• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本の革命的な戦争の指導者はどなたでしょうか?)

日本の革命的な戦争の指導者

このQ&Aのポイント
  • 日本の革命的な戦争指導者とは、民族には3人の指導者が存在すると言われています。
  • 彼らは政治的ではなく戦略的な意味で革命的であり、国内紛争や国際紛争の解決にも貢献しています。
  • 例えば、源義経、織田信長、東郷平八郎はその代表例であり、彼らの戦略的な取り組みは革命的と評価されています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ksdm
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.1

私も信長は同感です。 あとは、坂本龍馬(脱藩して暗殺されるまでわずか5年の歳月であれほどのことをやったのですから。) と、実在すれば、神武天皇でしょうか。やはり、2600年以上続く家系の祖というのは、世界的に凄いことですからね~

noname#129460
質問者

お礼

ありがとうございます。 坂本竜馬は、軍事力より政治力を評価されるべきでしょうね。しかし、政治力というよりフィクサーとして政治をコントロールする力量を評価するべきでしょうか。どちらにせよ、従来の枠を超えた政治力は「革命的」であることは間違いありません。 (爆弾は火薬が爆発することで破壊力を生じますが、信管がなければ爆発できません。その意味で、幕末~明治初期には「信管」たるキーパーソンが多くいたことは、日本にとってラッキーだったかも知れません。) 神武天皇は、初代天皇ですね。この方がいないと、日本は始まらない・・・ですよね。でも、皇紀2670年の日本は迷走を続けています。革命的な指導者がでないと収束しないのか、それとも革命嫌いの日本人はこの迷走を受け入れるのか・・・困ったもんです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (4)

回答No.5

三人に絞るのはちとむずい^^; 「天武天皇」 おそらく、この人万世一系の人でない。壬申の乱は革命だと思います。 「藤原仲麻呂(恵美押勝)」 この人、失敗したけど明らかに天皇に取って変わろうとした。恵美押勝の乱は易姓革命思想が根底にある。 「源頼朝」 ブレーンは下級公家の三善ではあるが、担がれた方なので。東国(武士階級)の独立を勝ち取った。彼以降、徳川家康が「公家諸法度」により貴族階級を完全掌握するまで、この国は貴族階級VS武家の長い長い権力闘争が続き、二重支配体制であった。 「西郷隆盛」 この人だけは、三人選ぶとき必ず入る人だと思う。西南戦争ではなく、幕末の倒幕活動家として。あまり話題にならないが、彼の幕末期の陰謀の凄みはこの国で最高の革命家だと思います。

noname#129460
質問者

お礼

ありがとうございます。 壬申の乱は、太子VS皇弟の骨肉の争いで、しかも反乱者側の勝利・・・で、かなり後味の悪い革命でもあります。 (後味が悪い・・・天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ、明治3年(1870年)、弘文天皇の称号を追号)が負けて、1100年も経てから天皇の称号をもらうことになり、それまでは皇太子でありながら、逆賊にされていたことがあげられます。) 源頼朝さんは、政治的には老獪な面が際立ち、しかも兄弟を抹殺するなどの方法は戦略・戦術以前に ややっこしい人 の感があります。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.4

   四大革命 ~ 壬申・関が原・維新・玉音 ~   ── 中学三年になってようやく、日本史の授業を受けることになった。  先生は、黒板に「日本三大革命」と大書して、大化改新・明治維新・ 昭和終戦、を列挙された。(わたしの自伝より)    いまでは、大化改新(0645)の史実が怪しまれ、やや下って壬申の乱 (0672)によって、天皇制が確立したと解釈されます。  このとき天武天皇は、神武天皇の再来として君臨したのです。    ただし《日本書紀》の神話に登場する神武天皇は、天武天皇を神格化 するための、架空の人物にすぎません。建国記念日(前0660)を、古代 中国の春秋時代(前0770~0403)に置くのは、まさに荒唐無稽です。    徳川幕府の治世265年(1603~1868)は、世界史上に冠たる長期政権 の記録であり、以後の官軍司令官となった大村益次郎が、帝国陸軍の祖 と呼ばれます(西郷隆盛は、なぜかもっとも人気のある敗軍の将です)。    かくて大東亜戦争の開戦と終戦の統帥権が、昭和天皇のものとなり、 日本初の敗者として、連合軍司令官マッカーサーに呼びつけられます。  勝者による戦争裁判は「天皇を裁かず」という大原則で開廷します。   ── 敗者の責任を問う極東軍事国際裁判は、天皇誕生日の起訴にはじ まり、皇太子誕生日の絞首刑で完結した。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19921223 極月〆日の極東極刑  

noname#129460
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご高説を昇華すると、国体を廃し民主主義に転換させた功労者のマッカーサー最高司令官が革命的な戦争指導者と言えなくもないですね。なぜなら、時の総理大臣吉田茂さんから「名誉国民」の称号授与の打診があったからです。しかし、マッカーサー最高司令官の誤算は「極東の平和と自由主義の確立が、米国に多大なる貢献をした」ことが、米国民に評価されると思ったことでした。その結果が、トルーマン大統領からの解任です。 (その意味では、マッカーサー最高司令官も政治的にはNGです。)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • Yodo-gawa
  • ベストアンサー率14% (133/944)
回答No.3

対外的な戦争で日本が勝ったことはあるのだろうか? 日露戦争を挙げる者が多いが、あれは戦略面で見れば勝利とは絶対に言えない。 世界の果ての島国で派閥構想をやってきた国に、軍事的指導者はいないと思いますよ。 個人的な所感ですが、義経は戦術面では優れているでしょうが戦略面はダメです。 指導者と言うぐらいであれば、謀殺されているようでは話にならない。せめて頼朝を 殺すべきでした。信長は最新兵器の重要性を認識して、補給を確保したことは大きい。 しかし、これは戦術レベルではないだろうか。他の点ではマシだと思いますが・・・。 東郷平八郎に至っては、どう足掻いても勝てないと認識できたはずなのに、負け戦を 引き延ばして、味方を大量に殺した。まあ、旧日本軍に戦略があるとは思えませんから。 以上の点から、質問者の挙げた3人のうちの2人は、戦略面が壊滅的だと思われます。

noname#129460
質問者

お礼

ありがとうございます。 ご意見のごとく、源義経さんは政治的な工作はほとんどダメで、お兄さんから「朝廷の官位はもらっちゃダメだよ」って言われたのに判官の位をもらって、敵方の娘さんまでもらっちゃったので、ほぼ「俗人」でしょう。しかし、騎馬戦による機動力戦法は従来の戦争方式を変える画期的な方法だと考えます。 (従来の矢合わせ、有名武将の名乗り、一騎打ちなどの合戦手順を踏まず、組織的な騎馬による白兵戦は、敵方の平家軍はビックリしたでしょう。ただし、義経さんは少数精鋭のゲリラ戦では成果がでていないようです。)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

北条時宗 非御家人まで動員した。とりあえずモンゴル侵攻を防いだ。 鎌倉幕府の軍事的な指導下には御家人だけが含まれるのですが、彼は御家人以外も動員した。 そこが革命的

noname#129460
質問者

お礼

ありがとうございます。 圧倒的な軍事力と国力を持つ元を2度も防衛戦で勝利できたことは、まさに神がかりです。台風により海上戦力を失ったことは「神風」で表現されていますが、元の前衛部隊は「疲弊しすぎて戦意喪失」だったことも防衛戦でなんとか互角に戦えた要因の一つです。 鎌倉幕府の危機意識の高さを現在の内閣に学ばせたいものです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「坂の上の雲」に関する質問(ネタバレあり)

    過去に「坂の上の雲」を読みましたが、以下の2点が思い出せません。どのような作戦だったのかご教示お願いします。 1.二〇三高地をおとす際、日本軍は敗戦続きでしたが、児玉源太郎が直接、現地に赴き指揮を取ることにより勝利したと記憶していますが、どのような作戦で勝利したのでしょうか? 2.最後の日本海海戦において、東郷平八郎が左右どちらかに急旋回する作戦に出たと記憶していますが、なぜ、相手に真横を見せるというリスクを冒してまで、このような進路をとったのでしょうか? 以上、よろしくお願いします。

  • 戦争、紛争、内戦の違いについて

    現在起こっている戦争についてレポートを書こうと思っていろいろ調べていたら、戦争、紛争、内戦の違いが分からなくて、wikiさんを見てこんな感じに自分の中で考えてみたのですが、どうでしょうか? 間違っている部分があったら教えてほしいです ---------------------------------------------------------------------------- 戦争…国vs国(複数の国でも可)で、正式に宣戦布告をしなければならないもので(しなくても実質上戦争となる場合もある)、話し合いで解決しなかった場合の政治の一手段でもある。 紛争…意味が広く、内戦や戦争も含む。明確な定義がないため、使う人によって解釈は違い、紛争を「内戦や比較的小規模な地域紛争」として使う者もいれば、「国家間での大きな武力紛争」として使う者もいる。しかしニュースなどでは前者の意味として使っているものの方が多い(?) また、いろんな勢力がごちゃまぜになっちゃってなにがなんだかわからない状態なり、どう名前をつけていいか困った場合に紛争ということがある。(たとえば最初は内戦だったけどいろんな国が介入してきた場合) 内戦…国内での武力闘争。国家vs反国家の場合と、○○派vs△△派(例:宗教戦争)などの場合がある。フランス革命などは前者に入る(?) ---------------------------------------------------------------------------- そして今現在起こっている大きな戦争、内戦、紛争に当てはめてみたのですが、こちらも間違っている部分があったら教えてほしいです ---------------------------------------------------------------------------- イラク…紛争もしくは内戦。戦争としてはオバマにより「戦闘終結宣言」と『イラクの自由作戦』の終了が宣言されているので一応終了している。シーア派vsスンニ派、クルド人問題だけで言えば、内戦ともいえる。 アフガニスタン…紛争もしくは戦争。おおまかにいうと、アメリカvsアフガン政府なので戦争ともいえるが、正式に宣言はしていないので紛争と呼ばれている 中東…戦争もしくは紛争。イスラエルvsアラブ諸国なので戦争だが、いろんな国がいろんな動機で加わり(代理戦争)、期間も第1次~第4次と長く、それぞれ原因も違い、また宗教戦争の側面もあるのでとてもカオスで紛争とも呼べる。 アルジェリア…内戦。政府vs反政府 ウクライナ、ロシア…まだ戦争にはなっていないが、なりそう。冷戦状態(?)

  • 戦争のやり方が変わった革命的戦いは?

    以下のように、その当時までの戦いから考えて革命的と言える戦い・戦争・紛争を教えて下さい。 鉄砲の有効活用で、戦国最強と言われた武田騎馬軍団が破られた長篠の戦い。 国家総力戦で闘うことになった第一次世界大戦。 飛行機が戦いの主役になった第二次世界大戦。

  • 中国語を翻訳したのですが長文の為に自信がありません

    翻訳を確認してください。 尚、日本の漢字でも意味が通るところは打ち込む手間を省く関係で、日本漢字を使います。 毛沢東在会上发言,他精辟地论述了中国革命战争的战略問題,深刻地剖析了紅軍第五次反 ”围剿” 失利的根本原因,是軍事领导人单纯防御的错误战略战术所致,否定了博古的报告。 翻訳 毛沢東は会に関して発言し、彼は中国革命戦争の戦略問題を透徹に論述して、紅軍の第五回反包囲攻撃が敗れた根本原因、軍事指導者のあやまった戦略戦術によってもたらされた単純な防御を深刻に分析して、古今の報告を否定した。 このように翻訳しましたが、長文になってくると動詞の使い方が理解できず、かなり不安な部分がある中で翻訳しました。 訂正個所がありましたら、訂正お願いします。

  • 日本ではなぜ革命が起きないのですか?

    日本はだんだん格差社会になりつつありますが、なぜ革命が起きないのでしょうか?

  • 日本には革命が

    必要ですか?

  • なぜ日本では革命が起こらなかったのですか?

    中国の歴史を見ると、武力による王朝交代が頻繁に行われていますが、なぜ日本では1つの王朝(天皇家)が2千年以上も(もう少し短い?)存続してこられたのですか? 世界の歴史を見れば前者の方が普通で、寧ろ後者のパターンが特異のように私には思われて、不思議です。 日本だって武力で政権を奪取するという発想で武家政権が何百年も牛耳っていた時代が長くあったわけですよね? それでどうして中国と日本はこんなに違う歴史を歩んだのですか? ※なお、これはド素人の質問なので、事実誤認や表現の稚拙な部分は随時指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…。

  • 日本に革命が起こらなかったのは何故ですか?

    日本に革命が起こらなかったのは何故ですか? 日本史で一揆はよく見かけますが、「革命」と名の付いた出来事は 聞いたことがありません。 今は割と裕福な社会なので起こらないのは分かりますが、江戸時代とかは飢饉が起こってますよね。 それで不満が爆発して、武士を倒そうという思想が生まれてもおかしくない気がします。 民衆は支配階級の武士を倒して、自ら政治を行おうとはしなかったのでしょうか? (山城の国一揆みたいな出来事はありますが、後に消滅してますよね。)

  • 日本で革命

    このような質問をしてよいものかわかりませんが、ふと気になったもので 現代の日本で革命を起こすことって可能なのでしょうか? もし起こすとしたらどのような方法で実行されますか? 日本という国はそのような事態に対してどの程度の対策?耐性?があるものなのでしょうか

  • もし戦争に勝ってたらどうなっていたか?

    有名な資料ですが、1943年5月31日御前会議決定「大東亜政略指導大綱」についての質問です。 第一 方針 (略) 二 政略態勢ノ整備ハ帝国ニ対スル諸国家民族ノ戦争協力強化ヲ主眼トシ特ニ支那問題ノ解決ニ資ス (略) 第二 要領 (略) (イ)「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発並ニ民心ノ把握ニ努ム 政治戦略は占領地の民族を日本の戦争により強く協力させる事を主眼に行う為に、現在のマレーシアとインドネシアは、日本の領土に組み込むって事ですよね。 次にこの2年前の1941年11月20日に大本営政府連絡会議決定「南方占領地行政実施要領」からの引用ですが 『第一、方針 占領地に対しては差し当たり軍政を実施し治安の恢復、重要国防資源の急速獲得及び作戦軍の自活確保に資す 占領地領域の最終的帰属並に将来に対する処理に関しては別に之を定めるものとす』 『第二、要旨 (略) 七、国防資源取得と占領軍の現地自活の為民政に及ぼさるるを得ざる重圧は之を忍ばしめ宣撫上の要求は右目的に反せざる限度に止むるものとす 八、(略) 原住土民に対しては皇軍に対する信倚を助長せしむる如く指導し其の独立運動は過早に誘発せしむることを避くるものとす。』 東南アジアの当面の占領地行政の主目的が、資源獲得と駐留する軍の自活だったとあります。 そう言う軍事上の目的が最優先である以上、現地住民に掛かる重圧は我慢させ、住民の支持を獲得する為に求められる事も軍事上の目的に反さない限度に止め、独立運動が盛り上がり過ぎない様にと言う意味です。 そして今回の質問に一番関係しますが、占領地域の最終的帰属(いずれ独立させるかどうか)は別途考える(この時点の大本営政府連絡会議は検討していなかったので後でと言う意味)とあります。 これが、真珠湾攻撃約2週間前の事実上の最高決定機関である大本営政府連絡会議の方針です。 これらの資料から『対米英蘭戦争がアジアを独立させる事を目的にしていた』と言えると思えませんし『取り敢えずは軍政をひくがいずれは独立させるつもりだった』とも思えません。 もし独立させるつもりなら、真珠湾攻撃のたった2週間前の時点で東條英機が施政方針演説で言っていた『大東亞の各國家及び各民族をして各々其の所を得しめ』つまり『占領地域の最終的帰属は後で考える』なんて言う訳がないと思いますし、もし独立させる事自体が目的であれば、最終的帰属は議論するまでもなく『独立』に決まっていたと思います。 東條首相自身が1942年1月の国会演説で、防衛上重要な地域を『帝国が直接把握する』と言っていたり「いずれ独立させるかどうかは別途考える。」と言った表現をしていたしており、決してアジアを独立させる為の戦争ではないと思いますが、もし仮に日本が有利な状況で講和に持ち込んで戦争を終わらせられた場合、これらの地域(現在のマレーシアとインドネシア)は戦後直ぐに独立させていた可能性はあるのでしょうか? 少なくとも、支那事変が終結するまでは「帝国領土」になっていたと思うのですが、やはり戦後も日本の領土(植民地)として、例えばアメリカ軍政下にあった戦後の沖縄の様に(統治はアメリカがするが領土権は日本に残存すると言う「残存主権」)なっていた可能性が高いのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 【MFC-J6980CDW】での印刷ができない問題について相談します。ブラックが出なくなり、ヘッドクリーニングしてもノズルつまりがひどくなっています。
  • お使いの環境はWindows10で無線LAN接続です。Wi-FiルーターはバッファローAX6を使用しています。
  • 関連するソフト・アプリについては記載がありませんが、電話回線の種類はひかり回線です。
回答を見る