環境保護の必要性について考える

このQ&Aのポイント
  • 環境保護は必要か?地質学的な視点から考えると、地殻変動により人類は滅亡する運命にあるため、環境保護の努力は意味がないと言える。
  • また、過度な環境保護活動は人間の本質である欲望を否定し、文明を後退させる恐れがある。
  • さらに、絶滅危惧種の保護も偽善的であると主張されており、生物は進化と絶滅のサイクルを繰り返しているため、特定の種を保護することに意味はないとする意見も存在する。
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環境保護は必要でしょうか。

環境保護は必要でしょうか。 先日、衛星放送でアメリカの高名な環境保護活動家のインタビュー番組を見ました。 その人の活動や新しい技術に感心しながらも、「私たちはこんなに素晴らしいことをやっているんだから、みなさんも協力すべきだ」という態度はやや高慢で偽善的に感じました。 環境保護活動家に「なぜ環境保護は必要なのですか?」と聞くと大抵「そんなの愚問だ。必要に決まっているじゃないか」と訳の分からない答えが返ってきます。 私は環境保護は部分的には必要かもしれないが、社会を挙げて取り組む程のことではないと思っています。理由は以下の通り。 1.地質学者の研究によれば、地殻変動により数万年後には再びマグマが地表近くに現れ、地球上の生物は死滅すると考えれていること。 つまり、環境保護をしてもしなくても、人類は滅亡するということです。 2.自然を支配し、欲望を満たすことは人間の本質であり、過度な環境保護活動は文明を否定することにつながる恐れがあること。 絶滅危惧種を守るというのも偽善に満ち溢れていると思います。 もし仮にゴキブリが絶滅しても誰も気にしないと思いますが、クジラが絶滅するとなると西洋人たちは大騒ぎします。 これは生物を選別していることになり、人間の傲慢です。 生物は46億年の間、絶滅と進化を繰り返してきました。 一つの種が絶滅すれば、新しい種が生まれます。 絶滅する種を守るなどということは、単なる人間のノスタルジックです。 環境が変われば、それに適合した新しい生物が生まれるという考えではいけませんか。 恐竜が絶滅したように人類が絶滅するのも宿命です。 今は人類が地上を支配していますが、それは地球を支配していることにはなりません。 永続的な繁栄を目指すこと自体が無意味だし、傲慢だと私は思います。

質問者が選んだベストアンサー

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  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3635/18948)
回答No.3

環境保護などときれい事を言っていますが本心は自分が満足したい 自分の子孫に今の環境を残したい それだけのことです 今の環境がどうなろうと地球は気にしません

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

その他の回答 (9)

回答No.10

温暖化のポジティブ・フィードバックを考えただけでも必要です。温暖化対策を しないことはする事よりもより大きなコストとして跳ね返ってきます。南極の棚 氷が解け出すと海岸沿いの都市は水没を免れず、空前絶後のブリザードが吹き荒 れる可能性もあります。標高の高い土地を求めて避難民としてその日暮しの移動 生活、道半ばで行き倒れる老人と子供、避難先では食糧暴動、国家間の資源争奪 戦争(比喩ではなく本物の武力衝突)エヴァンゲリヲンのセカンドインパクト後 の世界が繰り広げられます。あるいはイキナリWater.worldの世界が訪れるので しょうか。温暖化は既に偏西風を蛇行させ中東に洪水、日本とロシアに猛暑をも たらしました。台風は大規模化強力化して農作物の被害のみならずより多くの人 命が失われるでしょう。温暖化対策で少しはマシな未来を、人類が地球の一員で あると自覚して地球環境と呼ばれる壊しかけたパズルを再生して行こうではあり ませんか、貴方の心眼が澄んでいるなら可笑しな環境活動家の歪んだ環境保護な ど簡単に見抜けるはずです。Twitterのkagakuotakuより

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • nama777
  • ベストアンサー率26% (183/699)
回答No.9

一読しましたが、非常に分かりにくいです。 全体に、人間はもっと傲慢であれという主張と、人類はもっと謙虚であれという主張が、混同されているように見えます。 質問2は前者にあたる。つまり人間は本能に従って欲望を満たせばよく、それで行き詰まったら潔く滅んだらよいと。 それをいまさら取り繕うような行為は往生際が悪く、偽善であるから反対だと。 字面の上ではそう読めます。少なくともこれは傲慢のすすめです。 その一方で質問最後では、今でこそ人間は繁栄しているが地球の支配者と勘違いしてはならず、永続的な繁栄を目指す行為は傲慢であるから反対だと。 クジラのくだりも、生物の選定は傲慢にあたるから反対だとあります。これは、いわゆる謙虚のすすめです。 いま一度、頭を冷やして論旨を整理されたらどうでしょうか。 想像するに、冒頭の活動家の言動にカチンときたことから 「環境保護反対」 という結論が先にできてしまい、その理由を後付けで色々くっつけたから、矛盾が生じたように見えます。 >生物は46億年の間、絶滅と進化...環境が変われば、それに適合した新しい生物が生まれるという考えではいけませんか。 その自然進化に人間が棹さすのはよくない、というのが話の根源にあるのだと思います。自然に滅ぼうとしている種をそのまま死なせてやればよく、そのことには誰も異存ないが、クジラやトキなど、人間がいなかったら数が減らなかったものについては、自然の摂理に従うなら人の手で保護するべき、という趣旨だったと思います。そのこと自体にはとりたてて偽善も高慢も感じられません。 なお質問1はノストラダムスばりの与太話ですから、こういう議論の根拠にあげることはやめましょう。

scr84063
質問者

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  • veryvaoh
  • ベストアンサー率25% (4/16)
回答No.8

「地球が泣いている」とか、過激なのになると「地球のために人類は居なくなった方がいい」とかいう意見がありますが、確かにナンセンスですよね。なぜなら、地球は泣きもしないし、人類が居ても居なくても何とも思わないでしょうから。 ならば環境保護など無意味かというと、そうではないと私は思います。 なぜなら環境保護は地球のためではなく、人間のため、すなわち人類の繁栄のためのものだからです。 まあ言ってしまえばエコとは人間のエゴ、それが原点なのですが、それを理解していない人が確かに多いのは事実ですね。 ただし、人類の繁栄と言っても、短期的な繁栄ではなく長期的な繁栄を目指すもの、それがエコの本質です。 >1.地質学者の研究によれば、地殻変動により数万年後には再びマグマが地表近くに現れ、地球上の生物は死滅すると考えれていること。 つまり、環境保護をしてもしなくても、人類は滅亡するということです。 おっしゃるような地殻変動がなくても、遠い将来は太陽が活動を終えて大爆発を起こしますので、地球どころか太陽系そのものが消滅します。しかし、だからといって自棄になることもないと思います。繁栄できるうちはできるだけ長い間繁栄を謳歌すれば良いと思います。 >2.自然を支配し、欲望を満たすことは人間の本質であり、過度な環境保護活動は文明を否定することにつながる恐れがあること。 まさにそのとおりです。過度な環境保護活動をする人は手段と目的を混同している人だと思います。本来は、短期的な発展が近い将来の破滅を招く場合があり、長期的かつ持続的な発展をするために環境保護が必要になってきている、という事だと思います。 絶滅危惧種を守るというのは、一つは、人類のために遺伝資源を保存するということ。もう一つは多様な生態系を保っておく方が人類にとって有益だから、ということです。ひとつの種が絶滅するということは、均衡を保っていた生態系のバランスに変化が起きますから、ある生物の大量発生、害虫、しいては病原菌・ウイルスなどの異常発生を招く恐れがあります。人類に害をなす生物が急激に増えないように、生態系はできるだけ現状を維持しておいた方が良い、との考え方だと思います。 >恐竜が絶滅したように人類が絶滅するのも宿命です。 ならば、絶滅を回避しようとするのも人類の生物としての宿命でしょう。 人間はいずれ死ぬ宿命ですが、死から逃れようとするのもまた宿命であるように。

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.7

 科学理論の裏付けない、一生活者の思いです。    変化は物事につきものですから、すらっと読むだけならご質問の文章に対してもっともであるという賛意を表することになります。  医学や、人類の生活などの進歩、或いは少しでも平和が維持されている状態は、人類の人口を飛躍的に増大させましたね。  1. 私は東京でも数年前は自然の豊富なとことに棲んでおります。    1)住宅や開発で自然というものが真に僅少になりました。    2)昔、タチションも犬猫の排泄物も、何の問題にも為りませんでしたが、今はそうは行かなくなりました。   これは真に些細なことかも知れませんが、世界全体ではもっと大きな循環法則の逸脱があると思います。   宇宙自身として、それはそれで成り行き進行し、その結果をもたらす。   宇宙としては人間に妥当とかどうかは別だという見解になるのか分りませんが、人間が人間の首をしめていないかなぁ。   そして環境という自然界へ強要は、人間の許される都合を逸脱しているかの感想と思いです。  2. 呼吸も吐いたら吸う。吸ったら吐く。ということでやはり何事も加えすぎた事は、多少は回復する仕事も伴わなければいけないと思います  3. そして自分の信仰の問題かも知れないが、人間はもっと自然や生きることに謙虚である必要がないでしょうか?   これだけ自然に強要し、ぎゅうぎゅうやっていることは、人間の能力と立場の逸脱といえないでしょうか?   ややり、大きな資本が環境問題に関心があるという事はとても救いでもあり、私達も生活では人間の与えられていることの意味を考えるべきだと存じますが。  

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.6

必要ですよ。 少なくとも国が発展してゆくためには必要です。 環境保護は、別名静脈ビジネスと呼ばれますが、物の生産・販売を意味する動脈ビジネスに加えて国の経済を支える第二の柱になるのです。 簡単にいえば動脈ビジネスだけの国と比べると動脈ビジネスと静脈ビジネスの両方を発展させた国は国内総生産が二倍になる可能性があるのです。 国内経済(GDP)が二倍になれば、より多くの国民が職にありつき、年金を納付し、公務員たちの給料を支払い、かつ先輩たちの残した膨大な借金(国債)を返してゆくことが可能になるかもしれないのです。 質問者さんは動脈ビジネスだけで日本のGDPを増加させ、雇用を創出し、年金制度を維持し、公務員たちの給料を支払い続け、かつ先輩たちの残した膨大な借金を返済することが可能だとお考えでしたか? 日本の様に先進国でありながら、膨大な借金を抱えている国は、今後は静脈ビジネスを積極的に開発してゆく「必要がある」のです。

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • hunaskin
  • ベストアンサー率30% (1855/6063)
回答No.5

>環境保護は必要でしょうか。 はい。必要です。 環境保護の観点がまるで抜け落ちて発展してきた近代日本がどれだけ汚くて暮らしづらい社会だったか知っているので。 今でこそ都内の河川(神田川、石神井川、隅田川のはなしですよ)にも魚や水鳥が生息していますが、ほんの40年前までゴミや動物の死体や家庭排水がドロドロと滞留するようなドブ川だったんですよねえ。 かつては海は大きいからどれだけ排水を垂れ流してもたいしたことなかろうと思っていた工場があたりの生物の体内に毒物を蓄積させました。その結果、漁民を中心に中毒患者が大量に生まれました。 ああいう世の中はもう嫌です。 >「なぜ環境保護は必要なのですか?」と聞くと大抵「そんなの愚問だ。必要に決まっているじゃないか」と訳の分からない答えが返ってきます まさか一回の問答で一般化しているんじゃないですよね?誰にそんなこと訊いたんですか?ほんとうに全員がそんな回答だったんですか? まあ1については それ、人間どうせ死ぬんだから病気や怪我なんかなおす必要無いんじゃね、ってレベルのはなしですね。 根本的にそういうニヒリズムに則って生きるなら、ご自由にどうぞ、というしかありません。 でも、そんなひとがこういう場所で何かを問いかけてみたりすることの虚しさに気づかないんだとしたら、頭が悪いのか自己欺瞞に満ちているのかのどちらかですね。 2については >自然を支配し、欲望を満たすことは人間の本質 この命題の証明がなされていません。まず、そこから始めないと。 「そんなの愚問だ。そうにに決まっているじゃないか」なんて訳の分からない答えは返さないように。 >過度な環境保護活動は文明を否定する そりゃ、過度はいけませんよ。適度にすれば良いんでしょ。 なんでそんなことを理由に選んだんですか?最初から「過度な環境保護は必要無い」と言うだけで終わるのに。 >絶滅危惧種を守るというのも偽善に満ち溢れていると思います 発言内容に責任を持ちたいなら思うだけじゃ無くて考えてから物を言ったほうが良いですよ。 私だって幼稚園児のころから色んな事思っちゃってましたよー。 >仮にゴキブリが絶滅しても誰も気にしないと思いますが、クジラが絶滅するとなると西洋人たちは大騒ぎします ゴキブリが絶滅するようなことがあれば気にする人はわんさかいますよ。あなたが無関心だからそういう想像が働かないだけです。 クジラが絶滅するとなれば西洋人以外だって大騒ぎしますよ。現在でも日本人だってメキシコ人だってクジラの絶滅を心配している人はいますよ。 >これは生物を選別していることになり、人間の傲慢です なにも選別しない、なんてことができるわけないのだから傲慢もへったくれも無いわけですし、何をどう選別しているのかについてのあなたの論拠(ゴキブリとクジラ)はただの思い込みなのでこの文章自体が無意味です。 >環境が変われば、それに適合した新しい生物が生まれるという考えではいけませんか それでOKですよ。 絶滅種の保護について学者は学問的な意味を見出そうとするでしょうが、まあそれは自然保護とか環境保護とかとは別のはなしですしね。(まさかその辺もゴッチャにしているなんてことありませんよね?) でも、人為的な環境変化も全すべてあなたのおっしゃる「環境」に含まれるんだとしたら、それこそ人間の欺瞞に満ち満ちてパンクしますね。 最後の段落はあなたの人生観の表明に過ぎませんね。 永続的な繁栄とかなんだとか、それ、現在の環境保護・自然保護について何の関係もありませんよ。

scr84063
質問者

お礼

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.4

多分貴方が正しいでしょう。まっ、貴方がいなくても皆の生活は変わりませんし、地球の環境も変わりません。貴方が一生懸命生きなくてはならない理由は、確かに私には見当たりませんものね。貴方の単なるのノスタルジックだということに賛成です。死ぬ者は死ぬんですから。

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#140045
noname#140045
回答No.2

環境保護と言ってもいろいろとありますので、すべて同列で考えることは危険です。 特に、動物などに関しては、なるべく人間と関わり合いを持たない方向に進んでいます。 例えば、日本でも(たぶん)白鳥の餌付けが最近ではなくなりましたが、これもそのような考えによるものです。(自然淘汰) また、食料としての動物もなるべく家畜にして、自然の生き物はなるべく殺さないような流れになっています。 日本は、まだまだその点では遅れていて、「グリーンピース」のような過激な人たちがいるからこそ、逆に捕鯨を正当化している状況です。 私からすれば、"鯨なんか食べなくても誰も死なない"と言いたいです。

scr84063
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • parts
  • ベストアンサー率62% (6364/10149)
回答No.1

人一人一人が環境を理解し、行動するためにはある程度の活動は必要なのですけどね。 このところ金ありきの活動が多いのが情けない。特に、先進国は利権が渦巻いているのが、哀しい。 それをどのように理解するかによるでしょう。環境活動家の中にはいろいろな人や団体がいます。自分の利益のために環境を売りにする人や団体は結構ありますが、その中で企業はその最たるであり、エコブームに便乗してエコロジーを過剰アピールするのはその証拠でもあります。 環境活動家に資金が流れるのは当然ですし、必要なのか必要ではないのかという前に、今の資本社会のシステムにずいぶん前から組み込まれているのが、この環境活動です。 そのため、質問者様の意見はある意味では間違っていません。考え方によってはおかしいのです。活動がメインでお金は二の次のはずが、お金がメインで活動の内容が二の次になっている。結果的に派手なパフォーマンスが主体の意味のない(環境に悪影響を与えかねない)活動家を生み出します。 ただ、実際にやるべきことを正しく活動する活動家もいます。 種として多様性を失うことを危惧する人には、生き物としての重要性を見る人もいますが、人間にとっての重要性を見る人もいます。地球上に存在する種は数兆とも言われ、まだ判明していない種もたくさんいるとされています。それらには、一つ一つ役割があり、その歯車が狂えば人間も含めた生態系に悪影響を与えるとされているのです。 例えば、次の質問ですが、 環境が変われば、それに適合した新しい生物が生まれるという考えではいけませんか。 これは、種によって妥当な判断ではありません。特にほ乳類やは虫類などの高等生物で、寿命の長い種はその生態系に適合した新しい種になるまで、数千年~数万年果ては数十万年の時間を必要とします。これは、一つの世代が生殖能力を備えるまでにいたるまでに、時間が掛かるためです。一世代の寿命が長い種は、一度滅びると同じような種またはそれに変わる種を生み出すまでに、長い時間が必要になります。 人が、猿人から人になるまでに100万年掛かったことを考えればわかりやすいでしょう。 それに対して、細菌やバクテリアは種の寿命が短いため、早期に変異します。 NDM1などの抗生物質の効かない耐性菌がどんどん生まれるのが、その一つの例です。 大型で長生きする種は、滅びるとたぶん人類が存在する間に元の穴埋めをするような種が生まれることはありません。そうなると、人間の食い扶持がなくなりますから、人は自らで滅びへの一歩を踏むことになるでしょう。また、変異の早い細菌やバクテリアに対抗できる物質は自然界の植物や動物、有機化合物から生まれます。それらは希少なものが多く入手する手段も徐々に立たれることになります。人が滅びるのが早くなるだけの話です。 まともな環境活動家で特別な強行団体などに属さない人は、それを考えて行動するケースも多いのです。テレビに出て、当たり前だろうというような活動家はパフォーマンスをして企業の資金を漁るのが実態であり、今の社会が産んだ偽物のパフォーマンス主体の活動家です。 ちなみに、1については地質学者でもたくさんの解釈が出ているはずです。氷河期が来るだの、地震がうんたら、火山がうんたら・・・。これは、地震の長期予測が難しいのと似ています。物事は、過去の事象を元に計算されます。しかし、惑星にも年齢があり、年を取れば周期が変わるのは当然のことですし、プレートの移動が今でも起こっていますが、そのプレートの場所による環境変化もある。隕石など外的要素によって変わるかもしれません。そのため、1は実際にその時間にならないと答えが出ないのです。場合によっては、明日からかもしれないし、100万年1000万年後も変動はないかもしれない。ただ、計算した人から見た確率論としては高いというだけです。 2は、文明の否定にはならないでしょう。 金が出るということはそれなりのバックボーンがあるのです。世界の環境団体は、世界中の一流企業に支えられているとされています。実際には一流企業の下請けかもしれません。それでも、容認されていると言うことは、自由な活動が出来る文明社会がそうさせているという見方もできます。 本当に今の文明が否定されるなら、富豪はそういった手段は危険視するでしょう。そうでないということは、文明を肯定する要素(お金になる部分)があるのですよ。 ちなみに、現代文明社会は通貨で成り立っています。 最後に蛇足です。この数年の日本人に多い傾向として限界を超えたがらない傾向がある。 当たり前、無意味。他人には今、無意味でもその人にとって意味があるからやることは多々あり、それをした結果評価されることもある。閉塞社会では無意味の方が可能性があると思いますよ。

scr84063
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 〉2は、文明の否定にはならないでしょう。 環境ビジネスという意味では、環境保護が経済活動の一環となり、文明の否定にはならないかもしれません。 しかし「CO2何%削減」といったように、現行の経済活動を制限するような政策は、全く無意味だし、文明の否定につながると考えます。

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