人の不幸で幸福感を覚える女性とそうではない女性

このQ&Aのポイント
  • 相手が男であろうと女であろうと、他人の不幸を見て優越感と幸福感を覚える女性がいます。
  • 他人の不幸を見て自分の幸福を感じる(幸福感が相対的)か、他人の不幸と自分の幸福感があまり関係ない(幸福感が絶対的)かは、個人差があります。
  • 「育ち」だけでは説明がつかない気もします。先天的な脳の構造差があるようにも見えます。皆様はどう思いますか?体験を基に教えてください。
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人の不幸で幸福を感じる女性とそうではない女性

相手が男であろうと女であろうと、 他人の不幸を見て優越感と幸福感を覚える女性がいます。 他人の不幸を見て自分の幸福を感じる(幸福感が相対的)か、 他人の不幸と自分の幸福感があまり関係ない(幸福感が絶対的)かは、 個人差があるように思います。 しかし「育ち」だけでは説明がつかない気がします。 (遺伝による)先天的な脳の構造差があるようにも見えます。 皆様はどう思いますか?体験を基に教えてください。 (回答の際には性別と年代を教えてください。) ※若い頃は他人の不幸を喜んでも、 歳を取るとそうではなくなる女性もいる。 すると、これは優秀な子孫を残すための本能と関係あるのか。 他人の不幸を喜ぶ陰険なマイナス思考(悪人思考)は、 優秀なオスを見抜くための本能の名残なのか。 善悪の基準は人間が決めたものに過ぎず、 自然動物界では意味をなさないと言われる。 現実が今も善人ばかりではないということは、 他人の不幸を喜ぶ「悪」も自身の子孫繁栄に必要で、 善人が子孫繁栄に不利だった可能性もある。 幸福の感じ方に遺伝的情報が深く関連するならば、 些細な幸福を感じやすい男性の子を産むことは、 場合によって自身の子孫繁栄に不利になるのだろうか? お人好しの男性を友人として重宝しながら、 異性として拒絶する女性がいるのは、 女性の本能がそうさせているのだろうか? 詳しい方教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#143134
noname#143134
回答No.1

全然詳しくないけど暇だから回答させてくださーい。 自分の遺伝子を遺すことは本能が導くものですよねー そこに他人の不幸は関係ないんじゃないですかー 優秀なオスを手に入れる為にライバルを蹴落とすことはあってもね。 闘争心(力)・攻撃心(力)が弱ければ他のメスにまんまと奪われることはあるでしょうねー 他人の不幸を喜ぶ陰険なマイナス思考は、相対的幸福論から生まれてくるのでしょう。「あの人に比べれば私は恵まれている」たったそれだけのことで幸せを感じられるのですからお手軽なもんですねー これが絶対的だと、そうそう満足は得られないものですー 人間どうしても楽なほうへ流れてしまいがちだから悪人思考が蔓延ってしまうのかなー 幸せを追求するのは決して悪いことでは無いけれど・・なんだか嫌ですー  些細な幸福で満足する人が男性であれば、女性にとっては魅力が無いでしょー 安月給に満足して向上心を持たず、妻を働かせている状態で子供ボコボコ産めって言えますかー? 自然界でもしょーもない巣しか用意できないオスはメスから見向きもされませんよー そうやって考えると、男性は相対的で女性は絶対的な人が理想な気がしますねー くだらない回答ですみません(笑) こんなアホでも30代男性。

fuss_min
質問者

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