• ベストアンサー

ドラクエ10 レベル19でひらめきの指輪あり

ひらめきの指輪ってメダル30枚交換だけですよね? まだレベル19なのに持ってる人ってどうやってるんでしょうか??

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • fenglu
  • ベストアンサー率43% (317/735)
回答No.1

メダルの入手は運なのでレベル19で30枚集めた人だっているかもしれません。 それと、レベル19といっても他職で鍛えてから転職したレベル19である可能性があります。

tadokorokko
質問者

お礼

なるほど!転職すると装備もそのままですね。 ありがとうございました!

関連するQ&A

  • 彼のヒラメキ

    彼のヒラメキは普通ではない 普通ではない彼のことを、人は天才と呼ぶ。 また、別な彼のヒラメキは普通である 普通である彼のことを、人は凡人と呼ぶ。 天才も凡人もヒラめくことに変わりはない ともに精一杯ヒラめいているように見える。 天才のヒラメキと、凡人のヒラメキを比べてみよう。 ヒラメキを発想という言葉に置き換えて比べてみよう。 とびぬけて正確な発想と、ありきたりであやふやな発想の違いのようだ。 新しい文化を切りひらく斬新な発想と、こて先でチョコチョコやるような目先を変えただけの発想の違いのようだ。 凡人の発想は悲しい、だが彼はその代わりに小さな幸せを手に入れる事ができる。 天才の発想は素晴らしい、だが彼はそれを得る代わりに長い孤独に耐えなければならない。 彼という人のヒラメキは、いつも同じではない いつも同じではないから、天才が凡人にも、凡人が天才にもなりうる。 (そう信じて呼びかけよう) 凡人よ、嘆くなかれ。 天才よ、おごるなかれ。 彼のヒラメキを祝福しよう 彼のヒラメキに祝辞を送ろう 人間ばんざい、というような明るい祝辞を 誰か書いてはくれまいか?

  • 《ひらめき》とは そこで何が起こるコトか?

     1. 霊感・インスピレーションに限ったヒラメキについて 問います。  2. 特にもし量子論による答えがあるのでしたら おしえてください。  3. その昔アブラハムは 《父祖の土地を去って行け》というヒラメキを得て そのとおりに――どこへ向かうのかも分からずに――出かけたと言います。それは この地上における人間の生は 謂わば巡礼の旅であるということが示されたのだと捉えられています。定住の生活においても そうだという意味だそうです。  4. そこで このとき起こったことは 次だと思われる。     4‐1. ヒラメキは おのれに分からないところからやって来る。   4‐2. そのヒラメキを受け取りその中身を読み取って その指し示すところをおこなうのは 人間としてのおのれの成す意志行為である。   4‐3. すなわちこの《ヒラメキを受け容れた》というのは――それを《非思考において信じた》と言ってもよいと思われるが―― 最後の段階には 人間の意志行為が伴なわれており これはじつは経験思考にもとづく経験行為である。   4‐4. ヒラメキを得て そこに《去って行く》という言葉による表現を得るなら すでに思考をおこなっており その思考の結果 取るか捨てるかの意志決定がおこなわれている。   4‐5. この意志決定において《行く》か《行かない》か いづれをえらぶかは 人間の自由意志による自由な――あるいはおのれの心の恣にする自由な――行為だと言えるか?  5. あらためて 問いはこうです。   5‐1. ヒラメキを得てその指し示すコトを 受け容れるか拒むか これは 人間の側の意志行為だと考えられるが 果たして そのどちらをえらぶかは 人間の自由意志のよくするところだと言えるか?   5‐2. 言いかえると 《行く》をえらぶ場合も《行かない》と決める場合も すべて《わたし》の自由裁量に任せられているか?   5‐3. 言いかえると ヒラメキの指し示す行為を人間がどう受け容れるかは むしろヒラメキの側においてすでに決まっているのではないか?   5‐4. あるいはその決まっていることは 人によってそれぞれであろうか?   5‐5. いえいえ まだまだ舌足らずです。《わたし》が《行く》をえらぼうと思ったとしたら それは ただただわたしの自由意志による選択行為だとのみ言えるものか?   5‐6. ヒラメキが帯びるところの・人に選択をうながす力のほうが 人間の自由意志による決定力よりも強いのではないか?  6. あらためて 問いはこうです。わたしの自由意志は ヒラメキのちからに勝てない。のではないか?  7. この事態について 量子論による解明はありましょうか?  8. 違った角度から言い分があるという場合にも どうぞご回答をお寄せください。  * まだ熟さない感がありますが その点あらかじめおことわりしておきます。

  • ひらめき力

    数学はひらめきと発想だとよくききますが ではどういう方法でひらめき力をつけることができるのですか

  • 人生はヒラメキの連続である

    感性が消滅しなければ、ヒラメキは生じ続ける。 ヒラメキが生じ続けるということは、人が生きているという事である。 人が生き続けるという事は、ヒラメキが生じ続けるという事である。 人生はヒラメキの連続である。 人生とは感性の場である。 感性の自由が消滅しなければ、ヒラメキは生じ続ける。 感性が消滅するとき、ヒラメキも消滅する。 感性の自由の保証が希望である。 希望とは、感性の自由の保証なしには有り得ない。 希望とは、ヒラメキの泉を見つけることである。 生きるとは、ヒラメクことである。 知らず知らずのうちに、感性の自由を手にする事である。 小さなヒラメキは常に起きている。 だが、それは知るよしもない。 五感のみが与えられているという思い込みや状態が、見逃しを招いているのである。 その事は、精神活動の自然な制限である。 無制限の危険から守るための自然な働きである。 ヒラメキとは、精神活動の制限という壁を超えて現れた感性の自由の証である。 以上の考えが送られてきたのだが あまり面白くない。 どうやら、ヒラメキとは毎日メシを食っているようなものだと言いたいらしい。 ヒラメキというメシはうまいのか、まずいのか? コシヒカリぐらいの味はあるのか? 人生という茶碗に盛っていいのか?

  • わが《固有の時》とヒラメキ

     《ひらめき》とは そこで何が起こるコトか?  1. 霊感・インスピレーションに限ったヒラメキについて 問います。   1‐1. 直感であり 直観です。イメージのようなものを得ることだと見ますが 後者は どちらかと言えば 概念をともなってすでに思考にもつながっているのかも分かりません。   1‐2. イメージだけの直感にしても しかるべき良い内容のものは やがて概念をやはりともなってそこから直観へと自己を渡しすでに世界観となるような広がりを得ることになるかも分かりません。   1‐3. おそらくこのときひとは おのれの《もっともわたくしなる庭》にあって おのが《固有の時》の中にあそんでいるのではないか?――孤独であって孤独ではない。孤独関係という世界が開けた。  2. これは――いま突飛なことへ思いが飛躍したままを言うのですが―― 量子相互作用なるユラギが 決してそれを認識しうることは出来ないところで起きているゆえなのか?  (この問いは あそびです)。  3. さてその昔 アブラハムなる男は 《父祖の土地を去って行け》というヒラメキを得て そのとおりに――どこへ向かうのかも分からずに――出かけたと言います。七十五歳にもなって。     3‐1. それは この地上における人間の生は 謂わば――精神の遍歴とも見られるような――巡礼の旅であるということが示されたのだと捉えられています。定住の生活においても そうだという意味だそうです。  4. そこで このとき起こったことは 次だと思われる。     4‐1. ヒラメキは おのれに分からないところからやって来る。夜中に盗人が襲うかのごとく。   4‐2. そのヒラメキを受け取りその中身を読み取って その指し示すところに従うのは 人間としてのおのれの成す意志行為である。   4‐3. すなわちこの《ヒラメキを受け容れた》というのは――それを《非思考において信じた》と言ってもよいと思われるのだけれど―― 最後の段階には 人間の意志行為が伴なわれており これはじつはすでに経験思考にもとづく経験行為である。   4‐4. ヒラメキを得て そこに《〈伝統〉を去り行く》という言葉による表現を得るなら すでに思考をおこなっており その思考の結果 取るか捨てるかの意志決定がおこなわれている。   4‐5. この意志決定において《行く》か《行かない》か いづれをえらぶかは 人間の自由意志による自由な――あるいはおのれの心の恣にする自由な――行為である。と言えるか?  5. あらためて 問いはこうです。   5‐1. ヒラメキを得てその指し示すコトを 受け容れるか拒むか これは 人間の側の意志行為だと考えられるが 果たして そのどちらをえらぶかは 人間の自由意志のよくするところだと言えるか?   5‐2. 言いかえると 《行く》をえらぶ場合も《行かない》と決める場合も すべて《わたし》の自由裁量に任せられているか?   5‐3. 言いかえると ヒラメキの指し示す行為を人間がどう受け容れるかは むしろヒラメキの側においてすでに決まっている。という見方も出て来るのではないか?   5‐4. あるいはその決まっていることは 人によってそれぞれである。だろうか?   5‐5. いえいえ まだまだ舌足らずです。《わたし》が《行く》をえらぼうと思ったとしたら それは ただただわたしの自由意志による選択行為だとのみ言えるものか?   5‐6. ヒラメキが帯びるところの・人に選択をうながすチカラのほうが 人間の自由意志による決定力よりも強い。のではないか?  6. あらためて 問いはこうです。わたしの自由意志は ヒラメキのちからに勝てない。のではないか?   6‐1.  あるいはつまり もともとわが自由意志なる心の声であるがゆえに ヒラメキが起きる。のだろうか?   6-2. 直感と直観とを分けたところで イメージ・ヒラメキと思考・ヒラメキとを捉えましたが これをさらに オソレ(畏れ)・ヒラメキとコギト・ヒラメキというふうに言いかえると 分かりやすいかも知れません。コギト・ヒラメキには 自由度が残されている。オソレ・ヒラメキにはひとはあらがうスベはない。か?  暑い中に思索をお願いするわけですが 思うぞんぶん飛躍をもたのしみつつご回答をお寄せください。

  • 図形問題はひらめきが必要?

    中学生です。 友人に、図形問題を解くにはひらめきが必要だという人がいます。 また、何度も同じような問題を解けば数学のひらめきがある程度は育つようになるという人もいます。 みなさんはどう思いますか? 私は、図形の難問は一度では解けません。 似たような問題を解いてできるようにはなりますが、見たことがないような問題に当たると、やっぱり解けません。 関数は得意なんですが、図形はいろいろなパターンが多すぎて、やっぱりひらめきが無いとだめなのかと自信を無くします。 長くなりましたが、質問は 1.図形問題はひらめきが必要? 2.ひらめきは訓練しだいで育つの? 3.ひらめきが無いと自覚してしまったら、数学の勉強はどうしたらいいの? 以上です。 どれかひとつでもかまいません。 よろしくお願いします。

  • ひらめき力

    こんいちは いつもお世話になっております。 そこで、今論文をやっているんですがいままでと違って内容が難しくちょっと苦戦してます。 そこで「やっぱひらめき力かなあ」っておもったりwww そこでなにかいい方法ありますか? もちろん「そんな甘い方法はない」とかは書かなくて良いです(承知の上なんで?) ただ無駄知識的なものを誰か知ってるかなー? っておもったり... お願いします。

  • ひらめきのとき

    アルキメデスは、黄金の王冠の体積を調べる方法を思ひついて、有名な言葉「エウレーカ」(ユーリカ、わかつた)を発しました。そして、ひらめいたのは、入浴中でした。 みなさんの、ひらめきのときは、どんな状況が多いのですか。

  • 『閃き』には【ノイズ】が含まれやすいのか?

    難しい課題の解決に悩まされている時に、思考を一時的に休止させますと、何らかの閃きが思い浮かんでくる、という経験をなさった方々は多いでしょう。 そして、何らかの閃きが思い浮かんだ際に其の閃きを何らかの媒体へ書き控えておかずに、別の思考・作業に着手しますと、別の思考の割り込みが其の閃きを失念させる可能性が高まりますね。 従いまして、これ等の事情から類推を致しますと、「【閃き】は『無心』によっている」のではないかと思われますし、東洋医学では、『思い悩み』をも【七情(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC#.E4.B8.83.E6.83.85.EF.BC.88.E5.86.85.E5.82.B7.E3.81.AA.E3.81.84.E3.81.97.E5.86.85.E5.9B.A0.EF.BC.89)】の1つに盛り込ませまして、『無心』と『経絡』との関係を諭してくれています。 但し、此処迄の流れの中で分からない疑問が沸き起こって参りましたから、教えて下さい。 Q:「もし経絡上の疲労が『無心』状態の維持を損ねていましたら、【閃き】の精度が鈍りますでしょうか?」

  • 数学とひらめき力に関して

    色々調べてみると、ひらめき力が大事なんだかそうじゃないのか分かりませんが ここ最近、ここで数学の問題に関して質問をしていて 以前から分かっていた事ではありますが また、自分のひらめき力の無さに気づき、自分に対してあきれています。 そもそも学力自体中2レベルというのもありますが それでも、ここまで分かっているのに、なぜここに気づけないという感じです。 回答をいただいて、ここ自分で分かってても全然おかしくないという事が結構あります。 例えば http://okwave.jp/qa/q8260428.html この質問ですが、質問と回答を見ていただければ分かると思います。 また、回答を見て、初めて、この問題の解き方が最後まで分かりましたが こういう問題は以前にも解いたことがあり、 何時のほうが「あかさたなはまやらわ行」かを示していて、分のほうが「あいうえお行」を示している事は分かっていました。 結果的に、私は本来ならば「あかさたなはまやらわん行」を「あかさたなはまやらわ行」と認識していたため、解けなかったのですが そもそも、これはどこかで気づけて不思議は無いです。 他にも、和を求める問題?で 1~300の和から6で割り切れる数の和を引いたものを求める際、 実際に問題を解いた時は和の求め方を忘れていたので、解けなかったものの 母に聞いて、前に和の求め方を教わったことを忘れていました。 これは別としても、 そこで1~300の求め方は301×150であることは分かりました。 ただ6で割りきれる数の和が分からず質問をして、回答をいただき、ここが一番自分のひらめき力の無さにあきれました。 300の中に6で割り切れる数が50個あることは分かっていました。 だから1~300の求め方と同じように1~50の和(51×25)に6を掛ければ出る。 1~300の和の出し方を分かった時点で、なんで気づけない…という感じです。 こういうひらめき力を鍛えるのは問題を解き続ける事でしょうか? 後、一つ聞きたいのは文章題において、解いたことの無い問題を解く場合は 解けないのが普通でしょうか?(解説を理解できるレベルだと仮定した場合) それとも、考える力がある人はやっぱり自分の頭にある数学の解き方を駆使して解けるのでしょうか? 私はこういう問題にであった時、まず解けない事が多いです。 一問しごと算の問題を解けませんでした。 解説の解き方を見て、計算式自体は解ける問題でした。 ただ、その計算式が立てられませんでした。 一応、問題の意味は理解できます。 ただしごと算は習った事がなく、存在さえ知りませんでした。 でも、解説を知り、納得した後 うまく頭で文章を数字に置き換えられれば解けたのではと思ったもので。 この問題も質問した際、回答で、どうしてこのような式になるかを教えていただいたところ、ものすごく納得し、自分でなぜこんな簡単な事が気づけなかったんだろうと自己嫌悪という感じです。 (Aさんはある仕事を終えるのに12日かかるというのを1/12と式では表す形でした)