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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

  • elkiti
  • お礼率61% (338/547)

みんなの回答

回答No.158

あった方がいいと思いますがもう少し内容を減らしてもいいと思います

回答No.157

必要です 知ることでその考え自体がうまれたのだから

  • ycbding
  • ベストアンサー率0% (1/144)
回答No.156

必要ありません。 なぜなら、そもそも教育とゆうもの があるから差別が生まれるからです。

  • matumuha
  • ベストアンサー率1% (4/203)
回答No.155

差別を傘にやりたい放題やっている人たちもいるので、個人的には必要ないと思います。

  • kid7144
  • ベストアンサー率3% (4/114)
回答No.154

同じ過ちを繰り返さないためにも教育は必要だと思います スルーしてはいけない問題、歴史だと感じます

noname#185466
noname#185466
回答No.153

歴史上の失策、封建制度が今だに災ってるわけで。部落差別が無くならん限りは仕方ないね。大学では教職過程の必修科目です。私もなんでこんな事勉強せんなアカンね?と目茶苦茶疑問でした。でも結局、綺麗事では差別は駄目!とか口先だけで言う。でも昔から免除された税金や公務員枠の確保、ゴミ収集等の利権等 優遇されたものは以前変わらず。差別を逆手に取る行為に糾弾行為等問題が山積みと聞いてますよ。差別て何なんですかね?一部の人間だけの為に全部そう決めつけられてるんですかね?

回答No.152

中学生には、キング牧師が暗殺されてからオバマ大統領が就任するまでの話でもしてやるといいです。 基本人権とか教科書にもあるでしょうから、その辺を話してあげるといいと思います。 部落差別自体は、今現在、暴力団の資金源であり(お前は差別をしている→賠償金を払え.部落差別を理解するためにここの団体の雑誌を定期購読しろとかそういう類) 部落差別を解消するための運動自体、運動が継続するため、ないし部落差別解消の名目で支出されている公金目当てに、差別を煽るという悪循環におちいっているのが現状です。 自作自演の差別事件があまりに続き忘れられた対象となろうとしています。 現在も差別に潜在的なプレシャーを感じる人はいるとおもうが、人権団体とか市民団体という看板のヤクザの下流ビジネスのターゲットになっており、その意味で救済の手を差し向けられるべき対象です。 差別うんぬんより、差別を利用した恐喝にどう対処するかという話は学校じゃ無理だろうから.ご家庭で頑張ってくれるように親にでも相談したらよいと思います。

noname#153958
noname#153958
回答No.151

いらないですね。 「差別・偏見がある限り必要」という人がいますが逆ですよ、 教育するから差別と偏見が生まれるのです。 外見的特徴が無い以上、部落民を見た目で判断することはできません。 じゃ、何故部落差別が生まれるのか。 部落という存在と、その人達は歴史上差別されてきたことを知ってしまうからですよ。 知識は時に人に偏見を与えます。 あの人達は差別されてきたんだと思ってしまえば、色眼鏡で見てしまう人がいても不思議じゃないです。 ってことは部落差別を闇に葬って、無かったことにしてしまえば差別など生まれようがありません。 未だに差別が無くならないのは、解放同盟をはじめ部落差別を日本中に吹聴している連中のせいです。

回答No.150

 過去の差別に関する知識普及は時系列的に考えると害悪である部分が逐次増大していると考えられます(開始当初は相応の意味があったとは思います)。  これからは「差別」に関する教育ではなく「差別利権」の仕組みと撲滅を教育することが将来の「差別」を予防する最大の教育になるはずです。現代の「差別」は利権に絡むための宣伝部分も大きくもはや存立すること自体が「新差別」と考えられます。昨今問題になっている「人権侵害救済法案」も「差別利権」と不可分の問題です。これが万一成立すると「新差別」が発生することが確定してしまいます。  小中学生には難しい分野になるかもしれませんが、「差別はいけない」というスタンスは無意味。なぜ差別が生成されるのか考えるほうが差別撲滅になると思います。差別発生原因を考慮する時、はじめて民族性や特徴、歴史を大きく俯瞰することになり広く教育的価値が高まると思います。  少なくとも「教師」が「差別」とは何かを教えてあげるスタンスでは意味がありません。ましてや証拠あってのことかどうか考えない小中学生に対して捏造の可能性すらある資料を展開して感情に訴えるやり方は最悪です。害悪以外のなにものでもない。

参考URL:
http://blog.livedoor.jp/hiro7532/archives/3312519.html
  • e00083
  • ベストアンサー率31% (25/80)
回答No.149

必要ないと思います。 私は学校でいじめを受けましたが、先生ははるか遠くの部落差別はダメだといいながら目の前のいじめは放置していました。 教えている先生も他人事のようでしたし、やるだけ無駄です。

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