• 締切済み

霊感ある方に是非聴きたいです!!

noname#88902の回答

noname#88902
noname#88902
回答No.6

なくなった当時の姿や、伝えたい姿で、出てくるのではないでしょうか。あの世に行きかけた事がありますが、以前三途の川?で見た方は、バイク事故で亡くなった方でしたが、黒い山があって、自殺、殺人をした人は300から400年間山を歩き回らなければならないと話していました。三途の川を渡ってたら、私は死んでたかも出たかもしれません。霊にはそれぞれの霊力があり、話せる方、話せない方がいるのではと思います。ガラスや屋根やドアを通り抜け出来る者、出来ない者。等です。結界やお守りお札が貼ってあったりすると入れなかったり。私の寝室には盛り塩があり、快眠していますが。見える方にはお勧めです。足があったりなかったりは、事故等で破損してたりとか。見た霊の中には、足も影もきちんとある方もいます。顔色は悪い方のほうが多いでした。生きてる人とかわらないリアルな霊もいました。初めて見たのは小学校低学年の頃でした。今では見た時は気にしないようにしています。

関連するQ&A

  • 霊感のある方、もしくは霊に詳しい方に質問です

    自分は霊の存在を信じるのですが、霊についていくつか疑問が浮かびました。 生前激しい思いを抱いたままだったり、偶然だったり色々ですがお亡くなりになった方(動物、人問わず)が霊となるとのことで、人の場合ですと戦国時代や昔の合戦での霊の話が色んなところで出ます。 ここで疑問に思いました。なぜそのあたりの方の霊は未だにいるのに弥生時代やら卑弥呼のいた時代、さらに遡って原始時代にいた原人や、恐竜といった動物の霊はなぜ一切でてこないのでしょうか?霊という存在も決して永遠というものはなく、その思念もいつか曖昧なものになってこちらが霊として感じれる存在も薄れていってしまうからこそある程度以上前の昔の霊というものは出てこないと考えるべきでしょうか。 また、こちらは宗教の話に踏み込んでしまう領域ですが、霊というものは実際にいると考えていますが神仏といったものは一体どこから出てきたのだろう?と。浄霊の際や実際に霊が救いを求めてちゃんと祭られている祠等に集まるようですからその神仏といわれる力はあるものなのでしょう。しかし、それこそ宗教の数だけ神がいるわけで、その全ての神がいるとは考えにくいものがあります。つまるところこの様々な神といわれている存在というのは、自分達には視認できない霊達と同じ次元においての同一的な存在であり、見る側によってその風貌等が違う、という感じなのならば納得できます。そこに明確たる意思というものがあるならば、無礼を働いたり放置したりすれば同じ霊体次元に存在する以上霊と同じような災厄を引き起こせるのも納得がいきます。 明確な答えがでるものではありませんが、皆さんの考えをよければお聞かせ頂きたいです。かなり切実な疑問です。

  • 霊や生まれ変わりなどを信じる方にお聞きしたいこと

    ※否定するわけではなくて、自身も興味があるのでお聞きしたいのですが・・・ (1)魂がある(=死んで幽霊になれる?)のは人間だけだとお考えですか? 人間は他の生物に比べて脳という器官が発達しているおかげで「考える」ということができるものと思いますが、では他の「考えない」動物には魂はあるのですか?少しなら考えられる猿や犬や鳥、さらに虫や細菌にいたるまで、どこまで魂を持っているのですか? (2)成仏する、幽霊になる、天国に行く、という考えと生まれ変わりという思想は相反する思想ですか?輪廻転生を信じるひとが、先祖の墓参りに行くことは矛盾していますか?人間から細菌まで、どこまでの生物が生まれ変わることが可能ですか? (3)生まれ変わるという発想は、地球というローカルな場所でだけでしか考えていませんか?他の星の生物に生まれ変わるとか・・・?宇宙は半径何百億光年と広大なものですけど・・・ ・・・何だかとりとめがなくて申し訳ありませんが、要するに何となく矛盾してることを解決したいわけです。いろいろ面白いご意見も期待してます。宜しくお願いします。

  • 当方は生まれ変わりではありません

    生まれ変わりはありますか。当方は無いと思います。なぜかというと当方自身が誰かの生まれ変わりとは思えないためです。他の方だって自身が過去の人物の生まれ変わりと思っているとは思えません。もっとも人間以外の他の動物に生まれ変わるということもあり得ますが、これは論理的に否定することはできません。しかし少なくとも人間同士なら生まれ変わりがあり得ないと言うことは自身のこと考えればよくわかると思います。それとも皆さんの中でご自身が過去の誰かの生まれ変わりということを信じている人がいるんでしょぅか。

  • 幽霊って身勝手だなと思ったことはありませんか?

    幽霊が出たら大抵の人は怖いだろうとは思いますが、 でも、考えたら幽霊ってすごい勝手だと思いませんか? 幽霊は大抵は生きてる人に対して何か(成仏させてほしい....とか)メッセージがあって出てくる訳ですよね? なのに生きてる人を怖がらすような出てきかたをしたら意味がないと思うんですよ。 それに、自分の意思で決めて自殺しておいて、生きてる人間を妬んで出てくるのは腹が立ちます。 だったら自殺すんなよと思います。 今まで、私のような考えを持った人はいませんか? P.S それに、私は幽霊があまり怖いとは思いません。 生きてる人の方が怖いし、たちが悪いです。

  • 亡くなった人(動物)と再会したことのある方はいませんか

    数日前に生後6ヶ月の子猫を亡くしました。突然死で原因はわかりまん。 たった数ヶ月しか飼いませんでしたが、本当に可愛く思っていたので、なかなか立ち直れません。 私は宗教を持ちませんが、神社やお寺では手を合わせますし、霊魂の存在や生まれ変わりがあることも漠然と信じています。 死んでしまった子猫にいつかまた会えることを心の支えにして、今の辛さを乗り越えたいです。 大切な家族や友人、あるいはペットを亡くされたあとに、亡くなった人(動物)と再会された経験のある方はいませんか? 「夢で会った」「生まれ変わって出てきた」「幽霊?になって出てきた」「守護霊としてついてるみたいだ」等、何でもいいので教えてください。 (あくまでも主観的なことなので、回答者さまの思い込みでOKです)

  • 何で人類は生き延びたのですか?

    氷河時代が終わって自然環境に適応できなくなった大型動物たちが絶滅しました。だから食糧獲得のために人間は農耕・牧畜を始めました、と習いました。 大型動物が死んだのに、人間が生き延びたのはどうしてですか?どうやって自然環境に適応できたのですか?教えてください。

  • 「生まれ変わり」の存在

    宗教やオカルトなどでは生まれ変わりのような教えがありますが、現実的に生まれ変わりというのは存在するのでしょうか? 自分の勝手な考え方では、なぜ自分が人間だったのだろう?なぜ今の時代に生きているのだろう?と思うことがあります。 地球上にこれだけ様々な生物がいてなぜだろうとか、と思います。もしかしたら他の哺乳類として生まれていたかもしれません。もっと言えば、昆虫や微生物、植物だったかもしれません。逆に、人間として生まれる確率の方が圧倒的に低いと思います。 また、今の時代に生きていることも不思議です。自分がもっとはるか昔に生きていた可能性の方が高いように思えるのです。地球が生まれて約46億年、生命が誕生して約40億年と言われているそうですが、それを考えると自分がもっと昔に生まれていてもおかしくないのではないか、と思うのです。 自分が人間として生まれて、この時代に生きていることは単なる偶然でしょうか? 肉体と魂の関係の考え方で、肉体は「器」「入れ物」であるという考え方があるそうです。肉体は「器」で、その「器」に魂が入って命が誕生し、その「器」、肉体が滅ぶ=死亡すると、魂が別の「器」に入って新しい命が誕生する。つまり、生まれ変わるということです。 これらのようなことを考えると、生まれ変わりは存在すると考えた方が自然で、存在しないという考え方の方が不自然のような気がします。 このような考え方は、非現実的でバカげていると思っている人もいると思います。また、このようなことを質問したところで現代の科学では証明できないし、最終的には信じるか信じないかになってしまいますが、回答よろしくお願いします。

  • 禁断の木の実

    楽園の禁断の木実のりんごに手を出してしまった。食べたらおいしかった。だから人間は何でも食べるゲテモノ食いにまでなってしまったのでは?本来は水と空気で生きられたのではと、水は飲むのでなくよく噛んでで食べるのです。即身成仏修行者が時に行っていますが。自然を破壊するは動物は殺すは!!!! 本来 仏教では(今も行っている方も居ると思いますが)精進料理で肉食はご法度でしたね。 キリスト教徒は以前から肉食はご法度ではなかったのかな?

  • 人に危害を加えてはいけない理由

    あるグループにて、人が人に危害を加えてはならない理由について掘り下げています。 広くご意見募りたくよろしくお願いします。 なお現段階では下記の理由については形がついています。 ・人が悲しむから  →悲しむ人がいてもいなくても危害を加えることはしてはならないとされている。 ・人間は知的な生物だから  →動物の間では戦ったり傷つけたり殺しあったり共食いしたりしているが、人はそれを「自然の摂理」と呼んで尊重している。  ではなぜ人間はだめなのか、それは人間に知性があるからだというが、人間も動物である以上「自然の摂理」があるのであり、なくならない犯罪はそれを証明しているのではないか。つまり危害を加えることも尊重されるべきではないのか。 ・人間が減ってしまうから(種の存続にかかわるから)  →過去沢山の動物が絶滅してきたが自らが原因で絶滅したものは記憶になく、自然の変化、外来種による駆逐、人間による乱獲など、外的要因によっている。  つまり人間がお互いに自由に危害を加えて良いことになったとしても絶滅まで減ることはないので理由にはならないと思われる。 ・文明がそれを許さないように作られてきたから  →過去振り返れば「目には目を」の法典のみならず、マヤにおいても古代エジプトなどにおいても理由があれば危害を加えても良いとされてきた。現代でも理由があれば殺人すら認められる社会もある(イスラムなど)。  また逆に言えば人間の本来の姿は動物そのものであり、それを集団としてまとめるために制御する必要があり、それが文明となってルールが出来たともいえる つまり、「人が人に危害を加えてはならない理由」は、人間が集団生活をする生き物であるから? 集団生活するためには互いに憎しみや恨みが募らないようにしなければならないので、原点となる危害を加える行為を制限しているのではないか? 集団を守る必要性は、人間が単独では生存出来ないためであり、それは今も昔も変わっていない。 今のところこのような意見がまとまっています。 お暇なときにでもぜひご意見お聞かせください。

  • 自然界のバランスを戻す為に必要なこと

    中3のわたしは主張作文で自然界のバランスについて書いています。 以前某番組で細木数子さんが「動物が人間を食べる。」と話していました。 そのひとつの例として鹿の増殖問題など…。 それを参考に作文を書いています。 最後のまとめのところで…。 私たちが自然界のバランスを戻す為に必要なことは何でしょうか。またそのバランスを崩したのは私たち人間です。 私たちができるような小さなことでも盛大なことでもいいです。お願いします。 またもしこのままの生活を続けていったら本当に動物が人間を食べる時代が来るのでしょうか?