- 締切済み
公家の生活は?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- aminouchi
- ベストアンサー率46% (376/804)
お礼がつきましたので再度登場いたします。 ただ、申し訳ありませんが、お求めには応じかねます。 >「源氏物語」や「とはずがたり」のほかに貴族生活の想像できる物語や随筆などあ>りますか? 平安期のものであれば、国語の教科書にも載るようなものがたくさんありますが、 鎌倉・室町・戦国期ではお求めのようなものは、ちょっと調べた限りではないよ うです。この時期の貴族たちは多くの日記を残しており、これを読みこめば、お 求めの答えがでるかもしれません。(多分に有職故実を書きとめたものが多い) また、いわゆる貴族(五位以上)の数は意外に少なくて100名程度しかおりま せん。この数の少なさが原因で貴族以外で貴族の生態を知るひとがおらず、他者 による記録がないわけです。で、貴族たちは自分の生活は当たり前のものと思っ ていますから、わざわざ書きとめたりしない、ということです。 社会的条件が変化する中で、生活がどのように変化したかを私も確認したい、 とは思いますが・・
- aminouchi
- ベストアンサー率46% (376/804)
>政治の主導権が公家、貴族から武士に移ってから とdekkiさんは書かれていますが、それはいつごろだとお思いでしょうか。 荘園制度という言葉は聞いたことがあると思いますが、これが崩れたのは いつごろだと考えますか? 実は、いわゆる鎌倉幕府というのは「武士」に対してだけの政治権力です。 で、日本のほとんどは荘園あるいは国衙領という形で京都の天皇家や公家 に対して税を払う立場でした。政治というのはある意味で税の分配機能で すから、公家にも政治があったわけで、公武二重政治体制ともいえます。 後醍醐天皇の「建武の新政」もそのおおもとは、二つに分かれた天皇家系 のうちどちらがどのように天皇家領と天皇位を受け継ぐかというのが原因 です。これに、御家人の間の北条氏独裁に対する不満がからまって南北朝 騒乱がおこりました。これも公武二重体制の現われですし、後醍醐天皇の 皇子である護良親王は足利氏に対抗するため征夷大将軍になって武士を牛 耳ろうとしています。(失敗に終わった天皇による政治一体化の試み) この騒乱で武家側が結局は勝利し、公家権力は弱くなりますが、まだ荘園 は残っており、公家のもとにそこから税が届かなくなったのは、室町後期 というか戦国時代になりかけるころであり、室町幕府の権威自体が衰えて からです。そこで始めて経済的困窮に陥った公家たちは、その教養などを いかしたアルバイトを始めるわけで、その内容が下でgazeruさんの紹介し た本などに書かれています。 本当の意味で公家の生活が苦しくなるのは、荘園が完全に否定されてしま った江戸期であり、徳川家によって認められたわずかな公家領からの収入 で暮らさざるを得ず、身につけた芸を教えるか、武士に対して治外法権で あった屋敷で賭博をやらせてテラ銭をもらうとかして暮らしたようです。
お礼
詳しくありがとうございました。 荘園制度という観点からみてもいろいろ公家の立場が考えられるのですね。 私としては日常生活について(天皇や公家たちの)もう少し詳しく知りたいと思っています。「源氏物語」や「とはずがたり」のほかに貴族生活の想像できる物語や随筆などありますか?
- gazeru
- ベストアンサー率42% (465/1093)
直接の回答ではありませんが、↓のような本が参考になるかと思います。 また、冷泉家関連の書籍では、代々伝えられた年中行事などが紹介されていたと思います。 戦国期公家社会の諸様相 中世公家日記研究会∥編 出版地 :大阪 出版者 :和泉書院 出版年月:1992.11 資料形態:394p 22cm 8240円 シリーズ名: 日本史研究叢刊 2 ISBN:4870885395 中世公家の経済と文化 菅原正子∥著 出版地 :東京 出版者 :吉川弘文館 出版年月:1998.1 資料形態:378,17p 22cm 6900円 ISBN:4642027629
お礼
ありがとうございました。 探す事が出来ましたら、是非読んでみたいと思います。 以前、美術館で冷泉家の秘宝とかいうのを見たのを思い出しました。 これからも興味を持って調べてみようと思っています。
関連するQ&A
- 平安貴族
私の、苗字は平安貴族とか藤原姓とか言われたことありますが、私の苗字は藤原でもないし、関係ないように思います でも親の実家には、親が若い頃までは皇族の位牌(勝手な推測ですが、鎌倉時代とか室町時代ぐらいの皇族の位牌なのかなあと思います) どちらの皇族かは、位牌を紛失していて、位牌について詳しく知る、祖母、祖父ともに既に亡くなっており確認ができないんですよね 当主も戦国末期~江戸時代の話しは、よくしてくれますが、位牌については、皇族の名前すらわからないです 私の、ご先祖は、江戸時代は農村の郷士で下級武士ですが、ご先祖が藤原とか公家とか、何か関係あるのですか? 没落した公家の話しとか、とある皇族を慕っていた公家の人が、何らかの事情で、その皇族の位牌を頂いた公家の話しを聞いたことありますが、私のご先祖も同じような感じなんでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 平安時代の乗り物はどうして牛車
源氏物語などを読むと、 平安時代の貴族の一般的な乗り物は牛車のようです。 どうして馬車を利用しないのでしょうか? 牛など遅すぎますし、よだればかりたらしていて美的ではないです。 当時の馬にパワーがなかったのでしょうか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 室町時代、将軍の正室は何故日野家から?
室町時代の将軍、足利家の正室は義満以降ほとんど公家である日野家から嫁いできていますが、何故公家としては家格の低い日野家からだったのでしょうか? 当時の将軍家は政治的にも絶大な権力を持っていたし、義満などは公家最高の地位である太政大臣にまで上り詰めているぐらいですから、御台所が日野家出では家格がつりあわなかったように思います。 何故、五摂家や宮家、あるいは幕臣として重要な地位にあった斯波、畠山、細川といった家から御台所をむかえなかったのでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 平安時代の年貢徴収システムについて
平安時代、年貢はどのようなものが納められ、どうやって貴族、あるいは武士まで届けられたのでしょうか?平安時代であれば初期~後期いつでもかまいません。詳しく知ってらっしゃる方があれば、回答よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
ありがとうございました。 そうですね、平安期以降の貴族の文学ってあんまり聞きませんね。 日記など読んでみたいと思います。