解決済みの質問
小学校や中学校の夏休みの宿題で定番の、読書感想文って何の意味が有るのでしょうか?
私は社会人になって数十年ですが、未だにこの読書感想文で推奨される数々の有名小説が、
一体何を伝えたかったのかまったく分かりません。
私自身、有名人のエッセイ集等、色々な本を読んだりしますので、読書自体は嫌いではありません。
しかし、学生の時は、『面白くも何ともない本だな~、大人になったら面白さが分かるのかな???』と
疑問に思いながら嫌々読んでいましたし、読み終わっても『だから何?何が言いたかったの???』と
思っていました。
芥川賞を受賞した『羅生門』や、ヘルマンヘッセの『車輪の下』等、有名な小説をいくつか読みましたが、
未だに面白さや、何を伝えたかったのかがサッパリ理解出来ません。
唯一、面白かったというか、考えさせられた作品は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だけです。
本を読む習慣を身に付けさせるのが目的なら、面白くもない小説を読ませるよりも、
興味の有る漫画でも読ませる方が、まだマシだと思います。
漫画とはいえ、考えさせられる良い内容の物は沢山有りますからねd(^-^)!
また、もしも皆さんが学校の先生だったらどんな漫画を夏休みに読む事を宿題にされますか?
ちなみに私なら、
小学生=基本、自分が面白いと思った漫画なら何でもOK。出来れば『拳児』あたりを読んで欲しいが、ドラゴンボールでも良し。
中学生=『ナニワ金融道』、この漫画は某銀行が新入社員の研修で読ませる程の漫画ですから、金融の事であったり、
世の中の厳しさ、人の欲深さを知る良い機会になると思います。
高校生=『課長 島耕作』を読んで、会社の有り方や、グローバリズムを知って欲しい所ですが、男と女のドロドロした関係も描かれているので、
ちょっと無理かな・・・。『サンクチュアリ』が良いかも。
投稿日時 - 2010-03-22 23:46:02
古い文学など読むと現代とかけ離れた風習などがあり、それを理解しないとおもしろさはありません。自分の経験などと照らし合わせることで作品はおもしろさが見えてくる物です。
読むだけではなく、考えてみて下さい。その時代は人々はどのように思っていたのか。背景を知ることでより楽しめます。
そういった知識があることで文学作品は楽しめるのです。
読書感想文は私も苦しんだのですが、今なら書けますね。さほど大量にも呼んでいませんが人生経験も増えてきた、知識も増えたより分かるようになった。文章に親しんでもらう為にも良いですよ。
学校では作文を書かせることをさせています。文章のテクニックではなく、どう伝えるかが重要だとも言われています。作文を通して、子供の心の中を見るのは楽しいですよ。
本を読むには想像力が必要です。文章から情景を考えながら。
それと、朗読ってのもおもしろいですよ。私は耳から聞いてのめり込んだ作品は宮沢賢治作品でした。
漫画も良いのですが、想像する部分が少なくなるのでおすすめできないかな。漫画を読んだ後に小説を読むことが出来れば幸いかなと。
投稿日時 - 2010-03-23 10:49:42
お礼
回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-04-09 02:13:51
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ベストアンサー以外の回答(2件中 1~2件目)
教育とは何ですかという質問ですね。基本的には、放っておいても分かるようになることや興味を持つようになることを教えるのは教育ではありません。殆どの場合、漫画は放っておいても読むようになるので、成長期と言う僅かにしか与えられていない時間を、そのようなことに教育という貴重な時間を割くのはは、余りにも勿体ない。どういうわけか、安易な生き様や、簡単に手に入れたもので幸せになった人間は今までにいなかったようだというのが、人類の経験則のようです。
動物のように単なる喜怒哀楽だけを基準にするだけではなく、その時には苦痛だったり面倒くさくても、若い時にやっておけば良かった、知っておけば良かった、それを知っていれば世界の見方がもっと楽しいものになるはずだったと、先人達や、大人の自分たちが後になって痛い目に会いながら経験して来たことの一部を教えてやり、子供達が自分たちと同じ失敗を犯さないで、人間として生まれて来たことを感謝できるようなチャンスを与えてやることが、教育の最も大事な役割です。
ということは、教育を施す側に大変な能力と責任が要求されているということです。子供達に今理解できないことではあっても、後になって人生を充実されてくれる物を適切に取捨選択する能力が教育者には要求されています。
人々にはそれぞれの偶然な生き様の環境や個性がありますので、ある人は人文的なことに興味を持つようになり、またある人は理系的なことに興味を持つようになる。また同じ人文系でも、ある人は感性の発露に興味を持つようになり、ある人は論理的な整合性に興味を持つようになるというように、大人になって何に感激するようになるかは、それぞれ違っていても何の不思議もありません。しかし、理由は分かりませんが、人類の経験して来た所に寄ると、どの分野の知的営みでも、その分野の中で優れた物とされる作品は、個人の喜怒哀楽を超えた所に何か共通な物があるようで、何でもありでなくて、ある少数の作品に収斂しているようです。例えば、貴方の読書感想文で推奨される数々の有名小説の例は、その範疇に属します。
ですから、もし貴方が大人になってもその方面の作品の良さが分からないという場合には、貴方は少なくともその分野に関してはそれを理解するだけの能力や心の琴線を持ち合わせていなかったのだということを自白していることになっている場合の方が、可能性としては圧倒的に多いと思われます。
この世の中で行われている知的営みの中で、理解しても面白くないと言うものはありません。もし面白くなかったら、殆どの場合、そのことに関して表面的な理解以上のものをまだ手に入れていないと考えた場合の方が、より真実に近いでしょう。
また、教育に対するもう一つの誤解は、物事を理解するとは、恰も梯子を登るように、そこで述べられていることを判ってから先に進むべきだと言う誤解です。「習うより慣れろ」と言いますが、判らなくてもどんどん前に進んで行くと、先に行ってから、前のことが判るようになる場合の方が、圧倒的に多いのです。判らなくても前に進むには勇気が要ります。多分そこで多くの方が挫折してしまうのだと思います。安易な方向に流れるのではなく、その挫折を起こさせないように、アメと鞭とオーラで子供達をどんどん先に導いて行く能力を、教育者は要求されているのだと思います。
投稿日時 - 2010-03-23 09:00:27
お礼
回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-04-09 02:12:43
僕は夏休みの宿題は、非常に意味があると思います。僕の学校では「一日一善」と毎日俳句を一首作ることと、日誌を付けるのが夏休みの宿題でした。
夏休みの最後の日に、一ヶ月分の「一日一善]を書き、一日に三十首の俳句を作る、ことは人生に非常なプラスであったと思います。大学で一晩でレポートを書くコツも、この時覚えました。
小学校の時はあまり重要な作家や作曲家に触れさせない方がいいというのが僕の考えです。知人に優れた音楽家がいますが、モーツァルトが、大嫌いなのです。子供の時、さんざん弾かされたからだそうです。
僕の行った小学校は、あまり「ためになる」本を読ませてくれなかったので、この友人のモーツアルトに匹敵する本は読みませんでした。
投稿日時 - 2010-03-23 08:45:38
お礼
回答ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-04-09 02:08:26