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現代の自殺問題について

今朝のニュースで、22日午後8時10分ごろ東海道新幹線の浜松~掛川間を走行中の新大阪発東京行き、のぞみ150号の非常コックを開け、乗客が線路に飛び降りるというニュースがありました。 遺体一部は天竜川鉄橋付近で見つかり、テレビでは車輌前面部分の血しぶき跡や窓側側面に血痕、 それも天井位置くらいまでも付いており、壮絶な場面が映し出されました。 普段私が利用しているJR線も上記に類する様な人身事故が頻繁にあり、実際事故現場や場面という、 人の死を直視する事がありましたが、その度もしこれが身内だったら… などと色々考えさせられ、 あまり食事がのどに通らず何とも言えない、どんより雲がかった沈んだ気持ちになります。 私の意識の中の当初は「通勤時などで人身事故が起きた」という情報に対し敏感に反応し驚く。 次第に「また?いい加減にしてほしい。現場検証あと何分?」という感情で反応が鈍くなる。 最後とどの詰まりは「何故こうまでして…」と突き刺さるものを感じ、深く考えされられ情報に敏感な反応。 以上のプロセスによって、今やただの他人事と思え切れず悲しい現実の社会問題として関心を持っています。 (野次馬根性でなく、社会問題として捉えた関心です) 鉄道以外に国内の社会全体では年間3万人以上の自殺者と言われ、今の日本が背負う影の部分を鮮明に映し出されてます。 このような鉄道自殺の他含め「自殺」という行為が減少し、社会問題化にならない改善策は皆さん何だと思いますか? 総理官邸など通じ、内閣から国土交通省や各関係省庁へメールを何度か送りましたが、まさに総理に口無しです。 ※迷惑行為だとか、放って置けば良いなどと中傷的かつ暴虐的な意見でなく、建設的な意見でお願いします。

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  • t78abyrf9c
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回答No.3

↓のページは、養老孟司さんが「世間と生死」というテーマで講演された内容が掲載されてます。 この中で、自殺についても触れられており、日本人にとっての自殺を考える上で参考になるかと思います。 http://www.seitosi.org/library/shoroku/index.php?id=6 私が↑のページを読んで感じますのは、一般的な日本人の中にある強烈な排他性です。 「迷惑行為だとか、放って置けば良いなどと中傷的かつ暴虐的な意見でなく、」 と、書かれていますが、世間感情としては↑が支配的だと思います。 このような意見を、あえて排除しようとするのではなく、何故このような考え方が支配的になるのかを真剣に分析した方が、問題解決の糸口になるのではないかとも考えてます。 一連の問題を考える上で、私が重要だと感じているキーワードが『世間』です。 養老さんの講演テーマが、「社会」ではなく「世間」としている意味を推察して頂ければと思います。 関連として、↓もご一読頂ければ幸いです。 http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html

kanegon122
質問者

お礼

サイト読ませて頂きました。なるほどと思わせられる部分を感じました。有難うございます!日本の世間において死を意味する事とは、いわゆる世間という、組織要素、しがらみから離脱を意味し、それを自ら望む自殺とは周囲は頑張っているのに自分だけ世間から逃げるを意味するからそれなら勝手にしろ!と排他的になる。というのは分かり、段々と点と点が線で結ばれましてきてます。・・・しかし一方、日本人の意識のもう一つ昔から言われていますのが「死への美学」というものも存在するかと思います。何かあれば潔く死でもって責任を取るという感覚でしょうか…正面から見れば、排他的とは真逆の関係に感じます。 見方を変えれば「死への美学」とは単に個人的感覚であり、第三者(三人称)からすれば「うわっ!」何でしょうか?

その他の回答 (4)

回答No.5

ヒューマニズムだとか世間的常識とかは考慮していません。その点ご勘弁をという内容です。 それは、自殺の方法があまりに少ないからじゃないでしょうかね?確実に死ねる方法、拳銃でも一家に一台とかいうことならば、こんな手段を選ばないと思いますよ。 そもそも、「死」を自分で選ぶというのは、一人の人間の選択です。ラーメンにするかうどんにするかからはじまり、この学校にするかあっちにするか、この職場にするか、この女(男)と一緒になるか、自分で「死」ぬか、なにか不可抗力が働くまで「生」に執着するか? そのひとつの選択を実行する手段が、あまりに限られています。なので、公共の場にとって迷惑のかかる方法を選ぶのでしょう。 もちろん、人を巻き込むのがわかっているのはよくありませんね。山奥で化学薬品を作って窒息死した高校生もいたようですが、ああいうのが推奨例なのかもしれません。 と、非人間的(非常識)てきな思考はこれまでにして、ヒューマニズムに基づいて考えると、とにかく「孤立」とか「生きがいの喪失」「無理解」そういう、「欝」の原因となるものから自由になる要素が多い社会、事なかれ主義でなく、ひとがあちこちで取っ組み合いを始めてもいいから、もっとふれあい、にらみ合い、真剣に議論できる社会、そういう「人間が濃い」社会になれば、おそらく割合は減ると思っています。でも、こういう雰囲気に社会になってしまったものを、層帰る手段はもうないでしょうね。天変地異でも起こって日本がひっくり返るようなことが半世紀くらい続いて初めて可能でしょう。

kanegon122
質問者

お礼

ありがとうございます。コメントを読んで感じましたのは、そもそも自ら命を絶つという行為自体が、迷惑行為に該当するかもしれませんね。 山奥で化学薬品を作って窒息死した例にしても、時間費やし捜査官の手にかかる。もし第一発見者が存在すれば遺体を目の当たりにした時、受けるであろう精神的ダメージなどと、当事者意識で捉え方によっては、迷惑行為が及んでいるかと思いました。 迷惑を避ける為には「一切人手にかからない、触れない」しかない気がしました。そうなると困難ですね。 人間が濃い社会…本当にそういうものが必要だなと思いました。 今の時代の日本は、要因の中の一部分として、資本主義経済の最優先による行き過ぎ感で、弊害が起きる原因が一つかと思います。 必要無いものへの排除とコストダウンの徹底ゆえに、後から付いてくるのは過度な労働環境による心身的ストレス、成果主義による先行き不安、中高年失業増加による精神不安、こういう環境下の結果、気持ちの余裕を剥がされ「孤立」,「生きがい喪失」,「無理解」,「事なかれ主義」さらに「他者への無関心」など生み出し無機質に近い「人間が薄い社会」を作り出してしまった現在だと思います。 反対の人間が濃い社会を作り出すには、政府に動いてもらう事が手っ取り早く感じます。 個人的な私見では、例えば政府が企業(官公庁、半民半官も含めて)に対し、「終身雇用制度推奨」,「一企業あたり採用者数の拡大策」という基準を決め課題を推奨する。課題を実行し基準をまたぐ企業等には法人税等、何らか税制面がある一定割合、継続して軽減措置される或いは国から名誉受賞などと… 失業率がグンと減れば自殺者の減少につながり、所得税・住民税を納める人数と額が軽減措置のマイナス分が上回れば、国や自治体も潤う事にもなりますし…。

  • Dxak
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回答No.4

自殺 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA 日本における自殺に色々記載がありますが・・・現在に始まった話ではなく 平成10年(1998年)から、発生件数が横這い状況です 今になって、社会問題化したわけでは、ありません 「警察庁自殺報告」を見る限り、マスコミで取り上げる以上に、中高年・男性に自殺者が偏ってます 理由的には、合ってるかどうか不明な部分がありますが・・・ ・経済的理由 ・健康的理由 が、原因が多い傾向と、高齢者自殺が多いとなってる現状から・・・どうすれば、減るのか?大変、難しい話です 自殺を単独で、見るのではなく ・雇用問題 ・年金問題 ・医療問題 と、複合的な原因から生じてきた結果が自殺問題なのでしょうから・・・

kanegon122
質問者

お礼

3大原因は(1)健康的理由、(2)経済的理由、(3)社会性ストレス(人間関係)と以前から言われてますね。 >「警察庁自殺報告」を見る限り、マスコミで取り上げる以上に、中高年・男性に自殺者が偏ってます 特にバブル崩壊後(2)が原因として顕著のようですね。 コメントのとおり、自殺という結果論を単独で見ないで原因を掘り下げてみます。 雇用問題、年金問題、医療問題…これらの個々の問題をボトムアップ化し整理すると上にある、経済的理由、健康的理由、社会性ストレスに全て結びつくと思いますので、今度は反対にトップダウンで掘り下げ、個々の問題点を出してみようと思います。ありがとう御座いました。

  • denden321
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回答No.2

新聞か雑誌で読んだ記憶なので、少し曖昧な部分もありますが、 自殺者の大部分がうつ病か、またはうつ病の疑いのある人であるそうです。 ただ、一般の人たちのうつ病に対する認識が乏しいらしく (そういう自分もうつ病に対する認識が充分とは言えないのでしょうが) いくら言葉で「自殺はダメ」と言っても全くの無意味なことらしいです。 一般のうつ病の人に対する接し方というものも勉強しないと ダメなのかなと思ったりもします。 それとやはり精神科に通院というのが「ネガティブ」で あるというもの問題の一つだと思います。

kanegon122
質問者

お礼

うつ病に対する認識は私も確かに乏しいです。 認識の乏しさの原因とも思える一つが、「うつ病、そうでない人のボーダーライン位置や見分けの困難さ」だと曖昧さの存在だと思いました。 乏しい分だけ、自分では鬱でないつもりが鬱だったり、また鬱だと思い込んだ人が鬱でなかったりという人が多く存在し混濁する事で、当の本人以外は軽視しがちで、悪い言い方ですが自分には無関係な遠い存在、病気として認められにくい為かと思います。 アメリカみたいにカウンセラーが充実かつ精神的な疾患が日常的な存在として認められるからこそ、風邪を引いて病院に通う患者と同等の意識なのでネガティブさが問題視されないかと思います。 なのでもっと認知される事が大事かと思いました。 コメント読んでいて、新たに色々考えが生まれました・・・ありがとうございました。

  • mat983
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回答No.1

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jisatu/index.html 「自殺総合対策会議は、自殺対策基本法に基づき、平成18年10月に設置」と上記の官邸サイトにはあります。 年間3万人がずっと続いているので対策は取ろうとしています。 私は社会問題化していると思います。

kanegon122
質問者

お礼

早速のコメント有難う御座います。 >私は社会問題化していると思います。 本当にまさに同感です。 自殺総合対策会議…実はこちらの方に2度ほど送ってみた事もあります。しかし「…」でした。 懲りずに訴えかけてみます。 ありがとうございました。

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