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選挙に行かない人は政治に文句を言えるのか?

imp-dscの回答

  • imp-dsc
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回答No.15

古今東西、人間は馬鹿ばかり。 これは時代・国家・人種を問わず当てはまります。その場のノリで意味不明な公共事業に無駄金費やしたり自然災害や流行病を放置してゴーストタウンが続出したり賄賂が横行して本業で昼間は警察官で夜のバイトで強盗してる人がゾロゾロしていたりクーデター・内戦=選挙と勘違いするのは特に珍しくありません。 効率・公平・秩序等の実現については実は善意ある独裁体制が向いてます。何も議会で延々と演説したり質疑応答する手間も無いし武断的に政治を進める事も可能です。貞観の治や五賢帝の時代がそれにあたります。 とは言えそれらが後世にまで記録され褒められるのは数少ない例外だからと言える証拠です。犬が人を噛んでもニュースにならないが人が犬に噛み付けばニュースになる・・・つまりはそういうことです。 選挙とは自ら名乗りでた馬鹿共から筋金入りの馬鹿を排除する儀式でしかありません。それ以上でもそれ以下でもそれ以外では無い。 馬鹿ばかりだから比較的マシな馬鹿を選ぶには比較して検討する必要があります。それ以前の経歴・業績・言動とか政党の主張等数えきればキリが無いし政治家は嘘を付くのが商売ですからそれも見ぬかないといけない。どんな馬鹿を選ぶのか?ということは選んだ国民の程度を知るリトマス試験紙とも言えます。ある意味国民が試されると言い換えるべきでしょうか? そこで選挙に行かないというのは救いようの無い馬鹿です。 現在生きている我々にとっての害悪のみならず将来に対しても深刻な結果を招くでしょう。 思いっきり単純化して仮に得票数の過半数で当選で国民の数を100とします。投票率100なら最低限51無いと当選しません。それが投票率が80%ならば41で当選。と順調に当選のハードルが下がります。そのペースで行って50%なら26で当選しますよね?そうなるととても多数派の意見とは言えないでしょう。それでもその当選者が比較的マシな馬鹿なら良いのです。問題はそれが筋金入りの馬鹿だった場合がどうしようもありません。しかもそういう連中は組織票とか票田で無理矢理に当選を狙ってくると考えた方が良さそうです。 しかし一人でも選挙に行けば当然ハードルは高くなります。その組織票アテにするとしても26用意するのと51用意するのは単純に倍の手間・暇・金が必要なのは自明です。国民のレベルが高ければイカレた馬鹿を信じる人間も少なくなる・・・ 等と偉そうな事言ってますが私自身がそれに気がついたのは選挙権取得して4~5年経った頃です。 実際私は若年者のワーキングプアについてはそれも原因の一つだと思いますよ。政治家も人間ですからおまんま食べないと死にます。食べる為には当選しないといけませんが若者が投票しなければ若者に媚びった公約を打ち出しても落選するじゃないですか?年寄りは割りと律儀に投票に来るから当選したけりゃ年寄りに媚る方がまだマシと思うでしょう。だからそっち向きの公約出してるんですよ。 まぁ若者の数が減ってる事情もありますけどね。

souun1432
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 馬鹿という言葉が連呼されており、驚きましたが おっしゃっていることは分かります。 特に独裁政治が必ずしも悪でないということは、私も感じていました。 ただしそれには書いておられる通り、善意が必要ですけどね。 方向性を誤らなければ、独裁政治は民主主義よりも善政となります。 (ほとんどの場合で誤っていることが一番の問題ですが…) こう言っては何ですが、日本社会を支えてきた高齢者の方々が 政治に関心を持ち、これからに日本を支えていく世代に 関心が薄いのは、つくづく皮肉だなぁと感じてしまいます。

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