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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:スサノオは新羅の神?)

スサノオは新羅の神?

このQ&Aのポイント
  • スサノオは新羅の神様なのか?八坂神社の社伝によれば、新羅の素戔嗚尊が八坂郷に祀られたことが起源とされている。
  • また、新羅神社の御祭神もスサノオである。日本書紀によれば、スサノオは新羅に降り、出雲国まで渡ったとされている。
  • 卑弥呼の弟であるスサノオが新羅の神と習合された可能性もある。また、渡来人の秦氏とも関係があるという説も存在する。さらに、アメノヒボコという新羅の神もスサノオと関係があるかもしれない。

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回答No.2

推論でいいんですよね。 順序だって頭の中整理できていませんが、、、 空海の出自を追った人がいて、さかのぼっていて途中で消えていて結局辿れなかったらしいんですね。 その人は空海は秦氏系列だと睨んでいた。 そして空海はダビデの神を日本の神にしたと言うんです。 おっもしろいなぁーと思って読んじゃいました。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%AB%A0-FINAL-%E8%8A%B1%E5%B1%B1-%E7%A9%BA%E5%8B%9D/dp/4901347179 これよりもっと真面目に調べた人。 http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/index.html くらっとくる分量ですが、神話好きな私は登場するエピソードをいくつか知っていたので、「これとこっちがこうでぇ」と考えながら読んでしまった。 えっとですね スサノオはエロヒム。 エロヒムの荒ぶる面がスサノオ。育成する面がアマテラスとして表現されている。 >秦氏は新羅からやってきた、という説がありますから 詳しくは覚えていませんが、日本の天皇が自分の部族を日本に渡らせたかったが、なんだっけ?新羅かどっかが邪魔して渡ってこれなかったので、日本から兵を出して彼らを無事に日本に渡らせたそうです。 ほんで、大和朝廷という政治的な集団の側近となるために、京に都を作るとき、自分たちの土地と資金を提供したらしい。 だから決して表に出ることが無い影の実力者なのだそうです。 もうこういう話聞くとワクワクしますよね。 ほら、首相いますけど、首相はバックの意見を聞いてそれを首相の意思として発表するでしょ? そのバックが秦氏系列。 例えば「かもがねぎしょってやってきた」という言葉あるでしょ? 京都に加茂川ってあるでしょ? 漢字は加茂だったり、賀茂だったりしますが、要するにカモ氏はユダヤ教の聖職者の集団だったんですって。 要するにレビ族。 でネギってのは食べるネギのことじゃなくて禰宜。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B0%E5%AE%9C じゃーん 日本の宗教の神官みたいな職業がネギ。 つまり 大和朝廷は各地にいろんな集団がいたところに、宗教で統率して味方にしてしまおうとして、ネギを各地の神社とかに送り込んだってわけです。 賀茂氏がやってくるってことは禰宜も連れてやってくるわけで、だからカモがねぎしょってやってきたと言われたらしいです。 日本書紀にしろ古事記にしろ、勢力が自分たちの都合にいいようになるように各地の資料を基に編纂したわけですよね。 これは聖書もそう。 地方の宮司が代々守っている古代より伝わる巻物に書かれた名前と、紀記に書かれた登場人物の名前が違うのは、記紀は目的を持って編纂されたものだから。 そうなると初代天皇は人間ではありえない年齢になったちゃう。 それを指摘し、ある神社、、、どこだっけか? 八坂神社だったか、、、違うな、、、まっ その系統の神社の宮司に「ありえないですよね そんなに人間が長生きできるなんて、ということはあなたがたが代々守ってきた巻物が間違いか、記紀が間違いってことですよね」と指摘したら、宮司さんなんていったと思います? なんだっけな? 多重同時なんとかの法則で可能だって。 要するにタイムマシンでワープしたらいろんな時代に出没できるでしょ? 「その理屈でいけばおかしくもなんともない」って。 んーー んーーー んーーー 言い包められてしまいそうだが、ありえなーい。 私はその宮司が持っている巻物の方が史実に近い気がする。 それも、どっからかの言い伝えが伝わって記録として保管されたものかもしれない。 だから又聞きなので真実とは違うかもしれない。 だけど、記紀よりマシな気がする。

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ダビンチコード最終編って日本人が書いた本なんですね。 で内容は空海? 私も空海は秦氏だという説を聞いたことがあります。 たしか空海の唐でのお師匠さんが景教に詳しい方なんですよね。 空海が開いた真言宗の潅頂の儀式はキリスト教の洗礼式にそっくりですね。 http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/index.html ご紹介いただいた上記サイトはとても面白かったです。 行ったことあるところばかり出てくるのでああ、あそこ、とイメージしやすかったせいかも。 特に秦河勝の記事。 このカテゴリーでえた・非人についての質問があったじゃないですか。 回答者様も回答しておられたと思います。 そうそう、秦河勝って申楽の祖だとされてたんですよね。 すっかり忘れてました。 で翁って秦河勝のことだとありました。 かつて夙の町にあった奈良豆彦神社では翁舞を奉納してるんですよ~。 あっと、これは質問の主題からそれますね。 ああ、でも京都は秦氏の本拠地で、御所は秦河勝の邸宅跡につくられたんですよね。 で八坂神社では正月に翁の奉納をしています。 秦氏は新羅人だと考えられているのでやっぱり関係なくはないかも。 でマタラ神について記されていますが(残念ながら牛祭は数年中止となってるようですが) 牛頭天王ってマタラ神のことなのかもしれませんね。 男女双体の神というのもナルホド、と思いました。 節分に角が生えた四つ目の方相氏が鬼を祓いますが これもマタラ神と同じ神なのでしょうね。 >スサノオはエロヒム。 エロヒムの荒ぶる面がスサノオ。育成する面がアマテラスとして表現されている。 同意です。 >ほら、首相いますけど、首相はバックの意見を聞いてそれを首相の意思として発表するでしょ? そのバックが秦氏系列。 なるほど~。 >例カモ氏はユダヤ教の聖職者の集団だったんですって。 要するにレビ族。 鴨氏は秦氏と血縁関係がありそうですしね。 松尾大社(秦氏の氏寺)の子が下鴨神社のタマヨリヒメ(つまり秦氏)で タマヨリヒメとヤタガラス(鴨氏)が結婚してうまれた御子が上賀茂神社の神様なんですと。 >つまり 大和朝廷は各地にいろんな集団がいたところに、宗教で統率して味方にしてしまおうとして、ネギを各地の神社とかに送り込んだってわけです。 それが秦氏だったと。 うーん、やっぱりスサノオって秦氏と関係あるかもしれませんね。 もっと調べてみないとなんともいえないですが。 >なんだっけな? 多重同時なんとかの法則で可能だって。 http://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/7008 これですね。 これは記紀を読み解くにはある程度便利なんですが、 歴史書として記紀を見たときには「んーー」ですよね。 同じ神という文字があるので 神武=崇神=応神が同一人物とするのはまあ納得できますが。

その他の回答 (18)

回答No.9

 No.6&7&8です。  ★ 宗教に関する質問なので哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。  ☆ 《宗教に関する質問なので》という理由説明と あとで述べられた  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~   >スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです  というような考え方は歴史という学問をする態度ではありえません。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というふうに《学問としての歴史》をわたしの文章への批判の理由にすることとは あい容れないと思いますが   ★ 哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。  ☆ という見方について 読者としてながら その見方を共有します。

noname#163492
質問者

お礼

>哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。  ☆ という見方について 読者としてながら その見方を共有します。 カテゴリーを間違えて申しわけありません。 運営に連絡すると変更してもらえるかもしれません。 >というふうに《学問としての歴史》をわたしの文章への批判の理由にすることとは あい容れないと思いますが  質問文についてはじめに 批判をしてこられたのはあなた様ではありませんか 私は素人ですし、文章力もありませんのでいたらないところはあると思います。 でもここは誰でも参加できるQandAサイトなので 大目に見ていただきたいと存じます。 お気に召さないならお読みにならない、という選択肢もあるかと思います。 (私はたいていそうしますが。) あなたはアマテラスと新羅の関係をまず問え、とおっしゃいました。 しかしながら私は (1)記紀は史実を反映させたものではないという考え方もある。 (2)記紀は持統天皇代の歴史を反映させたものだという考え方もある。 のでもっと広く意見をお伺いしたいと思っていました。 アマテラスと新羅の関係を問うのは、(1)(2)の考え方を排除するということです。 ご理解いただけましたか。 ですのでご自身が アマテラスと新羅の関係が重要だと思われるなら ご自身でご質問をたててください、と申し上げたのです。 それではこのあたりで終わりにさせていただきます。

回答No.8

 No.6&7です。  騎馬民族征服説をポンと出してしまったのがよくなかったと思いました。  スサノヲが新羅系だとすると その姉だとされるアマテラスもそうなる。そのことについて問題が起きないですか?  つまり われわれ一般の日本人は 征服された者であるのか? という問いが起こるのではないでしょうか?  ですから その点は スサノヲの出自を問い求めることと同時一体だと思いますが どうなのでしょう? という補足要求でした。  持統天皇が その子をではなく(死んだので) 孫を天皇にするというとき その行動形式を神代の物語に自分をアマテラスに比して組み入れているという説をおっしゃいました。  そういった方面にわたしも関心があるのですが いまのご質問は そうである・なしにかかわらず そのアマテラスが スサノヲと同じく 新羅系なのか? という問いがついてまわると思うのです。そのあたりを どう処理されるのか。  ★ 私のように邪馬台国と結びつける見方もあります。  ☆ (1) 邪馬台国は 日本の史書や文献ではないですよね。  (2) それは いいとしても(何らかの資料にはなるはず) それは何処に比定するにしろ 新羅ではないのでしょう?  (3) 卑弥呼の弟は 卑弥呼と一緒にいるわけでしょ? スサノヲは 子どものときから泣いてばかりいたのでしょう? なんだか無理がありませんか?  ☆ いえ やはり アマテラスが新羅系であるかどうかが ここでは問題だと思います。そうであるとすれば 裏付けが必要ですし そうでないとすれば スサノヲとの姉弟の関係は どう解釈するのか? このあたりが まづ先決なのではないでしょうか?  * 質問への参加というかたちは 無理だと思います。そのわけとしましては:  邪馬台国が九州にあろうとヤマトにあろうと わたしはどうでもよいと考えています。いづれは ヤマトに指導的な勢力が起こるということだけでです。  それと同じように スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです。いづれは 出雲に流れつき そこでスガのミヤを築く。オホクニヌシへと継がれていく。そこへ アマテラスの側から 服属の要求が来た。うんぬんでよいと見る立ち場ですから。

noname#163492
質問者

お礼

 スサノヲが新羅系だとすると その姉だとされるアマテラスもそうなる。そのことについて問題が起きないですか?  つまり われわれ一般の日本人は 征服された者であるのか? という問いが起こるのではないでしょうか?  ですから その点は スサノヲの出自を問い求めることと同時一体だと思いますが どうなのでしょう? という補足要求でした。 ですから、そのように考えられるのは、記紀神話が史実に基づいて記されていると回答者様がお考えだからです。 実は私もそう思っていますが、史実を反映したものではない、と考えられる方もいます。 また日本人のルーツにまでふみこまず持統天皇代のことを繁栄させたものだとする説をおっしゃる方もいます。 >アマテラスが スサノヲと同じく 新羅系なのか? という問いがついてまわると思うのです。 ですから、それについての考え方を皆さん回答くださっているわけです。 アマテラスとスサノオは切っても切れない。 質問にアマテラスとないのがいけないのでしょうか。 >それは いいとしても(何らかの資料にはなるはず) それは何処に比定するにしろ 新羅ではないのでしょう? ところが邪馬台国は朝鮮にあったとする説もあります。 >卑弥呼の弟は 卑弥呼と一緒にいるわけでしょ? スサノヲは 子どものときから泣いてばかりいたのでしょう? なんだか無理がありませんか? >スサノヲとの姉弟の関係は どう解釈するのか? ですからそれがわからないから質問しているんですが? 一体何をおっしゃりたいのかよくわかりません。 重箱の隅をつつくようなことをすることに意味がありますか? 申し訳ないですが、質問の趣旨から外れたことで議論をして貴重な時間を潰す気はありませんので。 このような回答はおやめください。 > やはり アマテラスが新羅系であるかどうかが ここでは問題だと思います。 あなた自身が質問をたてられたらよろしいのでは。 >スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです 私はスサノオと新羅の関係が気になるのです。(日本と新羅と言い換えてもいいかもしれませんが) あなたと私の考え方はちがう、それだけのことです。 宗教に関する質問なので哲学カテゴリーに質問したのが間違いだったのかもしれません。 >スサノヲが新羅人であろうと日本人であろうと どうでもよいという考えです というような考え方は歴史という学問をする態度ではありえません。 >出雲に流れつき そこでスガのミヤを築く。オホクニヌシへと継がれていく。そこへ アマテラスの側から 服属の要求が来た。 なぜそう考えるのか、という説明がないものは受け入れられません。 それが正しい、正しくないは別にして。

回答No.7

 No.6です。  すみません。わたくしは 史実の比定という考えで歴史をまなんだことが――学校を出てからは――いちどもありません。ですから スサノヲが新羅とどうかかわりがあるか 分かりません。  ただ もしそういう主題として問い求めるのなら アマテラスの出身についても同時に問い求めないと 中途半端になる こう思って――これからさらに回答者の方々が投稿されるにしても――その点をひとこと申し述べました。よこから口を出してしまいました。  もうなかったことにしてください。  あぁ もし横やりが意味があるとしたら それは やはり騎馬民族征服説あたりの問題をきちんと整理することと同時でなければ やはり中途半端なのではないかと思います。  この点は 訪問者(読者)として お伝えしてもよいことではないかとは思います。  失礼しました。

noname#163492
質問者

お礼

何度もありがとうございます。 >アマテラスの出身についても同時に問い求めないと 中途半端になる スサノオについて問うこと=アマテラスについて問うことであると考えます。 ここでもスサノオとアマテラスは同体であるという説が出ています。 >やはり騎馬民族征服説あたりの問題をきちんと整理することと同時でなければ やはり中途半端なのではないかと思います。 ということは回答者様は騎馬民族制服説とスサノオ・アマテラスを関連付けておられるのだと思います。 しかしながら、いろいろな説があるようで 記紀神話は天智・天武の時代をなぞったものだという見方もあります。 私のように邪馬台国と結びつける見方もあります。 そのため、騎馬民族制服説との関連はあえて問うておりません。 もちろん、騎馬民族制服説と関連付けてスサノオ・アマテラスを語って下さることも歓迎します。 騎馬民族制服説については私自身はよくわかりませんので参考になります。 ただ韓国の壁画古墳と高松塚古墳の女官の服装は大変似ていますね。

noname#163492
質問者

補足

>天智・天武の時代をなぞったものだという見方もあります。 というよりは持統天皇代ですかね。 それによれば持統天皇をアマテラスとするようです。 持統の子は早世し、孫を即位させるために持統は中継ぎの天皇として皇位につきました。 なので・・・天子ではなく天孫なのだ、というようなことだったと思います。

回答No.6

 こんにちは。  ご質問の趣旨について 補足をお願いしたいのですが?  スサノヲが新羅系だとすると その姉のアマテラスも 同じだという趣旨が含まれていますか?  それとも 古事記のその記事は 摂らないで アマテラスは別だという見方でしょうか?

noname#163492
質問者

お礼

補足要求をありがとうございます。 アマテラスも同じか、というのはアマテラスも新羅系という意味ですか? 私が今まで考えていたのは質問にあるとおりですが 八坂神社の縁起に「新羅のスサノオを勧請した」とあったので どう考えていいのかわからなくなりました。 ですので、、別かは私にはよくわかりません。 またなんで高句麗人が新羅の神を勧請したのかもよくわかりません。 なので回答者様がどのように考えられるか、をお聞かせいただければありがたいです。 歴史のカテゴリーでたてた質問で http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6035393.html 広峰神社の資料では 869年、藤原基経が広峰神社の神を勧請して、藤原基経が八坂にあった邸宅を寄進して感神院祇園社を建立した。 とあって八坂神社縁起との食い違いがあることを教えていただきました。 これも判断材料になるかと思います。

  • kigurumi
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回答No.5

>空海が開いた真言宗の潅頂の儀式はキリスト教の洗礼式にそっくりですね。 真言宗の儀式については知らないのでですが、神道の神官の服装を見たユダヤ教のラビ、「古代のユダヤ教の祭祀の服装だ」と驚いたそうです。 聖書に祭祀の服装の規定が書いてあるのですが、その規定された服装を再現すると神道の神官の服装になる。 謎の一つです。 2000年も前にエルサレム神殿がローマ帝国によって破壊され、そのために社を失った聖職者系列の人たちは聖職者の仕事を失職してしまった。 だから、今その衣装を着て祭儀を行えない。 でも、神道の神官は社(神殿)を持っており聖書に定められた服装をして祭儀を行っている。 この服装の規定って大陸から来た人々が祖先から受け継いできたんでしょうかね。 誰が神道の服装で儀式をするときはこの衣装で、って決めたんでしょうね。 加茂氏? >秦河勝って申楽の祖だとされてたんですよね。 申楽が古代のユダヤ教の申楽と同じかどうかわかればいいんですけどね。 この祭儀の時に演奏する楽器の規定も聖書にあったと思います。 この音楽を再現できるラビはいるのだろうか? やはり神への奉納として演奏していたみたいです。 >>なんだっけな? 多重同時なんとかの法則で可能だって。 >http://plaza.rakuten.co.jp/kotoha/7008 >これですね。 あ、それです。 籠神社。 元伊勢なので元伊勢神宮があったところで由緒正しく日本最古とも言える神社。 この宮司は代々海部氏が行ってきており、総理大臣も輩出している名家。 その82代目の宮司海部光彦氏が「多次元同時存在の法則」と言ったわけですね。 宮司:「ニヒハヤヒ命は籠神社の主祭神である火明命の別名です。」 記者:「記紀神話によれば、天照大神とニギハヤヒ命、そして火明命は、まったく別の神として登場するのですが、、、」 宮司:「神様の世界は、現実の世界とは違います。神は空間も時間も超越することができます。ときには、御霊を分けいわゆる分身を作ることができます。SF的かもしれませんが、私はこれを『多次元同時存在の法則』と呼んでいます」 神話はベースの事実があっても、基本的にフィクション。 現実に事実から神話を創作するとき、1人の偉大な人物を二人の神にすれば、それだけ多くのキャラクターを設定することができる。 この最大のメリットは、古代の豪族たちが、自分たちの出自を偉大な紙に結びつけることが可能になるという点。 たくさんの分身をつくり、さらにそれを系図で結びつければ、豪族同士をまとめあげることができる。 そうやって編纂されたのが聖書、違った記紀。 だが、神社の伝承は違う。 これらの神々の分身、すなわち別名を個々に取り出して祭る。 古い神社になれば、その別名を知った上で祭る。 そうすることで、記紀を編纂した体制側の政治的な圧力をかわした。 よって記紀神話の裏にある真実を突き止めるには、逆をすればいい。 おのおのの分身のキャラクターのオリジナルが誰か突き止めればいい。 ここから先 漢字づくしで、当用漢字じゃないので辛いんですけど・・・がんばります! ニギハヤヒ命の正式名は『天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命』 天照もしくは天照国照彦は天照大神。 天火明は火明命。 饒速日命はののままニギハヤヒ命。 残りは櫛甕玉。 記紀ににはその名前は無い。 この神を祭った神社は大神神社。(おおみわじんじゃ) この神社の主祭神の名前は(いやーー もう読めないーー)倭大物主櫛甕魂命。 櫛甕魂はニヒハヤヒの正式名の一部、つまりこいつもニギハヤヒのこと。 ってなことをやっていくと、天照もスサノオも同一になるんです。 字数が足らないので、スサノオ=天照=ニギハヤヒ命って説明を書けませんが。 (書くには新しいページが必用。もう200文字切ったからかけない、要望があれば書きますが、もちろん私の説じゃなく本からの抜粋。) ただその本を書いた人自身が怪しげな人なので、これを学会で主張したら笑われちゃうと思う・・・。 まあ 民間人がUFOだぁって騒ぐレベルと同じスタンスでなら、面白いって目くじら立てられなくて済む。

noname#163492
質問者

お礼

何度も回答をありがとうございます。 >その規定された服装を再現すると神道の神官の服装になる。 そうなんですか! 私は修験道の服装が似てるなーと思います。 山伏は額に頭巾をつけていますが、ユダヤ人は祈るときに同じ様なもの(フィラクテリー)をつけるのだそうですね。 山伏が身につける麻の上下を鈴懸(すずかけ)というそうですね。 鈴はついていないのに、鈴懸とはこれいかにー。 旧約聖書に、神ヤハウェが大祭司アロンに祭服について指示したという記述があり 『上着にはカラフルな毛糸でつくったざくろの飾りと、金の鈴を交互につける。』 鈴懸ってこの聖書の記述から来るんではないかと思ったり。 天狗は手に山の上で神から授かった巻物『虎の巻』を持っていますよね。。 旧約聖書によればモーゼがシナイ山で神ヤーウェから授かった十戒が記された文書を『トーラー』と記されています。 『トーラー』は巻物の形態をしていたそうで、虎の巻ってここから繰るんじゃないかと思ったり。 私は日ユ同祖論支持者です。 >神道の神官は社(神殿)を持っており聖書に定められた服装をして祭儀を行っている。 どのあたりが似てるんでしょう? 興味津々です。教えて下さい~ >申楽が古代のユダヤ教の申楽と同じかどうかわかればいいんですけどね。 これはうっかりしてました。 私は秦河勝は非人のルーツなのか、と思ったんですが たしかに彼がユダヤ教の申楽を日本に持ち込んだとも考えられますね! 「多次元同時存在の法則」は私は飛鳥昭雄さんの本でよみました。 トンデモ説で有名な人で、そりゃーないだろう!みたいな説もありますけど (極秘情報というのが信用できない) 頭のいい人だと思うしよく勉強されていると思います。 いろんな人の説をよみやすくまとめてある。 >最大のメリットは、古代の豪族たちが、自分たちの出自を偉大な紙に結びつけることが可能になるという点。 なるほど~ >そうやって編纂されたのが聖書、違った記紀。 確かに似てます。 >神社の伝承は違う。 これらの神々の分身、すなわち別名を個々に取り出して祭る。 古い神社になれば、その別名を知った上で祭る。 そうすることで、記紀を編纂した体制側の政治的な圧力をかわした。 なるほど、勉強になります~。 >てなことをやっていくと、天照もスサノオも同一になるんです。 ニギハヤヒは物部氏の祖なので、私は天照大神とは物部氏の神だと思うんです。 >(書くには新しいページが必用。もう200文字切ったからかけない、要望があれば書きますが、もちろん私の説じゃなく本からの抜粋。) すいません・・・図々しいですが教えて欲しいです! 私は天照大神とはサルタヒコとアメノウズメの男女双体の神(=道祖神=歓喜天と習合) と思っていますが。 天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神、サルタヒコがあった。 ↓ 高天原から葦原中国までを照らす神って天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命のことだと思います。 ∴サルタヒコ=ニギハヤヒ(物部氏の祖神) ニニギは天鈿女に 『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』 と命じた。 ↓ 伊勢には天照大神が祭られている。 ∴天照大神=サルタヒコ=ニギハヤヒ 天鈿女は猿田彦神の名前を伝えて仕え祭った=天鈿女は猿田彦神と結婚した ∴サルタヒコ+アメノウズメ=天照大神(男女双体の神である・・・歓喜天やマタラ神と習合されている) とまあ、こんな風に考えているんですが。

noname#163492
質問者

補足

回答ありがとうございます。 これからメシのしたくをしないといけないんでのちほど詳しくお礼します。

  • mmky
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回答No.4

それではアマテラスはいつごろの時代の女王なのでしょうか。 上記のようにおっしゃるからには何か理由があると思いますが どういった理由でそうお考えなのですか。 よろしければ教えて下さい。 ○ 古事記:稗田阿礼の口述は神話としても、アマテラスから割りとはっきり書かれてますね。(まともに読まないで行間だけを読めばですね。古い宗教というのはどれも大げさですからね。) 当時の状況では1000年以上経つと神話でしょうね。天の御中主が日本神道の主宰神ですが、古事記では神話の世界ですね。これは稗田阿礼の時代から1000年以上経っているということでしょうね。実際は紀元前1000年ごろといわれてますから稗田阿礼の時代からは1700年ほど経っていたのでしょうね。稗田阿礼からすれば神話ですよね。神話では天の御中主の後に7人ほど立派な王(神話に名前を残した神)が出てますね。そんなに次から次へとは人物は続きませんから1000年ぐらいが妥当なとこでしょう。 ところがアマテラスは神話にしては詳しすぎるでしょ。だから1000年は経ってないのですね。1世紀ごろだと思われますね。それでも稗田阿礼からすれば600年ぐらいは経っていたのでしょうね。一方、ヒムカ(ヒミコ)は三国志の時代ですから3世紀ごろですよね。まあヒムカはアマテラスの200年ほど後ということですね。ヒムカは魏志倭人伝に名前がなければ記憶にさえ残らなかった人物かもしれませんね。 神道の司祭(天皇)が血族になったのはかなり後代でおそらく5世紀以降でしょうね。それ以前は巫女による神託で司祭の長(天皇)が決まっていたのですね。 アマテラスもご神託(高天原の主宰神による)によって選ばれた女王(天皇)ですね。九州の一地方の豪族の娘だったのですね。ご両親がイザナギ・イザナミで弟のスサノウなどいたのでしょうね。おそらくやまとの国で初めて女性が王になったということ、またそのため争いごとがなくなったということで多くの人の記憶に残ったということかと思いますね。女性の優しさがあったのでしょうね。それで神道の主宰神のようになったのでしょうね、でも本当は古事記にもあるように天の御中主が神道の主宰神というのが正しいのですね。国づくりの大神ですね。 アマテラスの歴史と同じようなことは後代の聖徳太子にもありましたね。みんな聖徳太子を知ってますものね。 そういうことぐらしか答えようがないですが、古墳をほじくり返さなくとも事実はそんなものなのですね。参考程度に

noname#163492
質問者

お礼

再回答をありがとうございます。 神代の記述はアマテラスから詳細になるから、というのがその理由なのですね。 参考にさせていただきます。

回答No.3

「渡来人」というと、マイノリティのイメージがありますが、現代日本の マジョリティは渡来人であり、『渡来』以前の縄文系=ポリネシアンや ネイティブ・アメリカンと同じO型の比率の高いのは、九州南部~四国 南部~紀伊半島南部~東北の限られた地域に過ぎません。 一方、先進国で珍しいA型がマジョリティな日本のルーツと考えられる、 アジアでA型濃度の高い地域は、中国・江南地方~雲南~ブータンの ジャポニカ米稲作農耕地域で、日本では九州北部~瀬戸内海~近畿までで、 いわゆる「徐福伝説」の元となった、稲作の伝来の道である中国南部から のルートを示唆しています。 大陸から日本へのもう1つのルートは、朝鮮半島や日本海経由ですが、 この地域にはジャポニカ米稲作農耕は普及しておらず、遊牧文化を伝承 したと考えられます(醍醐味の「醍醐」がチーズを指すように、あるいは 関西圏に「牧」のつく地名が多いように、古代日本において牧畜文化は 大きな地位を占めていたと考えられます)。 今でも、山陰~北陸~東北はB型(中東~モンゴル~中国北部で高濃度) の比率が高くなっています。 その「日本海経由」の遊牧文化圏と「東シナ海経由」の稲作農耕文化圏の 抗争の歴史は、ヤマトタケルによるイズモ>アズミ(遊牧系)征伐の話や、 大和朝廷が日向から船出しながら、(出雲圏だった)瀬戸内海に落ち着けず、 さらに大阪から上陸しようとして撃退され、紀伊半島の裏口から山奥の 奈良・京都に逃げ込んだ歴史にも表れています。 (中国においては、遊牧民(B型)を防ぐために万里の長城という世界最大 の構造物までできたほどA型との相性が悪い) その大和朝廷のルーツである日向(ヒムカ=ヒミコ)から追われた原因が、 兄弟=お隣の部族でありながら乱暴者の熊襲(@九州南部)であり、 スサノオノミコトなのです。 彼らは、新羅=朝鮮半島経由の遊牧文化圏というよりは、O型比率が高い =縄文文化圏だったと考えられますが、同じ「反主流」として、「スサノオ」 にひとくくりにされた可能性は大でしょう(新羅に「スサノオ」という名称が あれば別ですが)。

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 A型・B型・О型というのは血液型と考えてよろしいんですね。 縄文系・・・O型・・・スサノオ・・反主流として新羅の神と習合された。 弥生系・・・A型・・・アマテラス そういった視点で古代史を考えたことがなかったのですが、大変興味深く拝読いたしました。

  • mmky
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回答No.1

アマテラスの弟ノスサノウは乱暴者でね。どうしようもないので大和の国から追放になったのですね。 大和の国からの追放というのは、つまり、当時は対馬海峡を隔てた「韓国地方」へということですね。 未だ、アマテラスの時代は九州・中国地方から東方は大和の国になってなかったからですね。 ノスサノウは、乱暴者だけど強かったのですね。地元では神様扱いで神になったということですね。 神道でいうところの降臨というのは生まれるという意味と上陸・占領という意味があるのですね。 韓国追放のスサノウは二度と大和の国へは戻れなかったですが、望郷の思いは強かったということですね。それが「埴輪の船で帰りたい。」ということでしょう。 それから、ヒムカ(日向:中国では卑弥呼と当て字)はアマテラスからずっと後代の女王ですね。 参考に

noname#163492
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、スサノオは生きて日本に帰ることができなかった ということを、「埴輪の船で帰りたい。」と言ったわけですね。 納得です! http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-5-11.htm 上記の、昔氏の『阿珍浦伝説』によれば 昔、倭国の東北千里に多婆那国(たばな=丹波国)があり、一名を龍城国といった。そこの国王は含達婆といい、女王国の女を王妃としていたが、王妃は妊娠7年目に大きな卵を産んだ。国王は怪しいと思って、それを棄てさせた。王妃は絹布で卵を包むと、櫃(ひつ)の中に入れて船で海に流し「有縁の地に到り、国を建て、家を成しなさい」と祝福して別れを告げた。 その船は阿珍浦(慶州郡陽南羅児里)に流れ着いた。鵲(かささぎ)が鳴き騒ぐので、地元の老婆が海岸に行ってみると、船の中に子供を見つけ、大切に育てると、人々が尊敬するような人物になった。鵲が縁で発見したので、鵲の字の鳥を除いた字である「昔」を姓とし、櫃を解くと現われたので名を「脱解」とした。 これが新羅国の第四代国王『脱解』である。  とあります。 朝鮮には前方後円墳があるそうですね、これはもしかしたらスサノオが作ったのかもしれませんね。 もっと調べてみる必要がありますが。 >ヒムカ(日向:中国では卑弥呼と当て字)はアマテラスからずっと後代の女王ですね。 ここから察するに質問者様は邪馬台国=九州説ですね。 それではアマテラスはいつごろの時代の女王なのでしょうか。 上記のようにおっしゃるからには何か理由があると思いますが どういった理由でそうお考えなのですか。 よろしければ教えて下さい。 大変参考になりました♪

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