• ベストアンサー

「青春」と言う言葉を大和言葉では何と言うっていたのでしょうか?

「青春」という言葉がありますが、中国から来た言葉だと思います。聖徳太子の前の時代?本来の大和言葉では何と言うっていたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.1

こんにちは。6/1のご質問ではお礼のお返事を有難うございました。 ご質問: <本来の大和言葉では何と言うっていたのでしょうか?> 「花の齢(よはひ)」でいいと思います。 1.青春の青は「春を表す色」で、文字通り人生を春を例えた言葉です。 2.その意味で、華やかさを表現するのに古語では「花」を使います。 3.比喩を表す格助詞「の」を使った「花の」は、「花のような」=「華やかな」という、形容詞として使います。 4.従って「青春」は、「人生で華やかな年頃」ということで、 「花の齢(よはひ)」 となります。 5.また、時代にポイントを置けば 「花の世」 などと使われます。 6.一方、青春を「恋愛」に重点を置く場合は、「雅」という体言も使えるかもしれません。実際「雅び男(みやびお)」=「風雅な男」という言葉も存在していましたが、これは現代語にすれば「プレイボーイ」「女たらし」になるので、ちょっと青春とずれるかもしれません。 以上ご参考までに。

masatobb
質問者

お礼

大変遅くなりました。 失礼致しました。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.2

「青春」は五行説で青は春の色であるところから、夢や希望に充ち溢れ活気のみなぎる若い時代を「人生の春」になぞらえた表現です。以下のURLも参考にしてみてください。   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%98%A5 本来の大和言葉としては、「はる」になるかと思います。

masatobb
質問者

お礼

大変遅くなりました。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 聖徳太子は存在していなかったかもという頓珍漢な話が

    聖徳太子は存在していなかったかもという頓珍漢な話が出てきたのはなぜですか? 聖徳太子が存在しなかったら17条の憲法も存在しないはずなのに存在してるし、中国の方も聖徳太子を認識してたわけで中国の方も聖徳太子に仏教の書を送ったのに聖徳太子がいなかったら受け取れてないし聖徳太子がいなかったというのはさすがに無理があるのでは?

  • 聖徳太子について

    聖徳太子の本を読んでいて、実は聖徳太子は存在していないと仮説を 立てた「逆説の日本史」という本からの質問です。聖徳太子は、中国から来た渡来人の神様だったのではないかと思っています。その訳は 日出ずる天子→宗教権威がある人に対して使われる言葉だからです。 その他、聖徳太子の像があるお寺と、法隆寺のお寺の違いは何なのか? という事に疑問を感じました。豪族蘇我氏の祖先が聖徳太子だったので、蘇我氏のお墓がある明日香村に聖徳太子の像が、祭られている。(蘇我氏の氏寺と考えていいのでは?)蘇我氏というのは渡来人で中国人であったのではないかと思います。法隆寺は、聖徳太子の怨霊を弔う為であったとすれば、やはり、存在しなかったということになるのでしょうか?

  • 青春18切符で。大和ミュージアムまで・・・

    明石駅(兵庫県)から、青春18切符を使って、広島の大和ミュージアムまで行ってみようと思います。明石駅は、始発でその日の内に帰ってこれれば遅くても構いません。私は、青春18切符に関して、「JRしか使えない」事しか知らないのですが、JR神戸線で明石~姫路までは、行けるとしても、そこから、JR呉線で、呉には、青春18切符でどのように行くのでしょうか?他の方も書いていますが、私も尾道にある「大和ロケセット」にも行きたいです。

  • 聖徳太子は中国の呉の中国人だったのでは?

    聖徳太子は中国の呉の中国人だったのでは? 伎楽の呉女の髪型と聖徳太子が連れてた子供の2人が同じ髪型ですよね? 聖徳太子は呉から渡来した渡来人だったのでは?

  • 大和言葉と外来語

    ある言葉が、昔から日本にある大和言葉なのか、外来語なのか(特に江戸時代までに日本語になってしまった言葉なのか、明治時代に日本語になった言葉なのか)を調べる方法を教えてください。

  • 数字は「大和言葉」においては、どう読めばいいんですか?

    みなさんご存知の通り、数字の「大和言葉」での読みは、以下の通りです。 「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、 ここのつ、とお」 では、例えば「584379」のように桁の大きい数字は大和言葉では何と 読むのでしょうか? 二十は「はた」? 三十は「みそ」? 百は「もも」? 千は「ち」? 万は「よろず」? 億は?? 数字は「大和言葉」においては、どう読めばいいんですか?

  • 戦国時代の武将が戦死すると一族郎党妻子も死んだ

    http://www10.ocn.ne.jp/~kamitsu/jusonoyurai.html 上記に次のように記されています。 柳田国男著の「十三塚考」によると、戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだ。 それを土地の人々が哀れんで祭ったのが十三塚というものである。 これは全国にもあり、十三付近も戦国時代は非常に多くの戦乱の場となり、戦死者も出たので十三塚と関係があるのではないか。 十三塚の塚を省いて十三となったかもしれない。 (上記より引用) 戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだというのは本当ですか? そんなことすると、先祖の霊を祀る人がいなくなってしまいますが~。 井沢元彦さんがこんなことを書いておられたと思います。 聖徳太子は非常に強力な怨霊だった。 なぜ聖徳太子が強力な怨霊になったのかといえば、子孫が全員斑鳩寺で首をくくって死んだからである。 本来ならば、子孫が聖徳太子の霊を慰霊(供養?)しなければならないのに、聖徳太子にはその子孫がいなかった。 それで人々は聖徳太子の怨霊をひどく恐れた。 今でも先祖の霊を子孫が慰霊する習慣があるので、戦国時代にそういう習慣がなかったとは考えられないんですが~。(まちがいですか?) 戦国時代の武将が戦死すると、その場で一族郎党、妻子すべてがともに死んだことを示す史料はありますか?

  • 【聖徳太子】聖徳太子像を見ていてふと思ったのですが

    【聖徳太子】聖徳太子像を見ていてふと思ったのですが、聖徳太子ってインド人だったのでは? 髪型と服装と手のポーズといい、伝承した龍や像など日本にいない動物を寺のモチーフに採用してるし、インドから日本に渡って来る途中に中国や朝鮮半島の日本より進んだ文明の職人も引き連れて来れた。 聖徳太子がインド人なら全ての辻褄が合う気がします。 ちなみに龍は虹と言われているが、聖徳太子の龍はアフリカ大陸にいた麒麟のことだったと思う。 インド人の聖徳太子はアフリカの麒麟を見たことがなくインドにアフリカの情報が伝承されたときには龍の形になっていた。 聖徳太子が中国人や朝鮮半島の出なら虹から龍になって角は無くなって髭が長い龍になってたはずだし、象もモチーフに採用してないと思います。

  • 聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

    聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ ●国民期待の聖徳太子(当時国民という意識はあったのか?公地・公民だから大丈夫?) ●聖徳太子はコックさん(料理が得意だったり、そういう役目だったの?) ●ご苦労さんです聖徳太子(ご苦労さんて上から目線かな?596年と間違いやすい。) ●コックリさんと聖徳太子(ちょっと不謹慎な気が) ●五組に通う聖徳太子(本当?) ●国産大好き聖徳太子(遣隋使も送ってたから国産大好きとは言いがたいか?) ●極彩色な聖徳太子(派手だった?) ネットで調べたり自分で考えたりして上記のような語呂合わせが集まりました。 括弧の中はちょっとした疑問点です。 更に良い語呂合わせはあるでしょうか?もしくは上記の中でこれが一番だというのがありましたら理由を教えてください。時代背景までわかるような語呂合わせなら最高です。

  • 【日本史】聖徳太子と禅宗の開祖である達磨大師は実際

    【日本史】聖徳太子と禅宗の開祖である達磨大師は実際に会っていたって本当ですか? 達磨大師って中国人なのでは?同時代の人物なのですか?