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お金が神様だと思いませんか?

「お金」 は単なる物質ですので、とても神様だとは思えないと思われるかもしれません。 ですが、この「お金」、人間には切っても切れない関係がありますよね。 どんな宗教でも「お金」が必要です。 いくらお金があっても、買えないもの・・・「人の心」 も確かにあります。 一時的には、「心」 が伝わっても、お金がなければ、誰かに養ってもらうか、犯罪を犯すか、飢え死にするしかないのです。 日本は沢山の貧しい国に経済援助をしています。 「人の心」 もお金というかたちとなって、パンとなり、水となって人々の命を助ける、まさに神様だといえないでしょうか?

noname#171883
noname#171883

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  • jacob-wk9
  • ベストアンサー率36% (85/231)
回答No.2

ご質問者様のあげられた例で言えば、おっしゃるとおりお金は現物支給に比べて、基本的に持ち運びをする必要がなく 恵まれない人が必要なものを引き替えられるという、そういった良い面を持っています。 ただ、そういった募金や援助は「人の良心」が為したものですので 金が神様ではなく、金を出そうと思った人の良心もしくは人の心に宿る神様が与えた恵みと考えます。 また、アフリカの例がよく挙げられますが、寄付も大事ですが、現地の人が日々の生活の維持のため ただ消費するためだけに使わざるをえなく、結果、自分でお金を稼ぐということを忘れてしまう側面があります。 (今話題の生活保護もそういった問題をはらんでいます) ですので、近年はどうやったらより多くの人がお金を稼げるか、小さい子供が勉強をする環境を整えられるか といった支援も盛んです。

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 大兄のおっしゃるとうりだと思います。 >人の心に宿る神様 なのですが、実は私も、目には見えないものが神様だと思っていました。 ですが、かたちとなってあらわれないと、心の中だけで終わってしまうのです。 どんなかたちにするかとなると、やはり代表的なものは「お金」となります。 幾ら良心があっても、何にもならないのです。 一般的には、そこまではっきりと言う人はいないと思いますが、お金があれば、人を助けようといった、心の余裕も生まれてくると思います。 貧しい国の人が更に貧しい国に、経済援助をすることは、とても大変なことだと思います。

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回答No.7

ヒトの進化は、脳の発達による行動の可塑性&多様化による、 遺伝子の変化を要しない環境への適応や組織化でした。 ところが、その社会性(=助け合い)の発達の延長上に、 工業化における分業化や市場の拡大においてお金を発明し、 その“馬車馬の目の前のニンジン”によって操られ、他律的に 生きるようになった時から、人の認識の発達は、自己存在の 本質の認識による自律的生のための認識(=質の向上)から、 お金をもらうためにイヤイヤ働かされる歯車としての知識(=量 の増大)へと、変質してしまったのです。 お金は、本質的に助け合っている人々をして、意識としては 自己チューなまま争い奪い合う、弱肉強食の擬似ジャングル に変える、悪魔のツールです。

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 神様というと、目には見えないけれど愛する人間を創造された超越した存在・・・(この定義も難しいのですが) と、私も思っていました。それをわざわざ覆す必要もないのですが・・・。 しかし、今は、何をするにも 「お金」 が必要です。 それは、お金に苦労したことのない人には、余り実感が湧かないと思いますが、お金がなく、苦労した人なら本当に 「神様」 と思えると思います。 宗教団体は皆、お金を集めます。 それは、お金によって人は生かされているからです。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.6

まぁ、スマホが神とか、AKBが神と言ってるレベルなら神でしょうね。 でもせいぜい神が与えたツールでしかありません。 「どんな宗教でも金が必要」タイのお坊さん見たことありますか?布施では金は無用です。ほんの一握りの米だけです。金は米の代用でしかありません。 昔は年貢と言って米を納めていた。米は食べられますけど治水や土木にはならない。だから米を売って金に換えていた。やがて直接金を納めるようになり、直接土木などに仕えるようになった。しかし米の時代には飢饉の際には直接人の命を救えたが金では命は救えない。飢饉がその地域だけなら良いが日本中が飢饉になったら金でも米は換えないのです。 そして今地球規模で砂漠化が進み生産国では輸出規制をし始めている。それが現状です。その一番のターゲットが日本なのです。 お金がなければ、誰かに養ってもらうか、犯罪を犯すか、飢え死にするしかないのです。 それは逆に考えれば悪魔のツールとも考えることができるでしょ。

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 お金のない人は、どうするとおもいますか? お金を得るために、必死に働きます。 そして、住むところ、着るもの、食べるもの、を買います。 ホームレスの人も、空き缶を集めて、それを売って、お金を稼ぎます。 何もしなければ、飢え死にするしかないのです。 お金に苦労した事がない人には、余り実感が湧かないと思いますが、お金がなく、苦労した人なら、本当に 「神様」 と思えると思います。 あなたはお金に苦労したことがない人だと思います。

回答No.5

日本の借金が1000兆あっても財政は破綻しません 日本の財務はメイソンが牛耳ってますから 毎年数千億円規模で日本に投資してますからね

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 国の借金について、国会でもほとんど議論されないので不思議に思っていました。 「借金を少しでも減らしていこう」、とは誰も言いませんね。 これだけの借金があるということは、国民も少なからず知っているのですが、ほとんど諦めているのではと、思っています。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9772)
回答No.4

その「お金様」のために、貧困は生まれているんですけど…それは知ってるのかな?。 お金はね、神様じゃない…悪魔様だよ。 便利だから。 便利すぎるから、人は金に心を委ねたがる。 それで破滅する…だからサラ金という商売だって成り立っている。 返せるあてとか、頭から吹っ飛ぶくらいに、お金は便利なものだからだ。 いわゆる「先進国」は、その他の国々を経済で「牛耳って」そのことで利益を得てきた。 不平等な取引を行って、大変に安い労働力と、ただ同然で土地を巻き上げて、大規模農場なんかを作ったりした。 元々そこに済んでた現住人を追い出し、一定の場所に隔離して、横の繋がりを分断した。 元々持っていた精神的支えを無くすため、自分たちの宗教を押し付け、歴史を誤りだと認識させることで、人だけを追い出し、もしくは抹殺し、自分たちのものとした。 数え上げればキリが無い。 みんな「お金」のためだよ。 自分たちの価値観の上で、それを富ませていくために、足りないものを他人の土地から搾取してきたのが、我々先進国なんだ。 まあ、日本人は率先してやらないで、コバンザメみたいに生きてきたけどさ。 私の言うことが信じられないなら、色々と調べて見るといい。 欧米人の国の歴史は、搾取略奪破壊蹂躙の歴史だ。 そのうえで未だに戦争なんぞして、多数の人々を死地に追いやって、なおかつ「庇護」しようとしてるんだから…呆れ果ててものが言えん。 金なんて、悪魔が考えたものに決まってるさ。 神様なら…金なんて使わんで、人間を滅ぼしてるよ。

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 おっしゃることは良く分かりました。 結局、貧しい国は、そうした悲惨な歴史を負うことになるんですね。 だから「お金」 はその国を守る為にも、大切な物なんだと思います。

回答No.3

たとえば1万円に1万円の価値があるうちは…ですけどね デノミでもやって1万円の価値が100円になったら神様じゃなくなります

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 デノミになってもお金持ちはお金持ちです。 日本の借金、1000兆円と言われていますが、誰もそのことを解決しようとしないのが不思議です。

  • dathikan
  • ベストアンサー率22% (62/280)
回答No.1

お金は人の命よりも重いのです。 紙幣は紙様です。 あの紙切れに価値がなかったら、手を汚してまで手に入れません。 金の力はだれでも頭を下げさせ そして自分の安全を買えるものです。 金の為に人を殺せるかと聞かれれば身内でも子供でも喜んで手にかけられますよ。

noname#171883
質問者

お礼

有難うございます。 実は私は、目に見えないがどこかに神様がいらっしゃる、と思っていました。 沢山の人がそう、思っていると思います。 でも、では何故、神様に、お金を献金するのでしょうか? 神様が、お金を欲しがっているのでしょうか? これは一つのトリックなのです。 分かりやすく言えば、商売をしているのです。 儒教の影響の大きい日本では、そんな事はあまりはっきりは言いません。 唯物論になってしまいますが、お金があれば、人を助けようといった、心の余裕も生まれてくると思います。 お金がなければ、お話しの通り、犯罪を犯すことがあるかもしれません。

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