• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:広島の原爆資料館について、感想をお教えください)

広島の原爆資料館は外国人にも学びやすい環境が整えられている

このQ&Aのポイント
  • 広島の原爆資料館は外国人にも分かりやすく、パンフレットや音声案内の言語の種類も多様である。
  • 被爆者の体験談を英語で語る人もおり、どこからきた人でも訪れやすく、学びやすい環境が整えられている。
  • ブラジル人学生たちの中にも感動し涙する子たちがおり、為になるようなことを得ることのできる場所であると感じる。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11792)
回答No.2

私も何回か行ったことがあります。 確かに仰るように、人形などがありますね。 「わざと怖がらせようとする悪意」の話ですが、時計や弁当箱など実際の展示品以外は、当時被爆した人や体験した人、間近で状況を見た人の伝聞だと思います。 例えば「皮膚が垂れ下がりながら歩いている人がいた・・」というのはにわかには信じられない話ですが、実際はそれが皮膚なのか着物の焼けた切れ端がそう見えたのか分かりませんが、見た人はそういうような光景があったことを淡々と話し、記録されたものの集大成だと思います。 そういう人たちは、当時は小学校中学校あたりで記憶もおぼろげで、もしかしたら間違った内容を覚えている可能性もありますが、いかんせん体験者の語ったことですから、それを「言葉の重み」としてそのままにするのではなく、できるだけそれを皆に分かるように、イメージできるようにしようと腐心した結果かと思います。 もちろん人形にしても勝手な想像ではなく、できあがったものを実際に見てもらって確認したくらいはしたと思います。 オーバーとか嘘っぽいとかの感覚は見る人で違ってきます。 例えが適切かどうか分かりませんが、お化け屋敷があります。 皆怖がってキャーキャー言いますが、それを「どうせ人が演じているんでしょ、機械仕掛けでしょ」という感じで入ったら、何も面白くないし怖くないわけです。 純粋にその場の雰囲気に浸ることがその場の理解につながっていきますが、「オーバー」「悪意」という感覚を前提としたら、伝えたいことが何も見えぬまま終わってしまいます。 あり得ない人形やあり得ない体験談を目の当たりにして、オーバーと感じるのはいささか平和すぎる境遇だからかも知れませんね。

kittye
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ブラジルという異国の目線で被爆地ヒロシマや、太平洋戦争や、原爆について彼らから話を聞けたことはとても良い経験でした。だからこそ彼らが悪意と表現したものが、私にとっては新しく感じてとても気になっていたのですが、やはり彼らの中でも意見が割れるように一概にそう思われているとは言えないようですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • jeleekun
  • ベストアンサー率29% (25/84)
回答No.3

こんにちは。私は原爆資料館に行った事がありませんが、広島原爆の被爆者の孫です。  私の祖父は旧日本軍の憲兵隊員でした。満州国より帰国をして広島市内にトラックで移動中に、 線路上の所で車が止まって、押して移動後、車の下に潜って修理をしていた所に「ピカッ」と巨大な光が射したそうです。トラックが動く様になって広島市内に行くと地獄の様な風景だったそうです。 それからと言うもの、祖母の実家が広島なので、不幸事があって葬式なのに、じいちゃんは広島に行こうとはしませんでした。いわく、広島に行けばあの風景を思い出して恐ろしいそうです。  この話は、実は祖父が亡くなった時に私の母から聞かされたものです。  実の所、私が直接、じいちゃんに「広島の原爆って、どんなんやったん?」子供心で元軍人だったら教えてくれるだろうと思い、聞いたのですが、じいちゃんは何も言わずにその場から居なくなりました。 小学校のときに「裸足のゲン」などで原爆被害に対する教育が盛んでした。私もウソだと思って、祖父に聞いてみたのでした。  実際の所は祖父しか分からない事なのですが、事実は原爆がもたらした大量の放射能の影響は私にもあるって事は確かです。祖父は大量の放射能を全身に浴びて甲状腺肥大と言う病気を持ってしまい、私の母も甲状腺系に後遺症があります。私は鼻の方に鼻茸と言う病気を持っています。原爆の影響で受けた被害です。  こんな酷い事をしたアメリカ人を日本人はどうして受け入れているのでしょうね?中国は徹底的に日本の批判をしているのに。「南京大虐殺」旧日本軍が中国軍捕虜を殺した。なんて中国の教科書には乗っているそうです。「中国人捕虜を殺した!」・・・当たり前ですよ。戦争なんだから。実際に戦争に行ってみれば分かることです。私もアメリカ国籍を取得して湾岸戦争に行きました。当然の事ですが、相手を殺さないと自分が殺されますし、食料が無い状態では相手と戦えません。ましてや自国の兵士達の食料が無ければ捕虜の食料も無い。殺すしかないのです。戦争ってこんなもんですよ。  私は現在、ヨーロッパに住んでいますが、恋人の話によると、「宗教は恐い」と言うイメージだそうです。理由は宗教が原因で何度も戦争を繰り返しているからだそうです。  もっとも、一番偉い人たちが、腕相撲やじゃんけんで勝負を決めたらいいのに・・・ どうしても殺したかったら、拳銃をこめかみに突きつけてロシアンルーレットで勝負したらいいのに・・ そうすれば罪の無い民間人達が死なずにすむのに。世界のどっかで武力衝突が起きる度に、毎回、その様に思います。

kittye
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 経験者の体験談というものは本当に尊いものだと改めて思います。 今日、原爆資料館に行ってきたのですが、やはりあの場所へ行くと今自分が自然に生きていることにありがたさを感じずにはいられません。私もお金や時間や命を無駄にして戦争をするよりも大統領やら総理大臣やら何かの団体の指導者やらが殴り合いのケンカをしたら済む話なんじゃないのかなと、戦争や紛争のニュースを見るたびいつも思います。 今回で原爆資料館を訪れるのは3回目なのですが、客観的なデータが多く、見学者への配慮も行き届いており、とても優れた場所が提供されていると思いました。しかし、人形だけはどうもまだ信じいれませんでしたが。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

私も修学旅行で原爆資料館 (広島平和記念資料館) に行った経験があり「ブラジル人学生の一部」や「御質問者様」と同様な感想を抱いたものですが、体験者一人一人の真実はどのように繕っても決して他の人には伝えきれないものですし、展示の意図をどう受け取るかの入館者側の感想も人それぞれですので、「展示内容を改めるべき」というほどの反感は抱きませんでしたし、感情に流されて真実を見失わぬよう自分なりの理性でフィルターをかけながら原爆というものを学ばせていただきました。 「中国の侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館 (俗称は南京大虐殺紀念館) のような設立背景からして信じがたい抗日記念館 (下記参考 URL ページの「日本からの要請と寄付」参照) 」とは違って、広島平和記念資料館は「事実 (真実は上記のように体験者ごとに違うでしょうからここでは事実に固執します)」を正確に伝えようとしている点では高く評価できると思います。 (「はだしのゲン」という漫画は事実とは到底受け取れない「事後でしか考えつけない創作部位」が多くて大嫌いなのですが・・・) 「日本人のための神社であって外国人は観光で見学することはできても批判する権利はない靖国神社とその資料館」とも違って、広島平和記念資料館は広く世界に平和を訴えるために設立された資料館ですので、その Web Site http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ は是非、海外の活動家達に英語版やラテン (ヒスパニック) 版のリンクや字幕付き動画を作って欲しいものですね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/南京大虐殺紀念館
kittye
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 広島の原爆資料館は世界的に見ても情報が整理され、客観的で、訪れやすい優れた資料館であると私は思います。未だに人形についてはそう思えませんが・・・ 原爆の被害それのみではなく、戦争そのものや、現在の被爆地ヒロシマとしての活動などにも焦点が当てられておりとても内容の濃いものだと思います。 それを見た個人の意見はもちろんいろんなものがあると思いますが、自分なりに判断することは決して悪いことではないことを学ばしていただきました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 広島原爆資料館の被爆人形、やめるべき?残すべき?

    広島の原爆資料館(平和記念資料館)ですが、皆さんは行ったことがありますか? 私は今までに3回くらい行ったことがあります。 その資料館には、被爆者の姿を再現した3体の人形があります。 この人形は、火傷でただれた両腕を前に突き出し、ボロボロの服でがれきの中をさまよう被爆者の様子を再現していますが、これを撤去する話が出ています。 撤去する理由は、この人形は伝聞をもとに作ったフィクション・創作的なものなので、今後は衝撃度の強い写真などで臨場感を高めたい。 資料館では、凄惨な被爆の惨状を伝える資料については、基本的にありのままで見てもらうという方針だそうで、そのためにはフィクション的な人形展示は相応しくないという判断です。 また撤去に賛成する意見としては、“人形を見るのは苦痛、怖いという意見があった”というもので、さらに、“現実はもっと悲惨で、この人形は正しく伝えていない”という意見もあったようです。 さてそこで、皆さんはこの被爆人形の展示、やめるべきだと思いますか? それとも、このまま残すべきだと思いますか? もっと悲惨な写真で見せることが出来れば、この人形は必要ないと思いますか?

  • 広島平和記念資料館

    広島平和記念資料館に初めて行こうと思うのですが http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ を見ると 平成28年春まで東館を閉鎖しているとのことですが 東館なしでも十分見学できるのでしょうか? ちゃんと見たいのなら平成28年春まで待った方が良いのですか? あと今は被爆人形は今は見れるのでしょうか?

  • 被爆後の広島に戒厳令?

    広島の被爆体験を本にするボランティア活動をしています。 被爆者の話によると、被爆直後から敗戦の日まで広島では第二総軍独自の判断で戒厳令がしかれていたとのこと。 Wikipediaにも記載がありますが、そのことを確かめる資料をご存知の方は教えてください。よろしくお願いします。 手元の「広島原爆戦災誌」には見当たらないようなのですが。(探し方が悪いのかも?)

  • 原爆投下前の広島の街

    今年の6月に広島へ行く予定です。 平和記念資料館の見学や被爆者の講話をお聞きしたいと考えていますが、先日知り合いから、原爆前の広島の街の風景を3Dで再現するプロジェクトがニュースで紹介されていて、もう完成しているかもしれないと聞きました。 もし既に完成しているとすれば、あるいは今年の6月頃までに完成しているのでしたら、ぜひ見たいと思っています。この映像について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、お教え頂ければ幸いです。 どうぞ宜しくお願いします。

  • 広島原爆投下直後の交通について

    テレビで二重被爆された方が出演されていましたが、それから実際に原爆を体験された方々の証言などをネットで読んだりしました それでひとつ疑問があるのですが二重被爆された方は翌7日に現在の西広島駅から列車で長崎に行かれたらしく また他の方の証言では投下当日に広島駅まで歩かれそこからバスに乗ったと証言されています 西広島駅も広島駅もあたり一面焼け野原だったらしいのですがそこから投下直後でも 列車やバスが運行されていたのでしょうか?

  • 広島と原爆に関する書籍

    こんにちは。 広島や原爆に関する書籍を探しています。高校1年なんですが、2学期に広島への研修があります。 で、夏休みの宿題にその下調べとして、 「広島と戦争や原爆に関する本を読んだ上で興味のあるテーマについて事前レポートの作成」 と言う宿題が出されました。それで探しているんですがなかなか見つかりません。 皆さんの知っている広島を舞台にした戦争・原爆がテーマの小説・体験記・ルポなどを教えてください。 原爆でなくてもいいし、長崎を絡めたものやB-29の搭乗員の話、マンハッタン計画のドキュメントなんてのもOKです。出版社とか値段も書いてくれると嬉しいです。あ、あと参考HPでもいいです。 新しいもの方が手に入りやすいですが、贅沢は言いません。よろしくお願いします。

  • 長崎原爆の日の天気は?

    この間社会の授業で、先生の被爆者のお母さんから聞いたという話を聞きました。 原爆投下の日は晴天だったというのです。 通説では雲の切れ間から落としたのだとか(確か)ですが、実際どうだったのでしょうか?ご存知の方はいらっしゃいませんか?

  • 広島の原爆ドーム

    今から6年前の話になりますが、大学院生の方から聞いた話です。 その方が、大学院での研究の一環で、、、 広島の原爆ドームに近い平和記念資料館に訪れた際、別室に連れていかれて、とても話せない凄まじい衝撃的な資料を見たそうです。 一緒に研究で訪れていた女の子は心が痛んで泣いてしまったそうです。 高校の授業中でしたので、そのような間接的な表現でしか教えてくれませんえしたが、いったい何が展示されてるのか疑問に思っていました。 ふと今になって思い出して、いったい何が展示されてるのか 気になってきてしまいました。誰かご存知でしたら教えて下さい。 ちなみに一度、観光で訪れた事があります。 しかし別室は、研究目的であったり、何か特別な環境でないと入れない 秘密のエリアのようです。

  • お礼状のお手本を!!!

    先日地域の集まりのメンバーで旅行に行き 長崎の原爆資料館で原爆のお話を聞きました。 戦争中の体験談でした。 お礼状を書こうと筆をとったのですが、 お礼状というものを書いたことがないのでどういったことを書けばよいのかがわかりません。 どなたかお手本をお願い致します。

  • 原爆の『語り部』について・・

    いつもお世話になっております。 今回は私の祖母についてご相談させて頂きます。 祖母は大正元年生まれの94歳。昭和20年8月6日 広島において被爆しました。幸い 傷や後遺症に悩まされることもなく、現在においても健康に過ごしています。(多少の物忘れ程度です) 原爆や戦争の悲惨さを伝える『語り部』というのが広島では盛んに活動されています(観光客や修学旅行生などに)が、語り部高齢化の為 現役語り部さん達が祖母を勧誘してきます。 あの惨劇を30代半ばで迎えた祖母は ハッキリと記憶しているそうです。祖父母から聞いたのは ただ一言「酷かった。生きるのが精一杯だった。」のみ。あまりに辛い体験だったので思い出したくないそうです。 同じ体験を体験されている方達からの勧誘で、キッパリとお断りすることができず悩んでいます。「辛いから・・・」と言っても、「私たちも思い出すのは辛いわよ。でも 伝えてあげられるのは私たちだけでしょ?」ってな感じです^^; 最近ではデイサービスに出かけるのも嫌なそうで・・(勧誘されることもあるから)なんだか 祖母が不憫に思えています。 上手にお断りする方法はないものでしょうか? よろしくお願いします(ノ_-。)