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ワニにとらえられた子どもという論理を論駁したいのですが

tshmsg63の回答

  • tshmsg63
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回答No.13

「ワニさんはその子供を返さない」と母親が言うとき、その言葉は、 (1)単なる音、あるいは現実とは無関係な単なる言葉の構築物として (2)現実に完全に即した言葉本来の意味を持つものとして という2通りの解釈が可能ですが、(2)の立場に立ってこの言葉を解釈するなら明らかに矛盾に陥るので、母親は、(2)の立場を維持したままこの言葉を言うことは不可能です。しかし明らかに、現実には言うことが可能なはずですが、そのときには母親は(1)の立場に立っているのでなければなりません。 これは単なる屁理屈ではなく論理的に絶対に確かなことで、(2)の立場に立っている限り、途中までは言えたとしても、「ワニさんはその子供を返・・」で止めざるを得なくなるでしょう。その後最後まで言い切ることができるか否かは、(2)の立場をやめるか否かにかかっています。 逆に、実際に誰でもこのゲームで設定された状況でこの言葉を言うときには、本人が意識(意図)していようがいまいが、必然的に(1)の立場に立っていることになります。なぜなら、(2)の立場を堅持したままこれを発言すればその時点で即矛盾となるが、矛盾することは現実には起こりえないからです。 つまりこの矛盾の原因は、発言した時点では(1)の立場に立っているのに、後から(2)の立場に立ってその言葉を解釈しようとするところにあります。 繰り返しになりますが、実際にこの言葉を、完全に現実に即した意味を与えながら言おうとするなら、最後まで言い切ることは出来ないことがわかるでしょう。最後まで言ったということは、現実に即しているかどうかはとりあえず一旦忘れて、単なる音、あるいは現実に直結しない単なる観念としてこの言葉を発言してしまおう、という立場に立っていることになるのです。 別の言い方をすれば、「真」か「偽」かを判定できるためには、それが厳密な意味のある(解釈を与えられた)命題でなければなりません。例えば、極端な例では、鳥の鳴き声を取り上げてその内容の「真偽」を判定することは出来ません。(1)の立場での発言は、必ずしも完全に無意味な単なる音ではないにしても、真偽が判定できるか否かという観点から見ると、本質的には、ここでいう鳥の鳴き声と同じ部類に入ります。 ゲームに戻ると、この状況での「ワニさんはその子供を返さない」という発言は、(1)の立場に立っていなければ不可能であり、その上で発言した後から(2)の立場をとることはできない、ということをワニと相互に確認しなければならないでしょう。 しかし、相手がこれから言う内容が、現実と照らして嘘かどうかを判定することができる、つまり(2)の立場で行われる発言であるということをワニは前提としています。しかし(2)の立場に立っている限りこの発言をすることは不可能です。こう考えると、結局ワニは現実には不可能な条件を出していることになります。 この点を明確にしたらもう反論の余地はないので、まともな取引をする気があるのなら、ワニはこの条件を撤回する以外にないでしょう。

defstar
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ありませんでした 皆さんの解答を参考に仲間とも色々話し合うことができました わかりづらい質問に解答ありがとうございました

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