- 締切済み
信仰で病が癒される
私は、キリスト教のクリスチャンです。 プロテスタントです。 結論から言いますと、神を信じることによって病が癒されるという奇跡はあるのでしょうか? 私は、ある病を持ってます。 手の多汗症でした。その手の大量の発汗を止めるために、手術をしました(1997年より保険適用が可能になった)。しかし、その発汗が止まったのは良いのですが、その代償として、お腹、お尻、背中から、大量の発汗がでるようになりました。(医療用語で代償性発汗という) 医師からは、代償性発汗についての説明は、あまりありませんでした。 それは、おいておいて、私はこの代償性発汗のため、夏の社会生活は困難になっております。 このような体験をしている人は、日本に数多くいます。 中には、自殺した人も多数います。あるところでは訴訟にもなっています。 この手術は、不可逆的なものなので、元に戻りません。 その後私は、何かを求めていたのでしょう、キリスト教の門をくぐったのです。 私は、唯一の神がイエス・キリストであり、イエスは多くの病を持った人を癒し また、多くの奇跡を起こしたお方だと信じております。 私はどうしても、目にこそ見えないキリストを信じることにより、この病が癒されれば と切に願っています。 キリスト信仰において、このような病が癒されるという奇跡は起こるのでしょうか? 私は、もはや、キリスト信仰しかありません。 しかし、現実、この代償性発汗は尋常じゃないほどつらいのです。 どうか、ぜひ、コメント願います。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
- cincinnati
- ベストアンサー率46% (606/1293)
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
- Paulus0412
- ベストアンサー率30% (7/23)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
- 1
- 2
関連するQ&A
- 信仰心がなくなってきている。
信仰心がなくなってきている。 わたしはキリスト教のクリスチャンです。 最近イエス様、御言葉から遠ざかっています。 要するに、信仰心がうすれてきてます。 礼拝にも行っていますが、まったく何も感じないのです。 感謝の心もわかないですし、とにかくうすれてきています。 プロテスタントで、信仰暦は3年です。 どうかアドバイス願います。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- イエスを信仰すれば救われる?
パウロの主張では 「イエスがキリスト(救世主)であり、神の子であって、罪のないまま十字架上で死んで復活した、これを信仰せよ。その事実を信仰することが救済の条件だ。」 と言っています。 では、何故イエスを信仰すれば救われることにつながるのでしょうか? そのメカニズムを教えてください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 多汗症の手術について
私はひどい多汗症に悩まされているので、手術も1つの手として考えているのですが、代償発汗などは覚悟しているのですが、それ以前手術自体どれくらいの時間がかかりリスクが伴うのか心配です。全身麻酔を要すると聞いたことがあったので結構大がかりな手術になるのでしょうか?
- 締切済み
- 病気
- 信仰とその願いに対するアルケーの言葉
あなた方は宇宙の法則が邪魔であると感じるのであれば、宇宙の法則から解き放たれたいと願うがよい。 あなた方は奇跡が起こってほしいと願うのであれば、奇跡が起こることを願うがよい。 あなた方は万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを拒み、アルケー以外の神を望むのであれば、そのよーな神を願うがよい。 あなた方はあなた方が望むのであれば、イエス・キリストがあなた方の神であると願うがよい。 あなた方は漬かりたいと願うのであれば、心行くまま漬かるがよい。 あなた方の願いはあなた方の心であり、あなた方の心はあなた方の願いである。 あなた方はこのよーに願うのであれば、願い続けなければなりません。 あなた方は願うことをやめれば、あなた方は再び万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの教えに従わなければなりません。 だからあなた方は願うのであれば願い続けなければならない。 このよーに信仰とその願いに対するアルケーの言葉が与えられたとき、あなた方は願い続けますか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- スペインでのマリア様信仰
スペインでのマリア様信仰が厚いのは何故でしょうか。 マリア様信仰はキリスト教がゲルマン民族に布教する際に地母神と重ねやすいために利用された、と何かの本で読んだのですが、そうであればゲルマン民族であるドイツのほうがマリア信仰が厚くなるのではないでしょうか。 またスペインはイスラム民族に支配された時期があり、もともとイスラム教を信じていた人たちに改宗させるには、“一神教”父なる神イエスのみのほうが受け入れやすかったのではないかと考えました。 どなたかご存知の方、教えていただけると嬉しいです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 信仰に対するアルケーの言葉
あなた方は宇宙の法則が邪魔であると感じるのであれば、宇宙の法則から解き放たれたいと願うことはできます。 あなた方は奇跡が起こってほしいと願うのであれば、そのよーに願うことはできます。 あなた方は万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを拒み、アルケー以外の神を望むのであれば、そのよーに願うことはできます。 あなた方はもし望むのであれば、イエス・キリストがあなた方の神であると願うことはできます。 あなた方はもし望むのであれば、アラーがあなた方の神であると願うことはできます。 あなた方はもし望むのであれば、ヒンズーの神があなた方の神であると願うことはできます。 あなた方は漬かりたいと願うのであれば、心行くまま漬かるがよろしい。 あなた方の願いはあなた方の心であり、あなた方の心はあなた方の願いである。 あなた方はこのよーに願うのであれば、願い続けなければなりません。 あなた方は願うことをやめれば、あなた方は再び万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの教えに従うことになります。 あなた方は願い続けなければならない。 このよーに信仰に対するアルケーの言葉が与えられたとき、あなた方は願い続けますか。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 神は信じるものではなく、感じるものである
古来より神は信じるためのものとして人間によって作られた。 しかしいつの頃からか、人はこの神を信じさせようとするようになった。 信じるための神はこれを信じさせるために多くの人の命を要求した。 そのため世界各地で争いが起き、戦争が起き、多くの命が失われた。 それは今現在も同じである。 日本などはキリスト教国家によって2度も原爆を投下された。 ベトナムではこのキリスト教国家によって大量の枯葉剤が撒かれ多くの奇形児が生まれた。 また信じるための神イエス・キリストは多くの奇跡を用いた。 その結果この奇跡を求めて数限りないカルトが生まれた。 このようなカルトによって地下鉄でサリンが撒かれたりもした。 さらに聖書とキリスト教など信じるための神は終末思想を説いた。 この終末思想によって世界の倫理観は大きく傷つけられた。 結局のところ、信じるための神は多くの災いをもたらし、何一つ良いことはもたらさなかった。 信じるための神とこれを支える聖書とキリスト教および神学は偽りであることが分かってきた。 今や信じるための神は信じる必要はなくなった。 神は我々人間から隔たっているものではなく、常に接しているもの、信じる必要はないもの、感じることが出来るものでなければならない。 そしてその神が完全無欠であり、永遠不変であり、永遠不滅であり、永遠無限であるならば、それは唯一絶対なるもの宇宙の法則以外には有り得ない。 宇宙の法則を除いて如何なる神も存在しない。 これで良いのではないか。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 多汗症の代償性発汗
多汗症の代償性発汗 手の汗を止めようと手術を受けたら、首から下、全ての部位に大量に汗をかく 代償性発汗になってしまいました。(医者の説明無し) なったものはしょうがないので、この事実を受け入れて生きていくつもりですが 毎年、特に夏は本当に大量の汗をかくので近所に出掛けるのにも支障をきたすほどです。 こんな感じなのでまともに就職が出来ない為、術後は家で仕事をしています。 そこでお聞きしたいのは、同じような症状の方がどのように過ごされているかということです。 ぎゅうぎゅうの通勤電車に乗る時はどうしているのか? 着替えはいつも持ち歩いているのか? 辛さで負けそうになった時の自分の支え方なども教えて頂けるとありがたいです。 (是非、参考にしたいので)
- 締切済み
- その他(生活・暮らし)
- 信仰とは?
私はクリスチャンではないのですが 高校の時に四福音書を読みました 日本ギデオン協会?が新約聖書を高校で配ったからです。 しかしイエスの復活が信じられなかったので他は黙示録とか創世記とかを読みました しかし此処に至り 読めるうちに使徒行伝も読んでみようと思って読んでいますが メシアでもないのに奇跡が続出 死人は蘇り 病気は治り こりゃなんだと思いました。 しかしクリスチャンはこの信じ難き事を信じるほどの信仰を持たねばなりません 私も解釈改憲じゃないですが こういう意味だろうかああ言う事だろうかと 首を捻り捻り読んでいますが、どうにも信仰がないため分かりません。 世界には数億のいや十数億のクリスチャンがいるでしょうけど その人たちはこれを信じているのでしょうか? バスが土砂に埋まったとき 遭難や地震(阪神淡路、東日本等)後藤さん湯川さんの時も 及ばずながら祈りましたが 祈りは一度も通じません 私だけが祈ったのでしょうか? 多くのクリスチャンも祈ったはずです。しかし結果は何時も祈り虚しく・・・ そしてたまに祈りと現実が一致したら「奇跡的に」「奇跡だ」と言って喜びます。 果たしてこの様な信仰 クリスチャンに限らず 神頼みの信仰は何のためにあるのか? それは己の心を強く持ついために在るのではないでしょうか? しかしその反面 祈るばかりで現実に出来ることを諦めて 今は皆で祈りましょう と 言うこともよくあります。 これは思考停止にもつながります。行動しながら祈るのが一番なのです 「天(神)は自らを助くるものを助く」と言います ところがその結果 突出したのがアメリカです。USAです。 それはクリスチャンが投票してるとはとても思えないような軍事力と資本主義 格差社会と大国のエゴ そして権利の主張と裁判の数です。 他にも宗教は仏教系、神道系、イスラム系、新興宗教も日本でも見られますが 信仰とは一体何でしょうか?死人が蘇ると信じる事?祈るより他無い時に頼るもの? 皆で一つの教えを信じて仲間になること? しかし宗教内部でもそうそう仲が良いばかりではありません。 かと言ってマルクスのように信仰を否定すると 信仰と共に在った道徳・倫理や教えまで 一緒にかなぐり捨ててしまいます。 その結果が粛清だったりしますし。 一体現代、現在に生きる我々は 何を信じるべきでしょうか? 科学? 人間? 愛? お金? 神? 家族? 自分の心?・・・ 人は全く何も信じないでは行動できません。足元に大地があるだろうと信じて 足場が壊れないことを信じて歩き、生きているのです。 哲学として皆さんが考えた結果 これは信じられるというものはなんですか 信仰の対象とできるのはなんでしょう? 皆さんの日頃思うところを教えていただけると有難いです。 我々は何を信じればいいのでしょう? コギトでもイデアでも 真心でも愛でも 言葉でも理性でも何でも来いです。 どうか教えて頂きたいm(_ _)m
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
ご意見、ありがとうございます。 いろいろなことを試して見たいと思います。