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宗教の違いについてどう思われますか?

kadowakiの回答

  • kadowaki
  • ベストアンサー率41% (854/2034)
回答No.14

ごく平凡な真宗門徒です。 >僕はキリスト教の者です。キリスト教は神の存在というものを認めています。唯一真の神です。 特定の宗教を信仰する者とそうでない者との間で対話を成立させるためには、まず、互いに共有している一般的な論理と辞書と文法に則って、その範囲内でできるだけ論理的飛躍をせず、できるだけ共通概念を介し、それぞれの考えの根拠なり、源泉なりを確認し合うことが大切かと思います。 たとえば、質問者さんは「唯一真の神です」という命題を、まずは信仰と切り離した上でできるだけ論理的に、順を追って証明してみませんか。 一方、キリスト教に限らず、特定の宗教を信じない人は、各自の思考の根源なり、その思考の限界を窮めてみたらいいのではないでしょうか。 思うに、誰しも、この二つのいずれの立場に身を置こうと、それぞれの課題と向き合い、誠実に、徹底的に考え抜こうとすれば、結果的に両者は大同小異のゴールにたどり着くのではないでしょうか。 たとえば、もし無神論者が自分の知性をフルに活用し、その限界地点に到達したと仮定するなら、彼はその地点から知性の地平線を眺めやったとき、おそらく、その向こう側にチラチラ見え隠れし、好奇心旺盛な知性を誘惑してやまない未知の何かを認めざるをえないはずです。 このとき、己れの限界を窮めたはずの知性にできることと言えば、知性の力をもって解明し得なかったこの謎の前に謙虚な態度を取ること以外にはありえないはずです。 言い換えると、この謎を理解するためには、唯一、知性をその謎に委ねる以外にはないということです。 なお、キリスト教に限らず、あらゆる宗教は各時代・各地域の人々の生活の必要性から生み出され、さらには彼らの生活圏の気候的、地理的、歴史的等々の諸条件に規定されざるを得ないと思います。 でないと、日本の伝統的、自然崇拝的な多神教の成立事情についても説明し得ないからです。 したがって、各宗教の教義を並べた上で、その優劣をあげつらったり、その超越性、非合理性、非科学性を指摘したりすることにさほど重要な意味があるとはとても思えません。 ちなみに、私としては、どう考えても悪人でしかないわが身だけに、こういう自分を必ずや救済してくれる阿弥陀仏の本願、すなわち他力本願に縋るしかないと思っております。

hikaru0705
質問者

補足

神の存在を誰にでも分かるように明確に証明することは、とても難しい事です。それが出来る宗教があれば、みなその宗教に改宗するでしょう。しかし、それを承知で僕が神の存在を知りえたきっかけをお話しましょう。  まず、一つには自然をつぶさに観察したとき神の存在を感じました。自然はあまりにも美しくそして精密に動いています。生態系の生み出す森羅万象の美しさ、また星々の寸分たがわぬ法則にのっとった運行。それらを考えたとき何かうかがい知れぬ知性を感じました。  もう一つは聖書の存在です。聖書は人類最古の本にもかかわらず。とても科学的な書物だということです。例えばヨブ記26:7を読むと『地は無の上に賭けられている』と述べられてます。すなわち比較的近年になって明らかになった引力や運動法則と一致した事柄を正確に述べられています。ちなみにヨブ記が書かれたのは西暦前1473年です。 ヨブがこの事実をいかにして知ったか。それは聖書に書いてあるとおり神がヨブに霊感を与えて知りえたという記載が納得のいく説明だったのです。  以上、自然と聖書が私が神を知るきっかけでした。

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