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宗教の違いについてどう思われますか?

noname#122427の回答

noname#122427
noname#122427
回答No.18

こんにちは。 「神の存在」を信じる者です。 でも、「○○教」と言うようなものには一切属しておりません。 また、神が「唯一」なのか、「複数」なのか、も確信はありません。 只、「人智を超える存在」「目に見えない存在」「全てに超越する存在」を、私は感じますし、感じて生きるべきだ、と思いますし、感じて生きたい、と思います。 私が宗教について考えるようになったのは中学校の頃からです。 私の家は、やはり何の宗派にも属しておりません。 切っ掛けは、「単純な疑問」からでした、 *幸せって何だろう *本当の感謝って、どういうものだろう *本当の謙虚さって、どう言うものだろう 。。。そんな「思春期の疑問」を突き詰めて考えていた所から、「宗教って?」が派生して来ました。 更に同時期に一連の「オウム事件」があり、 *他人と自分の幸せの両立は可能か、不可能か? *神を信じる事と、他人を不幸にする事が同居する事の是非 。。。等が加わり、疑問はかなり混沌化しました。汗 そうは言っても、「してもらった事に感謝する」「育ててもらって感謝する」「日々の食卓に感謝する」。。。そんな事を「心掛けて生きたい」と望んだ時に、私にとって「神の存在は必然/当然」と感じたのです。 でも、では「自分は何教徒なのか?」と考えても、さっぱり判りません。 でも、「神はいる」のだから、「どの神を信じているのか?」。。。ずっと探して来ました。 そして、大学に入り、専攻外で「比較宗教学」を受講しました。その講義で「宗教の定義」や「教義と地理的/気候的条件の関係」「自分の存在の意味に悩む事と、信仰の関係」等、私にとっては「腑に落ちるもの」を得ました。 自宅に「エホバの証人」の方が、聖書の話をしにやって来ます。 聴いてくれる人に話し、断れれば黙って帰る、質問すれば答えようとしてくれる。。。その「謙虚さ」を私は好ましいと感じています。 水にも風にも動物にも、善にも悪にも「神が宿る」と言うような、「神道のおおらかさ」も私は素敵だ、と思います。 自分を律し、他人を律し、「身の丈にあった幸せを大切に」しているように見える、イスラムやヒンズーもささやかに謙虚で、素晴らしい、と思います。 キリストを信じる方々の、これ迄の歴史にある、世俗的な成功も宗教的な成功も、それはそれで、生活に根ざした神の存在を感じます。 でも。。。これらの「宗教/信仰」が、数々の「対立」を生み出し、「罪」を重ねて来た事、も「厳然たる事実」なのです。 何故?と散々考えました。「対立を生まない信仰」が在るのなら、それに属しても良いかな。。。と考えて事もあります。 そうして、考えて考えて、私が辿り着いた「結論」は、「宗教と言う団体に属す事」が「集団心理の傲慢さ」を生み、「周囲との対立を生む」のかも知れない。。。と言うものです。 たった一人でいれば、「自分の正しさ」に「確信を持てず」、絶えず「自問自答」する事になります。信仰に限らず、日常のどんな場面でもこれはそうだと思います。「一人」と言う状態は「謙虚な自問自答」を必要とします。それが「不安」や「寂しさ」から生じたものでも良い、と思うのです。 私自身の今迄の経験では、「自分の正しさを信じる」事から「謙虚さを失う」事が多かったように思います。。まして、「正しさの根拠」を「集団」に置いてしまった時は、かなりまずい自分になっていた、と。 私は「自分に自信が無い」ですし、「寂しがりや」です。 「こんな私」が、「宗教」に属したら、確実に「安心してしまって」「謙虚さを失う」と思うのです。 だから、私は「神を信じる」けれど、「○○教徒」にはならないで居ようと思っています。 纏まりが無いですが、回答になっていますでしょうか。。。? まだまだ勉強不足故、此処をご覧の皆様、質問者様、回答者樣方、私の解釈等に不快な思いをされましたら、お詫び申し上げます。

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