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~なのであるが、~なのである。
この「~なのであるが、~なのである」という言葉は最初の~を否定した感じの文を次の~でいうと思っていたのですが、たまに小説や教科書で「あるが」で否定しているのに「~ので、」とくっつくような文が書かれていることがあり、その度に違和感を感じます。 例えが難しいのですが極端に書けは「最近は山に行く人も減ったのだが、私は山に行かないことが多い。」など。 この使い方が変なのか私が知らない言い回しがあるのか、気になり質問させて頂きました。
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