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「部落差別」教育って必要?

塾で教えている中学生が、 「部落差別についての勉強があった。僕はそんな事知らんかったし、知りたくもなかった。知らなければ差別する事もないのに、知ってしまったら、ついそんな目で見てしまう。僕はそんな差別とかしたくないのに。知らないほうが良かった」 と言いました。 私もそう思います。私は別の県から引っ越してきて、今住んでいる県の部落地域は知りません。あることすら想像しませんでした。 知らない人が増えれば、自然となくなったりはしないのでしょうか?私のように、外部から来た人間は部落地域を知らないし、この中学生のように10何年間この県で生きてきて、それでも知らないのです。やはり、「部落差別」教育は必要なのでしょうか? 見てそれと分かるハンデを持った人を差別してはいけない、と教育するのは分かります。しかし、部落は、ここから部落地域ですという看板も何もなく、知っている人だけが分かるものですよね。 未だに差別意識を持っている人はいるでしょう。しかし、一般的な「差別はいけない」という意識を持った今の子供たちは、その差別意識を持った人に「部落差別」を言われても、はねのける事ができるのではないでしょうか。 私は、前記の中学生の発言に、どう答えれば良かったのでしょうか?また、「部落差別」教育は、必要なのでしょうか?

みんなの回答

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.68

はて。 いくら差別されてるとはいえ、昔みたいに絶対的な身分統制がされていない以上、部落の皮を脱皮した人がいると思いますね。 彼らは今何処で何をしているのでしょうか? 在日でも同じです。何をしているのでしょうね? 架け橋どころか囲ってなにやってるんでしょう? 肝心な部分が語られない以上、教育しても無駄であると思います。

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回答No.67

NO.50さん NO.53さん のおっしゃるとおりです。 もし同和教育をするなら、同和利権で食ってる若しくは得をしてる人たちがいることもあわせて教えるべきでしょう。 確かに過去につらい苦しい思いをした方々もいらっしゃるでしょう。繰り返してはいけない事だと思います。 しかし、同和地区出身というだけで税金や公共料金の免除、公務員(高収入の)への就職、各方面への不当な圧力等々、これはもう逆差別状態です。 日本のマスコミや政治家はこの問題に関してほぼタブー状態の扱いです。在日朝鮮韓国人もんだいとあわせて、社会的弱者は本当は誰なのか考え直すときに来ていると思います。そういう意味では必要。但しきれいごとの教育なら不要。

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回答No.66

同和教育はやはり必要ではないかと思います。お住まいのところには被差別部落はないのかもしれませんが、私の住むところにはやはりまだ被差別部落とその地域に対する差別は厳然として存在します。同和問題は過去のできごとではありません。学校で教えるから知ったのではなく、祖母も口にしたし、父母もその意識があります。私にもないとはいえません。しかしそれが問題であると取り上げるのは学校教育や社会教育(行政での啓発など)しかないのではないでしょうか。

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  • kanyu55
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.65

私が通っていた学校(クラス)では、部落差別のことを教えた直後から、家が貧乏とか色々理由を付けた差別によるいじめが始まりました。 家のガラスや瓦を割るなど、同和教育のビデオでやっていたことを真似するのです。 子供は正しいこと、間違っていることをあまり意識せずに見たものを真似しますし、やってはいけないと教えると余計にやりたがります。 個人的には同和教育はやめてほしいと思います。

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  • nakkiy
  • ベストアンサー率22% (4/18)
回答No.64

失礼します、追記。 >「部落差別」教育は、必要なのでしょうか? 必要です。 自分たちがなにをしているのか分からない、 自分を客観的に見られない人々には、 対岸からはどう見えるのか、 教えてやるべきでしょう。

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  • nakkiy
  • ベストアンサー率22% (4/18)
回答No.63

父親が会社員で、中学生のときに引っ越し、新しい分譲住宅を買って住んだところが、何かの差別がある場所だったみたいでした。 同和地区なのかどうかは分かりません。 友達は誰も教えてくれないし、学校は同和地区の話などしなかったので。 しかし、一部の連中の反応で、そうらしいのは分かりました。 こんな感じで。 連中「どこに住んでんの?」 私「○○○。」 連中、顔を見合わせ、(いかにも演技がかって)顔をしかめる。「○○○~!」 私、軽くめまい。心の中で。(ナンダソリャ。。。) 私は部落差別のことはよく知りませんが、差別される気持ちは分かるという、奇妙な体験をした者です。 おそらく差別をする人たちは気づいていないと思うので、客観的感想を言わせてもらうと、 あなた方は、キモチガワルイ。 それから、そういうおかしなことを言う連中は、軒並み頭が悪かったですね。テストで学年順位半分以下の連中ばかりだったから。(これは差別か。冷笑。。。) 私は、昔住んだその場所が、今でも大嫌いです。 心の底から軽蔑します。

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  • porute
  • ベストアンサー率36% (8/22)
回答No.62

私は同和地区の多い場所で育ち 高校を卒業してから関東に移住して結婚、 その後30年ぶりに故郷に帰ってきました。 そして1年くらい賃貸で暮らしているうちに 良さそうな中古戸建を見つけたので契約しようとしました。 その時その近所に仲が良くなった人がいましたので相談したのです。 すると「いいの?ここは同和地区だよ。私もそうだけど大変だよ。特別な慣習や付き合いがあって他から来た人は覚悟いるよ。」と言われ驚きました。 本当に悩みましたがやめる事にしました。 (実は勤続年数の件でローンが通りませんでした) その友達とはなんともなく付き合っていますが彼女が今までの人生の色々を話してくれました。 私はそれを聴いていて強いなぁ~、芯があるなーと思いました。 ただぼーっと生きてきた私とは大違いです。 子ども達にも胸を張ってここで生まれたことを言える様になって欲しいと言っていました。そのためにも勉強は大事だと言っていましたが・・。 逆に言えばそれもおかしいことだとも。。 しかし同和地区自身今までの政策で便利な事が多いので (住宅ローンも特別やすいとか、優遇面があるそうです)それを大いに活用すればいいと言っていました。 はっきりいって私は同和教育がどれほど必要なのか解りません。。というのも夫が関東出身で全くそういう教育を受けていないので偏見がないのです。 それを思うとトピ主さんのように何も知らない人が増えれば自然に関係なくなると思うのです。 ただ「差別は許されないこと」とだけ学習すればいいのではないでしょうか?

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noname#17334
noname#17334
回答No.61

この話題は、差別された痛みのある人間だけが、その「教育の必要性」を語る資格がある。 被差別の外側にある人間は、自分の意思として、過去の身分差別が、全く根拠のない 迷信からくるいわれのない差別であることであることのみを知ればいい。 一番役にたつのは 井沢元彦 『逆説の日本史』〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎

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回答No.60

こどもを育てるにあたって大切なこと 過去、人々が犯した過ちを また繰り返さないために真実を知り、また繰り返さないようにする これはとっても大切なことですよ。 だから戦争でも、虐殺でも、差別でも、自分達の先祖がしてきたことを目をそらさずにまず知ること そのうえで、どうすれば同じあやまちを繰り返さないかということを考える そういう心を育てなければいけないのではないですか? 真実を知ればいやな思いをするでしょう でも、それを踏まえたうえで、 僕らは絶対こんなことをしない! そういえるように導くのが大人のおしごとです。

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  • anodyne
  • ベストアンサー率50% (3/6)
回答No.59

私はある程度必要だと思います。 差別心は知らず知らずのうちに伝染します。 親や周りの人間達が当然のように差別をあらわす言葉を使っていれば、子供達は意味がわからずとも自然とそれを使っていくようになります。 そして、周りと同じようにそれが当然だと思い込んでしまうことが多いのです。 このような差別が実際にこの国あったということ、いまでも続いている(数年前私が住んでいた地域の学校の壁に「部落は人にあらず」という落書きがされる事件がありました。とても最低最悪な行為です。)という事実はきちんと伝えておかないとこれはいつまでたっても続きます。 なくなる、なくならないは関係なく、知りたい知りたくないの問題ではありません。 ただ、部落とされていた地域を具体的に示すのは反対ですが。 私は差別されたくないから差別は反対です。 でも、人間がいる限り差別はなくならないとも考えています。 人の心は簡単にかわります。そしてとても弱い。 「差別はいけない」と思っていてもどこかで他人を差別しています。 容姿・部落・成績・人種・国籍など理由は色々です。 でも、それが理由で差別され苦しむ人も沢山います。 何がきっかけで自分が差別されるか、人を差別するかはわかりません。 だからこそ、この国に「確かにこういうことがあったのだ」ということを示して少しでも歯止めをかけなければならないのだ、ということを含めて部落教育は必要なのではありませんか。

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