創価学会についての相談

このQ&Aのポイント
  • 義母の創価学会での行動について不安があります。勤行をテレビを見ながら行ったり、歩きながらお経を唱えているのですが、口だけでよいのでしょうか?
  • 私は創価学会に入るつもりも会館に行くつもりもありませんが、家族であれば信じていない人にも会館に行って欲しいものでしょうか?
  • 信じていない人との同居は耐えられるでしょうか?
回答を見る
  • ベストアンサー

創価学会の方、教えてください。

私の義母が創価学会に入っています。 私は、入っていません。 結婚3年目で、はじめから同居です。 創価学会に入信している方で、自分に置き換えて教えて欲しいのですが (1)義母は朝と夕方、勤行をしていますが テレビを見ながら、聖教新聞の連載小説(?)を読みながら、 歩きながらおこなったりしています。 口だけお経を言っていればよいのですか?(私はそうは思いませんが。) (2)私は、入信するつもりも、 来年のお正月に会館へ行くつもりもありません。 しかし、結婚して2回は行きました。(主人の説得で) 行くべきではなかったと思いますが やはり、家族であれば、信じていない人にも行って欲しいものですか? (3)信じていない人と同居することは、耐えられますか? 以前にも義母については相談をしました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=320706 宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2714/12238)
回答No.5

二度目です。大変に真摯なお礼、ありがとうございます。こういった問題は身内となるとなかなか難しい問題ですよね。 前回の時は前の質問を覗かずに回答しましたが、今回はちょっと気になって見てみました。 >「10月生まれは暗くて、冗談の一つも言えない!!」 つらいですなぁ(^^;。私も10月生まれです。学会ではこんな事教えてないんですけどね(^^;。 >Mujinkunさんも言っていましたが、「自分と向き合う時間」なのですよね。(中略) >しかし、それは創価学会に入っていなくてもできるとおもうんです。(勤行だけで考えると) 勤行の事だけでなく、全ての事においてnamirinさんのおっしゃる通り、学会に入っていなくても素晴らしい人間になる事はできます。実際、世の中のあらゆる分野で成功した人や世界の平和に貢献した人などの多くは信心せずとも自ずからの考えが結果的に日蓮仏法と多くが合致しているために素晴らしい成果をあげ、素晴らしい人生を送る事ができているのだと思います。これは凄い事だと思いますが、私をはじめとする平凡な人間では自らそのような考えに行きつく事はなかなか難しいと思います。また、考えに行きついたとしてもそれを日頃から信念にし、貫き通す事は非常に難しいと言わざるを得ません。 ですから、日蓮仏法に沿った人間として正しい考え方を共に学ぶために、その学んだ考え方で人生を堂々と行き抜いていくため、くじけそうになった時にお互い助け合うために創価学会があると私は考えます。 >私が「信仰に関して矛盾」を感じると言ったのは、義母が「~ながら」で(中略) >「世界平和」とはかけ離れているのです。 耳の痛い話です。私達学会員の多くは平凡な人間ですので年がら年中のように矛盾を起こしていると思われます。その矛盾をできるだけ起こさないように各人が努力するのですが・・・。 >この期間を限定するのも「?」と思います。 期間を限定するのは教義の範疇ではなく、期間を決める事によってその間のモチベーションを高め、成功の確率を高めるためだと思います。こうやってたらいつか適うなぁ、と行動するより、○○日までにこうやって適える、と思って行動する方が行動の内容が具体的になるし、具体的になる分成功しやすい、という事だと思います。 どちらにしても当の本人が(勤行にしても目標の為の行動にしても)やる気を起こさないと結局は適わないものとなりますので、やる気の起こらないnamirinさんが「?」と思うのも無理ないと思います。 >正直を言うと、「理解はします」が、「受け入れてください」というと「ちょっと」と思います。 >それを「どうして?偏見だ!」と言われると困るのですが。 そうですか・・・。私などは会館に行くのが当たり前でいますので、何のアドバイスも与えられなくて申し訳ないです。行く行かない、については話し合う時にできるだけ感情的にならないで欲しい、と思うだけです。 >義母は「無宗教は日本だけだ!」と言って、信仰心無く神社仏閣に行くことを >否定しますが、そんなに無宗教はいけないことですか? 無宗教がいけないのではなく、無宗教である、と宣言する人の多くがハッキリとした考え方を持って人生を歩んでいない、という事がいけないのです。(ほとんどの宗教は生きて行く為の考え方を教えているものです)考え方をしっかり身につけていないので、何事も考え方が悪い方向に変わってしまう可能性があるのがいけない、という事です。せっかくいい方向であったものが悪い方向に変わるのはもったいないですし、良くないですよね。 また、元から悪い方向の考え方を持っている人もいけないのですが、その人にはそれに対抗する良い方向を伝える事でお互いの考え方を意見交換でき、ちゃんと納得してもらえば、いい方向を受け入れてもらえ、その考え方を持つので考え方さえ変えれば、曖昧なままの人よりは良いといえます。 少しはご理解できる部分があったでしょうか。義母さんについてはmujinkunさんの言う通り、流すしかないなぁ、と感じます。人間誰しも年を取りますと変化を嫌ったり、自分だけの考え方を確立して固定してしまったりするので、これを変える事は難しいですし、矛盾点を突くと感情的になったり、どうしようもないです。この上に世間でいう嫁姑の問題が絡むんですから、何とも(^^;。 良い方向に向かう事を祈ります。

namirin
質問者

お礼

お礼が遅くなって、申し訳ありません。 色々考えさせられます。 私も結婚するまでは宗教とは無縁で特に考えることもありませんでした。 例えば、創価学会の人が毎日勤行をするのが当たり前と思っているのと同様、私はやらないのが当たり前でした。 やはり、それを受け入れるのは時間がかかることだと思います。 私の場合、義母を見ていて「それはどうなのかな?」と思い、学会のイメージがあまり良くありませんでした。 お恥ずかしいですが、私の場合嫁姑問題が入っているので余計です。(ごっちゃにしちゃいけないんですけど・・・。) でもyaasanさんたちの話を聞いて、宗教家の人でも色々な人がいるんだな~ と思いました。(当然ですけど。) もっと、書くことはありますが、主人が帰ってきてしまいますのでこの辺で。 まだまだ私の人生もこれから長いです。ハッキリとした考えを持って 歩んでいかないといけないですね。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.4

NO.1です。 補足の中のご質問について。 「命にさわる」? 言ったことないからよくわからないですけど、よく解釈すれば、NO.3のかたの解釈になるかも知れませんが、この場合、お義母さまが、あなたが言うことを聞いてくれないのにむかついて放った暴言のような気もします。 グーの根も出なくなったときに「あなたには言ってもわからない」とか、「信仰してみないとわからない」などと言うのは、よくある悪あがきであります。 よく宗教している人に多くみられますよね。 人から見ても、矛盾があってはならないはずですし、本来、宇宙や生命、人生などの矛盾を追及しようとして、宗教というものは生まれたはずです。 でも、それをお義母さまに指摘なさったりすれば、余計当たられるだけだと思いますので、まだまだ教義を模索している過程の人だと、温かい目で、さらりと流してさしあげてくださいませんでしょうか・・・。 言っていてツライ・・・!

namirin
質問者

お礼

お礼が遅れて、申し訳ありません。 「命にさわる」と言う言葉は無いのですね。 mujinkunさんの話を聞いていると、「義母とは違うな~」と思います。 なんで、入信していながらそんなに客観的に物事を見れるのでしょうか? 人柄によるのですね。 色々、考えさせられます。 ありがとうございました。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2714/12238)
回答No.3

1)本来、勤行は日蓮大聖人が「このようにしなさい」と決めた事ではないので、どのような形で行っても良いものと言えます(当然、あまりにも変なのは駄目ですが(^^;)。実際、色んな事情を考えて、勤行の形式というのはここ最近になって徐々に変化をしております。ですから「ながら」で悪いと決めつける事はないと思います。問題なのは勤行をする本来の意味、自身の誓願を立て、それを達成するために真剣に唱える、その心があれば「ながら」でも問題ないでしょう。しかし、義母さんの行動はちょと?ですね。 義母さんは信心されてからかなり長い人と見受けます。勤行に慣れすぎて、日常化してしまったような感じがしますね。私の両親も信心してから長いので勤行中に色々と同じような「ながら」をしていますね(^^;。 2)行って欲しいです。基本的にはmujinkunさんと同じです。 3)耐えられない、とは思いませんが、最低限の理解をしてもらわないと結局は難しいと思います。2の回答とも重なるのですが、世間の人が信仰心なくとも神社仏閣で行う正月のお参り、お宮参り、法事などの冠婚葬祭を創価学会ではどのような形で行っているのか、ぐらいは理解してもらいたいと思います。 >「この人は『命にさわるから』行きたくないんでしょ」 これは想像するに今は義母さんの行動を見て学会に入る事を嫌っているnamirinさんですが、会館に行くなどして多くの学会員さんを見るにつれて、学会自体はおかしくない事を知ると思います。そうなるとnamirinさんは「入らない」と思っている気持ちが揺らいでいくと思います。そうした心境の変化を嫌う事を「命にさわる」と表現したのではないでしょうか。 最後にわがままなお願いを書きます。またの機会でも結構ですので「信仰に関して矛盾」を教えてください。namirinさんが学会に入らないとしてもせめてそういった矛盾点を今回の質問のように少しでも解消できるお手伝いをさせていただきたいと思います。

namirin
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ありません。ちょっと長くなってしまいますが 私が思っていることを素直に書きますね。 >1)問題なのは勤行をする本来の意味、自身の誓願を立て、それを達成するために >真剣に唱える、その心があれば「ながら」でも問題ないでしょう。 Mujinkunさんも言っていましたが、「自分と向き合う時間」なのですよね。 向き合う時間があれば、「自分がどうすれば向上するか」とか「何をすべきか」等が 見えてくると思います。なので、いいことだと思うし、そういうことが見えてくれば おのずと行動も伴い実現する(近づく)と思います。 しかし、それは創価学会に入っていなくてもできるとおもうんです。(勤行だけで考えると) 私が「信仰に関して矛盾」を感じると言ったのは、義母が「~ながら」で 勤行をしていることや義母の考えを聞いてです。 慣れとはいえ、義母がやっている勤行だと「言葉だけを言って自分を見つめていない」 と思えるので、「自信の祈願の達成」にはならないと思います。 それに、これは義母自信の性格もありますが、「世界平和」と言いながら、 道にごみは平気で捨てる、アメリカのテロの亡くなった消防士に対しては 「手柄を立てようとした人が死んだ」など、「世界平和」とはかけ離れているのです。 ですので、「義母を見て義母が行っている信仰は理解ができないと言う意味で矛盾」と書かせていただきました。 yaasanさんたちのことを否定しているのではないです。 また、私が会館には行かないと言ってけんかになったときに主人に 「賭けよう!半年、イヤ3ヶ月、毎日勤行しなさい。そうすれば、思ったところに 転職できる!私も手伝う!」と言いました。 この期間を限定するのも「?」と思います。 >世間の人が信仰心なくとも神社仏閣で行う正月のお参り、お宮参り、法事などの冠婚葬祭 >を創価学会ではどのような形で行っているのか、ぐらいは理解してもらいたいと思います。 正直を言うと、「理解はします」が、「受け入れてください」というと「ちょっと」と思います。 それを「どうして?偏見だ!」と言われると困るのですが。 うまくいえなくてすみません。 義母は「無宗教は日本だけだ!」と言って、信仰心無く神社仏閣に行くことを 否定しますが、そんなに無宗教はいけないことですか? >心境の変化を嫌う事を「命にさわる」と表現したのではないでしょうか。 いい風にとればそうですが、mujinkunさんの言うほうだと思います。 「命にさわる」という専門用語があるのかなと思いましたが、ないのですね。 「命」とかをいわると怖い気がしたんで、質問しました。 納得されないとは思いますが 創価学会について 「否定はしない」→「良いと思う」→「受け入れる」→「入信する」にはならないです。

noname#21649
noname#21649
回答No.2

1.ここ20年ぐらいしてません。 2.個人の自由を侵害することになり兼ねませんので.希望しません。 3.最近は.信じる人と接することが苦痛になってきました。とはいっても.いっしょに飲みにはいきますけど。

namirin
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。 やはり、信仰するしない、行く行かないは個人の自由ですね。

  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.1

1)笑ってしまいましたが、ダメダメ、そんな態度では、て思います。 自分と向き合う時間ですので、たとえお経を読まなくても、キチンと本尊に向かうことが大切と考えます。 義務じゃないんですから。 2)行ってほしいと思います。 神社やお寺にお参りすることの替わりなのですから、お正月や法事などは勿論ですが、根本的に「どんなことをしているのか理解してほしい」という気持ちがあるので、見に行ってほしいからです。    3)全然OKです。 ただ、公然と悪口を言われたり、仏壇や本尊を軽んじる(蹴飛ばしたり、振り回したり)行動をされるなら、同居したくありませんけど。

namirin
質問者

お礼

以前もお世話になりましたね。 早速の回答、ありがとうございます。 >1)笑ってしまいましたが、ダメダメ、そんな態度では、て思います。 >自分と向き合う時間ですので、・・・ 私も「そんなんでいいのか~?」って思いながら見ています。 自分と向き合う時間なのですね。 >2)行ってほしいと思います。 >根本的に「どんなことをしているのか理解してほしい」という気持ちがある>ので、見に行ってほしいからです。 初めて行った時は、「とりあえず行ってみよう!」と思って行きましたが、「やっぱり、行きたくないな~」と思うようになってしまいました。 私には、信仰ができないと感じました。    >3)全然OKです。 >ただ、公然と悪口を言われたり、仏壇や本尊を軽んじる(蹴飛ばしたり、振>り回したり)行動をされるなら、同居したくありませんけど。 そんな、蹴飛ばしたり(笑)はしてませんよ。 ただ、義母を見ていると「信仰に関して矛盾」を感じるので 義母が言う創価学会を良い風には思えないです。

namirin
質問者

補足

義母から言われた言葉で気にかかる言葉があります。 私がお正月に会館へ行きたくないと言って どうしてもその考えを変えなかったら 「この人は『命にさわるから』行きたくないんでしょ」 と言われました。 「どういう意味ですか?」と聞いても 「説明してもしょうがない」と・・・。 そのままとれば、「命にかかわる」という意味ですが どうなんでしょうか?

関連するQ&A

  • 創価学会のお宮参り

    私の両親は熱心な創価学会員で、私自身も赤ちゃんの時に入信させられています。 先々月に私に赤ちゃんが生まれたのですが、両親がお宮参りの代わりに学会の会館に赤ちゃんを連れて行って、赤ちゃんの入信勤行会をしないといけないと言っています。 私は創価学会の活動は一切したくなく、勤行会とか大勢の人が声を合わせて題目を唱える場にも行きたくもありません。 私が両親に、赤ちゃんを勝手に入信させるとか決めないで欲しいと言っても、入信したら守られるんだからとか、両親が信仰しているものを子供たちにも受け継いで欲しい、幸せを願ってのことだと必死になって言われ、ケンカになりました。 両親は赤ちゃんの為にいろんな物を買ってくれたのですが、何の為にこんないろいろしてやってるのか分からないと言われました。 お前も大学まで行かせてやっていろいろしてあげたのにとも言われました。 私は無理矢理に宗教を押し付けられて嫌だと言っているのに、いろいろしてもらっているかわりに創価学会の活動には参加しないといけないんでしょうか? 私の旦那も結婚した後、私の両親に言われて強制的に入信させられ、たまに一緒に勤行させられています。 旦那も創価学会には否定的で、私の両親のことはもう洗脳されているから何を言ってもムダだと思うと言っています。 なので、適当に表面的に言うことを聞いておいたらいいんじゃないかと言っています。 私は子供の頃から大人になってもずっと創価学会のことを言われ続け、適当に言うことは聞いてきたのですが、赤ちゃんまで入信させると勝手に決められていて今回は両親にキレてしまいました…。 嫌でしょうがないですが、おとなしく言うことを聞いておいたほうが親孝行ということになるんでしょうか?? 私が創価学会のことを否定すると、両親はいつも怒って創価学会の素晴らしさなどを必死に語り出すので本当にめんどくさいです。 創価学会じゃなくて普通の家庭だったらこんなに悩まなくていいのにと思ってしまいます…。 創価学会は家族を幸せにするどころか、親子関係を悪くさせるだけだと思います。

  • 創価学会信者の主人

    私の主人は親が学会員だったので主人も子供のときから入信しているのですが、活動として現在勧誘とか選挙活動とか全くしていなくお経を一日一度あげている(最近さぼりがち)だけです。私は創価学会について色々友達に勧誘されたり知らずに会合に連れていかれたりの良い印象はなかったので結婚前に絶対無理に入信させないでね、という約束をして結婚しました。それで私がずっと不思議に思っているのですが、主人はお経をあげているくらいだから信教心があるのですが聖教新聞はとっていません。よく友達に私も新聞をとってほしいとか頼まれたことがあるのに主人が聖教新聞を読んでないことが少し不思議です。結婚前もとっていないと言ってたのですが、聖教新聞を会員は強制にとらないといけないという決まりではないのですか?私に遠慮してるのでしょうか?本人に聞けば良いのかもしれないのですが、創価学会についてはあまり立ち入って聞かないようにしているので質問させていただきました。よろしくお願いします。

  • 創価学会の活動について

    知人が創価学会員なのですが、その人がどのくらい学会に入れ込んでいるか教えて下さい。私は学会員では無いので言葉や表現が間違っているかも知れませんが、宜しくお願い致します。ちなみに親も同様に入会している2世会員です。 ・毎月1回地域の会館での集会(勉強会)に参加している。 ・月に数回、夜に地域の部員へ家庭訪問している。 ・神社の鳥居はくぐらない。 ・聖教新聞を購読 ・母親は聖教新聞の配達員をしている。 ・年始は学会の会館で年始の勤行に参加 以上ですがよろしくお願いいたします。結構、活発している方なのでしょうか?

  • 創価学会の義父母と同居

    私の主人とその両親は創価学会で、私と子供たちは創価学会ではありません。主人は学会2世ではありますが創価学会に疑問を持っていて活動は一切しておりません。現在は、義父母と別居していて主人も学会活動はしていないので何の問題もないのですが、以前から同居を迫られており悩んでいます。私としては現時点では同居をするつもりはありませんし、子供が成人するまでは何が何でも同居したくないと考えているのですが・・・もし義父母のどちらかに介護の必要性がでてきたら同居を断り続けることもできないな・・と思っています。 そこで質問です。 創価学会の義父母と同居をした時にどんな問題点が考えられますか? ・ちなみに義父母の家は座談会の場所になっていますので、月に何度かは学会員たちが集まっているようです。私も顔を合わせれば挨拶ぐらいはしますが、座談会には絶対に出たくないと思っています。 ・公明党や聖教新聞は別居している今でもすすめられていて、私はいつも断っているので同居後も大きな問題にはならないと思います。 ・勤行をするつもりはありませんが、仏壇にご先祖様を奉っているとのことなので、仏壇に般若心経は唱えたいと思っています。創価学会の仏壇に般若心経を唱えることは可能ですか?口に出していけないというなら心の中で唱えるだけでもいいのですが・・。 ・私は一生、創価学会に入信するつもりはありません。 これらを踏まえて考えられる問題点を教えてください。 私は創価学会には一切関わりたくないのですが、義父母とは仲良くやっていきたいと思っています。

  • 創価学会の義父母との同居

    先日、下記の質問をさせていただいたのですが、もっといろんな方からの意見もお聞きしたいと思い、再度お尋ねさせていただきました。 学会員の方からのご意見もお聞かせいただければと思います・・学会員の方にとって、非学会員との同居が上手くいくと思えるか教えていただければと思います。 >私の主人とその両親は創価学会で、私と子供たちは創価学会ではありません。主人は学会2世ではありますが創価学会に疑問を持っていて活動は一切しておりません。現在は、義父母と別居していて主人も学会活動はしていないので何の問題もないのですが、以前から同居を迫られており悩んでいます。私としては現時点では同居をするつもりはありませんし、子供が成人するまでは何が何でも同居したくないと考えているのですが・・・もし義父母のどちらかに介護の必要性がでてきたら同居を断り続けることもできないな・・と思っています。 そこで質問です。 創価学会の義父母と同居をした時にどんな問題点が考えられますか? ・ちなみに義父母の家は座談会の場所になっていますので、月に何度かは学会員たちが集まっているようです。私も顔を合わせれば挨拶ぐらいはしますが、座談会には絶対に出たくないと思っています。 ・公明党や聖教新聞は別居している今でもすすめられていて、私はいつも断っているので同居後も大きな問題にはならないと思います。 ・勤行をするつもりはありませんが、仏壇にご先祖様を奉っているとのことなので、仏壇に般若心経は唱えたいと思っています。創価学会の仏壇に般若心経を唱えることは可能ですか?口に出していけないというなら心の中で唱えるだけでもいいのですが・・。 ・私は一生、創価学会に入信するつもりはありません。 これらを踏まえて考えられる問題点を教えてください。 私は創価学会には一切関わりたくないのですが、義父母とは仲良くやっていきたいと思っています。

  • 私は創価学会に入っている事になるのでしょうか

    父親、その姉が創価学会に入信しています。 昔、母の実家で祖父母と一緒に同居していました。 その頃から家庭内別居になり、離婚するまで別居を続けていました。 私は母方の実家で母と祖父母と暮らしています。 父は、母と別居してから入信したそうで、別居して一年後に母の実家のポストに聖教新聞が入っていました。 母が父に怒って新聞を叩きつけ、それから二度と聖教新聞が来ることはなかったのですが、その後も父親は脱会しませんでした。 私は両親が離婚する前に父親とは絶縁してます。 家に学会の人が来たり集会の誘いが来たことはないです。 母も母方の実家も代々続く神道です。 ですが、私は勝手に創価学会に入ってる事になってないかが心配です。 母は、聖教新聞も学会の人も来ないし大丈夫だと言い張りますが、本当に安心していいのでしょうか。 もしも勝手に父親が私の名前を登録していた場合、娘も入信してることにしていた場合、裁判が必要になりますか。 また、私が入信してることになっていないか、どうやって調べたらいいのでしょうか。

  • 創価学会に入信するか迷っています。

    1年前に創価学会員の方とお友達になり、初めて創価学会を知りました。 その学会員さんは「えっ!創価学会を知らないの?」とびっくりしていましたが、その後、創価学会のビデオを見たり、座談会に参加したり、会館の同中に行ったり、民音が主催する音楽会や様々な公演を見に行きました。 また、沢山の超有名人も創価学会の信者で有る事も知りました。 他には公明党と創価学会の関係も知らなかったのです。 {今回の選挙は公明党に投票しました。} 変な団体でもないし、日本最大の宗教団体で全国800万世帯の信者が居ると聞きました。 そこで今月の5/3日に入信する事に決めたのですが、妻と実家、兄弟、親戚に猛反対され現在は入信していません。 この件に関して学会の友達の意見は、「奥さんの了解を貰って入信した方がいい」と言ってくれています。 僕としては平和を目指して頑張っている団体だと感じているのですが、周りの者は「如何わしい団体」とか「財産を取られる」とか「騙されている」と言うのです。 そこで質問ですが、創価学会は何か過去に大きな事件を起したのでしょうか? 起したとすれば、どんな事ですか? 半年前から聖教新聞を勧められて読んでいますが、新聞には、週刊誌のデマ記事に対して学会が勝訴と書いています。 入信反対者は、「自分とこ(学会)に都合の悪い記事を書くはず無い」と反撃しています。 入信しようと考えていましたが、凄く悩んでいます。 皆さんのご意見を参考にしたいと思います。

  • 創価学会の方にお世話になった方いますか?

    私は聖教新聞の購読者です。阪神淡路大震災や新潟中越地震などの災害の際、学会員の方が地域の方を助けたり、学会の会館を開放したりと新聞に掲載されていた記憶があります。 質問内容ですが (1)災害時、その他にこんなことをしてもらった。 (2)入信する気はないが学会のこんなところがすき。 などの意見をお願いします。 注)創価学会の誹謗中傷は絶対やめてください。 解答欄で喧嘩、言い合いはやめてください。 創価学会員ではない方の意見お願いします。 否定的な方へのアンケートがあったので、肯定的な方のアンケートもありかなと思いました。 よろしくお願いします。

  • 創価学会の友人

    長年お付き合いしていた友人が学会員です。 とても面倒見のよい方で困りごとがあるたび相談に乗ってくれ頼りがいのある方でした。 県外に住んでいる方で、昨年四月、私の主人が入院していた時、お見舞いを兼ねてさくらを見に行きたいとのことでしたので、私は宿の手配をして宿泊費を出しておりました。 ところが、学会会館で衛生放送を上映??しているのを見に行きたいとのことで、一緒に見に行くように誘われましたが、私は担当医との面談があるので断り、友人を創価学会会館まで送り迎えすることになりました。(今かえりみると、お見舞いに来たのか、衛星放送を見に来たかったのかどちらが第一目的なのか解らなくなります。) 帰り迎えに行った時、同志の方(婦人会の方)が○○さん(学会の友人)は泣きながら私のことを心配して毎日お題目を唱えているのに、その行為を裏切ることばかりするのとか、私の運命を変えるのには学会に入信するしかないと言われ、私が間違った信仰をしていたから不幸ばかり 続き、入信しない限り不幸は連鎖すると言われました。  誓願書を見ると他の宗教には出入り禁止?らしきことが記載されてました。 その他、一か月でもよいから聖教新聞の購読と公明党の議員の選挙の投票の誘いや、突然議員がアパートに訪問したり、投票のため奔走しているだけに過ぎないと思い、かえって利用されているのではないかと思うこともあります。 学会員になると聖教新聞購読と会員入信のノルマのようなことが背負わされるのでしょうか? 創価学会の方とは信仰と関係なくお付き合いは出来ないのでしょうか? 私は長年お付き合いしていた友人を大切にしたいのですが、ハッキリ断るとギクシャクする関係になりそうで憂いてしまいます。

  • 創価学会について

    相談というか、聞いて欲しいことです。 宗教のことなのであまり人に話せずどうしていいのかわからないです。 長いですし、無知でまとまってない文ですが、第三者の方にこの状況をどう思われるか知りたいです。 夫の両親が創価学会の人です。 義父がとても熱心な創価学会員です。 毎日お経を唱えたり新聞をとったり、選挙の際に公明党を応援したり、会館?に行ったり。 夫も赤ちゃんの頃に入会したそうですが、入会しているだけで活動などはしておりません。 義母も義父と結婚の際に入会したそうですが、夫同様とくに活動しておりません。たまに同じ創価学会の人が訪ねてくる際に対応しているくらいです。 夫の家族が創価学会員と知ったのは結婚してからです。 そのときは夫が好きだったし、信仰は人それぞれだし、義両親も入りたくなければ入らなくていいということだったのでそのまま結婚しました。 そしていま子供が二人います。 上の子が赤ちゃんの頃、義父によって創価学会に入会しました。 特にわたしに相談もなくいきなりだったのですが、そのときはお墓を継ぐという意味かな?や、義父や義父の創価学会の友達?は勧誘もしてこず無害だったので、創価学会を特に何も思わず承諾しました。 義父はとりあえず入会させて将来どうするかは孫(上の子)に決めてもらう、とのことでした。 ここまでが前提です。 最近義父が病気になりました。 病気が発見される前はとても元気だったのに、深刻な病気で寝たきりになってしまいました。 腰が特に痛いらしく、今まで毎日かかさず行っていたお経を椅子に座って唱えられず、ベッドに横になりながらお経を唱えています。 そしてわたしと夫を呼びこう言いました。 「腰が痛くてお経がうまくできない。でもお経を唱えてる時は痛みが和らぐし元気が出る。だから明日から一緒にお経を唱えてくれないか」 ↑お経と書いておりますが、ごんぎ?と言っておりました。 わたしは正直病気によって義父はあまり先も長くないので承諾しました。 ですが実は少し前から創価学会が嫌でした。 病気が発覚する前、義父から下の子を創価学会に入れるかという話が出ました。 わたしは上の子が入ったんだからいいんじゃないか?そもそも意思のない赤ちゃんの頃に入れてどうするんだ?もう少し大きくなってからでもいいのでは?という不信感が出てきました。 上の子が入会させられた時は特に考えなかった不信感です。 そもそも結婚するときに創価学会に入りたくなければ入らなくていいと言っていたのに、下の子を入会させる際わたしも一緒に入会してほしいと。 これも勝手に決められ、創価学会の人が家に入会カードを持ってきて名前を書かされました。 わたし自身とても人見知りでグイグイくる創価学会の人に反抗できませんでした。これは私のせいなのでしかたありませんが…。 上の子の入会の時も、下の子とわたしの入会の話が出た時も実は反論できませんでした。 すべて勝手に決められましたが、同居なのであまり険悪になりたくないのと、夫や義両親とは仲良しだったので反論できませんでした。 ちなみに昔も今も仲良しです。義両親を尊敬していますし私たち夫婦や孫にもとてもやさしいおじいちゃんおばあちゃんです。 今思えば宗教の話になると義父がマジになります。反論できる空気じゃありません。病気のこともあるし義父が望むことは出来る限り叶えてやりたいと思っています。 ですがぶっちゃけ言ってしまうと気持ち悪いのです。 正直創価学会に入りたくないし、お願いされたお経も唱えなくないです。 結婚して嫁に入ったからって同じ宗教にならなくちゃいけないとか意味わかんないです。お墓も別に一緒じゃなくていいし。ていうか結婚の時入りたくなければ入らなくていいとか言ってたんじゃん!話が違う!! でもお経唱えると痛みが和らぐとか元気が出るとかいうからやらなくちゃならないかなーと思っています。こういうところが私はクソなんです。 義父には悪いですがバカらしくてついていけません。その宗教への熱心さに引いています。 今まで毎日お経唱えて熱心に信心してたら、そもそも病気になんてならないでしょとすら思います。 同じ創価学会の人がうちにお見舞いきてみんなでお経あげたりしていますが、なんか大の大人が宗教に信心してるの正直気持ち悪いし怖いです。 みんなの幸せのためにお経を唱えているのはわかっています。 創価学会や他の宗教を信仰している方には本当に申し訳ない内容です。ごめんなさい。 私は普通のお墓の家庭で育ったので、そういう信仰が深いところが根っこから受け入れられないんだと思います。 最初にも書いた通り相談というか誰にも言えないので聞いて欲しいだけです。変な文章で本当にすみません。 夫はあてになりません。夫は生まれた頃から創価学会なので夫にとっての普通が創価学会です。 夫は集まりやお経などしませんし、本当に名前だけの創価学会員です。 お墓を継ぐことを考えて子供の入会もわたしと同じく承諾し、今回も親父が病気だから叶えてやって欲しいと言いました。 ですがわたしは思います。入会してどうするの?特に活動もしないのになぜ入らなくてはならないの?お墓がどうとか家族だからとか信仰は人それぞれじゃん。なぜ勝手に決める?こっちは断れない雰囲気なんだよ。言いたいことはたくさんあるのに義父を前にすると言えないです。断ればいい話なのに病気だから、もう治らないからと思ってしまうと何も言えずに承諾してしまいました。クソです私は。 自分の信仰を他人に変えられたくない。子供たちも。自分の意思がない頃に勝手に入会させられ将来偏見の目にあったらどうしよう。 そんなことも考えられずあのとき上の子の入会を承諾したのをとても後悔しています。 何か、自分の子なのに何か別のものを勝手にくっつけられたみたいで今はとても不快です。 もちろん創価学会については特に信仰したい人がすればいいし批判するつもりなんて全くありません。 ですが自分がいざ入会しそうとなると、いままで仲良かった義父が恐ろしく滑稽で不気味に思えてなりません。 夫や義母は入りたくなければ入らなくていいと言ってくれました。 ですがもう承諾してしまいました。後先考えず本当に悔やんです。入りたくないです。わたしにとって普通じゃありません。 義父に今更入りたくないなんて言えません。言いたいですが。 義父はもうあまり長くないので心残りにされたら嫌です。 病気と闘う義父は見ていて辛いです。治らなくても少しでも良くなってもらいたいし、コロナが落ち着いたらまたみんなで旅行やお出かけがしたいです。あれが欲しいと言ったら買ってきますしいつもありがとう、迷惑かけてごめんなと泣きそうな声で気遣ってくれます。 義父を悪く言いたいんじゃないんです。 本当に良い人だから、良い人だからこそ断りづらいんです。 ですが私は創価学会に入会したくありません。 信仰を創価学会一色にしたくありません。自由に生きたいです。 ここまで拙い文を読んでいただき感謝申し上げます。 どう思われたか率直な意見を聞きたいです。 感情の整理がつかず、誰にも相談できず、いろいろな考えに挟まれて辛いです。 どう思われたでしょうか。 私の考えはおかしいのかわかりません。 夫含め義家族は創価学会が普通なのですから。

専門家に質問してみよう