたが、可算名詞でも無冠詞で概念的な表現を行う場合には限定詞が必要とされません。(go to school / work as interpreter ---)  この考え方だと、ある原則があってそれに対する例外が存在することになります。例外規定を設けずに統一的に見ることを可能にしようと思えば、カテゴリーを表すwaterに実は可視化されない限定詞がついているのだと言いくるめることも可能です。それをゼロ冠詞と呼んでいる人がいます。英語のzero articleが日本語訳された時に無冠詞という呼び名になったものと思われます。この場合の<無冠詞>は語彙化を可能にするという働きを持っていることになります。 私には、ゼロ冠詞は実体ではないのに実体と同じ扱いを受けるための免罪符あるいはおまじないのようなものに思えますが、それはそれであっても構わないと思います。 私が問題にするのは、zero articleまたは<無冠詞>という考え方を導入して、冠詞を統一的に指導すべきなのか、それとも、カテゴリーを表す場合の不可算名詞は限定詞なしでフリーパスで文中で使うことができるとすべきなのか、どちらの考え方がよいのかということです。自分はこういうふうに説明することにしていると決めておられる方がいらしゃればご意見を聞かせて頂ければありがたいです。 もう一つ問題点があります。固有名詞(の本来の用法)の取り扱いについてです。(a Mr. Smithというふうな普通名詞的用法は今回の議論から省きます)。固有名詞は実体そのものなので、問題なく文中で使えます。限定詞を必要としません。もちろんゼロ冠詞も必要としません。だから冠詞なしで使うわけですが、カテゴリーを表すwaterに冠詞がつかないのとはわけが違います。ですから、固有名詞を無冠詞で使うという言い方は誤解を招く可能性があります。冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考える(説明する)必要があります。  ここで冠詞および限定詞というものの働きを統一的にとらえて、いかなるもの(名詞)にも限定詞がつくのだと主張したいのであれば、固有名詞につく冠詞---眼に見えない冠詞でゼロ冠詞にかわるもの---を呼び名として作らなければならないことになります。調べてみると、null冠詞というものを提唱している人がいることがわかりました。たしかにこうしたものまで導入すれば冠詞の統一的な説明は可能ですが、不可視な冠詞が2つもあることになるし、冠詞が全部で4種類も存在することになってかえって煩瑣なような気がします。といって、冠詞がつかないという事態を2種類に分けて考えるのもうっとおしいような気がします。ゼロ冠詞という呼び名だけでも使ってみようかと考えたりもします。  私としては大学入試レベルの英作文で冠詞の選択(a名詞 / the名詞 / 冠詞がつかない名詞)が生徒によって確実に行われるかどうかが問題なので、ゼロ冠詞とかnull冠詞とかを導入する必要はないのですが、そのこととは別に自分なりのスタンスを持っていたいと思うのです。ご意見を伺いたいと思います。 ---ところで、There is frost in the garden. におけるfrostは<霜>というカテゴリー全体のうちの部分を表しています。つまり、someがなくても実体を表しているわけですが、話がややこしくなるといけないので、この件は今回の質問では扱いません。I feel fear now. についても同様です。いずれ、この問題に関しても質問する予定です。

  • 冠詞と主語

    「ウサギの耳は長い」という文を英訳するときの主語で Rabbits>The rabbit>A rabbit 一番いいのは左ので、次に真ん中、右というふうに教わりました。 そしてThe rabbits はダメだとも教わりましたが、具体的にどうしてダメなのでしょうか? どういう意味になるのですか?意味を成さないのでしょうか。 「The ~s」は「すべての~」と習った記憶があるのですが・・・

  • 明細書内での定冠詞の用法について

    特許の明細書の翻訳をされている方々にお聞きします。 それは、明細書内での定冠詞の用法に関してです。例えば、初出の名詞でも図面から1つしかないもの、例えば、「装置上1つしかない中心点を通る線」の「中心点」を表す場合、"a line passing through the center of a device" というふうに、"the center" というように定冠詞を用いるのか、または"a center of a device" というふうに不定冠詞を用いるかについてです。 発明協会発行の「米国の特許明細書の書き方」を参照すると、明細書中は、初出の名詞には不定冠詞を用い、既出の名詞には定冠詞を用いる。このルールは厳格であるという説明がなされています。このルールは、学校で学んだ冠詞の用法や、科学技術英語の冠詞用法とは違うような印象があります。どうも特許の明細書だけのルールのようです。科学技術英語は、学校で学んだ冠詞のルールそのままのようです。 今まで私は、1つしかないような「中心点」、「垂直方向」、「前面」についても、不定冠詞を用いてきました。例えば、初出の場合は、"in a vertical direction" として、その後は、"in the vertical direction" にするということです。そもそも「垂直方向」は特別な環境下にいない限り地球上で1つしかない方向なので、"in a vertical direction" という表現には違和感を感じます。("a vertical direction","a first direction","a second direction" など、様々な方向を議論するなら、"a vertical direction" もあり得るので、時と場合によりますが。)これは私の考えよりも事務所の考えでした。しかし、この例のような冠詞の使い方は、どうももすっきりしないのです。 皆さんは、定冠詞と不定冠詞との基準はどうなさっていらっしゃいますか?

  • 「とて」の用法、難しいですね

    「それがしの申したことが秦王の逆鱗に触れましてございます。頼れるところ【とて】なく、あつかましく太子さまをたずねて参った次第です。」 この「とて」の使い方はどういう用法なんでしょうか? Yahoo 辞書の3-1 の用法なんでしょうか?そうならば、「他の不都合も多々あるなか、頼れるところがないということも例外ではなく」の意味なんでしょうか?それとも別の意味なんでしょうか? http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A8%E3%81%A6&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=15227813379500

  • 冠詞

    「わかりやすい英語冠詞講義」の次のところが分かりません。 ********** page182 (5) When you saw a dog, were you frightened? (犬を見たとき、怖かったですか) (6) When you see a dog, are you frightened? (犬を見たら、怖いですか) (5)のa dogは、過去時制の動詞sawの目的語になっており、個別具体的な「犬を見た」という事実を表していることから、特定の「犬」の存在を念頭においた上でなされた発話であると言ってよいでしょう。定冠詞がtheが用いられていないのは、問題となっている「犬」の存在を聞き手はまだ知らないと話者が考えているからです。 ********** you(聞き手)が「犬を見た」という個別の事象を経験しているのに、なぜ「問題となっている「犬」の存在を聞き手はまだ知らない」のでしょうか???あるいは、「知らないと話者が考えている」可能性ってあるのでしょうか??? どなたか助けてください。宜しくお願いします。

  • [][>冠詞について

    高校入試の英作文の問題で確実に点をとりたいのですが、 いま、冠詞でちょっとひっかかっています(´・ω・`) aは不特定のものや、ひとつのものを言うとき、 theは特定のものとか文章や会話のなかで一度出てきたものを言うとき、 というふうに私は使い分けていますが、他に使い分ける場合はありますか? また、a,an,theが必要なのは、具体的にどんなときですか? ↓私はこんなかんじで思ってます aがいるとき:I want a new camera. theがいるとき:She go to the library. aもtheもいらないとき:I don't have time to talk now.

  • GHOSTの定義について

    攻殻機動隊のGHOSTとは、どう言うものなのか教えてください。 人間で言う、アナロジックな存在、人間を、デジタル化したとき、最後まで、個を個として認識するための存在…。と言う風にとっているのですが;;個性とか、野生の勘とか…。そういったものなのでしょうか?あと、そういうのに詳しいサイトがあれば教えてください。

  • 詭弁という言葉の用法についての質問です。

    詭弁と言う言葉を辞書で調べると、次の意味が出てきます。 1.道理に合わないことを、強引に正当化しようとする弁論。 2.論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。 ところが、ネット掲示板で、「kami_hotoke_wa_kiben_da(神仏は詭弁だ)」というHNを使用している方がおり、その方は「宗教は人間が作り出した妄想」との、固い信念をお持ちの方なのです。 しかし、その方がHNとしている「神仏は詭弁だ」は、詭弁という言葉の意味を違えているとしか思えません。 上記に掲げた、「詭弁」という言葉の二つの意味から考えれば、神仏は道理に合うか否かという議論に馴染むとは思えませんし、倫理学での意味に当て嵌めるのも、極めて困難だと思います。 その方は、おそらく、「神仏は人間が作り出した妄想の産物で、実在しないものを実在するように主張するのは詭弁だ」との意味で、そのようなHNを作り出したのだと推測しますが、宗教の教義は本質的に抽象論ですから、したがって神仏という存在も、抽象的存在で、抽象的存在を、実在を確認できないから妄想だという主張は、極めて独善的で乱暴なものだと思いますが、哲学的・論理学的には、どうなのでしょうか?

  • beautyは「美」にも「美人」にもなる。この用法を区別する文法用語は

    beautyは周知のように抽象的に「美」の意味にもなれば、「美しい女」のように具体的な意味にもなります。この二つを区別する文法用語はあるのでしょうか。単純に考えれば前者が「名詞の抽象的用法」、後者は「名詞の具体的用法」といえばいいような気がしますが、これで分かるでしょうか。執筆中の論文で言及しなればならなくなったのですが、近くに英文法に詳しい人がいなくて困っています。