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自分が潰れてしまいそうです。

私はしゃべることがとても苦手で、かつぜつ悪く吃音で自分で思っていることを表現できません。ですから、いままで、満足に会話のキャッチボールが成立したことがありません。自分の名前も相手の名前も満足に言えず、自分の意志も伝えられない自分がこれからこのまま人間社会のなかで生きていくことは酷です。辛いです。友人も一人もいません。一生話したくありません。でも、どうしても生きていなくてはなりません。これから自分はどうやって生きていけばいいのでしょうか?潰れそうです。話をしなくていい世界に行きたい・・・・

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noname#137229
noname#137229
回答No.3

辛口ですが・・ まあ、あなたの思い込み。 >>一生話したくありません それなら何故、この様な所へ質問などしたのでしょう。 その様な覚悟があるなら、そのまま押し通せば良いだけです。 >>話をしなくていい世界に行きたい・・・・ 文章を書きましょう。 それなら吃音など関係ありません。 私の知り合いに・・文字が全く書けなくて・・それで営業をしている人がいます。 年間売上げ2億円です。 もちろん、会社一です。 契約書・・もちろん自分では書けません。 お客様が・・仕方ないなあ・・と良いながら書いてくれます。 彼は文字が書けないことを隠しませんし、恥である・・などとは露程も思ってはいません。 あなたも、一つの事に拘らなくて・・別な視点を持つこと・・を心がける必要があるでしょう。 吃音が全ての原因ではない・・と私は観じます。 それへの拘り・・何かがあると、全て吃音の所為にする・・その拘りが全ての原因である・・様にすら観じます。 吃音があるから会話が成立しない・・・その様な事はないでしょう。 相手に話して・・文章を書いても良いでしょうし・・その他の方法もあるでしょう。 本当に必要な事は、先ずは相手の話を聴く事・・ 自分が話す・・ではなく、聴く事です。 会話のキャッチボールなどと言いますが、それはある種の詭弁です。 人は自分の話を聴いて欲しい・・人が世間の大部分です。 自分では他人の話を聴かないのにね。 話を聴く・・聞くではないですよ・・これは大変です。 先ずは相手を理解しようとする心が必要です。 また、言葉を返さなくとも、聴いている・・表現はとても大切です。 うなずく・・はいとか、そうですね・・とかの合いの手も必要かも・・ この、「ハイ」すらもどもりますか? それならうなずくだけでも・・良いでしょう。 あなたは、今の所自分の事しか考えていない・・ので、会話が成立しない様に観じます。 会話など言葉がなくとも成立します。 例えば・・ 悲しんでいる人・・唯側にいて・・共感しているだけ・・ あるいは、手を握っているだけ・・ あるいは、背中を擦るだけ・・でも気持ちは通じます。 この様な時には言葉は邪魔だったりもします。 嬉しさに浸っている人・・ あなたも笑顔を見せるだけ・・で百万語に勝ります。 人は感情の動物なのです。 言葉などでは伝えられない事の方が多いのです。 感情の研究をしましょう。 また、あなたが吃音で苦しんでいるのなら・・ その苦しみは同じ悩みを持っている人の代弁者ともなれます。 それは、文字・・ででしょう。 取りあえずは・・ 神・・神がいるとしてですが・・ 神はあなたに吃音と言う、何らかの試練を与えました。 それは、あなたが克服出来るから・・ 克服・・他人と同じ様にしゃべれるだけが克服で無いことは言うまでもありません。 あなたにだけした出来ない・・何らかの方法かも知れませんし、あなたが現在思っているスラスラと話せる事かも知れない・・それは、あなたが創意工夫する必要があります。 この世に無駄なものは何一つありません。 今のあなたに言っても、聞く耳持たない・・でしょうが。 吃音を自分を向上させるための動機にするのなど簡単。 唯嘆いていても、物事は進展はしません。 私は吃音はありませんが、他人には言えない・・欠点・弱点があります。 しかし、それはある種の言い訳・・自分が取り組みたくない・・ためのね。 逃げの言い訳を手放したくない・・深層心理・・でね。 で、何時までも解決出来ない・・と言うものがありました。 しかし、手放して見ると世界観が変わります。 最初の一歩がとても高い壁に感じるだけ・・ 一歩を踏み出せば・・どうと言う事もない・・ それ位人間は自由・・あるいは柔軟性に富んでいるのです。 本当にどうにかしたいのなら、言い訳を辞めること、そして何でも良いから行動すること・・です。

その他の回答 (3)

回答No.4

私も吃音があります。子供のころからずっとです。吃音のためにいじめられたことがあるし、 就職を変えたこともあります。 でも、自分なりに呼吸で息を整えながら人と会話してきました。30数年間。こういう私 なのに、表に立たされることは少なくありません。どもるのが「一生懸命だからなんだなあ」と 思って下さる方がいることもあるからみたいです。 だから話をしなくていい世界に行きたいとは思わないで、御自分なりに話し方を工夫してみて 下さい。決して「うまく話そう」なんて思わなくていいのです。 あと、何か御自分が自信が持てるものを何か見つけて下さい。それがあるかないかであなたも 変わっていくのではないかなあ、と思いますよ。(^^) 蛇足ですが、『英国王のスピーチ』、身につまされながら観ていましたが、「そうそう!」と 共感できる場面もあって、いい映画でした。(^^)

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20059/39752)
回答No.2

それでも。 貴方はもどかしい気持ちを。 文字ではここに「素直」に表現できているじゃない? しゃべる事は苦手だけど。 貴方にコミュニケーションをする意思が「無い」訳では無いんだよね。 気持ちはちゃんとあるんだよ。考えもある。 思っている事を上手く表現できない事。 それと吃音は必ずしも一緒ではないよね? 吃音があっても無くても。 思っている事を表現する事が苦手な人は少なくない。 ただ、貴方の場合は。 どうしてもコミュニケーションをするにあたって。 吃音の自分を「背負う」ように向き合ってしまう。 そうなるとコミュニケーションの一番の核心の部分、 相手との繋がりを楽しむ、相手を知る、自分を知ってもらう、 お互いに分かち合っていくプロセスを楽しむ「ゆとり」がない。 上手く伝えないといけない、伝わらなかったらどうしよう。 そういう不安感だけで相手と対峙してしまう事になる。 緊張感が強い。 そうなると貴方が持っている吃音の部分は、心的なストレスから 余計に不安定に固く作用して。 貴方から相手を伝えていく「入り口」の部分でバタついてしまう事になる。 そのもどかしい経験が積み重なる事で。 コミュニケーションそのものに腰が引けてしまって。 話したくても話せない。 向き合いたくても向き合えない。 そういう貴方を創ってしまうんじゃない? 貴方はキャッチボールと書いたけど。 キャッチボールの最初はボールに慣れる事でしょ? 怖さを克服する事からでしょ? いきなり取れない距離で、受け取れない速さでボールをやり取りする事は キャッチボールではないんだよ。 少しずつ慣れていく。慣らしていく。 そのうちに何とかラリーが続いていく。 その続いていく感覚を「楽しい」なと感じる。 それがまさにキャッチボール。 投げ手と受け手の信頼関係も必要。 悩んでいるなら。 そういう貴方の足元から大切にして。 少しずつ貴方自身のキャッチボールを身につけていけば良いんじゃない? 同じように悩んでいる人たちの自助会に参加してみるとか、 経験談を参考にしてみるとか。 焦らずに、急がずに。 少しずつコミュニケーションを積み重ねていける機会を貴方のペースで 経験していくとか。 最初から多くを求めずに。 少しずつ少しずつ小さな自信を積み重ねていく事。 出来る事は沢山あるんだと思う。 ボールを取れなかった人にとっては。 取れる事自体が最初の大きな進展でしょ? いきなりスムーズで、相手の胸元にきちんと届くように投げられるキャッチボールを 急がない。 段階がある。プロセスがある。 吃音であっても無くても。 貴方は貴方なんだよ。貴方の価値には何も変わりは無い。 ただ、貴方自身もどかしい思いをしている。 だからこそ、そういう貴方の気持ちもしっかり汲み取ってあげて。 簡単ではないけど。 少しでも今の自分として、相手と繋がっていける手ごたえを掴んでいけるように。 焦らないで、自分を急かさないで。 多少まごついても、バタついても。 「丁寧に」伝えていこうとする意思を、姿勢を大切にして。 相手と向き合っていく事。 それは十分に可能な事。 スムーズに出来ない事と、コミュニケーション力がない事とは違う。 貴方にはあるんだから。 丁寧に、今の自分から出来る事を見つけていく事。 自分のこれからの為にも。 キャッチボールを楽しむ為にもね☆

  • miya0717
  • ベストアンサー率29% (7/24)
回答No.1

手話の道で生きるのはどうですか? 身振り手振りなら饒舌になれるかもしれません。 それをきっかけに人とのコミニュケーションが取れるようになれば、吃音も改善されていくのではないでしょうか。

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