締切り済みの質問
勉強しているのに、一向に解けるようにならず苦戦しています。新しい問題集に挑戦しても、ずっと不正解の連続です。
次の文の趣旨として妥当なのはどれか。
「いつかコクトオが日本へ来たとき、日本人がどうして和服を着ないのだらうと言って、日本が母国の伝統を忘れ、欧米化に汲々たる有様を嘆いたのであった。なるほど、フランスといふ国は不思議な国である。戦争が始まると、先づまさきに非難したのはルーブル博物館の陳列品と金塊で、巴里(パリ)の保存のために祖国の運命を換へてしまつた。彼らは伝統の遺産を受け継いできたが、祖国の伝統を生むべきものが、又彼ら自身に外ならぬことを全然知らないやうである。伝統とは何か?国民性とは何か?日本人には必然の性格があつて、どうしても和服を発明し、それを着なければならないやうな決定的な素因があるのだろうか。」(坂口安吾「日本文化私観」)
安吾のこの議論は、尻をまくった一種の居直りととらえられるかもしれない。彼は伝統を否定しているのではなく、単なる伝統主義に猜疑の目を向けているのだが、西洋人に伝統の重要性を教えられて、大きなお世話だと彼が言うのは、そんなところに人間の生き方はないと確信しているからである。
二言目には「桂離宮」を口にするような日本の伝統主義者への痛罵をもこめているとともに、安吾の鋭敏な勘は、ヨーロッパの歴史過剰の重厚さにもある病的なゆがみをかぎつけている。
伝統とは、その中にどっぷりひたっている者には、それとは意識できないなにものかを指す言葉なのである。それは社会全体に無意識に行き渡っているようなある生の様式である。なにか見取り図をかかげて伝統の回復が叫ばれるときには伝統が喪われている証拠である。そして、喪われているというその自覚を措いて、言い換えれば個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄である。「祖国の伝統を生むべきものが、又彼ら自身外ならぬ」と安吾が言い切るのもその意味なのである。ヨーロッパの歴史過剰そのことが不健康なわけではない。歴史を喪うまいとするヨーロッパ人の意識過剰が不健康なのだ。それはなによりも伝統文化という神話を突き破って裸身で外に立つことのできない彼らの恐怖心ではなかろうか?
1.「伝統はたしかに重要なものではあるが、それにとらわれすぎて現在の生き方を見失ってはいけない。」
本文に確かに「彼は伝統を否定しているのではなく」とあるので、前半はあっている。「言い換えれば個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄である」とし、確かに伝統よりも現在の生き方が大事だといっている。よって、後半もあっているので正解と考えました。
2.「ヨーロッパの歴史過剰が、伝統を突き破って新たな価値観を築き上げていくことを阻害している。」
新たな価値観の話はしていないので不正解と考えました。
3.「伝統とは歴史を意味するのではなく、現在の生き方そのものにほかならない。」
本文にはないないようです。本文では生き方が伝統だと言っているのではなく、「個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄」とし、まず、現在の生き方をすえて、その上で伝統を探すべきであると主張しているだけで、生き方そのものが伝統そのものであるという主張は見当たらない。
4.「伝統を回復しようとするならば、まずは主体的な精神のあり方を問い直す必要がある。」
これはかなり悩みました。しかし、内容的にあっていても、筆者は別に伝統を否定しているわけではない(=伝統の大切さも認めている)という要素がないので、1に比べれば正解としては不足しているから、不正解です。
5.「伝統を守るということは、喪われようとする無意識な生の様式を守るということである。」
伝統を守る=伝統を回復するという内容自体は正しいが、個人の現在の生き方の要素がないので不正解と考えました。
…と、このように本文の内容にあっているかどうか考えているつもりなのですが、いつも決まって不正解なんです。ちゃんと本文に書いてあることだけを選び、書いていないことは選んでいないだけなのに、なぜ正解ではないのですか?勉強の仕方が間違っているのですか?
宜しくお願いします。
投稿日時 - 2008-08-04 22:00:49
7人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
回答(7件中 1~5件目)
正解を知らないのでこの試験にどう向かえばいいのか、わかりかねるところがあります。
同じ文章についての設問と選択肢でも、採点者の考え(判定基準)で正解は変わることがあると思っています。
1>「本文に書いていないことは、たとえ当たり前のことでも正解にしてはいけない」と教わっている
2>それに忠実にやっているつもりです。
1>の意味は、『世間の常識や回答者の倫理観などから当たり前、当然と考えたという理由で、出題の文章や筆者の主張が何であるかという選択肢を選んではいけない』という意味ではないでしょうか。
『貴女はバラの花のようだ』という言葉を言われて、植物だと思われたという理解はしません。そういう言葉を述べている手紙を読んだら、恋文の類だと理解する方が普通でしょう。しかし、恋文であるとは限りません。言葉や文章を理解するのは、単純ではあり得ません。
状況や前後、例に出した用語、その用語の過去あるいは慣習的な用例などを総合して判断します。
2>書いてある言葉が、選択肢の中にあるかどうかで判断していくと、趣旨や主張を問う問題では、不正解になることもあると思います。
定期演奏会を好演した2年生が打ち上げのときに『この1ヵ月は死にものぐるいで練習したんだ』と言った。(1)この生徒は練習の苦痛を訴えているのか、(2)達成の高揚感にあるのか。 正解は(2)の可能性が高いです。
もちろん練習方法の改善を求めている可能性がないとはいえません。
本文と似た単語や表現の有無だけで文章を理解できるのは、ストレートな文章のときで、比喩や隠喩があったり、反語や逆接、婉曲表現、揶揄、褒め殺しなどの場合には、全くの誤解をしてしまいます。
3>書いてあることをヒントに、筆者はこの文章で「伝統にこだわる生き方は、結局、中身のない人生である。大切なのは生き方だ」と主張していると読み取りました。
4>なぜなら、そう書いてあるからです。
5>本文に確かに「彼は伝統を否定しているのではなく」とあるので、前半はあっている。「言い換えれば個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄である」とし、(確かに伝統よりも現在の生き方が大事だといっている。)
6>よって、後半もあっているので正解と考えました。
5>の内容は、おおむね本文にあります。 しかし、()の中のように書いてあるでしょうか。
()のように筆者は主張しようとして、日本文化私観から抜粋して論を展開していると読めるのならば、(1)が正解だと思います。
『伝統よりも現在の生き方が大事だ』と筆者が考えている可能性は否定できませんが、私には【『伝統よりも現在の生き方が大事だ』と言いたいために書いた文章】にはこの文章を読めません。
和服とか桂離宮とか、伝統という言葉でしばしば代表されることを起点・判断の基準にして現状を嘆く人に対して、そうしたものの見方に批判を加えているのではないでしょうか。
現代文でも古文でも文章の理解方法は基本的に同じだと思います。
過去の積み重ねがあり、その結果複雑になっている社会で使われる現代文、特に作家や評論家がいう文章は、文面の類似や同じような言い回しの頻度から作家・筆者の言いたいことを推定するのは難しいと思います。
社会経験や読書量が増えれば、言葉にこだわりすぎるのは是正されると思います。
さしあたりで考えると、次のような方法はどうでしょうか。
(1)本文を読む。 (2)選択肢を読む。
選択肢のように[言いたいという目的を持って発言した内容]だとしたらば、[読み手に、趣旨や意図が、この本文で伝わるだろうか]と考えてはどうでしょうか。
この文章:普通の人、日本人一般に対して[どう生きるべきか、どのように生活すべきか]を論じようとした文章には読めません。
この文章:伝統主義?から論じている人に対して[そうした理解や生活の推奨はおかしい]ということを述べている文章に読めます。
参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3927300.html?ans_count_asc=0
投稿日時 - 2008-08-07 15:23:44
お礼
ありがとうございます。
【『伝統よりも現在の生き方が大事だ』と言いたいために書いた文章】にはこの文章を読めません。
ここからさらに1歩踏み込んで読み解く必要があったということなわけですね。言葉にこだわりすぎている、というのは自分でもやっと自覚できてきました。めげずに頑張ります(+_+)。
投稿日時 - 2008-08-09 19:01:19
> ヨーロッパ人が伝統視している博物館の品物などは、日常生活の中に溶け
> 込んでいないものであるから、伝統と呼ぶようなものではない。しょせん、
> 伝統だと思い違いしているだけで、実際のところは単に歴史物だから大切
> にしているだけで、そのことが不健康だよと言っている、といった感じで
> しょうか。
それに対する回答は次の通りです。
「ヨーロッパの “歴史過剰” そのことが不健康なわけではない。歴史を喪うまいとするヨーロッパ人の “意識過剰” が不健康なのだ」
この種の試験問題で不正解の選択肢はすべてダミーです。つまり、どれも一目ではっきりと不正解と判るようには書かれていません。したがって出題者が不正解の中にさり気なく含ませた嘘を見抜く必要があるわけですが、そのためには個々の言葉のイメージに惑わされず、文章全体の流れから筆者の真意を掴むことが大切です。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、hypnosis さんが正解を見出せない理由は、その辺にあるのではないかと思います。
> しかし、書いていないことを勝手な想像で埋め合わせて、それが果たして
> 答えを導き出すということになるのかという不安がよぎります。
文章の流れから言葉にない筆者の意図を汲取ることと、想像で勝手な解釈をすることとは全然違います。
投稿日時 - 2008-08-07 08:10:40
お礼
>「木を見て森を見ず」
むずかしいですね^^;。ありがとうございました!!
投稿日時 - 2008-08-09 18:56:07
> ちゃんと本文に書いてあることだけを選び、書いていないことは選んでいないだけ
> なのに、なぜ正解ではないのですか?
そこが中等教育と高等教育の違いでしょう。
中学校までの読解問題は、極端な話、キーワードを頼りに選びさえすれば高い確率で正解が得られるように出来ています。つまり、大雑把な理解でも(あまりよく解っていなくても)十分だったわけです。
一方より高度な理解力の習得を目的とする高校の読解問題は、そういう簡便法が通用しないように仕組まれています。書かれている言葉からその真意を探り当てる ─ 言い換えれば、自分の言葉で表現出来るようになることが求められているわけです。
投稿日時 - 2008-08-06 03:18:06
お礼
ありがとうございます。
つまり、選択肢と似た記述のある箇所があるかないかで選択肢を選ぼうする僕の解き方は、間違っていたということですか。しかし、書いていないことを勝手な想像で埋め合わせて、それが果たして答えを導き出すということになるのかという不安がよぎります。例えば1の選択肢は、本文にちゃんと対応する箇所がありました。ということは、同時に内容もあっているということになるはずです。
僕はこの問題以外のほかの問題も全て、本文の記述と照らし合わせながら解いたのですが、結局不正解扱いにされてしまいました…。
投稿日時 - 2008-08-06 22:55:21
「伝統はたしかに重要なものではあるが、それにとらわれすぎて現在の生き方を見失ってはいけない」
もしもこの1番が正解だとすれば、筆者は伝統というものを日々の暮らしとは切り離されたものだと捉えていることになりますが、果たしてそうでしょうか?
「伝統とは、その中にどっぷりひたっている者には、それとは意識できないなにものかを指す言葉なのである。それは社会全体に無意識に行き渡っているようなある生の様式である」
これを読む限り、「国民生活と乖離した格好だけの伝統は、伝統と呼ぶに値しない」と言っていることは明らかです。
例えば、最早日本人の誰もが着物に対して価値を見出せなくなってしまっている(あくまで仮の話です)のに、“日本らしさ” を求めて来日するお客様を失望させないために彼等の目の前でのみ着用してみせるとしたら、そんなものはナンセンスだと言っているわけです。
「単に歴史上(過去)の遺物を守ること = 伝統の保持」であってはいけない。
これが筆者の主張だと私は思います ( ^^
投稿日時 - 2008-08-06 02:53:39
お礼
ありがとうございます。
>「国民生活と乖離した格好だけの伝統は、伝統と呼ぶに値しない」と言っていることは明らかです
ちょっとだけわかるような気がします…。
つまり、ヨーロッパ人が伝統視している博物館の品物などは、日常生活の中に溶け込んでいないものであるから、伝統と呼ぶようなものではない。しょせん、伝統だと思い違いしているだけで、実際のところは単に歴史物だから大切にしているだけで、そのことが不健康だよと言っている、といった感じでしょうか。
投稿日時 - 2008-08-06 22:46:55
まず、現代文、特に評論文についての理解力をより向上させるには、より細部の差異をはっきりと意識することが不可欠だとお考え下さい。
私自身の経験を振り返っても、不正解となった場合は、決まって大まかな、大雑把な理解(=誤解)に甘んじていたとき、と断言できますから。
今回の例題の場合、安吾お得意の逆説的な修辞に惑わされず、きちんと安吾の真意を理解すること、さらにはそれを批評する引用者が安吾の文のどこに重心を置いているかをきちんと理解することの二点ができれば、さほど悩むには及ばないと思いますよ。
>1.「伝統はたしかに重要なものではあるが、それにとらわれすぎて現在の生き方を見失ってはいけない。」
>本文に確かに「彼は伝統を否定しているのではなく」とあるので、前半はあっている。「言い換えれば個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄である」とし、確かに伝統よりも現在の生き方が大事だといっている。よって、後半もあっているので正解と考えました。
1.が誤答なのは、「それにとらわれすぎて」という一節があるからです。
まず、安吾は「フランス人は伝統にとらわれている」などとは述べておりません。
安吾は「フランス人は《伝統の遺産》にすぎないものを《伝統》だと誤解している」と批判しているだけです。
で、選択肢中から正答を選べるかどうかは、
>3.「伝統とは歴史を意味するのではなく、現在の生き方そのものにほかならない。」
>4.「伝統を回復しようとするならば、まずは主体的な精神のあり方を問い直す必要がある。」
の微妙な差異をきちんと見きわめられるかどうかに掛かってくると思います。
3.の前半は、引用者がヨーロッパの伝統意識を支配する「歴史過剰」意識を批判した部分を要約したものですが、これは安吾の「伝統の遺産」固執を批判した一節とちゃんと呼応しております。
さらに、安吾の伝統観(論)の土台をなすのは、重要なのは過去(歴史・遺産)の方ではなく、それを生活の必要から生み出す人間(=「彼ら自身」)の方であるという考え方がはっきりと示されております。
よって、「伝統」=「現在の生き方そのもの」と解しうるわけです。
4.が誤答なのは、「伝統を回復しよう云々」と言うからには、本文中に安吾が《伝統の喪失》について嘆くような一節があるはずですが、そういう発想など彼には全くないからです。
なお、日本人が「和服」を着なくなったのは《伝統の喪失》などではなく、現代に「和服」を着る必要を誰も感じなくなったからとしか彼は考えていません。
もうお分かりのことと思いますが、ここで正答を選べるかどうかは、ひとえに「伝統」に関する常識や通念の盲点やワナを批判しようとする安吾や引用者の動機や論拠をきちんと理解できるかどうかにかかっているわけです。
なお、現代文の読解力をアップさせるには、やはりこれに類した逆説的な論調で書かれた評論をたくさん読むのが近道ですし、第一頭の体操にもなります。
現代文の成績というのは、確かに費やした時間に比例して必ず上昇するわけではありませんが、だからと言ってその時間をケチれば、必ず成績も思考力もダウンしますので、やはり焦らずに今の勉強方法を継続するのが最善だと思います。
投稿日時 - 2008-08-05 20:05:29
お礼
ありがとうございます。
>誤答なのは、「それにとらわれすぎて」という一節があるから
このことを意識してもう一度本文を読み直しましたが、
*単なる伝統主義
*伝統の遺産を受け継いできたが、祖国の伝統を生むべきものが、又彼ら自身に外ならぬことを全然知らない
*個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても
と、他のものが眼中に入らず、伝統にばかり目がいっている(とらわれている)ことを表す箇所がいくつも存在しました。
>「伝統を回復しよう云々」と言うからには、本文中に安吾が《伝統の喪失》について嘆くような一節があるはずですが、そういう発想など彼には全くない
*伝統の回復が叫ばれるときには伝統が喪われている証拠
*個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄
と、伝統を直すためには、主体的な精神のあり方がキーワードである、という記述も確かに存在します。
3の選択肢についてですが、「伝統」=「現在の生き方そのもの」という点は理解できるのですが(個人の現在の生き方、主体的な精神のあり方を措いて、どこかほかの所に伝統を捜しても無駄)、伝統が歴史をあらわすのかどうかという話をしているのかという点が疑問点です。単なる伝統主義と、歴史過剰に問題意識を抱えている、ということは読み取れたとしても、伝統と歴史は別物である、といった内容の記述を見つけることはできなかったからです。
いくら勉強しても、「絶対そうだと断言はできないのではないか?」という疑問ばかりが頭をよぎり、納得できる根拠が見つからず、勉強しているのではなく単に悩んでるだけになってしまうんです。
投稿日時 - 2008-08-06 22:41:23