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元禄文化の繁栄をある一面から支えたという理由から、
元禄文化の繁栄をある一面から支えたという理由から、 江戸時代の吉原遊郭は、 一定の文化的評価がなされているというのは 一般に認められていることかと思いますが、 仮にも売春が行われていたような所が こうした評価を得ているのは何ゆえなのでしょうか? 当時の花魁は、教養も深く、文化芸能に非常に優れていた というのがその第一の理由かとは思うのですが、 個人的には、落語の“明烏”にも垣間見えるように、 花魁が、気に入らない客であれば体を許さない自由があったからか? (つまり、金銭が絡んでいるとはいえ、そこには男女の機微があったからか?) とも思えます。 ご回答お待ちします。
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