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竹取物語について
竹取物語と、今昔物語に、同じような内容の物語が入っているのですが、どっちが先につくられた話だと思いますか? あと、かぐや姫は、石上麻呂足にだけ手紙を送るのですが、これはなぜだと思いますか?また、手紙はどんな内容だったのでしょうか。
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要約するの面倒なんでコピペでいきます。 両者の成立について 【竹取物語】 成立年は明らかにされていない。原本は現存せず、写本は室町時代初期の後光厳天皇の筆と伝えられる「竹取物語断簡」が最古とされ、完本では安土桃山時代の天正20年(1592年)の奥付を有する「武藤本」天理大学附属天理図書館所蔵、重要文化財『竹取物語』、天正廿年林鐘下旬中院通勝書写奥書が最古とされる。 しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。 【今昔物語】 『今昔物語集』の話はすべて創作ではなく、他の本からの引き写しであると考えられている。元となった本は『日本霊異記』、『三宝絵』、『本朝法華験記』などが挙げられる。また、平安時代の最初の仮名の物語といわれる『竹取物語』なども取り込まれている。 本朝世俗部の話には典拠の明らかでない説話も多く含まれる。伝聞資料に基づき構成されたものがあったかもしれない。 11世紀後半に起こった大規模な戦乱である前九年の役、後三年の役に関する説話を収録しようとした形跡が見られる(ただし後者については説話名のみ残されており、本文は伝わっていない)事から、1120年代以降の成立であることが推測されている。一方、『今昔物語集』が他の資料で見られるようになるのは1449年のことである。 成立時期はこの1120年代~1449年の間ということになるが、保元の乱、平治の乱、治承・寿永の内乱など、12世紀半ば以降の年代に生きた人ならば驚天動地の重大事だったはずの歴史的事件を背景とする説話がいっさい収録されていないことから、上限の1120年代からあまり遠くない白河法皇・鳥羽法皇による院政期に成立したものと見られている。
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- pu2pu2
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成立は竹取物語が先で、今昔物語の中の類似した話は、竹取物語を収録したものらしいです。 又、かぐや姫が文を送ったのは帝で、帝をお慕いしている事、月に帰らなければならない事等が綴られていたそうです。 今昔物語・竹取物語で検索すると無料WiKiに詳細が載っています。 コピペ回答しようと思いましたが、回答が長くなってしまうので止めました。 お暇な時に検索してみて下さい。 結構面白いですよ。
お礼
ありがとうございます。あとで見てみます。
補足
ところで、どうして竹取物語のほうが先に成立したと言えるのでしょうか? 詳細を教えてください!
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お礼
詳しいご説明ありがとうございます。