- ベストアンサー
昔の敬老の日 長寿の祝い
川原 文月(@bungetsu)の回答
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>鎌倉時代から江戸時代において、藩が、古稀、喜寿、米寿等を迎えた、領民を祝うことはありましたか。 ありました。 米沢藩の上杉鷹山が40歳頃に、藩の100万両とも言われた赤字財政を建て直し、さらに50万両の黒字に転換させました。 そこには、鷹山独特な手法があり、成人はもちろんのこと、子どもや老人には、庭の池で鯉をかいなさい。さすれば、老若男女ともに藩の利益になる・・・と言うものでした。 こうして財政再建を果たした鷹山は、自らが70歳になっ時、領内の70歳以上の老人を城に招き酒食を振舞ったといわれています。集まった老人は実に72人にもおよび、翌年の鷹山71歳の時には、同じく70歳以上の老人を城に招きました。その数105人だったと言われています。
関連するQ&A
- 戦国時代に庄屋・名主・肝煎のようなものはあるか
戦国時代に、江戸時代の村役人、地方三役の一つ、庄屋・名主・肝煎と同じような役割を果たした身分はありますか。 できればその名称を教えていただきたいです。 根拠となる資料などの名称、URLの添付などあればありがたいです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 還暦、古稀、米寿などのお祝いの色を知っていますか?
1)還暦(60歳)は赤、 古稀(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、卒寿(90歳)のお祝いの色は紫、 米寿(88歳)のお祝いの色は黄色、 白寿(99歳)のお祝いの色は白、 ということを知っていましたか? 2)これらの長寿のお祝いのプレゼントを選ぶとして、 それぞれのお祝いの色で選びますか? それとも、こだわらずに相手の方の好きな色でプレゼントを選びますか? 3)もし、ご自分がプレゼントされる側だとして、お祝いの色にこだわりますか? それとも、ご自分の好きな色のプレゼントのほうが良いですか?
- ベストアンサー
- その他(暮らし・生活お役立ち)
- 水戸黄門
時代劇「水戸黄門」について。好きでいつも見ていますが、いつも疑問に思うことがあります。 (1)悪代官が最後に印篭をみてひれ伏します。なぜでしょうか? 「幕府の代官」は幕府の役人ですから将軍家の親戚である水戸家を警戒するのは理解できますが、「藩の代官」が身分の差があるとはいえ、他藩のしかも隠居したじじいに藩邸に無断で侵入され説教受けたうえ土下座するのはどうなのかと思っていましたが。 「悪代官」が「徳川幕府の代官」であった場合、水戸光圀が徳川将軍家の親戚かつ幕府要職経験者で公儀にチクられ直接処分をうけるのをおそれているから。 「藩の代官」であった場合、公儀にチクられ幕府から藩の殿様へ監督不行き届きを咎められる⇒殿様からの処分を受ける・・・間接的処分をおそれているから。 ・・・という認識で正しいでしょうか? (2)助さん格さんが、小さいですが刀をさげています。名主でもない呉服問屋の手代の身分で、帯刀が許されているのでしょうか?旅の護身用ならOKということでしょうか? 詳しい方教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 時代劇を見ていて疑問です・・
1.お城の主が殿様と呼ばれるのでしょうか? そもそもお城というのは、藩にひとつあるのでしょうか・・二つある藩もあったのでしょうか? 2.よく悪代官がテレビに出てきますが、そんなに悪事を働きやすい地位なのでしょうか?いずれも江戸時代においての質問です
- 締切済み
- 歴史
お礼
真っ先のご回答ありがとうございます。 さすがは、“上杉鷹山”ですね。 生まれ変わって今の世に出てきてほしいです。 「集まった老人は実に72人にもおよび、翌年の鷹山71歳の時には、同じく70歳以上の老人を城に招きました。その数105人だったと言われています。」 このような話を待っていました。 実は、この質問をした動機は、70歳は、ほんとうに「古来稀なり」だったのだろうか、という疑問でした。 古稀を迎えた元気な老人は、いっぱい居たに違いないと思っているからです。 大変参考になりました。感謝です。