• ベストアンサー

「人間」「社会性」「脳の進化」などをテーマに

論文を書いてみたのですが、いかんせん大学が全くの違う畑な物で発表する場がわかりません。 こういうジャンルに大学にはいってから興味がわきまして色々と個人的に調べるようになり 様々な文献を読んだのですが、知識を持てば持つほど現在、主流とされている人間が二足歩行になった経緯や社会を構築した経緯に違和感を感じてしまいます。 そこで自分なりに進化の過程の仮説を立ててみたのですが そういったものを発表・・というか、何かしらの形で専門の方からレスポンスを受けられる機会を得る方法はありませんか? なんだかとても気になってしまうのです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ryuzin
  • ベストアンサー率45% (253/559)
回答No.1

>大学が全くの違う畑な物 文系でなくて理系とかいう意味でしょうか? >人間が二足歩行になった経緯や社会を構築した経緯に違和感 >レスポンスを受けられる機会を得る方法はありませんか? 文系にせよ理系にせよ、アプローチの方法次第でそのテーマを追求する事は可能だと思いますよ? 大学の先生の経歴やら得意とする分野等が分かる様なら、 >「人間」「社会性」「脳の進化」などをテーマ についてまずその先生にアプローチするとかしてみてはいかがでしょうか。

hnakano
質問者

お礼

文系でも理系でもなく美大の学生です。 そういう系の相談は出来るんでしょうか? とりあえず、当たってみようと思います! 私は産業デザイン的な科で学んでいるので 普段から人体にとって使いやすい形の製品のデザインや 生活によくなじむ物とは何かを考えてます なんというか、しっちゃかめっちゃかになってしまいますが 人間の生き物としての「生きる」という最初の目的を達成するためには まず体の構造は合理的でなければならない。そして私は人間の素材の比強度(たとえば骨や筋肉)などからみると、かなり合理的に素材を生かしていて生き残るために最適な構造をして作られていると感じています。にもかかわらず人間の進化は脳から語られることが大多数でとても違和感を感じているのです。確かに脳みそを人間は進化させてきましたが、それは副次的な結果に過ぎないわけで、進化させるには体の構造上の理由があった。脳に注目を集めてしまうと去るとの間に段差が出来る。 人間というサルの、ある特定の能力を特化した結果、脳が増大し、社会性も高度になった 人間は本能が薄くなったというけれど実はそうではなくて その能力というのは今も人類が本能として追い求めるものの一つだと思うんです。 そういう視点から サルから現在の人間にいたるまでのなだらかな坂を順序だてて説明したいんです。 回答ありがとうございました。m(_ _)m

その他の回答 (2)

  • fishsong
  • ベストアンサー率42% (46/109)
回答No.3

1の方のお礼文を拝見しました。 誰でも「この世界の成り立ちとは?」「人間ってなんだろう?」と哲学的な思索にふける時期があるものですが、それを科学的な「学説」として発表することはできません。 事実(データ)に基づいていないからです。こう思う、こう感じる、というだけではだめです。 (科学的な意見として発表するのではなく、エッセイとしてなら問題ないかもしれません) ヒトの進化は二足歩行から始まったという説が現在有力ですが、そういう説も化石記録というデータに基づいています。脳容量の拡大する時期より、二足歩行可能な骨格が発見された時期のほうが古いというデータがあるためです。 まず進化や生物についての科学的な本をいくつか読まれてみてはどうでしょう。 進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドの進化エッセイや、西田利貞「人間性はどこから来たか」などは参考になるのではと思います。

  • fishsong
  • ベストアンサー率42% (46/109)
回答No.2

とりあえずはどこかの生物人類学研究者につてをたどって見てもらうのがいいと思います。 あなたの研究室や学部が畑違いでも、誰か先生の知り合いに1人くらいはいるんじゃないでしょうか。 でも、「進化の過程の新仮説を発表」が目標なら、生物学や生物人類学の研究室に入って専門的な基礎をきっちり学んで、何らかの具体的な研究で論文を出して学会にも発表してひとかどの研究者として認められてから、 改めて自説を吟味して発表したほうがよいと思います。 要は、具体的な研究成果に基づかなくてはいけないということです。理論だけじゃ意味がないです。 トンデモ本の世界に出てくるような、胡散臭いものになってしまう危険性があります。

hnakano
質問者

お礼

そうですね。参考にします。 年齢的にこれからまた学生に再編入するのはなかなか考えられないのですが 選択肢の一つとして考えて見ます。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • ヒトの進化と脳の容量

    大学の生物学の課題をやっているのですが、ヒトの進化の過程で、二足歩行を始めた頃から脳の容量の増大が起こった事は分かったのですが、なぜ二足歩行をすると脳の容量が増えるのかいまいち確信が持てる答えが出せません。両手が自由になった事が理由なのでしょうか、あるいは、脊椎の変形とかが関係するのでしょうか...。

  • 卒業論文の参考文献について

    経営学部の4年生です。現在、卒業論文の執筆中なのですが、参考文献の書き方について質問させてください。 私の通う大学では、7月末・9月末・12月末に卒業論文の中間発表として論文を提出しなくてはなりません。7月末には問題意識とテーマを、9月末には文献研究と仮説、12月末には検証と結果というように、定期的に提出した論文の一部分たちが、最終的に論文になるという方法をとっています(意味ちゃんと分かりますかね?) そこで、9月末提出の文献研究と仮説の部分に着手しているのですが、この際の文献研究で参考にした文献は、いったいどのように扱ったら良いのでしょうか? 普通、参考文献は論文の一番最後に書いたりしますよね?だけど、あくまで中間発表なので…。どうしたものかと考えています。 また、文献を参考に書くからといって、いちいち本のタイトルや作者名も文章中に書く(例:○○氏が△△で述べたところによると…など)べきなのでしょうか? 長くなりましたが、ご回答いただけると幸いです。

  • 先行研究を探しています。

    先行研究を探しています。 自分は今大学で社会調査士の資格取得のための授業を取っています。そこで自分の仮説の先行研究になる論文、文献を探していますが見つかりません。仮説は「自分の今の状態に満足している人ほどボランティアなどの平和貢献活動に対する関心が高い」というものです。もし、この仮説の先行研究になりそうな文献、論文等ありましたらぜひ教えてください。 よろしくお願いします。

  • 論文の参考文献に「新書」はダメ??

    私は文系の大学4年で卒業研究をしています。 現在は知識を蓄えるために新書を読んでいるのですが、新書はアカデミズムよりもジャーナリズムの面が強く、学術論文とは一線を画すると聞いたことがあります。 実際にciniiにある論文の参考文献欄に挙げられているのは学術論文・学術本が主流であり、新書を挙げる論文は少ないように思われます。 新書はとても有用だと思うのですが、論文執筆のときは参考文献に挙げるべきでないのでしょうか?

  • エドワード・ウィッテン「M理論」に関する論文・講演

    1995年に南カリフォルニア大学で発表した仮説M理論の講演または関係する論文を探しています! 今、参考にしているサイトはhttp://arxiv.org/です。 よろしくお願いします!

  • 「単一起源説」の他の考え方

    今日の新聞で「ジャワ原人、ヒト直系祖先にあらず」という記事があり、頭蓋骨の調査で、ジャワ原人=ホモ・エレクトスは、新人=ホモ・サピエンスの直系ではなく、それによって「単一起源説」が裏付けられた、という事が書いてありました。 単一起源説の他に、人間の進化の過程の仮説はあるのでしょうか? それについて詳しい文献やホームページを教えて下さい。

  • 文学部の研究

    大学で日本文学(中古)を学んでおりますが、どうも研究(考察)というものが苦手です。今までの演習発表などは、先に発表した人たちの真似をして何とか凌いできました。卒業論文も何から手を付ければいいのかわかりません(参考文献だけはやたら集まってます)。他の人の論文なんて読んだこと無いですし、何のために読むのかよくわかりません。 一体どこをどう頑張れば良いのでしょうか?

  • 参考と引用とコピペ???

    かなり以前から、研究者や大学生の論文の提出に関わって、「コピペ」というのが問題になっています。 また、書籍には、たいてい「参考文献」というのがあります。 教えてほしいのは、次の2点です。 1 論文の発表や書籍の出版に関わって、表題の「参考」と「引用」と「コピペ」の違いを教えてください。 2 論文なんかは、最後に「引用文献」をきちんと表記していれば、「コピペ」には該当しないという理解でよいのでしょうか???著作権上も問題はないと理解してもよいのでしょうか???

  • 大学院での論文や学会発表について教えて下さい。

    大学院での論文や学会発表について教えて下さい。 大学院(博士前期)の学生です。論文や学会発表について教えて下さい。 自分は社会人を経て大学院に入りました。 社会人時代の仕事に関連することを研究していて、現在の指導教官に自分の研究室でその研究ができると言われ、研究室に入りました。 しかし、入ってからは話がころっと変わり、指導教官に「君の研究内容は自分の専門外だから、自分でやり方を見つけて指導教官の所属する学会(おそらく自分も入会することになると思われる)で発表したり論文を投稿し、その時に私(指導教官)の名前をセカンドで入れてくれたらいい」と言われました。 研究は自分のこれまでの素地からその道の専門家(他大学の教授とかではない)などに自分でコンタクトを取ったり、文献を調べて進めている状態です。 指導教官の選択を誤ったことを今さら嘆いても仕方がないので、とりあえず残りの期間を我慢してほぼ自力ででも卒業したいと思っています。 大学院のシステム的なことがわからないので知りたいのですが、学生の自分が発表したり書いた論文はすべて自力で書いたとしても、セカンドに指導教官の名前は載せないといけないのですか? また、もしそうならそれは共著になり、指導教官の論文の1本に数えられるのですか? 指導教官は博士前期過程の間に論文投稿3本、発表3回しようと言っています。(自分はそんなには無理だと思っていますが) 前述のように発表や投稿の予定は言いますが、指導はありません。 それなりの指導もなしに論文投稿や発表はするようにと言われているのですが、自分が書いた研究成果が指導教官の研究成果にもなるからなのですか? 研究室や指導教官の教育方針や人間性にもよると思いますが、一般的な大学院の学生はどのような指導を受けているのですか?他の研究室の同級生にも聞いてみたのですが、自分のことだけを考えているようでよくわかりません。 大学院がこんなに閉鎖的なものだとは思っていなかったため、とても残念です。

  • 卒業論文 中国について・・・テーマが決まらない(焦)

    文系大学4年生で、いま卒業論文に取りかかっています。しかしながら、何冊か本を読んではいるのですが、いまだに卒論の具体的なテーマが見つかりません(焦)。 私の学部で専攻している分野は東アジア、主に中国で、私はITに興味がある為、中国のインターネットに関係することを書こうと文献や統計を参考に調べています。 そこで、『中国のメディアの規制、主にインターネットを中心に関する事を書こう』ということを思い浮かんだのですが、実際それで何を論じればいいのか分からなくなってしまい、いままでやってきたこととの葛藤に苦しんでいます。 社会主義体制下におけるメディアの規制、インターネットであれば言論統制がありますが、一体それがどんな影響を及ぼす可能性があるか、立証にいたるまでの根拠が思い浮かばないのです。 卒業論文というのは何かを立証するものであると認識しているのですが、それはいままでに誰も立証、論じていないことを書かなければいけないのでは?という見解でいいのでしょうか? もしそうであれば、本来ならばこういう場で相談することではないのかもしれませんが、現在進めているテーマにおいて何かを立証できる、又は可能性があると考えられる事柄があればアドヴァイス願いたいと思います。 また卒業論文を進めていく過程でのアドヴァイスもお聞かせ頂ければと思います。