締切り済みの質問
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回答(10件中 1~5件目)
座禅の修行は大変厳しいものなんですね>>>今は、やさしくなりました。当時は、夜逃げがあったり、自殺者があったり、、ですね。
宗教法人でも土地を担保>>>>もちろん、責任役員会の承諾とか決算書など、金融機関指定の書類は必要です。
都会では僧侶の子供だからといじめたりはなかったというこどですね>>>>隠していたってことですね。学区外通学とか。。
よその宗派にお寺をかわられることがふつうなのでしょうか>>>>
普通ではないと思いますが、檀家が増えたり減ったりする。しかも、人口減の状態でと言うことは、都会で増えた分、田舎で減ってる結果なんでしょうね。ただ、努力した寺が、増えてるって思いますよ。
寺側の意見を言ったりした場合などお寺を変わる風習があるのです。
>>>>>自分の寺が、人気のある寺なら、出て行きません。いつも、地元の新聞で取り上げられたり、観光名所だったりする寺は、返って、集まってきます。
投稿日時 - 2008-10-26 14:15:42
お礼
やはり都会の寺院では色々な催し物や事業をやってる所が多いのですね。私の田舎で寺院が法事以外のことをやることはまったくないのです。
しかし、そういえば子供のころテレビがあまり普及してなかった頃地方巡業のお笑い劇団とかうちでやっていましたね。当時はそういう広い場所がなかったのが理由ですね。
色々な情報やご意見いただき大変勉強になりました。又全ての質問にご回答いただきましたこと改めて御礼申し上げます。
又、質問がありましたらこのカテゴリーから改めて質問させていただきます。ありがとうございました。
投稿日時 - 2008-10-27 11:05:12
もし配偶者もなく女性が一人で親を養いながら外働くなりなんらかの
事業と兼務するのは可能とお思いですか?ご意見をお聞かせ願えたらありがたいです。>>>>>現実は、甘くないので難しいでしょうね。男性の僧侶になっても良い婿さんが現れるのが、良いのかもしれません。
莫大な資金は銀行からの借り入れ等で賄われてこられたのでしょうか?
>>>>そうですね。当時は、バブル前でしたので、宗教法人の土地を担保に銀行から借り入れが可能でした。また、希望する檀家には、毎月、定額で寄付する制度(郵便局の振りこみ用紙を、毎年12枚づつ渡す)とかしました。相手はサラリーマンが多いので、気持ちとして、50万円寄付したくても、一度には、無理ていう人は、50万円寄付と宣言してもらい、たとえば毎月1万円づつでもきちんと振り込んでもらうなど。。近隣の曹洞宗や真言宗の寺院さんも、本願寺さんと違って、助け合いが、当たり前というか、修行時代に、助け合いしないと、死んじゃうような修行してますので、助け合うのです。1000日回峰など、意識が無くなるまでやるのですから、廻りの僧が、手を抜けば、自分は死ぬのです。そういうのを、見ているので、相手が本当に困っているときは、無償で助けるのだと思います。
自分は、親父の時代よりは、自由でしたし、長髪で、大学に行ってました。しかも、工学部ですけど。。ヒッピーみたいでしたよ。親父は、自分が苦労したので、許してくれました。自分は、坊さんの修行をしに行ったのは、40歳ですから、遅咲きですね。その時点では、妻子は居ましたが、修行年中は、一度も連絡できずです。
投稿日時 - 2008-10-25 10:00:15
補足
さすがに曹洞宗の座禅の修行は大変厳しいものなんですね。
宗教法人でも土地を担保にできるのですね。うちの場合は修理改築の肥料として二万円以上の寄付は全くないですね。
やはり、当時でも都会では僧侶の子供だからといじめたりはなかったというこどですね。
最後にもうひとつ、名古屋地方や他の県では檀家さんがよその宗派にお寺をかわられることがふつうなのでしょうか?家の檀家さんはどんな理由でも気に入らないと(寺側の意見を言ったりした場合など)お寺を変わる風習があるのです。
ところで、まだお伺いしたいことは山ほどあるのですが、投稿から時間がかかっているというメールが来ました。初めての利用でよく分らないのですが、いったん締め切ったほうがいいのでしょうね。
2ヶ月後の総代会で跡取りをきめろと回答をせまられているものですから、なかなか決心がつかない状況ですが、いろいろ教えて頂きまして大変参考になりました。いったん締め切りましてまた質問がありましたら新たに投稿させていただきます。その節はよろしくお願いいたします。ご回答くださいまして改めてお礼申し上げます。
投稿日時 - 2008-10-26 10:24:00
お礼
ありがとうございました。
投稿日時 - 2008-10-27 10:50:31
土地建物も個人のものたっだと聞いています。いつから宗教上人化されたのか全くわからないのですが>>>>>宗教法人になったのは、昭和28年ころと思います。その前に宗教団体法と言うのがあって、どこの宗旨、本山の配下に属するか、国に申告したはずです。それ以前の土地の所有者は、国家か、個人しかありえません。
なお、名古屋は、寺院の土地の供出量が多いため、道路が広いのですよ。実家の寺は、戦前は、1万坪ほどあったようですが、今は、500坪です。残りは、市の道路、公園、小学校になりましたし、墓地も取られました。強制です。当時住職は、戦争で、中国に居り、無住状態でしたので、帰ってきてびっくりですね。
私の養子に入った寺は、当然、尼さんのこどものころのいじめは、すごかったようです。女の子が、頭がつるつるで、髪の毛がない状況で、男子も女子も、いじめない訳は、ありませんよね。現在でも、小学校で、つるつるの頭の女の子は、好奇の目で見られるでしょうから、当時は、自殺したいくらいでしょうね。尼僧は、満3歳で、出家させられましたので。。。
うちも200年くらいです。もちろん、全部、過去、政府に個人の土地を無償で、譲渡したものです。
留守だとあとでよく文句を言われたものです。家族で旅行をしたり食事に出かけたりとか一度も経験ありません。贅沢をしているとか、私たちが食べさせてるとかいわれますので。>>>>
それは、都会も田舎も同じです。ですから、事業を起こして、檀家、信徒に世話にならなくても、食べていける状態まで、苦労してなったのだと思います。そうやって、一人立ちして、大きく立派になると、手のひらを返したように、うちの寺は、立派だと、急に言い出します。
庫裏を建替えるときも、本堂を建替えるときも、寄付は公式には、募りませんでした。数億の事業も、檀家には、頼らずやってしまうので、途中で、檀家が負けてしまうのです。私の寺の周りの寺は、ほとんど、そんな感じで、寺同士が良い意味で競争してました。
命日の日を変更することはゆるされません>>>>>これは、父の時代は、そうでしたが、とことん、命日前の土日に、早く予約をしないと、寺は、予約のOOさんの法事で居ないからと、先約主義を主張し、50年かかって、変わったのだと思います。ただ、田舎ですと、命日主義の方が経済的メリットはあるでしょう。法事の単価が安くて、土、日で、引き受ける檀家数が決まってしまうので、トータルでは、食べていけないでしょうから。。
回答者様はやはり都会に御住まいなのでそのような問題はなかったのでしょうか?>>>問題は山済みでしたが、変えてきたのだと思います。
また、変えていかねばならないでしょうね。
ほとんど市が企画しております>>>>都会では、市どころか、コンサートだらけですね。その中で、如何に魅力を持ち集客するかでしょう。
市と張り合ってでも、市より集客するのです。
環境で何を副業としていいのか分らない状況です。
>>>>>>>農業産物を農協を通さず、インターネット直販で成功した例とか、宿坊で、毎年、会社の研修道場になってる寺とか、何か、アイデアを出して、がんばって、起業している寺が多いです。都会も田舎も、何もかも、昔のままで、暮らせる寺は、10分の1ですね。わが宗では、無住の寺が3分の1あります。すなわち、誰かの兼務寺院というか、名前だけの寺ですね。また、配偶者は、生活のため、寺以外で働いているのが、60%です。勤務先は、幼稚園、保育所、小学校中学校、会社員、農協など団体職員、公務員が均等です。近所に曹洞宗の寺があれば、宗勢総合調査報告書の2005年版を見せてもらえば、如何に、副業をやっているかとか、何軒の檀家で暮らせるかとかは、判るでしょう。ほとんどの寺は、寺だけで、生活できていませんので。。
言いたいことは、おっしゃるご苦労は、都会とか田舎とかの区別なく、大きな寺(檀家が多い寺)か小さな寺かなどで、大体決まってしまい。お互い、隣の芝生は青いって思っているに過ぎないのですよ。
そこを、克服しないでは、やっていけないでしょう。寺を継ぐのも、他の職業をするにも、同じだと思いますが。。苦労せず、自分の身になることはありませんし、そう言って、檀家を諭しているのですから、楽なんて、ありえませんよね。
檀家さんに、じゃあ、うちの寺がうらやましいなら、跡を継ぐか?って言えば、100%、嫌って言いますから。。
投稿日時 - 2008-10-24 14:56:09
補足
早速のご回答ありがとうございます。
種々の情報頂き感謝いたします。大変勉強になります。曹洞宗のお寺さんはりっぱな所が多いのですね。
命日主義を先約主義にかえるのは大変だと思いますが、うちの田舎では地域によりますが、禅宗では檀家さんは寺院の指示に従うようです。檀家数も多いからだと思います。
あと祈祷をされる真言宗のお寺さんはやはり本堂も立派でみなさんよく寄付をされますね。
質問があります。差し支えない範囲でご回答いただければありがたいです。
、配偶者は、生活のため、寺以外で働いているのが60%です。>>>>もし配偶者もなく女性が一人で親を養いながら外働くなりなんらかの
事業と兼務するのは可能とお思いですか?ご意見をお聞かせ願えたらありがたいです。
6庫裏を建替えるときも、本堂を建替えるときも、寄付は公式には、募りませんでした。数億の事業も、檀家には、頼らずやってしまうので、途中で、檀家が負けてしまうのです。私の寺の周りの寺は、ほとんど、そんな感じで、寺同士が良い意味で競争してました。>>>>>>>
莫大な資金は銀行からの借り入れ等で賄われてこられたのでしょうか?
あと回答者様は子供のころ親の職業のことで学校でみんなから毎日たたかれたり、石をなげられたり等いじめられましたか?
投稿日時 - 2008-10-25 02:03:18
お礼
ご回答いただきありがとうございます。
投稿日時 - 2008-10-26 10:21:17
ちなみに、法事とか葬儀とか、ダブルブッキングしても、近所の同宗の寺が手伝ってくれます。20か寺くらいが仲間で、お互い助け合いますから。。ちゃんと、費用も施主からいただいたお金以上に支払うこともないので、赤字にはなりません。
投稿日時 - 2008-10-23 07:24:01
補足
ご回答ありがとうございます。
ご実家の寺院は大変ご苦労されたのですね。
新しい事業などに取り組み頑張ってこられたご様子頭が下がる思いです。
うちの寺院は田舎のこともあり、戦災での焼失は幸いのがれられました。しかし、私の先祖が150年位に建立した寺院で、土地建物も個人のものたっだと聞いています。いつから宗教上人化されたのか全くわからないのですが。他のお寺さんは本山が建立して住職を交代で派遣して数年間住まわせるというところもあります。
うちの場合個人の住宅も兄が急死してローンを払えず両親は泣く泣く手放してしまった事情があります。跡取りがいないと檀家さんにとっては恥なのでしょう。(家族が食べていけようがいけまいが関係なく)子供のころから檀信徒さんたちを身近に見て育ちましたが、生活が苦しいだけではなく学校や近所では寺の子供ということで”くそ坊主、こじき”といわれて石をなげられたりたたかれたりして育ちました。よその寺院の家族はわかりませんが、たぶん私の田舎のみだとおもいます。それにしても親の職業を軽蔑されて育ったことは子供心に大変傷ついたものです。そういう土着の考え方は今でもあまり変わっていないように思えます。そうするに檀信徒はただ葬式法事のすみしてくれればいいという慣習は変わっていないということです。それと法事も当日、前日に連絡を頂くことが多く命日の日を変更することはゆるされません。(昔から)それも午前中のみで週末にまとめることなど許されないのです。したがって勤めながら寺院を運営するのはむつかしく、みなさん突然いらっしゃいますので、留守はできませんよね。(2所帯同居とか他に留守をしてくれる人がいればいいですが)留守だとあとでよく文句を言われたものです。家族で旅行をしたり食事に出かけたりとか一度も経験ありません。贅沢をしているとか、私たちが食べさせてるとかいわれますので。寺の家族は何もしないで暇なのでうちにいるべきと思っていらっしゃるようです。)お寺に生まれるということは人間らしい生活はしてはいけないのでしょうね。きっと他のお寺の家族の方もおなじなのでしょうか。
回答者様はやはり都会に御住まいなのでそのような問題はなかったのでしょうか?隣の県に御住まいのあるご住職はうちの町と全くちがって、皆さん信心深く彼岸法要などもお寺の為に協力的で法事は週末にまとめているとおしゃっていました。
寺院でのコンサート企画などよく耳にします。数万人の人口の町ではほとんど市が企画しております。仕事も農業、漁業であと市役所の職員か学校の先生くらいのものです。このような環境で何を副業としていいのか分らない状況です。
ぐちになりましたが聞いて頂いて感謝します。
投稿日時 - 2008-10-24 10:18:27
お礼
回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2008-10-26 10:23:11
私の師匠は、実の父親ですが、太平洋戦争へ、出兵後、帰国したときは、名古屋は、焼け野原でした。もちろん、今、僕の居る尼寺も、焼失しました。配給の米も、戸籍が静岡にあるため、配給はなしだったそうです。結局、いろんな心ある人に助けられ生きてきたようです。戦後、ほったて小屋から始まって、寺の復興をしてきたのです。実家の寺の本堂はその後、4回、建替えました。戦災孤児のため、保育園を作り、運営して、その後戦災孤児が居なくなり、保育園を廃業し、幼稚園を作り、また、2園目を作り、社会福祉法人で、別な保育園を作り、結果的に4人の息子に、それぞれ、残してくれました。私が、それらの園の跡を引き継いだ途端、少子化の波が、やってきて、経営は、苦しくなりました。
そこで、私が経営母体を、学校法人にしたりと、借金のスポンサーをみつけては、維持運営してきました。
その間に、私は、養子に出されたりと、経営上の困難さもあり、大変でした。いくつかの事業のうち、1園のみ、幼稚園を引き継ぐことになりましたが、私の後の跡取りは、未定ですね。
事業や資産の有無と、跡取りとは、一致しないものでしょう。そういう訳で、兼務している事業は、ほとんど、経営者的事業なので、サラリーマンのように、時間の拘束は、現在は、あまりありませんが、発展途中は、分刻みで、働いておりました。結局、法事は、土、日、祝日が多く、学校は平日が多く、365日、働きっぱなしでした。
日曜の法事が1時間きざみって言う時期もありましたが、今は実家の寺は、長男が跡取りですので、養子に出された、わが寺は、法事すら、ほとんどありませんね。
親が田舎の山奥の出なので、実家の寺の法事が重なって、忙しいとか、幼稚園や保育園の先生が足りないと、田舎から人を連れてきては、寮を建て、働いていただいたものです。息子たちも、その働き手の人数に入っており、お檀家廻りも、子供たちが、やるときもありと、毎日、手分けして、生きて来たのだと思います。親が復興した寺というか、因縁があって復興する責任が生じた寺は、数か寺あり、それぞれ復興して、現在は、他人の住職が運営しておられます。園関係も現在は、他人の職員に、運営をほとんど、任せております。で、私自身は、現在も借金返済と他の事業のベンチャーに、挑戦中です。復興した新規事業は、無借金で、他人が跡取りで運営し、借金は、自分に集中させ、また、事業を行うの繰り返しです。借金は、いくらあっても、約束どおり、毎月返済している間は、銀行にとっては、お客様なので、怖がることも、卑下することもありません。現在も、億単位の個人的借金はありますが、それに伴い事業もしてますので、問題はありませんね。
昨日も、在家の方が、ご出家され、坊さんになったけど、右も左も判らない人に、廻りの若い同宗の坊さんが、20人くらいで、集まって、いろいろ坊さんの実務を、教えあっていました。都会の寺は、みんな焼け出されて、協力しあわないと、生きていけない時代だったのでしょうね。その息子たちも、お互い仲は良くて、いっしょに、飲み会を開いたりしますから、自分の寺が、彼らが跡取りになっても、特に、問題なしで、感情の波はありません。禅宗系は、今でこそ、息子が跡取りですが、戦前は、結婚しないので、他人が跡取りに決まってましたから。。
田舎は、昔ながらの封建主義が残っているのでしょう。
結局、人の繋がりがすべてだと、思いますよ。家族だけで、何か事業をやって、成功する事業は、もう都会では、やりつくされています。
田舎の寺ですと、観光農園や観光牧場を兼務したりとか、田舎の自然は、都会にはないので、そういう事業をなさるかでしょうね。
回答は、何十年か先、成功したか、失敗したかが、出るのでしょう。今、答えは、わかりません。
田舎は、人口減ですので、寺の葬式仏教にすがっていては、衰退の一途でしょうね。
となりの寺は、毎年、本堂で、コンサートをやってます。
都会の寺も、多角経営が多いです。
なお、地域の仏教全宗派、全員参加で、托鉢を、毎年、戦後ずっとやっており、それで、集まった浄財で、慰霊祭をしたり、市民参加の文化祭をしたり、社会福祉に寄付したり、地元の川の浄化作業の資金にしたりと、地域奉仕は、しています。
投稿日時 - 2008-10-22 13:45:56
お礼
回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2008-10-24 10:13:12